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上海の自転車シェアリング

『宅配がなくなる日』より

2017年春、中国・上海の静安区--。

静安区は、上海市中心部のやや西よりに位置するビジネスエリアで、多くのオフィスビルが林立している。華山路という大通りに沿って歩くと、あちこぢの交差点に夥しい数の自転車が置かれてある。

注意深く観察すると、これら大量の自転車は全てシェアリング用だった。自転車のサドルにはQRコードがあり、施錠されている。事前に登録してスマホ(スマートフォン)でQRコードを撮影するだけで、自転車を自由に使うことができる。利用料は1時間1元(約16円)と格安。2016年末時点で、中国全土で4000万台の自転車がシェアされていて、会員数は1億6000万人に達しているという。

早朝は出稼ぎ労働者、朝はビジネスパーソンや学生、昼は観光客。自転車は、様々な利用者に1日に何回も使用される。この自転車は、貸す側と借りる側で、金銭の授受どころか、一切の人的なコミュニケーションなしで運営されており、ひとつの巨大な動的システムとして機能している。

上海で遭遇した自転車シェアリングは、今後の新しい経済を表している。

 ・通勤や通学など数分~数十分というこまぎれの時間を使えるシステム(すきま時間の有効活用)。

 ・地元の生活者だけでなく、外からの観光者など様々な目的を持った消費者による多様な用途でのサービス使用(消費者による商品・サービス・空間の再定義)。

 ・商品やサービスの売り手と買い手が、お互いに対面せずに行うセルフサービス型の取引(同時性の解消)。

これらを可能にしているのは、スマホなどの移動通信端末である。オフィスや自宅などにいてデスクトップパソコンや電話の前に張り付いていなければならない状態では、すきま時間に移動しながら何かをすることはできない。スマホの登場によってはじめて、私たちは自由意思で行動しながら、すきま時間を活用し、その都度の自分の目的や使途に合わせてモノやサービス、場を使い分け、見知らぬ誰かと時間や空間を共有せずに取引やシェアができるようになった。

翻って、日本ではどうだろうか。

17年の年明けから、五月雨式に宅配サービスの周辺が騒がしくなり、桜の蓄が膨らみ始めた3月半ばからは一気に宅配クライシスとも呼ぶべきニュースが噴出した。

急増するEC、ネット通販の量に対して現場の体制が追いつかず、ヤマト運輸の労働組合が、経営側に荷受量の総量規制を求めているということが報道された。細かく指定されている時間帯別配達の維持向上が難しくなり、時間帯の分類が従前よりも大括りになることや宅配料金の値上げも決定された。「働き方改革」の流れと相まって同社従業員のサービス残業や長時間労働の問題も顕在化している。

儲からないことが定説だった個人宅配の市場を切り開き、「宅急便」という新しい事業を確立した小倉昌男氏の経営哲学に共感するビジネスパーソンは依然として多い。前世紀末に出版された『小倉昌男 経営学』は経営書のロングセラーとなっている。既に鬼籍に入られた小倉昌男氏は、宅配の現状をどのように見ているだろうか?

ヤマト運輸は日本における物流業界の雄であり、「宅急便」という事業をゼロから創り上げた立役者である。ただ、今回の荷受量の総量規制や時間帯別配達の大括り化は、顧客の利便性とは逆の方向性ではないだろうか。『小倉昌男 経営学』に書かれているように、同社の経営姿勢は、一貫して顧客の利便性の追求にあったはずだ。

様々に報じられている宅配サービスの変更は、根本的な解決ではない。最終の配達所から各家庭・各企業というラストワンマイルの大改革が今こそ求められる。

カギを握るのは、前述した「同時性の解消」である。

平たく言えば、それはサービス業のセルフサービス化だ。売り手も買い手も効率性を高めることができるセルフサービスはガソリンスタンドやスーパーマーケットなど米国で発達し、日本にも導入された。日本には自動販売機という世界に類をみないセルフサービス文化もある。

現在の宅配の仕組みは、ラストワンマイルにおいて、配達員と受取人が、同じ時間や空間を共有して対面することを強いられている。この「同時性」の持つ〝非効率〟をどのように解消し、セルフサービス化していくか--。

そのことを念頭においたイノベーションが、今後のECの物流を大きく変容させる。ラストワンマイルの物理的なベクトルを180度転換することこそが最終的な解決になると筆者は考えている。それは、宅配サービスのセルフ化という新しい仕組みであり、自販機のように日本独自の発展を遂げる可能性も秘めている。

メディアでは宅配問題が噴出し、筆者が中国の巨大なシェアリングエコノミーを目の当たりにしていた頃、旧知の編集者から1通のメールが届いた。「宅配問題を理論的にクリアに説明する本を緊急出版しませんか」というストレートな問いかけだった。既に2年前から宅配の危うさを論文(筆者が共同代表を務めるコンサルティング会社フロンティア・マネジメントの機関誌「FRONTIER EYES」に発表)にしていたこともあり、同僚の山手剛人氏と共同で一気に書き進めて出版の運びとなった。

2020年代を見据えたとき、消費者はいったい何にお金を使いたいのか、消費者が支払う代金は何との交換なのか、という問いを根本的に見直すことなくして、いかなる企業も生き残れない。商品の値段を「商品・サービスの原価と企業側の適正利益の総和」と考えている限り、現在の消費者行動を読み解くことは永遠にできない。商品を配達してもらった消費者は、物流企業の輸送費や人件費に対して対価を払うものという考え方をしている限り、ラストワンマイルの革命は絶対に起こらない。

誰もが、自分の「時間価値」にお金を払いたい。「時間価値」を高めるために、「すきま時間」と「空間」を自分なりに効率的に使いたい。そのためにも、第三者と対面する必要のないセルフサービスによる「同時性の解消」を求めている。

本書を読み終えた際に、これらキーワードが読者の皆さんの頭の中で有機的に結合された状態になることこそが、筆者の本意である。
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図書館のNDCの順列

『サインはもっと自由につくる』より サインの前に--開館しても変えられる! 棚のリニューアル大作戦

あらためて考える、NDCの順列で並べるとどうなるのか

 ほとんどの図書館において、本を分類し配架するために「日本十進分類法」(NDC)を使用していると思います。

 NDCは森羅万象の主題を9区分し、1から9までの数字を割り当てーどこにも分類できないものは0に分類し一体系的に位置づけます。数字を使うため単純で簡潔な構造をもち、主題間の関係や順序がわかりやすく表現されるという長所があります。一方で、十進で展開させるという規則が優先されるため、NDCそのままに従って本を配架すると、なぜこのジャンルがここにあるの? ということが時折発生します。

