内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

「脱・木枯らし紋次郎」、「脱・無関心」宣言の勧め(ステージ2)

2008-05-09 | Weblog
「脱・木枯らし紋次郎」、「脱・無関心」宣言の勧め(ステージ2)
― ネコも手を貸した和歌山電鉄貴志川線の再生 -
 1、貴志川線を再生させた「ネコの手」と地域住民の熱意と協力
和歌山電鉄貴志川線の無人の貴志駅で、三毛猫の「たま」に2007年1月に駅長の辞令が交付された。その後事業が順調に進展していることから、専用の駅長室が完成し、4月20日にスーパー駅長「たま」が駅長室におさまった。貴志川線は和歌山市と貴志市を結ぶ14.3kmの路線で、南海電鉄が運行していたが、乗客が減少し、収益難から2004年に廃止されることになった。しかし貴志市はじめ沿線住民の要請で県や市が支援し、公募に応じた岡山電気軌道(岡山県をベースとする両備運輸グループ)が引き継ぎ再生したものである。
 コスト削減の一環として貴志駅は無人駅とされたが、駅の売店に住み着いていた「たま」が、駅や乗客を良く知っていることから「駅の顔」として駅長に抜擢されたらしい。これが一部のテレビや新聞で報道されたことから、沿線住民だけでなく、近隣の人々にも人気となり、乗客も増え、駅長室を持つスーパー駅長に出世したのである。多分、駅長室を持つネコの駅長としてギネスものだろう。
 駅長「たま」の貢献も大きいが、貴志川線再生の最大の立役者は、沿線住民の熱意と協力とそれを引き出した運行会社であろう。同路線の運行会社となった両備運輸グループは、応募に当たり、沿線住民が貴志川線を再生させる熱意と協力の気持ちが強いこと共鳴し、引き継ぐことにしたらしい。現在、地方は急速に自動車化が進み、人口の減少と相俟って、多くの地域で公共交通離れが起こっている。地域住民が電車に戻らなければ経営は成り立たない。
 再生された貴志川線に多くの地域住民が子供と共に戻って来た。また、年末には駅の掃除などのボランテイア活動も行われている。「たま」駅長や「いちご電車」なども一役買っている。貴志川線の再生と沿線地域の活性化は、県や市の支援も不可欠であるが、地域住民の参加と関与があって始めて継続的なものになる好例と言えよう。電車に人が戻れば地域も活気付き発展する。また、今後の地球温暖化の防止を考えると、地域の電車やバス、フェリーなどの公共交通の再生、促進は一つの対応策となる。
 地域の活性化や地域コミュニテイの形成は、「行政にお任せ」では不十分であり、地域住民の「参加」と「関与」が不可欠である。
 2、望まれる「参加」と「関与」-「脱・無関心シンドロム」
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が社会への「無関心」ニヒルな格好良さとして社会現象となった。しかし、この言葉は、村に居場所が無くなり、「関与」したくても「関与」出来ない裏社会の渡世人としての逆説であり、通常の生活に戻れない寂しさの表現でもあるのだろう。最近、「そんなの関係な~い、そんなの関係ないっ!」という一発ギャグが流行っているが、これは、失敗をしてもへこまず、「そんなの関係な~いっ!」と言って自らを元気付ける表現のようであり、「無関心」とは違う。
今必要とされることは、一人暮らしを含む家庭の核化と相互の無関心を補完し、点と点を結ぶ「関与」とコミュニテイへの「参加」ではなかろうか。「脱・小木枯らし紋次郎」、「脱・無関心」である。
 3、動き出した住民参加型の地域コミュニテイの取り組み
地方公共団体でも、前回紹介した町内会での巡回警備、児童の誘導やPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動(杉並区)など、地域レベルの活動が始まっている。
 埼玉県では、子育て中の家庭にカードなどを配り、協賛店舗で特典が受けられる「優待カード型」の子育て支援策を始め、協賛店舗「パパ・ママ応援ショップ」と言われているらしい。東京都では、ネットカフェ難民を対象にして住居や生活、就職などについての相談支援に応じる「TOKYOチャレンジネット」の窓口相談を開始した(4月25日)。自立した生活が期待出来る人には住宅・生活資金として最大60万円の無利子貸し付けも実施するようだ。このような無利子貸し付け制度は、ネットカフェ難民だけでなく、犯罪被害者家族や交通事故死家族、経済的理由で高校・大学などへ進学できない学生、社会復帰を希望し、職に就く意志のあるホームレスなどにも広げて行くべきなのであろう。それが社会の不安定性を改善することにもなろう。
 国レベルでも、教育における「徳育の充実」や「消費者保護の視点」に立った省庁横断的な「消費者庁」創設なども検討されている。それにしても行政自体が、局益や省益、権益などを排し、もっと国民生活や社会の利益のために予算の適正配分と効率的な使用に専心すると共に、スリムで効率的な組織・制度改革にエネルギー傾注出来ないものであろうか。そのような志を持っている者が必ず居るはずだ。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題や安全で活力のある地域コミュニテイ造りは、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」、「関与」であり、地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。
他方、地域コミュニテイへの「参加」、「関与」は、わずらわしさや危険が伴うことも認識して置かなくてはならない。4月29日、鹿児島県菱刈町川南の河川敷で、小学3年の女児(8歳)と弟の小2年の男児(7歳)が遊んでいるうちに男児が川に落ち、小学3年の女児が助けようとして川に入ったが足を取られ、双方とも溺れ、男児は近くの人々が救出したが、女児は助からなかった。女児が弟の命を救った勇気と姉弟愛は辛いほど胸を打つ。もし女児が助けようとしなかったら一生悔やみ、悩んだかもしれない。従って、助けようとした行為はすばらしいことだが、「関与」には危険が付きまとうことも子供の時から良く教え、自分で出来ない場合は、声を出して助けを呼び、近くの人に救助を求めるよう十分に教えておく必要がある。このような教育や倫理観は、幼少の時から家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校などでそれぞれ行われるべきなのであろう。(08.05.)
