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生体解剖:「フィリピンでも」84歳元衛生兵が証言、住民30人以上が犠牲

2006年11月24日 | 支那朝鮮関連
生体解剖:「フィリピンでも」 84歳元衛生兵が証言、住民30人以上が犠牲

フィリピン・サンボアンガの地図
 ◇大戦末期
 第二次大戦末期、フィリピン・ミンダナオ島で、負傷兵の治療などに当たっていた元上等衛生兵曹の牧野明さん(84)=大阪府枚方市=が、仕えていた軍医とともに現地住民を生きたまま解剖したことがあると証言、その体験を基に、近く語り部活動を始める。解剖は軍医が衛生兵の医療実習として個人裁量で行ったとみられる。戦時中の生体解剖は旧満州(現中国東北部)の生物戦部隊「関東軍731部隊」が中国人に行った例が知られているが、フィリピンに関する証言は初めてという。【久木田照子】
 牧野さんは海軍第33警備隊の医務隊に所属。1944年8月から同島のサンボアンガ航空基地で負傷兵の治療に当たった。医務隊は軍医(大尉)を筆頭に、補佐役の牧野さんら三十数人がいた。
 牧野さんによると、解剖は同年12月から、米軍のスパイと疑われた住民(捕虜)に対し、基地内の病院で行われた。軍医の指示を受けながら2人で執刀。麻酔をかけた上で、10分~3時間かけて、手足の切断や開腹手術などをした。解剖中は部下が助手や見張りをした。
 米軍上陸直前の45年2月まで3日~2週間ごとに行われ、犠牲者は30~50人に上るという。遺体は部下が医務隊以外に知られないように埋めた。
 牧野さんの部下だった80代の男性は「解剖には立ち会わなかったが、(何が行われていたかは)仲間に聞いて知っていた」と話している。45年3月に米軍が同島に上陸後、病気や飢えなどで医務隊も大半が死亡し、軍医は自決したという。
 牧野さんは「命令に逆らえず、むごいことをした。戦争体験者が減りつつある今、自分には戦争の真実を伝える責任がある」と話している。
 ◇「すまんな」震える手でメス
 牧野さんが戦後61年間、家族にも明かさなかった体験を語ることにしたのは、「せめてもの償いに戦争の本当の恐ろしさ、むごさをきちんと伝えたい」との思いからだ。
 牧野さんによると、同基地に配属されてから約4カ月後、軍医に命じられて捕虜の男性2人を連れて行くと、「これから解剖する」と告げられた。2人に服を脱ぐよう命じ、手術台に大の字に縛りつけ、顔に布をかぶせた。通常手術の2倍のエーテルをかがせると、5~6分で意識を失った。
 「むごいな、すまんな」と心で叫びながら、軍医に習い、震える手で腹にメスを入れた。18歳ぐらいの女性2人を解剖したこともあった。「必要な実習なのだ」と自分に言い聞かせ、感覚をなくそうと努めたという。
 731部隊を研究する常石敬一・神奈川大教授(科学史)は「フィリピンでの生体解剖は初耳。見通しの立たない戦争末期のモラル低下を象徴している」と指摘している。
毎日新聞 2006年10月19日 東京朝刊
MSN-Mainichi INTERACTIVE フィリピン(cache)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/philippines/news/20061019ddm041040078000c.html





大戦末期に比で生体解剖

 元海軍衛生兵が証言

 太平洋戦争末期に、旧日本軍がフィリピンのミンダナオ島で行った捕虜の生体解剖を、元海軍衛生兵の牧野明さん(84)=大阪府枚方市=が25日までに証言した。

 戦時中の生体解剖は旧満州(中国東北地方)の731部隊や九州大病院のケースが知られているが、フィリピンで行ったという証言はこれまでなかったという。

 61年余り家族にも言えず、夢に見るなど苦しみ続け、「なぜ今更」と証言に反対する戦友もいたが「このまま埋もれさせては亡くなった人が浮かばれない」と決意。戦争体験の語り部として、悲惨な歴史を伝えていくつもりだ。

 牧野さんは海軍の第33警備隊の医務隊に所属。1944年8月、ミンダナオ島サンボアンガ航空基地に配属された。生体解剖が始まったのは同年12月。22歳だった。

 「捕虜を連れてこい」。上官の30代の軍医に命じられ、米軍のスパイとして捕まった住民男性2人を連れて行くと「これから解剖する」と告げられた。場所は病院にしていた学校。おびえきった2人に服を脱ぐよう命じ、手足を手術台に縛りつけた。顔に布をかけエーテルをかがせると、数分で意識を失った。