 図書館に勤務して間もない頃、「孫子」の場所にっいてたずねられたことがありました。「399兵法」の棚へと案内したところ、その利用者は複雑な表情になって、どうして軍事を民俗学の横に置くのかと質問しました。振り返ると、教育学(37△)、民俗学(38△)のあとに、国防・軍事(39△)という順番で配架された棚が並んでいます。 NDCに関心がなく普通の感覚で本を探そうとする人にとっては、思いもつかない脈絡のない並びです。図書館勤務数か月だった私も、採用している分類規則に従うとこうなってしまうのですと回答しつつ、心の中では同じ疑問を感じていました。この勤務して間もない頃に感じていた「なんでこんな並び方になるの?」という違和感は大切です。同じ違和感は多くの利用者ももっていると思います。勤務経験を重ねるうちに、この違和感は薄らいで当たり前になってしまったかもしれません。

 また、NDCでは、日常的な感覚では似ている概念が、別の主題として遠く離れて分類されてしまうこともあります。たとえば、47 (植物学)と62(園芸)。4類と6類、1次区分のレベルで違ってしまうと、図書館の構造によってはそれぞれがまったく違うエリアに配架されてしまうこともありえます。

 たとえば、「蘭」について質問されたとき、インタビューを重ねて植物と園芸のどちらかの棚に、場合によっては両方の棚を案内します。けれども、特殊な栽培方法について問い合わせを受け園芸の棚で調べていたところ、結局は植物学の本に詳しく載っていたというようなことはよく経験するのではないでしょうか。自然科学としての「植物」、産業分野の「園芸」。学術的に区別される理由はわかるのですが、利用のされ方から見ると両方の本を必要としていることも多く、遠い場所に置いてあると、一緒に見ることができず不便に感じます。

 他にも、同じカテゴリーとして相互参照すると便利な主題が複数の項目に散っているケースがあります。O類と5類に分かれるパソコンとインターネット。マスメディアになると、070(ジャーナリズム・新聞)、361.4 (マスコミ)、699(放送事業)と3ヵ所の棚に分かれてしまいます。利用者にしっがりインタビューして、適切な棚を紹介してこそ司書の腕の見せどころなのかもしれませんが、そもそも分かれている分野について、1か所もしくは近くに配置して、探しやすい棚をつくるということもプロの技だと思うのです。

私たちのツール、NDCのこと

 配架を考えるにあたって、全国の図書館に普及している標準分類表であるNDCのことを避けることはできません。ここからは、もう少しまとめてNDC、「日本十進分類法」のことを触れてみたいと思います。

 NDCの初版は1929年、デューイ十進分類法の体系を参考にして、同一主題が近接するよう本を主題の体系に沿って書架上に配列するための書架分類法として誕生しました。その後、根幹にかかわる変更を加えずに時代に即した主題の追加や変更、削除が加えられて、2014年発刊の10版まで、改訂が重ねられています。

 発刊当初の1929年の世界には、スマートフォンもパソコンも、地球温暖化も遺伝子組み換えも、核兵器もありません。世界恐慌、アル・カポネ、スターリンの時代です。そのような時代に基礎がっくられた分類体系にその後、次々と発明・発見されたモノや技術や文化を新主題としてはめ込むことが可能だったのは、NDCがOから9の数字を使って展開し、桁数を増やすことで主題の階層や深度を表現できるという伸縮性のある構造をもっているためです。

 さらに、当時はほとんどの図書館で閉架式閲覧法がとられていました。利用者は現在のように自由に本を手にとることはできず、書庫に入っている本を目録で探し出し、閲覧票に記入して請求していました。そのような時代につくられた書架分類法が前提としている書架配架のイメージは、現在とはまったく異なっていたに違いありません。利用者目線を意識した、探しやすさを指向したものでないことは確かです。

 さて、その後NDCはひとつの転機を迎えることになりました。それまで書架分類として編集されてきたNDCが、1995年発刊の新訂9版からは書誌分類を指向することになったのです。インターネットを使った蔵書検索が一般的になった現在では、一館単位の配架を想定した分類よりも、ネットの主題検索で効率よく情報が得られるように詳細な分類表を指向するほうが時代に適合しているという判断があったためです。ただ、書誌分類を念頭に作成されてはいても、図書館現場の実務に影響が出ないよう根本的な変更は加えず、9版以前のNDCとの連続性は維持されています。それまで使用していた分類項目を他のものと入れ替えるような、大きな変更ではありません。

 このNDCの書誌分類への方針転換は、書架分類の重要性が低下しかためという意味ではなく、書架分類については個々の館の事情を反映させて、書誌分類をうまくカスタマイズするべきものとして捉えたほうがよいのだと思います。なぜなら、NDCは公共図書館、学校図書館、大学図書館、専門図書館、いろいろな館種で使用されています。私自身は公共図書館出身なので、どうしても「公共図書館としての使いやすさ」からNDCを見てしまいますが、館種によって「使いやすさ」の観点はさまざまなはずです。また、公共図書館だけを考えても、NDC誕生当時とは異なり、現在の図書館サ-ビスのあり方は各館多様で、それを実現するための配架もまたさまざまなかたちをとるはずです。そのうえ配架は建物の構造や棚配置など、図書館の施設的な要素に大きく左右されます。このように各館の諸条件が異なる状況で書架分類を一律に考えること自体、今や無理が生じてきているのだと思います。それよりも共通の書誌分類をベースに自分かちのサービスをかたちにする配架を実現するため、どう工夫するかを考えるほうが現実的です。

 ということで、次節からは公共図書館の現場で「探しやすさを求めて」リニューアルしているうちにNDCをカスタマイズしたらこうなったという案を紹介していきたいと思います。

 NDCは私たちの道具です。プロは道具を使いやすいよう磨かなければなりません。
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産まれてきた理由に対する哲学

8thシングル予想

 18thシングルでは生ちゃんとひめたんの「Wキャスト」にすればいい。知のセンターのために、ミュージカルのアイデアを使っていく。

哲学者は語らない

 池田晶子さんも現行の家族制度に違和感をもっていた。ただ、自ら、変革しようとはしませんでした。

 デカルトが『方法序説』に書いているように、哲学者は思想にそった生活はしない。何しろ、真立たないようにして、社会に紛れ込みます。変革するかどうかは、それを受けた市民の仕事です。答えはそれぞれの内にあるのだから。

 それはソクラテスも一緒です。かれは「考えよ」としか言わない。ソクラテスは対話するだけで何も残そうとしなかった。ソクラテスは書くことはしなかった。プラトンのおかげでそういう人間がいたことが構成に伝わっているだけです。アブラハム以降、そういう人間は多く居たでしょう。かすかに残っているだけです。

産まれてきた理由に対する哲学

 産まれてきた理由に対する哲学。これがなぜ、明確にされないのか。当然、哲学者は考えているはずです。それを探して現象学へ。ヘーゲルとウィトゲンシュタインぐらいしか見当たらない。

 「存在するというのはどういうことなのか」というのは哲学のベーシックな問いというけど、あまりにも中核に迫ったものがない。本質を不明にしている。なぜなら、それは神の世界に入ることだから、西洋では不可能な領域です。

 日本の場合は、本質に迫る構造が元々ない。周りで決まる世界を生きることで充分にしている。一番近いのはムスリムの世界なんでしょう。神と直接つながる個がいる。神は偉大なり! 個も偉大なり!