このような観点から、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するためのヒントとなるような多くの提言を行っている著書がありますので、改めてご紹介致します。
「日本の倫理融解(メルトダウン)
   ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を振り返り、多くの提言を行っています。主要書店でお尋ね頂くか、ご注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます
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2008-05-09 | Weblog
「脱・木枯らし紋次郎」、「脱・無関心」宣言の勧め(ステージ2)
― ネコも手を貸した和歌山電鉄貴志川線の再生 -
 1、貴志川線を再生させた「ネコの手」と地域住民の熱意と協力
和歌山電鉄貴志川線の無人の貴志駅で、三毛猫の「たま」に2007年1月に駅長の辞令が交付された。その後事業が順調に進展していることから、専用の駅長室が完成し、4月20日にスーパー駅長「たま」が駅長室におさまった。貴志川線は和歌山市と貴志市を結ぶ14.3kmの路線で、南海電鉄が運行していたが、乗客が減少し、収益難から2004年に廃止されることになった。しかし貴志市はじめ沿線住民の要請で県や市が支援し、公募に応じた岡山電気軌道(岡山県をベースとする両備運輸グループ)が引き継ぎ再生したものである。
 コスト削減の一環として貴志駅は無人駅とされたが、駅の売店に住み着いていた「たま」が、駅や乗客を良く知っていることから「駅の顔」として駅長に抜擢されたらしい。これが一部のテレビや新聞で報道されたことから、沿線住民だけでなく、近隣の人々にも人気となり、乗客も増え、駅長室を持つスーパー駅長に出世したのである。多分、駅長室を持つネコの駅長としてギネスものだろう。
 駅長「たま」の貢献も大きいが、貴志川線再生の最大の立役者は、沿線住民の熱意と協力とそれを引き出した運行会社であろう。同路線の運行会社となった両備運輸グループは、応募に当たり、沿線住民が貴志川線を再生させる熱意と協力の気持ちが強いこと共鳴し、引き継ぐことにしたらしい。現在、地方は急速に自動車化が進み、人口の減少と相俟って、多くの地域で公共交通離れが起こっている。地域住民が電車に戻らなければ経営は成り立たない。
 再生された貴志川線に多くの地域住民が子供と共に戻って来た。また、年末には駅の掃除などのボランテイア活動も行われている。「たま」駅長や「いちご電車」なども一役買っている。貴志川線の再生と沿線地域の活性化は、県や市の支援も不可欠であるが、地域住民の参加と関与があって始めて継続的なものになる好例と言えよう。電車に人が戻れば地域も活気付き発展する。また、今後の地球温暖化の防止を考えると、地域の電車やバス、フェリーなどの公共交通の再生、促進は一つの対応策となる。
 地域の活性化や地域コミュニテイの形成は、「行政にお任せ」では不十分であり、地域住民の「参加」と「関与」が不可欠である。
 2、望まれる「参加」と「関与」-「脱・無関心シンドロム」
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が社会への「無関心」ニヒルな格好良さとして社会現象となった。しかし、この言葉は、村に居場所が無くなり、「関与」したくても「関与」出来ない裏社会の渡世人としての逆説であり、通常の生活に戻れない寂しさの表現でもあるのだろう。最近、「そんなの関係な~い、そんなの関係ないっ!」という一発ギャグが流行っているが、これは、失敗をしてもへこまず、「そんなの関係な~いっ!」と言って自らを元気付ける表現のようであり、「無関心」とは違う。
今必要とされることは、一人暮らしを含む家庭の核化と相互の無関心を補完し、点と点を結ぶ「関与」とコミュニテイへの「参加」ではなかろうか。「脱・小木枯らし紋次郎」、「脱・無関心」である。
 3、動き出した住民参加型の地域コミュニテイの取り組み
地方公共団体でも、前回紹介した町内会での巡回警備、児童の誘導やPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動(杉並区)など、地域レベルの活動が始まっている。
