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高島市・池の沢遺跡 新たに州浜を確認 池の規模判明

2009年10月29日 | Weblog
 高島市教委は28日、鎌倉時代初期(13世紀初頭)の庭園跡とされる「池の沢遺跡」(同市朽木村井)で、新たに州浜などを確認したと発表した。池には平安時代の特徴が色濃く見られることから、日本の庭園の歴史を考える上で貴重な資料という。
 同遺跡は、安曇川上流部の川沿いの小高い丘の上にあり、高島市教育委員会が、平成18年から国の名勝指定に向けた確認調査を行なっており、遺跡は都の有力貴族の山荘だったと推定されている。
 これまでの調査で、園池の構成要素である中島、水口、池尻、荒磯風石組みなどが出土しており、新たに州浜が確認されて池の規模が判明した。州浜は池北側の大きな石を組み合わせた荒磯風石組みと向き合う位置にあり、池底を特に浅くし玉石などを敷き詰めており、水位の昇降に応じて玉石が現れるようにする仕組みを作り、緩やかな曲線を描くなぎさを模っていた。
 池尻の形状や州浜の傾斜角度から、池の水深は約40cm、池の大きさは東西約40m、南北50m以上だったと判明した。
 さらに、13世紀以降に州浜を埋めて池の南岸に石積を造り、水の流れを重視した小川のような「流れ池」(全長約50m、幅約2~3m)に造り替えていたことも分かった。
 市教委によると、遺跡周辺は藤原氏の荘園だったと記す文献があり、また後一条天皇の皇子が隠棲したとする伝承が残る。平安時代以降も「朽木の杣(そま)」などと多くの和歌に詠まれた。
 現地説明会が31日午前10時から開かれる。
[参考:京都新聞、びわ湖放送、読売新聞、滋賀県埋蔵文化財センター「滋賀埋文ニュース第342号」]

過去のニュース・情報
 2008.12.10 池の沢遺跡 平安貴族の山荘庭園跡



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