 覚醒とは生きる意味を知って、行動を考えること。その意味で哲学は知らないことでを知るのではなく、知っていることを知る。
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日本の教育をとりまく社会状況

『コミュニティ/スクール入門』より

今、日本の教育をとりまく社会状況は「危機的な状況にある」と言われていますが、どのような「状況」にあるのでしょうか。

急激な少子・高齢化、人口減少社会

 私たちは、急激な少子高齢化の時代に入っています。図表1-1-1にその推移が示されていますが、これは、深刻な内容です。

 日本は世界に先駆けて、急激な少子・高齢化、そして人口減少を迎えています。 2010年の総人口は12、806万人でしたが、2030年には、11、662万人です。65歳以上が総人口の3分の1に達します。そして生産年齢人口(生産活動の中核をなす年齢の人口層で、日本では15歳以上65歳未満を指します)は総人口の約58%にまで減少すると見込まれています。

 また、高齢化率(高齢人口の総人口に対する割合)は2010年(平成22年)の23.0%から、2013年(平成25年)には25.1%で4人に1人を上回り、50年後の2060年(平成72年)には39.9%に、これは2.5人に1人が65歳以上となることが見込まれています。

 このまま放って置きますと、日本の人口は30年後には8千万人、50年後には2010年時の半分になってしまいます。そして「30年後には全国の自治体の半分が、なくなっていく」と言います。地方から大都市圏への人口流入や少子化か止まらなければ、「約1800の市区町村のうち896自治体が将来なくなってしまう(2013年3月)」というのです(「日本創成会議」の人口減少問題検討分科会〔座長・増田寛也元総務相〕の推計)。センセーショナルな話です。なんらかの手を打だなければ人口が減っていき町がなくなるし、学校もなくなります。私たちはどうしたらいいのか、真剣に考えなければなりません。

 高齢者が増え、それを支える生産年齢人口は減り続けます。経済規模が縮小し、税収が減り、社会保障費が拡大していきます。社会全体の活力が低下し、非常に厳しい時代になっていきます。日本の総人口も、今後100年間で、100年前(明治時代後半)の水準に戻っていく可能性があると言うのです。ただし「何もしなければ」という条件付きですが。

 教育関係者は本業の人材育成をしなければなりません。その人材も、多様で変化の激しい社会を乗り越えるために、「タフで社会を生き抜く力」を持った子どもたちを育てていかなければなりません。

グローバル化の進展

 世界はグローブ、球体です。地球の裏側でも世界はつながっています。もはや自国だけを守って成り立っていく世界ではなくなっています。グローバル化は、「知識基盤社会」(変化が激しく、常に新しい未知の課題に試行錯誤しながらも、対応することが求められる社会)の本格的な到来をもたらしました。 ICT(インターネット等に関する情報通信技術:Informadon and Communication Technology)を通じて、軽々と国境を越え、人、モノ、金、情報等が流動化を促します。知識そのものや、人材をめぐる国際競争も加速させるとともに、異なる文化・文明との共存や国際協力の必要性を増大させます。

 世界の文化・文明がグローバルになることは同時に、異なる宗教や、価値観、倫理観の間で摩擦を生み出す危険性もはらんでいます。そのため、実際に多様な国の人だちと触れ合い、国際交流を促し、異文化・文明を理解・尊重し、受け入れる寛容さが求められます。

 また、気候変動、感染症、テロ、移民、難民、経済危機の拡大などのような地球規模への課題も突きつけます。このような地球環境問題をはじめ、さまざまな問題を共同で取り組み、複雑化・深刻化した課題解決に向けて、共に持続可能な社会をっくっていく教育の実現こそが大切になってきます。グローバル化は教育にも新たな課題と対応が求められています。

 学校の先生は当然「人材育成を」といいますが、人材育成は先生方だけでは解決できません。グローバル化を見ても分かるように、世界は新しいステージ入ってしまっているのです。先生方も新しい加速された状況を認識しながら、多様な人だちと協働で課題の解決が求められます。

雇用環境の変容、働く母親は過去最多

 近年、共働き世帯が増加しています。1996年に「無職の妻の世帯」と「共働き世帯」が逆転し、2012年には、「無職の妻の世帯」が787万世帯、「共働き世帯」が1、054万世帯と、ここ16年間で1.3倍になり、大きく生活格差が広がっています。

 2015年には、18歳未満の子どもがいて、働いている母親の割合が68.1%に上り、過去最多になるといいます。母親の4割近くが「非正規」で働き、一番下の子どもの年齢が高いほど増える傾向にあります。

 また、非正規雇用者が正規・非正規雇用者の合計に占める割合についても、1990~2014年の間に、2倍近く上昇しています。これらは新しい問題ではありません。東日本大災害を契機にその危機的な状況が顕在化してきました。一人ひとりの意欲が減退し、社会の不安定化か進んでいます。

格差の再生産・固定化

 収入の多い家庭の子どもは「成績がいい」とデータにも出ています。この頃は東京大学生の親のほうが、慶応大学生の親より収入が高いといわれています。子どもに掛ける金額に比例して学力が伸びており、そして東京大学へ。それでよいのでしょうか。経済格差が教育格差につながっている。これも危機です。子どもは家庭を選んで生まれて来れません。

 進学させたくてもお金がないとか、経済的な問題は学力格差につながっています。貧しい家の子どもは、進学が難しいのです。以前公立の学校は荒れていました。先生方はそのような学校には異動したがりませんでした。現在「子どもの貧困」が顕在化しています。日本は先進国でありながら、子どもの貧困も大きな問題になっています。家庭の貧困は、否応なしに学校にも影響を及ぼし大きな問題となっています。

