発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

道徳という教科をどう評価するのか

2018年05月16日 | 日記

◆沙翁に学べ

 道徳のテストがどういう結果をもたらすかは、シェイクスピアに学べる。小学校六年生のときの国語の教科書に載っていた「リア王」は、言ってみれば生前贈与失敗の話である。姉たちは親孝行テストで模範解答をして領地をもらったあと父であるリア王を裏切った。末娘は模範解答することを拒否して領地はもらえなかった。その後リア王は放浪狂乱し、結果末娘と共に命を落とす悲劇となる。

 評価に向かないものを評価しようとすると、当然ながら、模範解答していい点を取るが行動を伴わない者が出てくる。かといって、まじめすぎてテストを拒否すると酷い目に遭う。つまり、道徳的によい子わるい子と道徳のテスト成績は、下手するとまったく関係ないことがある、ということをシェイクスピアは言っているのである(のか?)。

 評価に向かないものを評価しようとさせてはいけない。ろくなことにならない。その上、心底まじめな児童と教諭の悩みをひとつ増やすことになる。

 

◆おまえが言うな

 道徳は教えにくい。「おまえが言うな」と突っ込まれることがないように親や周囲の大人が行動や態度であらわすしかない。自分が「かくありたい」と思っている人に近づいているのか、大人こそ常に自問している必要がある。わが国の為政者はどうなのかな。権力やお金の面以外で「かくありたい」と思われている人、いるのかな。

  私は、亡くなった父のような人になりたいと思っていたし、今もそう思っている。姪が「爺ちゃん、ハイスペック」と言っていた。見る目あるじゃん、姪よ。爺ちゃんのハイスペックは即ち人格のことだ。それがちゃんと見えてる。孫に「ハイスペック」と言われる「普通の人」こそ理想である。

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