 埼玉県では、子育て中の家庭にカードなどを配り、協賛店舗で特典が受けられる「優待カード型」の子育て支援策を始め、協賛店舗「パパ・ママ応援ショップ」と言われているらしい。東京都では、ネットカフェ難民を対象にして住居や生活、就職などについての相談支援に応じる「TOKYOチャレンジネット」の窓口相談を開始した(4月25日)。自立した生活が期待出来る人には住宅・生活資金として最大60万円の無利子貸し付けも実施するようだ。このような無利子貸し付け制度は、ネットカフェ難民だけでなく、犯罪被害者家族や交通事故死家族、経済的理由で高校・大学などへ進学できない学生、社会復帰を希望し、職に就く意志のあるホームレスなどにも広げて行くべきなのであろう。それが社会の不安定性を改善することにもなろう。
 国レベルでも、教育における「徳育の充実」や「消費者保護の視点」に立った省庁横断的な「消費者庁」創設なども検討されている。それにしても行政自体が、局益や省益、権益などを排し、もっと国民生活や社会の利益のために予算の適正配分と効率的な使用に専心すると共に、スリムで効率的な組織・制度改革にエネルギー傾注出来ないものであろうか。そのような志を持っている者が必ず居るはずだ。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題や安全で活力のある地域コミュニテイ造りは、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」、「関与」であり、地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。
他方、地域コミュニテイへの「参加」、「関与」は、わずらわしさや危険が伴うことも認識して置かなくてはならない。4月29日、鹿児島県菱刈町川南の河川敷で、小学3年の女児(8歳)と弟の小2年の男児(7歳)が遊んでいるうちに男児が川に落ち、小学3年の女児が助けようとして川に入ったが足を取られ、双方とも溺れ、男児は近くの人々が救出したが、女児は助からなかった。女児が弟の命を救った勇気と姉弟愛は辛いほど胸を打つ。もし女児が助けようとしなかったら一生悔やみ、悩んだかもしれない。従って、助けようとした行為はすばらしいことだが、「関与」には危険が付きまとうことも子供の時から良く教え、自分で出来ない場合は、声を出して助けを呼び、近くの人に救助を求めるよう十分に教えておく必要がある。このような教育や倫理観は、幼少の時から家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校などでそれぞれ行われるべきなのであろう。(08.05.)
このような観点から、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するためのヒントとなるような多くの提言を行っている著書がありますので、改めてご紹介致します。
「日本の倫理融解(メルトダウン)
   ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を振り返り、多くの提言を行っています。主要書店でお尋ね頂くか、ご注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます
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― ネコも手を貸した和歌山電鉄貴志川線の再生 -
 1、貴志川線を再生させた「ネコの手」と地域住民の熱意と協力
和歌山電鉄貴志川線の無人の貴志駅で、三毛猫の「たま」に2007年1月に駅長の辞令が交付された。その後事業が順調に進展していることから、専用の駅長室が完成し、4月20日にスーパー駅長「たま」が駅長室におさまった。貴志川線は和歌山市と貴志市を結ぶ14.3kmの路線で、南海電鉄が運行していたが、乗客が減少し、収益難から2004年に廃止されることになった。しかし貴志市はじめ沿線住民の要請で県や市が支援し、公募に応じた岡山電気軌道(岡山県をベースとする両備運輸グループ)が引き継ぎ再生したものである。
 コスト削減の一環として貴志駅は無人駅とされたが、駅の売店に住み着いていた「たま」が、駅や乗客を良く知っていることから「駅の顔」として駅長に抜擢されたらしい。これが一部のテレビや新聞で報道されたことから、沿線住民だけでなく、近隣の人々にも人気となり、乗客も増え、駅長室を持つスーパー駅長に出世したのである。多分、駅長室を持つネコの駅長としてギネスものだろう。
 駅長「たま」の貢献も大きいが、貴志川線再生の最大の立役者は、沿線住民の熱意と協力とそれを引き出した運行会社であろう。同路線の運行会社となった両備運輸グループは、応募に当たり、沿線住民が貴志川線を再生させる熱意と協力の気持ちが強いこと共鳴し、引き継ぐことにしたらしい。現在、地方は急速に自動車化が進み、人口の減少と相俟って、多くの地域で公共交通離れが起こっている。地域住民が電車に戻らなければ経営は成り立たない。