地域社会・家族の変容

 地域の都市化や過疎化の進行は、大家族世帯が激減し、核家族や一人親世帯が増え、家族形態が変化してきています。価値観やライフスタイルが多様化するなかで、地域社会のつながりや支え合いは希薄になり、セーフティネット機能が低下しています。「地域で育てる子ども」という考え方が失われ、核家族の中だけでの「子育て」が多くなってきました。

 家庭や地域社会が、教育の場として十分な機能を発揮することなしに、子どもたちの健やかな成長はありません。家庭をめぐる状況の変化や地域社会の教育力の低下、そして子どもの教育に関する当事者意識も失われていくなかで、学校だけにさまざまな課題や責任が課せられているのではないでしょうか。教育は学校だけで担いきれるものではありません。

 「子育て」は、地域社会も保護者も当事者意識をもって、自分の子どもだけではなく、自分の地域の子どもですから、地域で協力して育てていかなければなりません。

地域コミュニティの再構築

 一方、いろいろな取り組みを通じて、保護者をはじめ地域住民らが積極的に子どもたちと関わり、支援することによって、学校をより良くし、子どもたちを育てていこうとする活動が生まれてきています。また、各地域で学校を核にして、子どもや大人も自らが主体となって地域を活性化する取り組みをし、地域全体を「学びの場」と捉え、街全体の元気を取り戻しつつあります。

 こうした意識の高まりの中で、かつての地縁を再生するということにとどまらず、新たに地域コミュニティを創り出すという視点に立って、学校と保護者、地域住民らが力を合わせて、子どもたちの学びや育ちを支援する地域基盤を再構築していくことが大切です。
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「資本主義」はどこへ? ポスト資本主義

『地方自治の再発見』より 混迷する世界と資本主義のゆくえ--超資本主義からポスト資本主義ヘ-- 「資本主義」はどこへ?

資本主義に代わる政治経済体制の構想を「ポスト資本主義」というコンセプトで説明している人もいます。

「ポスト資本主義」というのは、はじめ、アメリカの経営学者ピーター・ドラッカーが1993年に書いた『ポスト資本主義社会』(ダイヤモンド社)で打ち出した概念です。彼は、20世紀末から21世紀にかけて、数世紀に一度の大転換が起こっているのであり、資本主義は別の新しい政治経済体制に変貌しつつあると言いました。

いまや資本・資金の大きな部分を動かしているのは、資本家、経営者ではなく、年金基金などのファンド・マネージャーであり、その背後にいるのは年金を積み立て、受給している従業員である。また利潤を求めて活動する営利企業だけが経済主体ではなく、NPOなどの「社会セクター」が有力な経済・社会主体になりつつあるとして、資本主義がそれに代わる新しいシステムに変貌しつつあるという見方を打ち出したのです。ただし資本主義の後に来る体制は、まだその姿をはっきり描けないというので、ぼんやりと「ポスト資本主義」(「資本主義以後の社会」)といったのでした。

ドラッカーのこの見解は少し先走りすぎていて、たとえば安倍内閣の下で日本の「年金積立金管理運用独立行政法人」が、株式への投資を増やして運用損を出したように、年金基金もマネー資本主義に巻き込まれる可能性があります。ロバート・ライシュが言うように、従業員・労働者がいつの間にか投資家になってしまい、超資本主義の担い手になるのです。

同じ概念を使って、資本主義の限界を論じている人に広井良典氏がいます(『ポスト資本主義』岩波新書)。広井氏の議論は少なからず水野和夫氏と重なっています。広井氏も、資本主義を「拡大・成長」の体制ととらえ、このシステムが、1970年代の石油ショックなどで示された資源の有限性によって外的な限界に達し、同時に大衆消費社会の成熟に伴う需要の飽和によって内的な限界に達したとしています。つまり、資本主義という「拡大・成長」(自己増殖)の体制がその限界に達し、中世の時代に似た定常型の社会へ移行しつつあるのではないか、というのです。

広井氏の議論の面白いところは、資本主義が政府の市場経済への介入のようなかたちで、しだいに社会化(社会主義的な要素の導入)されてきていると考え、その延長上に「ポスト資本主義」の姿をみようとしていることです。ロバート・ライシュの超資本主義を民主主義によってコントロールするという考え方をさらに突き詰めて、資本主義のなかに生まれてくる社会玉義)的要素の向こうにポスト資本主義の輪郭をイメージしようとしているのです。この発想は、バーニー・サンダースの民主的社会主義論に通じますし、1990年代までのEUの「社会モデル」にもある程度通じるのではないでしょうか。

ポスト資本主義のシナリオのなかでも、とくに注目に値するのが、「ストックの社会保障」構想です。これは、フランスの経済学者トマ・ピケティの『21世紀の資本』(2014年、みすず書房)に依拠した構想です。

資本主義は資本の自己増殖のシステムであることは、すでにみたとおりですが、それは資本主義の黄金期には、生産高や所得のあくなき拡大としてあらわれます。しかし、資源の制約や消費の飽和が起こると、生産高や所得(「フロー」)の伸びが頭打ちになります。半面、フローが蓄積されてつくられた「ストック」としての、金融資産や土地、住宅などの価値が経済の中で比重を増し、こういった資産から生まれるリターン(収益)が経済成長率や所得(フロー)の増加率を上回るのが「21世紀の資本主義」だというのがピケティの見解でした。広井氏はこの考え方を下敷きにしながら、だからストックの分配・再分配、ストックレペルの「社会保障」が必要になるというのです。ストック、つまり金融資産や土地、住宅などの分配・再分配ということになると、キャピタルーゲイン課税の強化、所得税、固定資産税の累進課税の強化、土地・住宅の公有化などが考えられます。こうした「ストックの社会保障」は、たしかに「社会主義的要素」といえるでしょう。

広井氏の議論はさらに進んで、生産や労働、資産などの大もと、「富の源泉」である自然(土地、エネルギーや環境)を人間が使うことにも課税することで、再分配・社会化を進めるというアイデアを打ち出しています。つまり、土地や資源、環境を共有財産として社会的に管理し、フローやストックでの経済的格差を是正するにとどまらず、広く人間生活の大もとになる共有財産を分かち合う考え方だというのです。

このようなコンセプトにもとづいてかたちづくられる社会のことを広井氏は「緑の福祉国家/持続的福祉社会」と呼んでいます。フローやストックの社会化・再分配が行われている国では、環境保全の実績も高く、福祉政策や環境政策のパフォーマンスは相関しあっている。それらを相乗的に高めるのが「社会化」だというのです。

