Sleeping in the fields of gold

小麦畑で眠りたい

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アテネのタイモン

2018-01-03 | Arts

亡くなった蜷川さんの跡をついで吉田鋼太郎さんがさいたま芸術劇場の芸術監督に就任した。
その第1作目が年末に上演された。
『アテネのタイモン』

どんなもんでっしゃろかと思って、観に行ってきました。

マイナーなシェイクスピア作品だしね。本場、イギリスでも滅多に上演されることはないという作品。アテクシ、メジャーなシェイクスピアのお話はある程度知っているけれど、これは知らんかった。ギリシャ物はあんまり見ていないんだよね。

まぁ、そういうマイナーな作品なので難しいっちゃ、難しい。
しかも内容も結構シリアスで救いがない感じであったし。
アテネにタイモン公というお金持ちがいて、毎晩のように友人たちにご馳走やら高価な贈り物やらを振舞っていた。ところがあまりに湯水のようにお金を使いすぎてしまって、借金地獄に。呑気なタイモンは「素晴らしい友人たちがいるし、高価な贈り物もたくさんしたのだから、今度は彼らに貸してもらえばいい」と借金を申し出るが、友人たちは手のひらを返したように無心を突っぱねる。
失意のタイモンは浮浪者になって、世を呪い、人を呪って、世捨て人となって一人洞窟で死んでいく、というお話(笑)。

救いがないねー(笑)。

鋼太郎さんはとても好きな舞台俳優さん。
ただ、良い俳優さんが良き演出家になれるかというと、必ずしもそうではないかなという気が今回見てした。
蜷川さんが良き演出家であったのは、おそらく彼が「俳優」としては「失敗」した人だからだろう。
案外、そういうもんなんだよな。

鋼太郎さんだって、もともと自分の劇団も持っているし演出もしているので、演出に不慣れというわけじゃないと思う。でも、今回改めて思ったのは、演出によってこれだけ変わるんだなぁということだった。

決して悪くはなかったんですよ?
マイナーなネタだし。初めてのさい芸でのシェイクスピア。しかも蜷川さんの後継者として。
そのプレッシャーを思うと、頑張ったし無難に仕上げているとは思った。

ただ、ものすっごくいいかと問われると、そうではないかなという。
そういう感じね。

全体的にね、なんか「がちゃがちゃ」した印象を受けた。
前半は宴会のシーンとか多いし、まぁ、分かるのだけど、なんだろうね。
蜷川さんだって晩年は具合が悪くて、そうそう稽古をつけられなかったのだから、ほぼほぼアシスタントの方の演出だったろうと思うのだが、今まで観てきたシェイクスピア劇とはやはりなんか趣が明らかに違う。蜷川さんの名を冠していた頃の演出には、派手な場面もあったけれど、どこか「余韻」みたいなものがあったのだが、今回は「静」と「動」なら「動」の部分だけ際立ってしまって、なんか観ていて力を抜き時がないというか、疲れる(笑)。

トータルで3時間弱なので、シェイクスピアとしては決して長い方ではない。
にも関わらず、アテクシもっと長く感じたな。

ことに気に入らなかったのは、冒頭。
劇場の席に着こうとした時点で、既に「楽屋での役者たち」という風情で、役者さんたちがすでに舞台に立っており、発声練習をしたり衣装を着替えたり、ストレッチをしたりしている。そこから、鋼太郎さんの掛け声で一列にならんで「さぁ、始めよう!」と挨拶して始まる。

幕がね、開かないんですよ(笑)。

着いたときから、開いてるから。

アテクシ、これには閉口しましたね。
観客にとって、幕開けってやはり大事なんですよ。緞帳があがることによって「さぁ、異世界が始まるぞ!」という気持ちに集中していける。観客のその時間を無くしてしまったんですね、今回。
しかも、このオープニングになんの意味があるのか、さっぱり分からないの。

不必要なオープニングなんですよ。

だって、「楽屋」の体ではあるけれど、実際役者は既に舞台上にいるわけだから、観客の目は意識しているでしょう?「楽屋での演技」みたいなものなんて、なんで見せられなきゃいけないのか?さっぱり分からんです。ドキュメンタリーフィルムで楽屋風景、撮影しているとかならまだ意味もあるけど。

これは、個人的には失敗だと思いますね。
こういう無駄な演出はいらない。

少なくとも、蜷川さんはこういう演出はしたことがないですね。
アテクシの知り得る限り。

鋼太郎さんはいい俳優さんなのだけど、それだけに「我が強い」人でもある。
鋼太郎色が強い演出になると、しかも自分が主演なので、なんか全体的に「鋼太郎のコピー」たちが何十人も舞台に上がっているような感じになってきちゃうんですよ。それね、違うよねと。
それぞれの俳優さんの良いところを引き出して演出するのが筋であって、鋼太郎さんの演技のコピーをしても、他の俳優さんたちは良くは見えないですからね。

まぁ、まだ初作品なので、色々葛藤はあるんだろうなぁとは思うけど。

あと、藤原竜也君も出演されていたのですが、竜也君、もうちょっと滑舌ちゃんとして欲しい。
1階席の一番後ろの方とかだと、勢い込んでまくし立てると、セリフが聞き取れないんですよ。
後方の席なんて、顔なんて分からないから、身振りとセリフで話を追うのです。セリフちゃんと聞こえないと、分からんのよ。前の方の席ならいいんだろうけれど、一番後ろの席の人にまで届く声を意識して演技して欲しい。少しゆっくり話した方がいい。

若い俳優さん何人かも、全然セリフ聞こえない人いました。

中で、唯一「おや、この人は、なかなか」という俳優さんが今回準主役的な役を演じていた柿澤勇人君でした。これで「はやと」と読むらしい。結構声が出ていて、感情のほとばしりとかもなかなかの熱演でした。まったく知らない俳優さんだったのだが、あの子良かったなと思って後でググってみたら、彼は元劇団四季なんですね。なるほど。舞台俳優さんなのね。しかも歌って踊れるんだな、四季出なら。さらにこの子、面白いことにお祖父さんやお父さんが三味線や清元の人間国宝とかなんだそうだ。そういうお家の出なのね。へぇ~っ。面白い背景の子だね。耳は邦楽に馴染んでいるんでしょうね、きっと。

この子は、なかなか良かったと思う。

あと、二幕目の森の中(?)のセット。大きな木と丘の幻想的なセットは、あれは美術さんとか大道具さん、風情があって良かったと思う。

でも、あとの舞台転換とかは割りと凡庸で、せっかくのさい芸の深い奥行の舞台の良さも活かしきれていない感じはしたな。たぶんね、鋼太郎さんはさい芸の劇場サイズの演出にはまだ不慣れなんだろうな。中小劇場みたいな大道具と舞台転換の感じだった。

悪くはないんだけれど、勿論。
凡庸に感じた。

まぁ、まだ始まったばかりだし。
シェイクスピアシリーズ残りあと何作かあるけれど。
頑張ってほしいとは思う。

ただ、演出家は主演しない方がいいよなぁとは思うんだよな。
とは言え、鋼太郎さんが出ないわけにもいかないだろうし。

演出って。
難しいんだなって。
改めて、実感した。

静と動。緩急。
あと、品。

演出だけで、これほどに舞台の印象が変わるということが、むしろ衝撃だった。



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