 「おれが死んだらおまえが治療をしなくてはならないから」と軍医に言われ、震える手で腹にメスを入れた。「これが肝臓だ」。軍医に示されたが、頭に入らなかった。「命令とはいえ、罪のない者に何とむごいことをしているのか」。心の中でわびた。

 手足の切断、血管縫合、開腹手術-。生体解剖は翌45年2月まで続き、女性や子どもを含む約30人が犠牲になった。軍医の「おい、やるぞ」という一言で始まり、息を吹き返すことがないよう最後にロープで首を絞めた。遺体は部下が運び出して埋め、解剖は医務隊だけの秘密にされた。

 「命令に逆らえば殺される。そんな時代だった」と牧野さん。45年3月、米軍がミンダナオ島へ上陸。日本兵はジャングルを敗走した。「必死で逃げながら空を見上げたら、真ん丸な月が出ていた。故郷でも見てるのかと思うと、心細くて涙が出た」

 牧野さんは数年前から枚方市の小中学校で語り部活動をしている。「生々しすぎ」生体解剖の話はしなかったが「こんな悲惨なことを二度と繰り返してはいけない。1人でも2人でも戦争の真実を伝えていきたい。機会があれば、償いの証言を続ける」と話す。
(共同)
(2006年11月25日 19時08分)(cache)
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2006112501000355.html


<釣果>
(cache) Report: Japan's navy conducted medical experiments on Filipinos during war - Asia - Pacific - International Herald Tribune

(cache) BBC NEWS | Asia-Pacific | Japanese doctor admits POW abuse


「元上等衛生兵曹」が“医者(doctor)”に昇格
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-214.html

今日の覚書、集めてみました 南京ヨタ映画の余波:第一波@BBC
http://blog.goo.ne.jp/kitaryunosuke/e/13b06e485c50183b2e374d0dfebcb8b7



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慰安婦至急大募集

日本軍'慰安婦' 強制動員 ??

現在日本政府が責任逃れをする重要な論理中の一つは日本軍‘慰安婦’が自発的に戦地に行ったというのだ. 日本軍と管の介入はなかったし, 動員過程で強制性も全然なかったと主張する.

日製は管の直接的な介入は最小化して民間業者を選抜して彼らに ‘慰安婦’を募集して統制するようにした. 業者たちは募集人を利用するとか自分たちが直接出て女性たちに近付いて就職をさせてくれるとか良いお金儲けがあると欺いて女性たちをひいて集めた.日本軍‘慰安婦’ 被害者大部分がこの言葉について行ったと証言しているほどに ‘慰安婦’ たちは貧しい家庭出身だった. 特にこれらの中で慶尚道や全羅道など農村出身が多かったという事実はこれら地域を含めた農村地域が植民地期間の間極甚な貧困に苦しんでいたという事実を言ってくれる. 植民地女性たちの貧困な境遇を利用して就業を餌で誘惑して, 何の情報提供なしにこれらを慰安所に連れて行ったという点で就業詐欺も厳然に強制動員の一環だ.

朝鮮総督府が学校や官庁を通じて勤労精神隊員で女性を動員してから日本軍‘慰安婦’で越す場合もあった. 従軍慰安婦という公式的な労務動員組職を通じて女性たちを公開的に徴発してこの女性たちを隠密に日本軍‘慰安婦’に送ったのだ.その他に 供出や奉仕隊, または勤労台という名目で女性たちを動員してから日本軍慰安所に行かせる場合も多かった.日本軍‘慰安婦’の動員にはこのように総掛かり体制下の各種労動力動員制度が合法的に活用されたりしたのだ. そして今日日本は日本軍‘慰安婦’ 女性の ‘不法的な’ 動員はなかったと主張している.戦争が追いこみで走り上げ始めながらは軍と警察が出て暴力的に女性を拉致したりした. 総力戦体制下の統制強化が警察の無差別な連行を助長した. 一方日本軍‘慰安婦’が必要だという展示状態の日本軍の要求がこのような公権力の物理的暴力を許容したりした.
enjoy Korea
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ttalk&page=5&nid=433120
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旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画2006
●福岡(11/19開催)****************
宋神道さんに寄り添って15年
-在日の「慰安婦」裁判を支えて-
日時:2006年11月19日(日)
http://list.jca.apc.org/public/aml/2006-November/010120.html