 再生された貴志川線に多くの地域住民が子供と共に戻って来た。また、年末には駅の掃除などのボランテイア活動も行われている。「たま」駅長や「いちご電車」なども一役買っている。貴志川線の再生と沿線地域の活性化は、県や市の支援も不可欠であるが、地域住民の参加と関与があって始めて継続的なものになる好例と言えよう。電車に人が戻れば地域も活気付き発展する。また、今後の地球温暖化の防止を考えると、地域の電車やバス、フェリーなどの公共交通の再生、促進は一つの対応策となる。
 地域の活性化や地域コミュニテイの形成は、「行政にお任せ」では不十分であり、地域住民の「参加」と「関与」が不可欠である。
 2、望まれる「参加」と「関与」-「脱・無関心シンドロム」
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が社会への「無関心」ニヒルな格好良さとして社会現象となった。しかし、この言葉は、村に居場所が無くなり、「関与」したくても「関与」出来ない裏社会の渡世人としての逆説であり、通常の生活に戻れない寂しさの表現でもあるのだろう。最近、「そんなの関係な~い、そんなの関係ないっ!」という一発ギャグが流行っているが、これは、失敗をしてもへこまず、「そんなの関係な~いっ!」と言って自らを元気付ける表現のようであり、「無関心」とは違う。
今必要とされることは、一人暮らしを含む家庭の核化と相互の無関心を補完し、点と点を結ぶ「関与」とコミュニテイへの「参加」ではなかろうか。「脱・小木枯らし紋次郎」、「脱・無関心」である。
 3、動き出した住民参加型の地域コミュニテイの取り組み
地方公共団体でも、前回紹介した町内会での巡回警備、児童の誘導やPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動(杉並区)など、地域レベルの活動が始まっている。
 埼玉県では、子育て中の家庭にカードなどを配り、協賛店舗で特典が受けられる「優待カード型」の子育て支援策を始め、協賛店舗「パパ・ママ応援ショップ」と言われているらしい。東京都では、ネットカフェ難民を対象にして住居や生活、就職などについての相談支援に応じる「TOKYOチャレンジネット」の窓口相談を開始した(4月25日)。自立した生活が期待出来る人には住宅・生活資金として最大60万円の無利子貸し付けも実施するようだ。このような無利子貸し付け制度は、ネットカフェ難民だけでなく、犯罪被害者家族や交通事故死家族、経済的理由で高校・大学などへ進学できない学生、社会復帰を希望し、職に就く意志のあるホームレスなどにも広げて行くべきなのであろう。それが社会の不安定性を改善することにもなろう。
 国レベルでも、教育における「徳育の充実」や「消費者保護の視点」に立った省庁横断的な「消費者庁」創設なども検討されている。それにしても行政自体が、局益や省益、権益などを排し、もっと国民生活や社会の利益のために予算の適正配分と効率的な使用に専心すると共に、スリムで効率的な組織・制度改革にエネルギー傾注出来ないものであろうか。そのような志を持っている者が必ず居るはずだ。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題や安全で活力のある地域コミュニテイ造りは、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」、「関与」であり、地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。
他方、地域コミュニテイへの「参加」、「関与」は、わずらわしさや危険が伴うことも認識して置かなくてはならない。4月29日、鹿児島県菱刈町川南の河川敷で、小学3年の女児(8歳)と弟の小2年の男児(7歳)が遊んでいるうちに男児が川に落ち、小学3年の女児が助けようとして川に入ったが足を取られ、双方とも溺れ、男児は近くの人々が救出したが、女児は助からなかった。女児が弟の命を救った勇気と姉弟愛は辛いほど胸を打つ。もし女児が助けようとしなかったら一生悔やみ、悩んだかもしれない。従って、助けようとした行為はすばらしいことだが、「関与」には危険が付きまとうことも子供の時から良く教え、自分で出来ない場合は、声を出して助けを呼び、近くの人に救助を求めるよう十分に教えておく必要がある。このような教育や倫理観は、幼少の時から家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校などでそれぞれ行われるべきなのであろう。(08.05.)
