palo-alto

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ハングルと漢字の拒否反応のお話

2008-12-08 | diary
アウトプットしておかないと忘れそうなのでメモ代わりに。
リアルのメモだと動機として弱いというかなんというか。



 韓国で使われている文字であるところのハングルは、一文字で音節を表現できる点については世界的に見ても珍しく、また優れたシステムであると評価できる。しかし、表音文字という制約の下ではやはり言語としての欠陥がある。つまり、同音異義語を判別できないという点である。

 日本語にも同音異義語は多くある、が、韓国語と異なる大きな点は、語にアクセントを置くことができるということだ。また、漢字に複数の読み方が存在する点も、韓国語と比べて語の区別をつけることのできる一つの要因になっている。韓国語の七割は元々は中国の言葉であり、つまり元は漢字なのだが、韓国語では漢字には原則として一つの読み方しか無い。よって、同じ発音で違う意味であるという単語が必然的に多くなる。

 この欠陥を改善しようとしたのが、日本が日韓併合期に行った、漢字とハングルを併用するようにしようという試みであった。そもそもハングルは当時ほとんど使われておらず、これを国の文字として広めたのが日本統治下の政策であった。漢字とハングルの併用を考え出したのは福沢諭吉とされる。ハングルとひらがなを同一線上の扱いとみなしての発想だったと考えられるが、日本語のそれとは対照的に、漢字・ハングルの併用は現在に至るまで普及していない。

 この原因として一般に考えられているのは、「占領下において朝鮮総督府が広めようとした文字体系を採用するのはナショナリズムに反する」といったような、メンタリティに重きを置いたものである(そもそもハングル自体が日本によって再発見された、という歴史はあまり語られない)。しかし、大きな原因と考えられるものは他にある。そもそも言語の体系的に、漢字とハングル間に齟齬が生じているのだ、という点である。

 前述した通り、日本語においては漢字には複数の読み方が存在する。大別すれば音読みと訓読みである。音読みは読んで字のごとく元の音であり、唐代の発音が反映されている(誤って伝わったものが定着した例もある)。対して訓読みは、日本古来の言葉に漢字を組み込むために、既存の言葉に漢字を当てはめた、いわば翻訳と言える読みである。訓読みの存在は、表音文字たるひらがなと、表意文字たる漢字をシステム的に結び付ける、いわば緩衝材としての役割を持っているのだ。そして、その漢字かな混じり文という体系は、千年の時を経て洗練された。

 対してハングルは、元々歴史に埋もれていたものを併合期に日本が発掘し広めたものであるから、年月という水によって角を落とす段階を経ていない。その時点で、ハングルに漢字を組み込むということは、緩衝剤である「訓読み」にあたる機構が抜け落ちているために、失敗してしまったという事である。表音文字と表意文字を組み合わせて使うという、特殊な言語である日本語を模した体系を作るのであれば、その成立の過程までも頭に入れて置かなければならなかった、というのが、漱石の非であったと言える。



というようなお話を大学の教授がしていました。
若干右寄りな人なので、鵜呑みにするのはなかなか難しいのですが、
訓読みという機能に着目した説は割と面白かったです。
システム的に齟齬があるので、
韓国語ペラペラな知り合いの方も、漢字を混ぜるととたんに読みにくくなるとか。

あと、最近ハルヒを最初から読みなおしてます。消失終わりました。
やっぱり原作面白いなあ。
続きもの書かないとすっきりしないので、キャラ掴みなおさないと。