「ポスト資本主義」は、経済社会の空間的単位という面からも論じられています。

すなわち、経済社会が成り立つ空間は、①コミュニテイ(ローカル)--②国民国家(ナショナル)--③市場(グローバル)という3つの層から成り立ち、①から③へと広がってきたと考えられるのですが、人間関係の性質という面から見ると①は人間同士の助け合い(互酬性・共)にもとづいてまとまり、②は政府による調整(再分配・公)によってまとめられるが、③の空間単位では、人々をつなぐ共や公の原理が成り立っていないため、もっぱら自分の「得」・利益をもとめて行動する。ロバート・ライシュの言葉で言えば、投資家や消費者ばかりがいることになるので、「超資本主義」になるわけです。

しかしいまや、ナショナルな空間では、モノやサービスの供給・需要が飽和し、グローバルな空間ではマネー経済がバブル崩壊を繰り返していて、いずれも持続可能性を失っています。いま人々が必要としはじめているのは福祉、環境、まちづくり、文化といった「現在充足的」(必要充足的)な領域における活動やサービスです。そこに浮かび上がってくる経済は「地域内循環」を基本とした「コミュニティ経済」だというのが、広井氏の見解です。

広井良典氏の「ポスト資本主義」論は、大変興味深いものですが、そこに描かれている「定常型社会」は、人々がローカル・レベルで共同体をつくり、大もとの富の源泉である自然から果実を引き出し、自分の必要を充足するとともに他人と自然の富を共有する。コミュティでは解決できない問題や不平等が起こったらナショナルーレペルの再分配・社会保障機能を働かせる。こうして、資本主義社会よりも、スローな時間の流れの中で生活するというイメージです。

これはどこか、その昔ジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソーが描いた「自然状態」、「社会契約」に通じるところがあります。文学や映像の分野で言えば、トルストイの『イワンのばか』や宮崎駿の『となりのトトロ』、倉本聴の『北の国から』、ドイツの児童文学者ミヒャエル・エンデの『モモ』や『オリーブの森での対話』などとも共通するコンセプトのように感じられます。

もっと言えば「ストックの社会化」や「地域内循環=コミュニティ経済」、「自然価値の社会化」「定常型経済」などは、宮本憲一氏や宇沢弘文氏などが、年来論じてきた「社会的共通資本」「内発的発展」、「維持可能社会」、金子勝氏の市場の中に公共空間を埋め込む「ルール・カップリング」などの理論にも通じるところがあるように思います(以上、宮本憲一『社会資本論』有斐閣、『現代日本の都市と農村』NHKブックス、『維持可能な社会に向かって』岩波書店、宇沢弘文『社会的共通資本』岩波書店、金子勝『新・反グローバリズム』岩波書店などを参照)。

「自然状態」とか「トトロ」「イワン」となると、多分にファンタジックなユートピアと受け止められそうですが、いずれも「資本主義以前」の人間や社会を描くことで、「資本主義以後」への想像力をかき立てる作品群だということが重要です。

水野氏や広井氏、ライシュやサンダースを眺めていると、いよいよ資本主義の向こうを考えようとする思想や理論の流れが輩出してきたという思いを深くしますが、同時にその前に卜ランプのような得体のしれない思想が立ちふさがろうとしているのかもしれないわけで、やはり「何か起こるかわからない時代」というイメージヘ後戻りします。
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図書館と本屋は本と等距離にある

図書館と本屋は本と等距離にある

 図書館と本屋との関係を配置から考えると、本との等距離にしていく。

 本を作る過程の会社とか、本を読む場所などが本と等距離になる。

 車と自転車も交通手段として、等距離にしていく。あくまでもky理が等しいのであって、優劣とかはない、バスト化などの交通機関も同様になる、
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図書館と本屋との関係

『図書館100連発』より ⇒ 私の場合は、本屋で見つけて、図書館に注文する

 館内に本の注文票を設置

  市内にある書店での本の購入を斡旋している図書館がある。愛知県の田原市中央図書館では、予約数が多くてすぐには借りることができない本や手元に置きたい本などを市内書店で購入することを勧めている。人気本を予約させてただ待たせるのではなく、待てない人には購入を勧めるという手法に転じた点が斬新だ。

  また、図書館で借りて気に入ったので手元に置きたいというニーズも、市内書店での購入を勧めることで満たそうとしている。無料の原則にこだわり、購入を勧めることが難しい図書館が多いなか、田原市中央図書館では、はっきりと購入を勧めている。また、無料で本を貸し出す図書館は市場での本の売り上げを下げるという意見もあるが、借りてみて気に入った本であれば自分の手元に置きたい、と思うのは読書をする人にとっては自然であるように思える。そこに地元の書店への橋渡しがおこなわれることで、地域の活性化にもつながっているのではないだろうか。本を売る書店と本を貸す図書館とは、決して対立するものではなく、このような形で連携することも可能なのである。

  また、福島県の白河市立図書館では、館内に本の注文票を置いている。読み終わった本を手元に置きたいと思った人が本を返すときに、その場で本を注文できる仕組みである。ここで注文すれば、あとは地元書店からの連絡を待つだけだ。利用者からすれば手間をかけることなく本を入手することができるうえ、地元の書店にも利益をもたらすことができる。

  いまや本の購入は「Amazon」にばかり頼りがちだ。早くて手間もかからない。しかし地元書店にふと足を運んでみると、居心地がよかったり、店主と仲よくなっていい情報を得られたりと思わぬ出会いがある。そんな地元書店の未来に、少し手間でも注文書で1票を投じるのは意義深いことでもある。

  図書館を生かした地元書店とのいい関係が、小さな工夫から生まれようとしている一例だと言えるだろう。

 書店売れ筋も紹介

  図書館でのベストセラーの扱いについては、物議を醸してひさしい問題の一つではあるが、市立大町図書館では「書店におけるベストセラー」という掲示物をっくり、書店が発信する情報と絡めた情報提供をおこなっている。

  新聞に掲載された本の売り上げランキング記事を切り抜いて、図書館で所蔵しているタイトルにはマーカ-でラインをつけ、請求記号を赤ペンで追加するだけというシンプルなものだ。出典として何月何日付の何新聞かという情報も補記してある。

  情報の更新がなかなか難しい掲示板に、定期的にこのような情報を追加すると、掲示板という存在に利用者の興味を引くことができる。手軽にできるので、試してみてはどうだろうか。
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近代ドイツ バイエルンにおける国民統合