このような観点から、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するためのヒントとなるような多くの提言を行っている著書がありますので、改めてご紹介致します。
「日本の倫理融解(メルトダウン)
   ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を振り返り、多くの提言を行っています。主要書店でお尋ね頂くか、ご注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます
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― ネコも手を貸した和歌山電鉄貴志川線の再生 -
 1、貴志川線を再生させた「ネコの手」と地域住民の熱意と協力
和歌山電鉄貴志川線の無人の貴志駅で、三毛猫の「たま」に2007年1月に駅長の辞令が交付された。その後事業が順調に進展していることから、専用の駅長室が完成し、4月20日にスーパー駅長「たま」が駅長室におさまった。貴志川線は和歌山市と貴志市を結ぶ14.3kmの路線で、南海電鉄が運行していたが、乗客が減少し、収益難から2004年に廃止されることになった。しかし貴志市はじめ沿線住民の要請で県や市が支援し、公募に応じた岡山電気軌道(岡山県をベースとする両備運輸グループ)が引き継ぎ再生したものである。
 コスト削減の一環として貴志駅は無人駅とされたが、駅の売店に住み着いていた「たま」が、駅や乗客を良く知っていることから「駅の顔」として駅長に抜擢されたらしい。これが一部のテレビや新聞で報道されたことから、沿線住民だけでなく、近隣の人々にも人気となり、乗客も増え、駅長室を持つスーパー駅長に出世したのである。多分、駅長室を持つネコの駅長としてギネスものだろう。
 駅長「たま」の貢献も大きいが、貴志川線再生の最大の立役者は、沿線住民の熱意と協力とそれを引き出した運行会社であろう。同路線の運行会社となった両備運輸グループは、応募に当たり、沿線住民が貴志川線を再生させる熱意と協力の気持ちが強いこと共鳴し、引き継ぐことにしたらしい。現在、地方は急速に自動車化が進み、人口の減少と相俟って、多くの地域で公共交通離れが起こっている。地域住民が電車に戻らなければ経営は成り立たない。
 再生された貴志川線に多くの地域住民が子供と共に戻って来た。また、年末には駅の掃除などのボランテイア活動も行われている。「たま」駅長や「いちご電車」なども一役買っている。貴志川線の再生と沿線地域の活性化は、県や市の支援も不可欠であるが、地域住民の参加と関与があって始めて継続的なものになる好例と言えよう。電車に人が戻れば地域も活気付き発展する。また、今後の地球温暖化の防止を考えると、地域の電車やバス、フェリーなどの公共交通の再生、促進は一つの対応策となる。
 地域の活性化や地域コミュニテイの形成は、「行政にお任せ」では不十分であり、地域住民の「参加」と「関与」が不可欠である。
 2、望まれる「参加」と「関与」-「脱・無関心シンドロム」
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が社会への「無関心」ニヒルな格好良さとして社会現象となった。しかし、この言葉は、村に居場所が無くなり、「関与」したくても「関与」出来ない裏社会の渡世人としての逆説であり、通常の生活に戻れない寂しさの表現でもあるのだろう。最近、「そんなの関係な~い、そんなの関係ないっ!」という一発ギャグが流行っているが、これは、失敗をしてもへこまず、「そんなの関係な~いっ!」と言って自らを元気付ける表現のようであり、「無関心」とは違う。
今必要とされることは、一人暮らしを含む家庭の核化と相互の無関心を補完し、点と点を結ぶ「関与」とコミュニテイへの「参加」ではなかろうか。「脱・小木枯らし紋次郎」、「脱・無関心」である。
 3、動き出した住民参加型の地域コミュニテイの取り組み
地方公共団体でも、前回紹介した町内会での巡回警備、児童の誘導やPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動(杉並区)など、地域レベルの活動が始まっている。
 埼玉県では、子育て中の家庭にカードなどを配り、協賛店舗で特典が受けられる「優待カード型」の子育て支援策を始め、協賛店舗「パパ・ママ応援ショップ」と言われているらしい。東京都では、ネットカフェ難民を対象にして住居や生活、就職などについての相談支援に応じる「TOKYOチャレンジネット」の窓口相談を開始した(4月25日)。自立した生活が期待出来る人には住宅・生活資金として最大60万円の無利子貸し付けも実施するようだ。このような無利子貸し付け制度は、ネットカフェ難民だけでなく、犯罪被害者家族や交通事故死家族、経済的理由で高校・大学などへ進学できない学生、社会復帰を希望し、職に就く意志のあるホームレスなどにも広げて行くべきなのであろう。それが社会の不安定性を改善することにもなろう。
 国レベルでも、教育における「徳育の充実」や「消費者保護の視点」に立った省庁横断的な「消費者庁」創設なども検討されている。それにしても行政自体が、局益や省益、権益などを排し、もっと国民生活や社会の利益のために予算の適正配分と効率的な使用に専心すると共に、スリムで効率的な組織・制度改革にエネルギー傾注出来ないものであろうか。そのような志を持っている者が必ず居るはずだ。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題や安全で活力のある地域コミュニテイ造りは、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」、「関与」であり、地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。
他方、地域コミュニテイへの「参加」、「関与」は、わずらわしさや危険が伴うことも認識して置かなくてはならない。4月29日、鹿児島県菱刈町川南の河川敷で、小学3年の女児(8歳)と弟の小2年の男児(7歳)が遊んでいるうちに男児が川に落ち、小学3年の女児が助けようとして川に入ったが足を取られ、双方とも溺れ、男児は近くの人々が救出したが、女児は助からなかった。女児が弟の命を救った勇気と姉弟愛は辛いほど胸を打つ。もし女児が助けようとしなかったら一生悔やみ、悩んだかもしれない。従って、助けようとした行為はすばらしいことだが、「関与」には危険が付きまとうことも子供の時から良く教え、自分で出来ない場合は、声を出して助けを呼び、近くの人に救助を求めるよう十分に教えておく必要がある。このような教育や倫理観は、幼少の時から家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校などでそれぞれ行われるべきなのであろう。(08.05.)
