*石原都知事の政界復帰、あわよくば総理といった欲望に突進!
*その言動を知れば知るほど自己矛盾的な、支離滅裂さに驚嘆する、こういう人物がいるということが興味深々である、国民ニとっては大きなマイナスのダメージを与える政治家になるであろうと確信するが、この国の人たちは優しい、東条英機を英雄としてその登場の際は歓迎した、彼は東条の自殺未遂を非難してるが、自分自身が東条に相似的なことに気付かない、何度でも経験すより他に道はない、案外に速く化けの皮は剥がれるだろうとボクは確信している
*石原慎太郎でウキペディアを検索下さい、これ以上は無い、と言えるほど称詳細で客観的な事実と言動が記録されている、
*オウム真理教、隠し子問題については触れていない、、
石原都知事が辞職表明 新党結成、衆院選立候補の意向*朝日新聞
東京都の石原慎太郎知事(80)は25日、都庁で緊急記者会見を開き、都知事を辞職すると表明した。近く新党を結成し、新党代表として次期衆院選で比例区から立候補する意向も示した。会見後、都議会議長に辞表を提出。都知事選は、議長が選管に通知した翌日から50日以内に行われる。
石原知事は「今日をもって都知事を辞職する。国会に復帰しようと思っている。新党を立ち上げて仲間とやっていく」と述べた。「最後のご奉公。硬直した中央官僚の支配制度を変えないとダメ。役人と戦っていかないと、この国は沈んで窒息して死ぬ」と語り、憲法改正への意欲のほか、尖閣諸島に船の避難場所が必要との見解を示した。
*東京都による尖閣諸島購入計画
中国との間で存在する尖閣諸島問題について、2012年(平成24年)4月に、東京都が尖閣諸島を地権者より購入する計画について記者会見し[78]、2012年4月27日より東京都によって東京都尖閣諸島寄附金が募られている。2012年7月現在、寄付金は13億円を超えた。
新党は、石原知事が「応援団長」を務めるた「ちあがれ日本」を母体とし、保守勢力の再結集を目指す。たちあがれ日本の幹部は25日、「新党に合流する」と述べ、所属国会議員5人全員が新党に参加する見通しを示した
「立ち上がれ日本」命名者は石原慎太郎、
2005年(平成17年)に自由民主党を離党して、新しい保守政党の構想を示唆してきた平沼赳夫と参議院選挙を前に自民党による民主党の単独過半数獲得阻止を困難と判断し、05/10/4月に自民党を離党した与謝野馨らが保守層の受け皿として平沼・与謝野・園田博之・藤井孝男・中川義雄・石原慎太郎を発起人、平沼を代表、与謝野を共同代表として4月10日に党を結成した。
新党を後押しする石原慎太郎の命名により、新党の名称を「たちあがれ日本」にすることが固まった[3]。[4]。英文名称では「日の出党」。
*与謝野が2011年1月13日に離党した
キツネとタヌキの化かし合?、憲法改正で結集、新党発足にいたる推移?
7月4日、たちあがれ日本は石原新党を視野にいれた「政策宣言」を発表した。自主憲法制定を最初に掲げ、尖閣諸島への自衛隊配備や財政への複式簿記の導入など、石原氏が進める政策を後押しする内容も盛り込む。政策宣言のキャッチフレーズは「日本力倍増!」。またこれに伴う会見で平沼は亀井静香とも「同一行動を取らない。石原氏も究極的には私たちと同じ態勢になるのではないか」と述べた。
7月24日、平沼は都内で講演し「今月ないし来月早々には石原氏が正式に態度を表明し、新しい流れが出てくるのではないか」との見通しを語るも8月3日の記者会見で石原都知事は「こちらは新党よりも尖閣のほうで手一杯なんだ」と述べ、月内結成を断念する考えを明らかにした。また平沼氏の発言に対し「彼とそういう話をしたことがない。新党の問題について周りの人が言うのもありがた迷惑だ」と不快感を示した。
*ウキペディア参照、
天皇の靖国神社親拝を期待する発言を行う一方、A級戦犯の靖国合祀に関しては異議を唱えており[108]、「戦争の明らかな責任者を外して合掌している」と述べている。拳銃が決して致命に至らぬ最小の22口径で自決しようとした東条英機より、潔く自決した大西滝治郎中将や阿南惟幾陸相を靖国へ合祀しない事に異議を唱え、さらに東條を嘲笑した文章を述べ、
石原自身かつて小谷喜美との対談の中で「日本が行った戦争がすべて侵略だから靖国に参拝するななんていう進歩的文化人の連中はおかしい。」とも述べている。
霊友会への入信
石原は政界進出にあたり、自身の後見人的立場だった当時の産経新聞社主水野成夫を介して霊友会の支持を取りつけ、大量の組織票を獲得する。[183]自らも霊友会の信者であり、自らの信仰についての著作 (「法華経を生きる」など) も書いており、霊友会の機関誌「あした21」に連載を持っている[184]。霊友会初代会長小谷喜美を師として仰いでおり、霊友会現会長大形市太郎と対談を行っている[185]。また、2002年 (平成14年) には霊友会の新年会で挨拶を行っている[186
*噂の眞相 99年6月号特集2
昨年12月、幻冬舎から『法華経を生きる』という単行本を出版しており、この本がどう読んでも、自分の”支持者たち”に媚びるために書いたとしか思えないような内容である。
「タイトルからも分かる通り、ひと言でいえば、五木寛之『大河の一滴』の二番煎じのような内容なんですが、違うのは五木は真宗大谷派に、そして石原は、日蓮宗系の在家団体、つまり霊友会や立正佼成会といった宗教団体に向けて書いていることでしょう。実際この本のなかでは、立正佼成会の開祖、庭野日敬の著作が頻繁に引用されていたり、霊友会のシャーマン・小谷喜美を褒め讃え、選挙の時に霊友会から20万票回してもらった話などが随所に登場するんです」(前出・文芸評論家)
事実、石原にとって霊友会や立正佼成会は、これまで最大のスポンサーであり最強の集票マシーンだった。そして実をいえば、それは今回の都知事選でも同様だったのである。別の石原の関係者が明かす。
「4年前、石原さんが突然議員辞職した理由は簡単です。誰も彼のことを相手にしなくなったからです、人望がないうえに経済オンチ、エラソーにするだけで、派閥を率いて子分にカネを配る力もない。89年の総裁選の時、立候補に必要な20人の推薦人を集めるのにも苦労したように、当時の自民党内での石原さんの存在理由なんて、選挙の時の人寄せパンダぐらいのもので、仮に石原さんが笛を吹いても、誰も踊らないような状況だった。彼にはそれがガマンならなかったんですよ。だから、せめて議員在職25年の演説という舞台をわざわざ選んでタンカを切り、辞職したんです。
実際の選挙資金は、おそらく立正佼成会がかなりの部分を負担したはずです。もちろん票集めもね。霊友会は数年前の久保継成会長の女性スキャンダルで組織が分裂状態のため、今回はそれほどでもないが、元をたどれば立正佼成会も霊友会から派生した団体。つまり『法華経を生きる』は、都知事選に出たらお願いします、という石原から信者に向けたメッセージだったのかもしれないな」