『近代ドイツの歴史とナショナリズム/マイノリティ』より 「はじめにナポレオンありき」 プロイセン改革

一七九七年から一八〇六年にかけて、フランスは西南ドイツ・中部ドイツを征服した。一八○三年二月二五日、フランスと「仲裁者」ロシアの主導権のもとで、帝国代表者会議主要決議が決定された。全文八九条にわたるこの決議は旧来の領邦体制を大きく変え、「諸侯革命」と呼ばれるにふさわしい国制変革であった。弱小領邦の領土没収とその再分配が行われ、ここにバイエルンやヴュルテンベルク、バーデン、ヘッセンなどの新たな領域が誕生した。

一八○六年、ナポレオン支配のもとで、クーアバイエルンを中心にフランケン地方、シュヴァーベン地方、プファルツ地方を併合するかたちでバイエルン王国が成立した。それは、異質な諸地域の再編成の意味合いをもった。そこで、初代首相モンジュラが実践したのは、「上からの革命」によって封建制を打破し、それら諸地域の自立性を解消することであった。その点で、彼は「近代的・集権的なバイエルン統一国家の創始者」と呼ばれるのである。

モンジュラは、一七九九年にバイエルン選帝侯国の実質上の首相として政治の舵をとって以来、精力的に諸改革に取り組んだ。中央統治機構の改革(四省からなる中央政府の設置など)をはじめとして、領邦総管理府という名前の行政機構の設置、行政官庁と裁判官庁の分離、宗派の平等体制の導入、カトリック教会への統制強化、官僚の任免・待遇を定めた服務基本法の制定、官僚の採用試験の実施、軍制改革と徴兵制の導入などがそれである。

モンジュラによって起草された憲法は一八〇八年五月一日に公布され、一〇月一日に発効した。それは、一七九九年以来のモンジュラ改革政治を総括し、バイエルンを近代的な統一国家に編成替えする枠組みを与えた。主要な中身は、全国のクライス(管区) への分割、クライス議会およびその選出による国民代表機関の設置、五省からなる内閣と最高審議機関としての枢密院、三審制に立つ司法制度の整備などである。それはバイエルンの国家統一をめざすものだったが、結局実施されずに終わった。憲法の制定は、一八一七年のモンジュラの罷免後、一八一八年憲法が典型的な欽定憲法として公布されるまで待たねばならなかった。

国制の方向はモンジュラ時代に定められた。モンジュラ時代は「国家絶対主義」の時代と評されているが、彼の何よりの目的は、近代的官僚によるバイエルン統一国家の形成であった。つまり、モンジュラは、従来の「家産官僚」(官職の売買・世襲、中央からの相対的独立性などによって特徴づけられる官僚)に代わって、専門職としての試験によって任用され、国家への帰属意識をもつ官僚による国家統合を推進しようとしたのである。ここでは、そうした官僚に支えられた行政は、政治や法、経済、社会、住民生活、信仰のあらゆる分野にまで及ぶものになった。したがって、不均質で、すぐれて伝統社会にいる住民は、拡大する行政活動によって、しだいに一個の「国民」という枠組みで把握されたのである。

もちろん、住民の「国民化」や社会の全般的な方向転換は一朝一夕で成し遂げられるものではない。民衆の意識はなお伝統に縛りつけられており、法や土地支配、経済の面で、統合・近代化に抵抗する伝統的な諸要素は存続していた。ゲマインデ(市町村)は特殊地方的な公権力を行使した。しかし、にもかかわらず、官僚の管轄領域は広範に及び、社会の変化をもたらしたのである。

この点で、注目すべきなのは、公制度による国民統合、つまり民衆学校の義務教育化であった。バイエルンでは、一八世紀後半には、すでに領邦権力によってそうした方向への動きは始まっていた。しかし、絶対主義官僚と聖職者との権限争いや伝統主義者と啓蒙主義支持派とのあいだの教育目的をめぐる争い、そしてまた資格ある教師の不足などのために、それは実現されずに終わっていた。そうした事態を変えたのが、モンジュラによる国家官僚制の確立である。ここでは、学校教育にも重要な位置が与えられた。その中核となったのが、一八○二年の義務教育の導入である。それは六歳から一二歳までの児童に就学義務を課し、翌年には、日曜学校と祭日学校について、家内労働や手工業に就いている一八歳までの年長の少年少女にまで拡大された。

一八○二年の法令は、さまざまな罰則規定を設けることによって、児童を強制的に就学させようとした。児童を就学させない親に対しては罰金が科せられたし、民衆学校の卒業証明書が児童の将来を拘束するものと位置づけられもした。証明書は児童が手工業に就いたり、結婚したり、農場や家屋を取得したりする場合の前提条件とされたのである。このように、バイエルン国家は、親のみならず児童そのものまでも拘束し、国民統合の実を上げようとしたのであった。

それでは、こうまでしてバイエルン国家は民衆学校に何を求めようとしたのであろうか。民衆学校はまず、国家公認の価値や規範、理想像を教え込み、有益な知識を伝えることによって、バイエルン社会を統合する課題を担った。あるいは、一八○六年の教師通達が述べているように、「もっとも神聖でもっとも重要な問題について国民を教育し、民衆を啓蒙すること」をめざしたのである。ここでいう国家の価値またはもっとも重要な問題とは、児童を「国民」「愛国者」にすることだった。「美徳」「服従」とかの一般的な価値も教えられたが、それらも民衆学校が教え込む実際の政治的態度、つまりバイエルン愛国主義を基礎づけるものだったのである。とくに、学校で教えられる歴史像、学校唱歌や学校行事での君主崇拝をとおして、あらゆる地域で、従来の領域支配の伝統に代わり、バイエルン王家やバイエルン国家への忠誠心が打ち立てられることになっていた。

最後に、一八〇五年の軍制改革にも注目しておきたい。一八〇五年一月に、一般徴兵制が導入された。一六歳から四〇歳までの男子は、原則として、八年間の軍役を義務として課されることになった。兵役を終了しなければ国内での定住や結婚は認められず、公職にも就けなかった。軍隊は、地域的差異を克服して国家を意識させ、地域に根差したさまざまな民衆意識を均質化する。機動演習などを通じた軍隊の経験は、民衆の視野を地域から国家レべルに押し広げた。また、兵士の国家儀礼への参加も彼らの国家意識を強め、バイエルン王家への忠誠心を培った。このように、一般徴兵制は、民衆をバイエルン国家に統合していくうえで不可欠の役割を果たしたのである。

一九世紀初めのバイエルンは、確実に国民国家への道を踏み出し、国民国家としての国内体制を作り上げつつあった。
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ブラジル 専制的な家父長の人間関係

