海と山と

釣りと近場の山歩きを趣味とするリタイヤおじーのひとりごと

久々の東京散策

2018-09-22 10:49:03 | 気ままに
9月22日
 16日~20日まで法事で帰京していた。法事は18日だが、その日に合わせて高校のクラス会、
入社同期会を開いてくれた。有り難いことにこちらの都合に合わせてくれたのだ。特に入社
同期会は帰京の時にしか行っていないようで、帰京が無ければ開催は無いとのこと。
この間を利用して、東京散策。

16日昼過ぎに東京到着。ホテルは大塚。荷物を預けて日暮里へ
日暮里~夕焼けだんだん~谷中銀座~根津神社~夢二美術館~日暮里のコース

夕焼けだんだんから谷中銀座を望む。
夕焼け前の写真


帰りの夕焼け間近の写真




さすがに夕焼けになると人が多く集まってくる。
昔懐かしい風情のある谷中銀座は歩きながらコロッケを食べることが一般に知られていて、
そんな人を多く見かけた。

根津神社もなかなか立派な神社で外国人も多く訪れていた。


特に北から南へ通り抜ける朱色の連なる鳥居ではSNS用のカメラマンが多数。


ちょうど秋祭りの季節で「根津神社例大祭」が行われており、神輿、山車が街中を練り歩いていて
久し振りに活気ある祭りを見た。


その足で岡山県生まれの竹久夢二の美術館へ
夢二の描く、けだるい感じの女性の絵が好み。
3枚のシオリを購入


若い人も多く訪れていて、大正ロマンの雰囲気漂う絵に見入っていた。

17日は夜の6時から品川で同期会。
それまでの間両国~昔住んでいた浜町、人形町あたりを歩いた。
両国~吉良邸~両国橋~新大橋~清洲橋~清澄庭園~浜町~人形町

帰京する際、新幹線の中で森村誠一の「吉良忠臣蔵」を読んで、吉良邸跡を訪れてみる気になった。
現在は広大な吉良邸の86分の1の敷地しか残っていない。討ち入りの際に近所の状況は
どうだったのかいろいろ想像してしまう。


今、両国では大相撲秋場所が開催されている。

朝の十時頃から観客が入場していて、人気の高さを伺わせる。

両国回向院には相撲関係者石碑「力塚」がある。
国技館ができる前はここ回向院で大相撲が行われていたと言う。


その後両国橋、新大橋、清洲橋、万年橋を歩く。
両国橋



新大橋。昔はアーチ型の橋だったが、、、。これはこれで素敵な端になっているが、やはり
昔の面影が欲しい。


清洲橋。昔のまま。塗装の足場が組まれていた。


隅田川支流の小名木川に掛かる万年橋。


浜町に住んでいた頃、中洲⇒清洲橋⇒万年橋⇒新大橋⇒浜町を回るマラソン、部活のランニングなど
を想いだす。

その足で清澄庭園へ。


清洲橋を渡って、我が母校の有馬小学校へ。


受付の方が、現在の有馬小学校についていろいろ説明してくれた。
今年で開校145周年とか。自分が卒業したころは開校84年と言うことになる。
新校舎になった時、将来の少子化に備えて、老人ホームにも使用できるような建て方にした
と聞いていたが、今では周りにマンション群が出来、教室数を順次増やして対応しているとか。
中央区の人口が急激に増えているのだろう。

水天宮、人形町、明治座などを巡っていったんホテルに戻り、夜の同期会へ。

18日は目的の法要。

19日高校のクラス会。12時から錦糸町でおこなわれる。
両国⇒葛飾北斎美術館⇒錦糸町のウォーキング
北斎美術館は斬新な建物で、一際目を引く。

北斎は生涯3万点の絵を描いたとか。浮世絵の美人画がお気に入りで、本のシオリになりそうな
絵葉書を数枚購入。

20日は帰倉の日
東京駅で一旦下車して、駅舎~二重橋を見学。
東京駅前は工事中の時は知っていたが、塀が取り除かれて広大な広場になっていることに驚き。

後ろの巨大なビル群が邪魔。

歩いて皇居二重橋へ。

訪れている人の90%くらいは外国人。
昨年来たときは中国系の人が多かったが、今回は白人系の人が目立った。

最後に、現役時代に勤務していた丸の内を回った。
今は事務所は大手町側に移転したが、前のオフィスビルもまだ残っていた。懐かし。


今回の東京散策で感じたのは、いたるところで外国人を見かけることだ。
20年くらい前は街を歩いていて外国語はほとんど聞こえてこなかったが、最近は
いたるところで異国語を耳にするし、特に気にならなくなってきた。
政府の進めるインバウンド政策の影響か?
日本にお金が落ちるので歓迎すべきことではあるが、秩序だけはの維持したいものだ。

コメント
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