このような観点から、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するためのヒントとなるような多くの提言を行っている著書がありますので、改めてご紹介致します。
「日本の倫理融解(メルトダウン)
   ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
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「脱・木枯らし紋次郎」、「脱・無関心」宣言の勧め(ステージ2)

2008-05-09 | Weblog
「脱・木枯らし紋次郎」、「脱・無関心」宣言の勧め(ステージ2)
― ネコも手を貸した和歌山電鉄貴志川線の再生 -
 1、貴志川線を再生させた「ネコの手」と地域住民の熱意と協力
和歌山電鉄貴志川線の無人の貴志駅で、三毛猫の「たま」に2007年1月に駅長の辞令が交付された。その後事業が順調に進展していることから、専用の駅長室が完成し、4月20日にスーパー駅長「たま」が駅長室におさまった。貴志川線は和歌山市と貴志市を結ぶ14.3kmの路線で、南海電鉄が運行していたが、乗客が減少し、収益難から2004年に廃止されることになった。しかし貴志市はじめ沿線住民の要請で県や市が支援し、公募に応じた岡山電気軌道(岡山県をベースとする両備運輸グループ)が引き継ぎ再生したものである。
 コスト削減の一環として貴志駅は無人駅とされたが、駅の売店に住み着いていた「たま」が、駅や乗客を良く知っていることから「駅の顔」として駅長に抜擢されたらしい。これが一部のテレビや新聞で報道されたことから、沿線住民だけでなく、近隣の人々にも人気となり、乗客も増え、駅長室を持つスーパー駅長に出世したのである。多分、駅長室を持つネコの駅長としてギネスものだろう。
 駅長「たま」の貢献も大きいが、貴志川線再生の最大の立役者は、沿線住民の熱意と協力とそれを引き出した運行会社であろう。同路線の運行会社となった両備運輸グループは、応募に当たり、沿線住民が貴志川線を再生させる熱意と協力の気持ちが強いこと共鳴し、引き継ぐことにしたらしい。現在、地方は急速に自動車化が進み、人口の減少と相俟って、多くの地域で公共交通離れが起こっている。地域住民が電車に戻らなければ経営は成り立たない。
 再生された貴志川線に多くの地域住民が子供と共に戻って来た。また、年末には駅の掃除などのボランテイア活動も行われている。「たま」駅長や「いちご電車」なども一役買っている。貴志川線の再生と沿線地域の活性化は、県や市の支援も不可欠であるが、地域住民の参加と関与があって始めて継続的なものになる好例と言えよう。電車に人が戻れば地域も活気付き発展する。また、今後の地球温暖化の防止を考えると、地域の電車やバス、フェリーなどの公共交通の再生、促進は一つの対応策となる。
 地域の活性化や地域コミュニテイの形成は、「行政にお任せ」では不十分であり、地域住民の「参加」と「関与」が不可欠である。
 2、望まれる「参加」と「関与」-「脱・無関心シンドロム」
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が社会への「無関心」ニヒルな格好良さとして社会現象となった。しかし、この言葉は、村に居場所が無くなり、「関与」したくても「関与」出来ない裏社会の渡世人としての逆説であり、通常の生活に戻れない寂しさの表現でもあるのだろう。最近、「そんなの関係な~い、そんなの関係ないっ!」という一発ギャグが流行っているが、これは、失敗をしてもへこまず、「そんなの関係な~いっ!」と言って自らを元気付ける表現のようであり、「無関心」とは違う。
今必要とされることは、一人暮らしを含む家庭の核化と相互の無関心を補完し、点と点を結ぶ「関与」とコミュニテイへの「参加」ではなかろうか。「脱・小木枯らし紋次郎」、「脱・無関心」である。
 3、動き出した住民参加型の地域コミュニテイの取り組み
地方公共団体でも、前回紹介した町内会での巡回警備、児童の誘導やPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動(杉並区)など、地域レベルの活動が始まっている。
 埼玉県では、子育て中の家庭にカードなどを配り、協賛店舗で特典が受けられる「優待カード型」の子育て支援策を始め、協賛店舗「パパ・ママ応援ショップ」と言われているらしい。東京都では、ネットカフェ難民を対象にして住居や生活、就職などについての相談支援に応じる「TOKYOチャレンジネット」の窓口相談を開始した(4月25日)。自立した生活が期待出来る人には住宅・生活資金として最大60万円の無利子貸し付けも実施するようだ。このような無利子貸し付け制度は、ネットカフェ難民だけでなく、犯罪被害者家族や交通事故死家族、経済的理由で高校・大学などへ進学できない学生、社会復帰を希望し、職に就く意志のあるホームレスなどにも広げて行くべきなのであろう。それが社会の不安定性を改善することにもなろう。