『ブラジルの人と社会』より 家族制度の展開 ⇒ 典型的家族制度がどのように変遷するのか

家父長制家族は、基本的には血族と姻族によって構成されていた。その中心的核は、家族の長、その妻、嫡子、孫から成っていた。この核の周辺に家父長制家族の補助的成員として親族、非嫡子あるいは家人の子ども、代父母、捨て子、友人、寄宿人、雇い人、奴隷がおり、家父長制家族は多様な構成員を集合させた拡大家族でもあった。さらに、この家父長的拡大家族の影響下に零細農ラブラドル、モラドル、ホセイロ、シチアンテ、自由労働者、移住者といった貧農が組み込まれるというかなり複雑な様相を呈する家族構造であった。

血のつながりも婚姻関係もないが、その他の社会的な関係によってつながっていた擬制親族をも含む家父長制拡大家族の家長は妻、子ども、その他の従者に対して絶対的な権威を行使して一族の財産の管理、増大を計り、家族の系図と名誉を保持することがその主要な役割であった。家長の権威は絶対的で、生殺与奪権さえ有していた。レイタンというペルナンブコのある家長は、ある日、自宅の裏庭にハンカチが翻っているのをみた。そのハンカチは娘が干したものであった。それがどこかのドン・ファンに対する娘からの合図であると確信したレイタンは、自分の名誉を汚すものだとして直ちに、ナイフを抜いて娘の胸を刺してしまった。

こうしたカザ・グランデ内の秩序は、基本的にはイベリア半島からもたらされた家父長制を基盤にしていた。しかし植民地のブラジルでは、植民地政府の権限が砂糖きび農園内に及ばず、白人女性が稀少であったために、カザ・グランデの家長の権力はさらに強化された。まさに、家長は法的にも精神的にもドンだったのである。

ブラジルの植民地時代で家族が政治、経済、社会の単位である以上、婚姻は重要な役割を担うものであった。すなわち、それは財産の分散を防ぎ、時には増大につながり、一族の成員を増やすことで政治力及び社会的威信の拡大につながった。また、奴隷制社会では婚姻は一族の高貴な血統を守る役割も担っていた。したがって、婚姻は個人的事柄ではなく、きわめて社会的、かつ政治的事柄であり、家長に配偶者の決定権が握られていた。こうした目的を達成するための好ましい手段として、自集団内に婚姻相手を求める内婚制がとられた。同時に、家族内以外に自分の世界をもてなかった家父長制下の女性にとって、同じ屋根の下に住むオジやイトコは、初めて出会う異性でもあった。パライバ渓谷のコーヒー大農園主の一族7世代(1780~1900年)の婚姻62件のうち、親族間の婚姻は26件を数え、その内訳はイトコ婚20件、オジ・姪婚3件、オバ・甥婚1件、兄嫁婚2件であった。

婚姻による新しい結合が一族に政治的に有利である以上は、その婚姻は早期になされることが期待され、子・どもの早熟が好まれた。 19世紀ブラジルの独立時代、リオで生活をしたフランス人医師は、ブラジルには子どもがいないと書き残している。家父長制度下でブラジル人が子どもとして扱われるのは5歳までで、それ以後は大人になるためのさまざまな訓練を受け、10歳くらいには大人としての態度と行動が期待されていた6.しかも男性には、性的早熟も期待されていた。女性は12~14歳が結婚の時期とみなされていた。娘が15歳を過ぎても未婚でいると、両親は聖人に願をかけたり、場合によっては修道院に送った。婚姻が一族の結束を強化する目的であったことは、12~14歳の少女の結婚が30歳や40歳、時には70歳のオジやポルトガル大商人との間で行われた記録をみても充分に理解できよう。

結婚披露宴はカザ・グランデの最も見栄を張る行事で、その宴は一週間も続いた。それは、一族の社会的威信を示す機会であった。花嫁道具で飾られた寝室を披露し、牛、豚、七面鳥を殺して宴に供し、テーブルはたくさんのデザートで飾られた。カザ・グランデの中では白人奴隷主たちがヨーロッパ風のダンスを舞い、中庭では奴隷たちがアフリカの踊りを踊って結婚を祝った。喜びの印として奴隷が解放され、また花嫁には奴隷が贈られた。

華やかな結婚披露宴とは対照的に、花嫁にとって結婚は、父親の圧政から夫の圧政へと移行する儀式でもあった。娘時代はすべての自発的行為は否定され、幼い子どもと同様に常に父親に依存する者として扱われた。年上の人に口応えをしたり、目立つ娘には採るなどの体罰が加えられた。内気で謙遜であることが好ましいとされた。このため、家族以外の人の前では声すら上げることができなかった。娘の部屋は外部に面した窓のない家の内部に設けられ、夜は不寝番がついた。当時ブラジルの農村を訪れた外国人の記録によれば、一週間まったくその家の女性に、一人として出会うことがなかったという。

奴隷主に「セニョール」の敬称をもって話すことが奴隷に義務づけられていたと同様に、奴隷主の子どもたちにも両親を「父上(SenhorPai)」、「母上(Senhora Mae)」と呼ぶことが強いられていた。「お父さん(Papai)」、「お母さん(Mamae)]と呼ぶことが許されたのは幼児期の5歳までであった。12~13歳で幼い妻になると、奴隷主の自分の夫を女性は奴隷同様「ご主人様(Senhor)」と敬称で呼ばねばならなかった。しかし、精神的にも肉体的にも母親になるには未熟であったカザ・グランデの幼い妻は出産と同時に死ぬか、たとえ無事出産できても人形ではなく、本物の乳児を育てることは不可能であった。奴隷主の子どもの養育を一手に引き受けたのは、「黒いお母さん」と呼ばれた黒人の女奴隷であった。

家父長制社会では外部世界は男の世界であって、女の世界ではなかった。女性の役割は、さまざまな家事の采配を振ることであった。19世紀の奴隷主の家族生活を記録した司祭ロペス・ガマ(Lopes Gama)は、当時伝統的な習慣が崩れて、土地貴族の女性たちが家事を疎かにして社交生活に専念し始めたことに憤慨し、家族の良き母親としてあるべき姿を次のように書いている。「朝4時には起きて奴隷たちに一日の家事をいいつけなければならない。薪を割り、竃の準備をさせ、カンジャ(日本の粥に類似したもの)の材料となる鶏を選び、夕飯の支度をさせなければならない。そして家の者の衣服を縫ったり、繕ったりすることや、石鹸、蝋燭、ワイン、リキュール、ケーキ、ゼリーなどを作ることを奴隷に指示しなければならない。こうしたことは、すべて奴隷主の夫人が監視していなければならないことで、時には鞭を手にしてすることである」。

