海と山と

釣りと近場の山歩きを趣味とするリタイヤおじーのひとりごと

「回天」の基地大津島

2009-05-07 09:07:54 | 家族旅行
人間魚雷「回天」の基地「大津島」

5月5日、妻の小学校の同窓会が周南市の笠戸島で行われた。
高速道路1000円上限を活用して小生が車で送ることにした。
(新幹線で行けば往復で約15000円、軽四車ではガソリン代込みで6000円以下)

同窓会に出席する前に妻の両親の墓参り。里はすでに田圃に水張りが始まっており
そこに鯉のぼりが池の上の空、池の中に泳いでいた


鯉のぼりの影が水面に映り、黒い鯉が泳いでいるようにも見える。


墓参りを終えて、徳山港から連絡船で約42分、回天の基地、大津島へ渡る


人間魚雷「回天」は太平洋戦争末期「天を回らしめ、戦局を逆転させる」という願いを
込めて誕生したという。
全国から20歳前後の若者がここ大津島に集まり、毎日厳しい特訓を繰り返していた。
そして「祖国を守る」ことができるなら、自らの命を捧げる」ことを誇りに思って
ここから出撃していったのだ
手を合わさずにはいられなかった。




隊員が乗り込んだ「回天」をクレーンでこの溝におろし、
発射、操縦訓練を行っていた跡。生々しい光景であった。





回天Ⅰ型のレプリカ
先端部には爆薬が詰められ、中央部の突起のある部分に隊員が乗り込み飛び出た潜望鏡で
敵艦を確認して、隊員自身が操縦して体当たりするという「海の特攻隊」兵器。
すでにこのころ米国では音波を発信し、その反射で相手艦を探知する技術が開発されていたらしい。
人の根性、魂の力に頼る国日本のあまりにも空しい戦術であろうか





山岡荘八著「小説太平洋戦争」を読んだことがあるが、あの戦争は一体何が目的だったのだろうか?
戦争のための戦争?、面子のための戦争?そのために人を将棋を楽しむがごとく動かし、
日本人の持つ本来素晴らしい特質の「人情」を旨く操作した一部の人間の勝手が生んだ残忍な
遊びだったのではと思ってしまう。

そんなことをいろいろ考えながら、フェリーで徳山港へ戻る。
妻を同窓会会場に送った後、さて食事と思ったが、連休中で休みが多い。
40年ほど前まで住んでいた頃の一杯屋は今は一軒もない。
と思っていたが、有った有った。
駅前の屋台である。40年ほど前は徳山市内に10台程あった屋台
は今は3~4台になっているらしい。
おでんを食いながら、酒を飲みながら、店のおやじさんと昔話をし
40年前の気分を味わった。




なぜかすごく疲れた1日であった。早々にビジネスホテルへ戻り、追加のアルコール
を飲んで、ゆっくり一人寝。
コメント
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