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内乱記 アレキサンドリア図書館の蔵書消失 

『カエサル戦記集 内乱記』より ⇒ アレキサンドリア図書館の蔵書消失の歴史を知りたかった。「アレキサンドリアのヒュパティア」以前の歴史 ⇒ カエサルが焼失させたとは聞いていた。彼の著作には図書館が出てこない。文化レベルの差なのか。

 第三巻

 一〇三 こうした状況を知って、ポンペイウスはシュリアに向かう考えを棄てた。資金を徴税請負人組合から収用するとともに数人の私人からも借用し、兵士への給金とするため大量の銅銭を船に積み込んだ。二〇〇〇人を武装させたが、一部は徴税請負人組合の奴隷から選抜し、一部は事業者たちに強要して集めた。事業者たちはそれぞれ手持ちの奴隷から適格と判断した者を差し出した。そして、ポンペイウスはペールーシオンに着いた。その地にたまたまプトレマイオス王がいた。年齢のうえでは少年だが、大軍を率いて姉のクレオパトラと戦争をしていた。数カ月前に近親者と友人の力を借りて姉を王国から追放していたが、いま、彼の陣営とクレオパトラの陣営はそれほど離れていなかった。彼にポンペイウスは使いを送った。「父上との賓客関係および友情を顧慮して、私をアレクサンドリアに迎え入れてくれ。王の権勢で災厄のどん底にある私を庇ってほしい」。ところが、ポンペイウスが遣わした者たちは使いの用向きを終えると、王の兵士らと露骨なもの言いで話を始めた。「諸君はポンペイウスヘの務めを果たせ。彼の武運を見くびるな」と言って聞かせたのである。ここには相当数のポンペイウスの兵士がいた。ガビーニウスがシュリアでポンペイウスの軍隊から移管を受け、アレクサンドリアヘ移送した兵士らで、戦争終了後も少年王の父プトレマイオスのもとに残っていたのである。

 一〇四 このことを知った王の友人たちは--王が年少であるため王国の運営に当たっていたが--あとで彼らが広言したように、ポンペイウスが王の軍隊を唆し、アレクサンドリアとエジプトを占領しまいかと恐怖心に駆られた。あるいは、ポンペイウスの武運を見くびったのかもしれない。災厄が起きた場合、友人が敵に変わることはよくあることだからである。彼らはポンペイウスが寄越した者たちに表向きは丁重な返事をした。ポンペイウスが王のもとを訪ねるように、と言ったのである。しかし、裏で計画が立てられた。彼らは、アキッラースという国王軍司令長官でまれに見る命知らずの男と、軍団士官ルーキウス・セプティミウスとをポンペイウス暗殺のために送り出した。ポンペイウスはこの者たちから丁重な挨拶を受けた。セプティミウスとは面識もあった。彼は対海賊戦においてポンペイウスのもとで百人隊長を務めていたからである。彼らの小舟にポンペイウスが少数の部下とともに乗り込んだとき、彼はアキッラースとセプティミウスによって殺害された。ルーキウス・レントゥルスも王によって捕らえられ、監獄で殺された。

 一〇九 この問題の審議がカエサルの前で行なわれた。カエサルが第一に望んだのは、双方に共通の友として、また裁定者として王室内の対立を調停することであった。ところが、突如、王の軍隊と全騎兵がアレクサンドリアヘ向かってきているという知らせが入った。カエサルの兵力は決して十分ではなく、城市外での戦闘になった場合には信頼を置けなかった。残された策は、そのまま城市内に留まり、アキッラースの目論見を把握することであった。それでも、兵士には全員が武装するように命じ、王にはこう求めた。「あなたの側近のうちでもっとも影響力のある者たちを使節としてアキッラースのもとへ差し向けよ。あなたの意向を教えてやるのだ」。王はディオスコリデースとセラーピオーンを遣わした。この二人はともにローマヘも派遣されたことがあり、父王プトレマイオスのもとでは大きな影響力を有していた。彼らがアキッラースの面前に出ると、アキッラースは聞く耳をもたなかった。派遣の用向きを知ろうともせず、すぐさま取り押さえて殺せ、と命じた。二人の一方は傷を受けたとき体を部下が確保し、死んだものとして運び去った。もう一方は殺された。このあと、カエサルは王を自分の権限下に置くこととした。王の名前が臣民に大きな影響力を有すると考えたからである。また、王ではなく、少数の悪党による勝手な企みから戦争が始まったと思われるように仕向けた。

