Sleeping in the fields of gold

小麦畑で眠りたい

雨中の獣

2007-07-15 | Weblog
あえて「獣」と呼びたい。
明らかにそれらは「獣」ではない。本来は鳥類である。しかも、ちゅんちゅんと鳴いて飛び回る、田んぼでは害鳥であるが、街では愛らしき小型の鳥類。

その名を、雀。

しかし、目の前でくりひろげられる様子を見ていると、どうにも「獣」と呼びたい気分になってしまった。

嵐の近づく中、青山のこじんまりとしたシックな店で珈琲を飲んでいた。買い物をするには雨は激しすぎ、友人の瑠璃子ちゃんもワタクシも余り体調が良くなかったこともあって、なんとなぁ~くだらだらと茶をしばいていたのだった。昔話をして、くすくす笑いながら。

窓の外には蔦が絡んでいる。ぼんやりと雨の降り続く様子を窓から眺めていたら、向かいの古びたビルの屋上にぬれそぼった雀が三羽飛んできた。屋根の端の方に、絞られた濡れ雑巾のような物体が乗っている。雀らはそれをどうやらついばんでいるようなのだ。

「あれ、なんだろうね?」

向かい側でお上品にサンドウィッチを頬張っている瑠璃子ちゃんに聞いてみた。少し間を開けて彼女が答える。

「・・・肉?」

に、肉・・・?肉ってなんだ?(笑)
突拍子もない発想にも思えるが、実際肉に見えないこともない。鶏の足つき唐揚げのようにも見えないこともない。

目の前の雀たちは、小さな体をずぶぬれにしながら、水滴をぷるるっと時折払いのけつつ、その「獲物」に喰らいついている。それはもう本当に、「喰らいついている」という感じなのだ。一度くちばしに挟んで、「おらっ、おらっ、おらよっ」というように左右に首を振って、肉だかなんだか分からないそれを手頃な大きさに引きちぎろうと試みている。

気になる・・・。ひじょーに気になる。
あれは、なんだ?あの物体はなんなのだ?
食べ終わったとうもろこしの芯のようにも見える。なにかちょっとぶつぶつとした感じもする。更に瑠璃子ちゃんが続ける。

「まさか、スズメ?」

と、共食いか~~っ?それは余りにシュールな光景だろう。まぁ、雑食だからありえない話でもないけれど、そんな想像が咄嗟に出てくる、ちみが素敵♪(笑)

スズメが得体の知れない物体と格闘していると、やがて雨の中を一羽のカラスが飛んできた。スズメに見慣れると、やはりカラスは俄然大きい。スズメはあっという間に逃げていく。カラスは悠然と舞い降り、その場にぬぅっと立ち竦んだ。そうして、その不思議な物体二本を、一度に咥えて(途中ちょっととりこぼして失敗したりしながら)またどこかへ飛んでいってしまった。

二本一遍に咥えようとする様子を見て、瑠璃子ちゃんは「馬鹿ね・・」と言っていたが、本当に二本咥えて飛んで行ってしまった。おおっ。カラスめ。こしゃくな。

そんなカラスを見て、瑠璃子ちゃんは「カラスってサラリーマンに似ている」と妙なことを口走りだす。途端に、ワタクシの頭の中にはネクタイをつけたカラスの絵柄が浮かんだ。時間通りに出勤して、セコセコとマメに働くカラス。確かに。今一つ人に好かれないのも、わが身を見るようで嫌だからなのかもしれない(笑)。

一部始終、鳥たちの捕り物の様子を眺めていたワタクシたちも、人としてどうかと思わないでもないが、いかんせんあの物体が謎である。
「誰かがどこかから投げた何か」なのか。(←何一つ分かっちゃいないじゃないか(笑))

なんだ、あれ。
やっぱり肉か?こちら側のビルの人が屋根に肉を投げたのか。
まさかあの家の住人が後ろ手に屋根まで「肉」を投げたりもしないだろう。抜けた歯じゃあるまいし。

結局その物体が何であったのかは判明しないままだった。
スズメが美味しいそうについばんでいた様子を思い出すにつけ、却って怖い。

窓の下の小道を行き交う色とりどりの傘の群れを眺める。まるでフランス映画か何かのワンシーンのようだ。
そのすぐ頭上で繰り広げられた弱肉強食の世界には、人々は気づかずに通り過ぎていく。


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こんにちは、さようなら

2007-07-15 | Weblog
迫り来る台風の嵐の中、物好きにも「表参道ヒルズ」へ行って来た。ちなみに目的はソレではない。たまたま表参道へ行く用事があったので、ついでだから未だ見たことのないヒルズを見てこようと思ったまでである。実を言うと、そんなに見たかったわけでもない。ただ、高名な安藤忠雄の比較的最近の建築なので、どんなものか一つ見てやろうというだけだ。

感想:まぁ、そんなもんだろ(笑)。

安藤さんもかつてその地にあった同潤会アパートを愛おしんでいたので、表参道ヒルズのほんの脇に「お情け」程度にかつてのアパートの残骸のような一角が残されている。降りしきる雨の中、駅からヒルズにたどり着くまでに、チラ見しながら来たが、正直思った。「こんなものなら、いらない。」

