とは言え、ノルウェーのハーコン皇太子と、メッテ-マリット・ヒェッセム・ホイビー
との交際が世間の知れるところとなり、それに伴ってメッテ-マリットの経歴が
明らかになっていった時には、さすがにその内容が現代的すぎてセンセーショ
ナルだったようです。
メッテ-マリットは1973年8月19日に、ノルウェーのクリティアンサンで
生まれました。幼い頃に両親は離婚、母親の手によって育てられました。
半年間のオーストラリア留学を終え、1994年に日本の高校にあたる
KRISTIANSAND KATEDRALSKOLEを卒業します。
その後、BJORKNES PRIVATSKOLE、ADGER UNIVERSITY
COLLEGEを終え、オスロ大学にて人文学の講義を受けていました。
その頃です、メッテ-マリットとハーコン皇太子が、メッテ-マリットの故郷で
行われるノルウェー最大のロック・コンサート、クォート・フェスティバルで、
友人によって引き合わされたのは。
二人は意気投合、同棲を始めます。(この同棲も確かお城にてという
のではなく、普通の街中のアパートのようなところだった、メッテ-マリットが
住んでいたところにハーコン皇太子が引っ越してきた、という話を聞いた
ことがあります。) 同棲?!と、日本の皇室と比べると、
これだけでも驚きなのに、この同棲は二人に加えてメット・マリットが
1997年に未婚で産んだ男の子、マリウスも一緒だったのです!
しかもマリウスの父親に当たる人は、当時、麻薬常習で服役していました。
さらにメッテ-マリット自身も過去に麻薬パーティーに参加したことが
あるという事実を認めたりするものですから、本当に世間は呆気に
とられたものでした。
しかしハーコン皇太子の父親であるハーラル5世国王も、平民との
結婚が難しかった時代に、9年もの交際期間を経て、ようやくオスロの
デパート経営者の娘であるソニアと結婚をしたということもあり、
この二人の結婚の後押しが功を奏したのか、2000年12月に二人は
正式に婚約を発表、2001年8月に結婚。
婚約発表の席では、メッテ-マリットは過去を謝罪、それが国民の心を捉え、
好感度がぐーんと上跳ねあがったそうです。
今ではマリウスを含め、イングリッド・アレクサンドラ、スヴェレ・マグヌスの
3人の子供にも恵まれ、公務にも勤しんでいる姿を、よく写真で見かけます。
マリウスとふたりで遊ぶハーコン皇太子の姿も写真に撮られたりしているので、
親子関係はうまくいっているようで良かった!と、変な老婆心が芽生えたり
するのでした。このカップルのざっくばらんさを象徴するような話に、結婚前、
二人が旅行中、ドイツのホテルに一般客と同じような予約もなしに、
ふらりと現れて、部屋を所望したという話があります。
ホテルの方では、その宿泊客がノルウェーの皇太子と発覚しちゃったもの
だから、さぁ、大変!だったそうですが・・・ (そりゃ、そうだ)
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