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元慰安婦の宋神道さん、朝鮮人女性に「戦地に行ってお国のために働けば結婚しなくても独りで生きていける」とだまされて慰安婦になった
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「旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画2006」講演会
http://fiorina.blog24.fc2.com/blog-entry-229.html



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Meine Sache ~マイネ・ザッヘ~: プロパガンダ警報
http://meinesache.seesaa.net/article/28360542.html

博士の独り言 - 毎日新聞の国籍を問う -(cache)
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-59.html

博士の独り言 - 「元衛生兵の証言」一考 -
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-214.html






歴史を刻む「枚方平和のための戦争展」(cache)

第3回
1994年7月26日~27日
約250名
枚方教組主催
戦争と平和を考える児童文学リスト発行
戦争体験を聞く牧野明さん(ミンダナオ戦線生き残り兵士)
枚方教組:枚方教職員組合 〒573-1192 枚方市西禁野1-1-3
http://bruin.homeip.net/zenkyo/heiwa/senso_ten/history


(569)
面白い事にこの牧野とかいう爺さん、枚方教組という強烈な日教組団体と関係を持ってます。私は枚方出身ですのでよく存じ上げておりますが、この団体に属する教師は在日が多く、授業に於いても2秒で分かる嘘を平気で吐きます。さらに・・
>>その体験を基に、近く語り部活動を始める
とありますが、彼は少なくとも十年以上前から工作活動を開始しております。
[ 2006.10.20(Fri) 02:15] URL | naha #- |

博士の独り言 - 毎日新聞の国籍を問う -
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-59.html


10月22日(日)/2006
戦争体験:比・ミンダナオ島従軍の牧野さん、悲惨さ訴え--枚方・殿山第一小 元上等衛生兵曹、牧野明さん(84)、約1時間、6年生に戦争体験を話す 20日、枚方市上野1、市立殿山第一小(今森巌校長、272人)(毎日新聞)
大阪ニューズ アーカイブ - Osaka Online
http://kmzone.web.fc2.com/osakanews/onews2006/osaka2006_10.htm



日本財団図書館(電子図書館) 私はこう考える【教育問題について】
2000年5月号 正論
「反日教員」の悲鳴が聞こえる 大阪府にみる“最悪の卒業式”からの脱出大阪府枚方市立桜丘中学高教諭●長谷川 潤(はせがわ じゅん)
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/01254/contents/766.htm


コリアNGOセンターの共生社会事業:講師・パネリスト派遣実績
2004
11月13日(土) 講演 枚方市立招提北中学校 約600名
http://korea-ngo.org/kyousei/5panerist_04z.htm





「ナチ収容所体験はウソ、スペイン抑留者会長解任」

【パリ11日=時事】スペインからの報道によると、スペイン人でナチ収容所抑留者の会会長を務めていたエンリック・マルコ氏(84)に、実は収容所経験がないことがこのほど発覚。会長職を解任された。

同氏は78年に出版した自伝の中で、第2次大戦中にフランスのレジスタンスの闘士としてナチス・ドイツの捕虜になり、オーストリアのマウトハウゼン収容所に送られたと語っていた。ところが、カタルーニャの地方紙がこのほど、歴史家の調査を基に実際にはこれが作り話だったことを暴露した。
2005/05/12
http://www.zakzak.co.jp/top/2005_05/t2005051225.html




●議会でアウシュビッツ解放60周年記念行事
【スペイン マドリッド1月28日】
 ナチスドイツのユダヤ人迫害の歴史にピリオドを打ったアウシュビッツ収容所解放から27日で60年がたった。スペインでは、史上初めてホロコースト犠牲者追悼行事が国会議事堂で行われた。下院議長、在西イスラエル人連盟、マドリッド・ユダヤ人協会、駐西イスラエル大使らが出席して行われたセレモニーでは、ホロコーストを生き延びたスペイン人たちが主役となった。彼らは市民戦争で捕虜となった共和制支持者たちで、フランスなどで捕虜生活を送るうち、ナチスの手に落ち収容所に送られた。そのうちの一人、エンリク・マルコ氏が演壇に立ち、悲惨な収容所体験を語った。今後は、毎年1月27日に議事堂で追悼行事が行われる。
スペインのニュース
http://www.spain-ya.com/Pages/nt050128.htm



Meine Sache ~マイネ・ザッヘ~: 暴かれる犠牲者ビジネス
http://meinesache.seesaa.net/article/3768983.html

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