松ちゃんの『やりっ放し やられっ放し』

あなたが気になりだしてから 世界が息づいてる(松任谷由実『緑の町に舞い降りて』より)

尊敬2

2006-04-09 21:50:01 | books
誰にだって尊敬する人が居るのだろうけど。

私は4人居る。
それは、ちょっとここでは教えられない。

そこまで言って…と憤慨する人も居よう。
いや、そこまで私に興味なんて無いかもよ、みんなは。
でも、そんな事言ってたら、このブログ自体の存在理由を問うことになるので、先に進めます。

その4人はそれぞれ全くタイプが違うのである。
というか、4人各人それぞれに私が求める?惹かれる全く違う能力を持ってらっしゃるのだ。
私は、別に其れでいいと思う。
尊敬する人が4人居たっていいじゃん!その4人が全く違うかってもいいじゃん!!

それを、誰にどうこうと批判されても、私は別に気にしない。というか…
私は私で、別に、それも正解だと思っている。
1人に絞るべきなんて意見持ってる人は勿論居るだろうけど、でも…
誰が決めたのだろう??
それを不純なんて思われたって「あっ、そう」って相手にしてやんないだ、私は。

私は、尊敬する人に、なろう!!って思っていたようなのだ。
これは、今でも間違いなのか、正解なのか決め倦んでるのだが
問題は、結果ではなく、仕方であって
先日、私の尊敬する4人の内のひとりの方が、ある番組の中で
私の尊敬の仕方は間違いだ!と答えを出してくれた。…かな?
私は尊敬する人と同じ感受性を持たなければならないという念に縛られていたのですが

例えば、本を読んで何を感じ取るかって時に
尊敬する人が感じた事と同じように自分も感じなければいけないと思っていた。
でも、それは全くの間違いなのである。
別に、そう意識せずに、一つの作品についてたまたま同じような感想と持ったなら
それはそれで、別にいいですが

僕は、尊敬する人が感じ取った事をもの凄い意識していて
自分が自然に想った事も「こんな事考えてたら駄目なんだ」なんて言って打ち消してしまう
なーんて馬鹿で愚かな事をしてたんだけど
その人は、本を読むにしても、そこから何を感じ取るかは人それぞれ違うもんであり

そのズレが個性だと言ってくれた。
まぁ「お前の尊敬の仕方は間違っている」と突きつけられた訳だけど
逆に、「あっ、これで別にいいんだ」って安心させてくれたのも、私にとっては事実なのです☆

ただ、今の自分の脳の使い方、モノの考え方に慢心して胡坐を掻いてちゃ駄目な訳でして
勿論、もっと深化させなければならない。と常に意識するべきなのだ。

こんなの、周りの人にとっては当たり前の事で、今さらって感じなんだろうけど…☆