 国レベルでも、教育における「徳育の充実」や「消費者保護の視点」に立った省庁横断的な「消費者庁」創設なども検討されている。それにしても行政自体が、局益や省益、権益などを排し、もっと国民生活や社会の利益のために予算の適正配分と効率的な使用に専心すると共に、スリムで効率的な組織・制度改革にエネルギー傾注出来ないものであろうか。そのような志を持っている者が必ず居るはずだ。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題や安全で活力のある地域コミュニテイ造りは、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」、「関与」であり、地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。
他方、地域コミュニテイへの「参加」、「関与」は、わずらわしさや危険が伴うことも認識して置かなくてはならない。4月29日、鹿児島県菱刈町川南の河川敷で、小学3年の女児(8歳)と弟の小2年の男児(7歳)が遊んでいるうちに男児が川に落ち、小学3年の女児が助けようとして川に入ったが足を取られ、双方とも溺れ、男児は近くの人々が救出したが、女児は助からなかった。女児が弟の命を救った勇気と姉弟愛は辛いほど胸を打つ。もし女児が助けようとしなかったら一生悔やみ、悩んだかもしれない。従って、助けようとした行為はすばらしいことだが、「関与」には危険が付きまとうことも子供の時から良く教え、自分で出来ない場合は、声を出して助けを呼び、近くの人に救助を求めるよう十分に教えておく必要がある。このような教育や倫理観は、幼少の時から家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校などでそれぞれ行われるべきなのであろう。(08.05.)
このような観点から、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するためのヒントとなるような多くの提言を行っている著書がありますので、改めてご紹介致します。
「日本の倫理融解(メルトダウン)
   ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を振り返り、多くの提言を行っています。主要書店でお尋ね頂くか、ご注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます
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「脱・木枯らし紋次郎」、「脱・無関心」宣言の勧め(ステージ2)

2008-05-09 | Weblog
「脱・木枯らし紋次郎」、「脱・無関心」宣言の勧め(ステージ2)
― ネコも手を貸した和歌山電鉄貴志川線の再生 -
 1、貴志川線を再生させた「ネコの手」と地域住民の熱意と協力
和歌山電鉄貴志川線の無人の貴志駅で、三毛猫の「たま」に2007年1月に駅長の辞令が交付された。その後事業が順調に進展していることから、専用の駅長室が完成し、4月20日にスーパー駅長「たま」が駅長室におさまった。貴志川線は和歌山市と貴志市を結ぶ14.3kmの路線で、南海電鉄が運行していたが、乗客が減少し、収益難から2004年に廃止されることになった。しかし貴志市はじめ沿線住民の要請で県や市が支援し、公募に応じた岡山電気軌道(岡山県をベースとする両備運輸グループ)が引き継ぎ再生したものである。
 コスト削減の一環として貴志駅は無人駅とされたが、駅の売店に住み着いていた「たま」が、駅や乗客を良く知っていることから「駅の顔」として駅長に抜擢されたらしい。これが一部のテレビや新聞で報道されたことから、沿線住民だけでなく、近隣の人々にも人気となり、乗客も増え、駅長室を持つスーパー駅長に出世したのである。多分、駅長室を持つネコの駅長としてギネスものだろう。
 駅長「たま」の貢献も大きいが、貴志川線再生の最大の立役者は、沿線住民の熱意と協力とそれを引き出した運行会社であろう。同路線の運行会社となった両備運輸グループは、応募に当たり、沿線住民が貴志川線を再生させる熱意と協力の気持ちが強いこと共鳴し、引き継ぐことにしたらしい。現在、地方は急速に自動車化が進み、人口の減少と相俟って、多くの地域で公共交通離れが起こっている。地域住民が電車に戻らなければ経営は成り立たない。
 再生された貴志川線に多くの地域住民が子供と共に戻って来た。また、年末には駅の掃除などのボランテイア活動も行われている。「たま」駅長や「いちご電車」なども一役買っている。貴志川線の再生と沿線地域の活性化は、県や市の支援も不可欠であるが、地域住民の参加と関与があって始めて継続的なものになる好例と言えよう。電車に人が戻れば地域も活気付き発展する。また、今後の地球温暖化の防止を考えると、地域の電車やバス、フェリーなどの公共交通の再生、促進は一つの対応策となる。
 地域の活性化や地域コミュニテイの形成は、「行政にお任せ」では不十分であり、地域住民の「参加」と「関与」が不可欠である。
 2、望まれる「参加」と「関与」-「脱・無関心シンドロム」
