★☆海の幸の日常日記☆★

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おひるね

2005年05月27日 | 海の幸の和服
最近、着物着てないなぁ…
でも着物を着てどこかに出掛けるほどの気分でもないなぁ…
最近、ブログもろくに書いていない上に、和服のことも書いてないなぁ…
でもきっちり着付けして写真撮るほどの気分でもないなぁ…
あぁ、今日は天気がいいなぁ…
風も気持ちいいなぁ…

こういう日は…

こういう日は…

こういう日は…




……



やっぱ、浴衣で昼寝だよなぁ…



※紅葉と菊の浴衣は母が高校時代に家庭科の授業で作ったもの(だと思う)。ざっと更紗模様の半幅帯で貝の口に締めてみました。相変わらず自分を鏡に映しての撮影は難しいです…。
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水遊び

2005年05月23日 | 我が娘・海の岬
今日は保育園をお休みして、母子で近所の公園に行きました

この公園は江戸時代にどこかの藩の下屋敷の庭園だった場所らしく、近所の児童遊園とはちょっと違う趣です。
小さな滝から水が流れ落ち、その水が川を通って、池へ注いでいる…という風に造られた場所もあって、その川の部分は暑い季節になると子どもたちが水遊びをしています。
川といっても水深5~10㎝程度だし、元・庭園ですから当然人工なのですが、それでも子どもたちには人気です。
親もそんなにハラハラしながら見守らなくてもいいので(岩に頭をぶつけるとか、そういう心配はありますが…)、結構気軽に遊ばせています。
今日は岬がせっせと水遊び。
なんの着替えも用意せずに行ってしまったので、履いていったスニーカーのまま、着の身着のまま、ザブザブと歩き回って遊んでいました。

その後、園外保育で遊びに来ていた幼稚園の集団に混じって、一緒にブランコや滑り台、鉄棒を楽しみ、幼稚園のみんなが先生に「帰るよ~」と言われたので、岬もみんなにバイバイをして帰宅しました。

遊び疲れた岬は帰宅してシャワーを浴びるとすぐ、お昼寝してしまいました。

ここ半年くらいは体調がかなり悪くて自分のことだけで精一杯、岬の気持ちまで思いやる余裕がほとんどなくて可哀想な思いをさせていましたが、今日は比較的じっくりと岬に向き合い、岬の気持ちを受け止めることができたと思います。
岬も安心した表情で遊んでいました。

子どもって本当に空気に敏感だと思う今日この頃です。
私が落ち着いていれば、岬も落ち着く。
私がそわそわしていれば、岬もそわそわ。
私が安心していれば、岬も安心。
私が不安になれば、岬も不安。
…保育園の先生方はきっと、子どもの様子さえ見れば家庭の状況なんて一発お見通しなんでしょうね~



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どうやらこうやら、なんとかかんとか。

2005年05月21日 | 海の幸の小さな喜び
どうやらこうやら、なんとかかんとか、とりあえずは片づきました~
応援してくださった方、ありがとうございます

本当は旦那さまの領域(クローゼットと書斎)がまだなのですが、どの服を処分して良いのかとかは分からないので、あとは旦那さまに責任転嫁だっ

そして、問題はこれからこの状態をどうやって維持していくかですよ、奥さん(←誰?)
でも、これから少しずつ体調は落ち着いてくると思うし(そう信じたいし)、少しずつ炊事・洗濯・掃除が日課として身に付いていくといいなぁと思っています。

ちなみに私の体調がいちばん影響してしまうのは3歳9ヶ月の岬です。
私の体調が悪いと指しゃぶりは欠かせなくなり、昼も夜もトイレを失敗します。
私の体調が良いと「岬、もう指しゃぶりやめるよ」なんて言い出し、昼間のトイレもばっちり。
私の体調がさらに良いと指しゃぶりを忘れる時間が大幅に増え、夜のトイレもばっちりです。
現在の岬は…。指しゃぶりが欠かせず、トイレは失敗ばかり。何を言ってもイヤイヤで、自宅では抱っこを要求して、ひたすら赤ちゃんごっこをします…。

家を片づけた今、これから少しはじっくり岬と向き合えるかな? と思っています。
これからの時期、旦那さまの怒濤の出張ラッシュも控えているし、どこまで岬とじっくり過ごす精神的な余裕を持つことができるかは分からないけれど、どうやらこうやら、なんとかかんとか、できたらいいなぁと思っています


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まだ片づけています…

2005年05月17日 | 海の幸のご報告
ウツになってから早3年が経ちました。
途中、寛解した時期もあったけれど、あんまり長くは続かなかったし。
ウツになる前は妊娠&出産&産褥期&精神的に不安定だったので、積もり積もった我が家の荷物…。

…とにかく片づけても片づけても終わりません。
実家の母が助けてくれている(というよりも見かねた母が片づけに来てくれていて、私はただ言われたとおりにしている)のですが、気持ちは鬱屈してくるし、もう、本当に叫び出したくなります。
人の気持ちを考える余裕なんて全くなくて、言葉も選べないから、周囲の人も(特に旦那さまとか岬とか助けに来てくれている母とか…)大変だと思います。

でも片づいてくれば多少は気持ちも落ち着いてきました。

あとはテレビの両脇の棚の整理と、和室の片付けを残すのみ。
というか、それが一番の山場かもしれないんですが。
岬の絵本と、私の本と、DVDと、岬の衣類と、デリバリーのメニューと、岬の芸術作品(保育園から年度末にもらう)と、岬のアルバムと、埃をかぶったフォトフレームいろいろと、電話機周りの文房具ごちゃごちゃと…うわ~っ!!!(←考えただけでイヤになっている)

が、がむばります。

そんな訳でブログはもう少しペースダウンが続きます。
今月中には絶対なんとかするんだ~っ!!!
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片づけ片づけ片づけ片づけ…いや~っ!!!