余りに惨めで、哀れな姿であった。かつてその場所にあった同潤会アパートは緑の蔦に覆われた古ぼけて今にもコンクリートが崩れ落ちそうな古い建物だった。個室の天井は異常に低く、昔の「団地」そのものだったのだ。その小さな小部屋に新鋭のアーティストたちが店を持ったり、ギャラリーがあったりと不思議な融合をしていて、芸術活動の先端でありながら温もりを忘れない素敵な場所であった。何よりもそこにあった植木類の「緑」が、その空間を柔らかいものにしていたのだ。

安藤さん、こんな残し方ならいらない、ですよ。全てなくしてしまうのは惜しいから、ということで一角を残したことは聞き知っているが、その下手な「情け」をかけた分、余計に残骸は惨めに映った。アパートを取り壊して表参道ヒルズを建てると決めたのなら、全て壊せば良かったのだ。

その方が同潤会アパートはワタクシの心の中にかつての美しい、愛おしい形のまま残ったろう。アパートの「なれの果て」は、余りに惨めで見るのが痛ましかった。安藤さんは「痛み」を一身で引き受けることを最後になって躊躇した。そのことがかくも無残な結果を残すことになったのだと思う。その心の在り方が、中途半端でワタクシは嫌である。

さて、「表参道ヒルズ」。駅に近い方の入り口から入ったが、こちらが正解だという気がする。正面玄関の方よりもこちらからの眺めの方が良い。幾何学的な螺旋構造になっていて、緩い坂をぐるりぐるりと周回することでビルの上階、下階へ行き来できる。真ん中から地下階へ直接降りられる階段が、下へ行くにしたがって広がっている。真正面には交差するエスカレータが見える。近代建築は、正直好きではない。だが、この視点の広がりは美しいと感じた。階層と下へ向かう階段が、どこか「水の流れ」のようなものを感じさせた。そこで一枚写真を撮ったのが、今回の写真。携帯のものなので余りよく分からないかもしれないけれど。

建物が見たかっただけなので(笑)、もうワタクシの見るものは大して他にない。六本木ヒルズよりは小ぶりなのでいいけれど、実質的なことを述べると、すべてスロープでぐるぐると階層を組んでいるので、目的の地へ一直線に行くということはできない。「向こう側のあそこ」の店に行きたくても、ぐるりと一回り回らなければいけなかったりする。疲れるでしょう(苦笑)。建築家というのは、自分の美学を追及すると使う人の「使い勝手」を考慮しないという不思議な生物である。本来、中にいる「人」があっての「器」であるはずが、デザインという名の下に力関係が逆転していく。そういういわば「倒錯」の芸術になりつつあるのが昨今らしい。面妖である。ここは、(あるいは、ここ「も」(笑))買い物に来るところじゃない。スロープがあるから確かに車椅子の方にはいいかもしれないが、電動車椅子でなければ土台無理な話である。下りはいいけど、上りはどうするのよという話だ。

かつて、安藤さんはみょうちきりんな話をしていた。ビルの壁に土を植えつけて、たんぽぽなんかを一面に植えられたら素敵だろう。もし、そういうビルを作ることが可能であるならば、この同潤会跡にこそそれは似つかわしかったかもしれない。しかし、どうやっても所詮人工的な建築物は、自然に敵うはずもない。あらゆるデザインにおいて自然はダントツに優れている。人間の「デザイン」なるものは自然の模倣、転用、盗作でしかない。(笑)人工的なものの中に意匠通りに自然をコントロールするというのは、西洋の幾何学的な庭園の思想とさほど変わらない。コントールしよう、と考えた時点で既に思想として、それは美しくなくなる。(少なくともワタクシにとっては)

店内に流されている「ぽぉ~ん、ぽぉ~ん」という近未来的な、無機質な音は、お洒落さを装いながら、なんとも虚しく哀れに響いた。

唯一店内で気に入った店は中川政七商店の出店である。奈良晒の店で、ワタクシはネットなどでよく知っているのだが、その店のみ楽しく覗いた。晒というのは茶道に用いる「茶巾」という長方形の小さな白い布に良く使われ、そのほとんどが奈良晒なのだとどこかで聞いた。店にはちゃんと茶巾も置いてあり、近くに茶杓も置いてあった。3000円のものと一万円越えのものとあったので、どう違うのかケースを開けて比べてみた(←暇人)。木の違いだね。一万円のものの方が色艶がいい。けれども煤竹なんかには敵わないだろう。まぁ、これはいわば自宅用、練習用で、茶会などには一万円の茶杓などは使われるはずもないから、茶道具ってのも金がかかる話である。あれ、おかしいね、利休さん。(笑)あなたはそんなものを推奨していたのでは、なかったのにね。

まぁ、冒頭でも述べたとおり、表参道ヒルズは「そんなもんだろ」であった。

ワタクシは、多分もう二度と来ることはないであろう(笑)。
Adieu!




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