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が社会への「無関心」ニヒルな格好良さとして社会現象となった。しかし、この言葉は、村に居場所が無くなり、「関与」したくても「関与」出来ない裏社会の渡世人としての逆説であり、通常の生活に戻れない寂しさの表現でもあるのだろう。最近、「そんなの関係な~い、そんなの関係ないっ!」という一発ギャグが流行っているが、これは、失敗をしてもへこまず、「そんなの関係な~いっ!」と言って自らを元気付ける表現のようであり、「無関心」とは違う。
今必要とされることは、一人暮らしを含む家庭の核化と相互の無関心を補完し、点と点を結ぶ「関与」とコミュニテイへの「参加」ではなかろうか。「脱・小木枯らし紋次郎」、「脱・無関心」である。
 3、動き出した住民参加型の地域コミュニテイの取り組み
地方公共団体でも、前回紹介した町内会での巡回警備、児童の誘導やPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動(杉並区)など、地域レベルの活動が始まっている。
 埼玉県では、子育て中の家庭にカードなどを配り、協賛店舗で特典が受けられる「優待カード型」の子育て支援策を始め、協賛店舗「パパ・ママ応援ショップ」と言われているらしい。東京都では、ネットカフェ難民を対象にして住居や生活、就職などについての相談支援に応じる「TOKYOチャレンジネット」の窓口相談を開始した(4月25日)。自立した生活が期待出来る人には住宅・生活資金として最大60万円の無利子貸し付けも実施するようだ。このような無利子貸し付け制度は、ネットカフェ難民だけでなく、犯罪被害者家族や交通事故死家族、経済的理由で高校・大学などへ進学できない学生、社会復帰を希望し、職に就く意志のあるホームレスなどにも広げて行くべきなのであろう。それが社会の不安定性を改善することにもなろう。
 国レベルでも、教育における「徳育の充実」や「消費者保護の視点」に立った省庁横断的な「消費者庁」創設なども検討されている。それにしても行政自体が、局益や省益、権益などを排し、もっと国民生活や社会の利益のために予算の適正配分と効率的な使用に専心すると共に、スリムで効率的な組織・制度改革にエネルギー傾注出来ないものであろうか。そのような志を持っている者が必ず居るはずだ。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題や安全で活力のある地域コミュニテイ造りは、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」、「関与」であり、地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。
他方、地域コミュニテイへの「参加」、「関与」は、わずらわしさや危険が伴うことも認識して置かなくてはならない。4月29日、鹿児島県菱刈町川南の河川敷で、小学3年の女児(8歳)と弟の小2年の男児(7歳)が遊んでいるうちに男児が川に落ち、小学3年の女児が助けようとして川に入ったが足を取られ、双方とも溺れ、男児は近くの人々が救出したが、女児は助からなかった。女児が弟の命を救った勇気と姉弟愛は辛いほど胸を打つ。もし女児が助けようとしなかったら一生悔やみ、悩んだかもしれない。従って、助けようとした行為はすばらしいことだが、「関与」には危険が付きまとうことも子供の時から良く教え、自分で出来ない場合は、声を出して助けを呼び、近くの人に救助を求めるよう十分に教えておく必要がある。このような教育や倫理観は、幼少の時から家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校などでそれぞれ行われるべきなのであろう。(08.05.)
このような観点から、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するためのヒントとなるような多くの提言を行っている著書がありますので、改めてご紹介致します。
「日本の倫理融解(メルトダウン)
   ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
            提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
            小嶋 光昭著
            内外政策評論家
            前駐ルクセンブルク大使
                 発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を振り返り、多くの提言を行っています。主要書店でお尋ね頂くか、ご注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてインターネット上でもご覧頂けます
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