2005年05月11日 | 海の幸のその他いろいろ
現在、家の中を片づけています。
早くもげんなりとしています

正直言って、とても人間が(しかも家族3人が)住んでいるとは思えない状態です。
辛うじて存在していたケモノミチもふさがれています。
あぁ、こんなことを告白している自分も情けない…。
私は荷造りが本当に苦手で(これは現在の病気とかクスリの影響もあると思うのですが)、2泊3日の荷物を用意するのに6時間かかります。先月は茨城へ帰省したり、北海道へ飛び出していったりで、もう…。
とにかく散乱しているのです。
それなのに洗濯物は毎日必ず積み重なってゆくし(とくに保育園児の洋服はスゴイ)、考えはじめると、あぁ…あぁ…あぁ…とパニックを起こしそうです。

とりあえず、玄関を片づけ、岬の服を洗濯しました。
若かりし頃に履いていた厚底サンダル(!)もようやく捨てましたよ。
これから台所のゴミを片づけて、和室を片づけます。
自分の洋服を必要最低限にして、着物をしまうスペースを確保することにします。
(現在、入りきらない着物はベビーベッドに積み重ねているのです…)
亡くなった祖母はなんでもきちっとする人で、現在の我が家を見たらきっと目を回して、きっつーいお灸を据えられることでしょう。
で、祖母の納骨までには片づけようと思っています。
おばあちゃんが励まして見守っててくれるうちに頑張ります
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祖母を送る

2005年05月09日 | 海の幸の小さな哀しみ
先月の28日に、札幌在住の祖母が他界しました。83歳でした。
一昨年の夏にはすでに末期ガンだと宣告されていて、本人もすべてを理解した上での闘病でした。
とても気丈な人で、あとは死を待つのみと分かっていながら、最後まで取り乱すことなく天寿を全うしました。

葬儀は祖母の長男(=私の伯父)が住職を務める函館のお寺で執り行われました。
ゴールデンウィークとぶつかったため、祖母を送りたいと思っていた人全員が、仕事などの日常生活に煩わされることなく、純粋な気持ちで葬儀に参列することができました。
ただ、ゴールデンウィークにぶつかったということは、裏を返せば東京在住組はとにかく函館までの交通手段の確保が難しく、インターネットを駆使しながら、まるで松本清張か西村京太郎の小説のように時刻表を調べ、乗り継ぎを考え、チケットを手配し、宿泊先を探し…。
そんな東京在住組がたどり着くまで、北海道在住組は祖母を守って待っていてくれました。
そして、みんなで祖母を送りました。
祖母は僧侶になった自分の息子2人(=私の伯父と実父)、孫2人(=私の従兄弟たち)に葬儀をしてもらって、嬉しかったんじゃないかなぁ…と勝手に想像しています。
そのほかにも近隣のお寺からお坊さんが来てくださって、総勢13名ものお坊さんにお経をあげてもらいながらの葬儀でしたから、ひょっとしたら立派なお葬式すぎて照れ笑いしているかも知れません。

葬儀に全員が参列できたこと、ものすごく立派な葬儀だったこと。今思うと、すべては祖母の力だったんじゃないかと思います。
決して平穏無事な人生を歩んだ人ではなく、また平穏無事ではない人生を生き抜くだけの強さを持った人でしたから、祖母自身も、祖母の4人の子どもたちも、その周囲の人々も、いろいろと複雑な気持ちの行き交いがあったと思います。
でも、最後は立派なフィナーレを飾りました。
伯父も立派なフィナーレを飾らせました。
伯母は祖母を立派に看取りきりました。
私の両親も精一杯のことをし尽くしたと思います。
伯父が「親を亡くして悲しいという気持ちはあっても、あのときああしておけば…というような悔しい気持ちはまったくありません。むしろ母をこんなにも清々しい気持ちで送ることができて、変な表現かも知れませんが、嬉しく幸せだと思っています」と挨拶したくらい、本人にとっても、周囲の人間にとっても、もう、これ以上ないくらい立派な、文句なしの人生の終わり方だったと思います。

孫の私からすれば、大人たちの複雑な事情はなんにも分からず、また、あえて知ろうとせず、ただ「北海道のおばあちゃん」でした。
純粋に甘えた気持ちで過ごし、祖母に死が近づいていると聞いてはいても、手紙を書いたり写真を送ったりするのはごくたまに、気が向いたときだけ。
でも、そんな気まぐれな手紙や写真を、祖母は喜んでくれていたそうです。
抗ガン剤を使うと髪の毛が少なくなると聞いて送ったシフォンの帽子も、ずいぶん愛用してくれたようです。
決して出来の良い孫ではない私は、最後まで甘えた気持ちのまま、祖母を送りました。大人の事情に首を突っ込まず、ただ孫は孫らしく最後まで「おばあちゃん、大好きだったよ」とだけ思って祖母を送るのが、私にとって祖母にできる、唯一のことだったように思うからです。

葬儀を終えた今も、祖母はいろいろなかたちで私にたくさんのことを教えてくれています。
生と死の間には絶対に越えられないものがあるのだということ。そして、生きているものは、その越えられないものを越えて死ぬのだということ。葬儀や供養といった言葉の本当の意味。そして私がこれからの人生を幸せに生きていけるように、祖母の今までの人生を知り、その人生を手本にしたり反面教師にしたりすること…。

私は相変わらずなんにもできない孫です。
これからもなんにもできない孫でしょう。
でも、祖母はなんにもできない孫の私にいろいろなことを教えてくれました。
だから私は、なんにもできない孫だけれど、せめて祖母が教えてくれたことだけは忘れないようにしたいと思います。
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