このように家父長制下の女性の世界は家の中に限られていた。出産と家事が女性の主要な役割とされ、その世界は家族及び親族、司祭、奴隷との接触のみに限られ、自由は制限されていた。精神的にも物理的にも、女性は幽閉された生活を余儀なくされていたのである。

妻や娘が男性の圧政下に置かれたのとは対照的に、男性には最大の自由が与えられていた。女奴隷との性的交渉は頻繁に行われ、妻はそれを黙認しなければならなかった。夫にとって、こうした放縦を謳歌するのに妻の存在が多少でも不都合であれば、妻を修道院に入れてしまうことさえあった。かくして家長は一族の数を増し、政治及び経済的力を増大するのであるが、このことは家父長家族内に嫡子と非嫡子が一緒に生活するという、ブラジルの奴隷制社会の特異な家族形態を出現させることとなった。

先述したように19世紀中頃、ブラジルに滞在したイギリス人女性は家父長制家族の日常生活を描写した中で、若い母親が、自分の子どもと一緒に庶子を分け隔たることなく育てているのを見て驚いたと同時に、それをブラジル社会の庶子7に対する寛容な態度と評価している。

未成年の男子も父親の圧政の下に置かれた。女性と同様に父親を「セニョール」の敬称を付けて呼ばねばならず、年上の人の前では口を挟むことも許されなかった。結婚するまで、父親の前でタバコを吸うには許しが必要であった。同様に、髭をたくわえるのにも、父親の許可を得なければならなかった。先述のイギリス女性は次のようにブラジルの親子関係を記録している。「口髭をたくわえた息子が、父親の前で喫煙の許可を得る光景に出会うことは珍しいことではなかった。両親は常に息子たちを三人称で呼んだ。また自分自身をも子どもたちの前では三人称で扱い、時にはセニョール、セニョーラの敬称を自分自身に使用した。こうしたことはすべての社会階層の人びとの間でみられることであった」。

家父長制社会では成人男性と未成年男性との社会的距離は大きく、それはあたかも人種やカーストが異なるかのように違っていたのである。このため、成人した男性の威信の大きい家父長制社会では幼児期が短く、早熟が好まれたのである。若者は青年ではなく老人を真似た。髭をはやし、老眼鏡をかけ、もったいぶった顔つきをして、青年期のすべての輝きや喜びを隠してしまったような雰囲気を漂わせていた。なかには未成熟であることを隠すために、髭を書いている者さえいた。

成人していない息子に対する父親の支配は生殺にも及んだ。家長は家族の大義のためには絶対者であった。エンジェニョのカシューの樹の下で、多くの父親は家父長主義の過酷で悲しい行動をとらねばならなかった。黒人奴隷ばかりでなく、自分の息子や娘を殺させた。ミナスのカピタニアの金鉱地帯ピタンギで、18世紀初頭に起こったことである。翁の敬称をもって呼ばれる奴隷主タイパという家長がいた。その娘マルガリーダは、ポルトガル王国から来た若者と結婚した。ある日、一人の女性がポルトガルからこのピタンギにやって来た。その女性は娘婿のポルトガルの妻であった。タイパ翁はこのとき、自分で斧をもち出してきて、その婿を二つに割り、一つを娘に、もう一つは夫を探しにきた女性に与えたという。このように、家長の自分の家族に対する管理は、非情なものでさえあった。
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幕張での乃木坂全握をリアルタイムで見ていた

高度サービス

 高度サービスはおもてなしではない。サービス自体が意味を持つモノです。スタバのIさんの言動から気付きました。原価50円もしないものを400円で売っている。その間を埋めているのは、私たちのサービスという意識。

 その意識を持たせること、それによってお客様ひとりに接する力をもたせる。サービスが価値観をもっている。

 これは乃木坂の握手会も一緒です。付加価値だけの世界です。その為に二万人も集り、4時間も黙って待っていて、10秒以下のサービスに凝縮する。これほどリアルでバーチャルな世界は珍しい。モノづくりでの製造コストは本当に安いです。サービスのために人は来るし、それが循環する

上海の自転車シェアリング

 上海の自転車シェアリング、これは一つの方向を示している。これを宅配サービスとつなげる。自分がイメージしたものが現実になっていくのは楽しいものです。自民党政治のように、あらぬ方向に向かうよりもはるかにいいでしょう。

 今のところ、中国の自転車シェアリングぐらいですね。未来の社会が見えるのが!

池田晶子さんの語録の本

 『絶望を生き抜く哲学』で池田晶子さんの語録の本が出たのは有り難いけど、一番の特徴である家族観の部分が抜けている。また、宇宙の旅人のような感覚に触れていない。表層的に見ています。題名も売るために付けられている。

 「生きることは考えること」「考えるのは生きること」と池田晶子さんは述べている。彼女の思想を体現した世界の兆候がない時代に生きていた。現象もはるかに離れたものであった。そんなしょうもない現象にコメントして、遙かな世界を語っていた。

図書館と本屋の連携

 『図書館100連発』では図書館内に書店へのほんの注文書を設置するケースが載っていた。図書館の予約が一杯だから、本屋に注文してはいかがですかという呼びかけ。これは逆のケースの方が現実的。

 本屋で読みたい本を探して、それを図書館に注文するやりかた。2週間程度で入手できたことがあります。そうすれば、皆にも読んでもらえる。図書館の選書が偏っている場合に有効な手段です。

 図書館の選書規準は分かりにくい。特に偏りは判断しにくい。豊田市もTRCになったことで、新刊書の傾向が変わったのは確かだけど、具体的にどう変わったのが判別されるには1年以上掛るでしょう。それを救うのが市民からの本のりクエストです。新聞社のコーナーよりも自分の感覚によった方がより、具体的です。

バッハの無伴奏チェロ曲

 『チェロ基本教本』での収穫は、久しぶりにバッハの無伴奏チェロ曲が聴きたくなったことです。フルートを習っていたときに、これが分からないと音楽が分からないと言われて、カワされた。最初はギコギコした音が曲になって、やみつきになった。

幕張での乃木坂全握をリアルタイムで見ていた

 「幕張」をyahoo!リアルタイムで見ている。面白い! 今日は欅のミニラで、明日は乃木坂のミニラになるんだ。ユニットのライブは少ないから、人は朝から集まる。

 幕張メッセには東富士の時によく行ったなー。日本で最初のマックワールドは新鮮だった。アラン・ケイを見るためにも出掛けていった。

 ワールドホビーフェアでコロコロの連中も幕張と言うことは、大人=AKB、若者=欅、子供=ワールドホビーという図式ですか。

 ところで、皆が使っている「swarmapp」って何? スマホでのコミュニケーションツールらしい。

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