 一一〇 アキッラースが率いる軍勢は、数の点でも、陣容の点でも、軍事経験の点でも侮ることができないと思われた。実際、二万名の武装兵を擁し、この中にはまず、ガビーニウスの兵士らがいた。彼らはいまやアレクサンドリアの勝手気ままな暮らしに慣れきって、ローマ国民の名と規律を忘れ去っていた。この地で妻を娶り、ほとんどの者が子供をもうけていた。これに加えて、海賊や山賊であった者たちが属州シュリアおよびキリキアや近隣諸地域から集められていた。さらに、死刑囚や流刑囚が多数集まっていた。われわれのところから逃亡した奴隷もみなアレクサンドリアに来れば確実に匿ってもらえるし、命が保証された。そのための条件は、名前を言って兵士として登録することだけであった。そうした奴隷の誰かが主人に捕まった場合、兵士たちが結束して救い出した。彼らは、自分たちが同様の罪に手を染めていたので、仲間を脅かす力の行使をみずからに対する危険であると見なして防衛した。いまこちらで王の友人らに対する処刑要求があるかと思うと、あちらでは富裕者の財産略奪があり、給与増額のために王宮を占拠する一方で、王国からある人々を追放して別の人々を呼び戻すといった類いのことは、昔からアレクサンドリアの軍隊では習慣的に繰り返されていた。この他に騎兵二〇〇〇騎がいた。以上の兵員のすべてがアレクサンドリアで戦争経験を重ねていた。父王プトレマイオスを王位に復権させ、ビブルスの二人の息子を殺害し、エジプト人と戦争したことがあった。こうして軍事経験を積んでいたのである。

 一一一 アキッラースはこれらの兵力に自信を持ち、兵員が少ないカエサル軍を見下してアレクサンドリアをほぼ占領した。残るはカエサルが兵士らとともに占拠していた地区だけであった。アキッラースは最初の攻撃でカエサルの拠点への突入を試みたが、カエサルは道路に大隊兵を配置して攻撃を持ちこたえた。時を同じくして港でも戦闘が起き、これによって戦いは激烈さをきわめることとなった。実際、兵士がいくつもの街路に分散して戦いが行なわれると同時に、敵は大部隊で軍船を乗っ取ろうと企てていた。軍船は五〇隻がポンペイウスのもとへ派遣されたが、テッサリアでの戦闘終了後に帰還していた。全船が四段擢船か五段擢船で、すべての舗装を済ませて航海の用意ができていた。この他に二二隻がアレクサンドリア守備のためにつねに残されることとなっており、これらはすべて甲板を装備していた。これら艦船が仮に敵の手に落ちたとすれば、敵はカエサルの艦隊を奪ったうえで、港と海を完全に支配下に置き、カエサルを物資補給や援軍から孤立させることになろう。かくして、戦意と戦意の激しい衝突は必然であった。一方は迅速な勝利が、他方は自身の助かる道がそこに開けることを見ていたからである。しかし、カエサルの方が勝機を掴んだ。それら艦船のすべてに加えて、船渠にあった艦船を焼き払った。(197)それだけ広い範囲を少ない兵力で守ることは不可能だったからである。そして、すぐさま船でパロスヘ向かい、兵士らを上陸させた。

 (197)このときの火災でアレクサンドリア図書館の蔵書数十万巻が焼失したと言われている。
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インターネットによって人々は幸せになったか?

『経済は、人類を幸せにできるのか?』より 人類学上の怪物の誕生--〈ホモ・エコノミクス〉

グローバリゼーションは、結局のところ、ハイブリッドなプロセスだ。グローバリゼーションは、まず大きな後退を引き起こしたと思われる。三〇年代を彷彿とさせる危機を生み出したグローバリゼーションは、国家という古い情念を目覚めさせ、貿易を国家間の戦争と解釈する重商主義を復活させた。しかしその一方で、グローバリゼーションは、相互に緊密につながる地球規模の新たな社会の舞台でもあり、中世の疫病の大流行を想起させる、新たな病理を出現させた。

かつて電気が生産現場や社会空間を根源的に再編したように、新たなサイバネティックな世界において、インターネットは電気と同じような役割を担っている。世帯に登場した電気製品であるテレビは、人々の生活を静かに揺るがした。ハーバード大学の高名な社会学者ロバート・パットナムによると、テレビによって人々は個人主義的になり、社会的格差を容認するようになったという。彼はアメリカ人の「社会関係資本」を毀損したのはテレビだと批難した。今日、ソーシャル・ネットワーキングサービス(SNS)が公共空間を変革している。では、SNSをどのように解釈すればよいのだろうか。SNSは、市民意識を復活させるのだろうか。もし復活させるのなら、それも世界規模においてである。

パットナムは、SNSのそうした役割に関して否定的だ。ヴァーチャル・コミュニティー(仮想共同体)は語義矛盾だと考える彼は、「インターネットは、ホッブズが描写した自然状態に近い」と記している。今日、インターネットには二つの相反する傾向がある。一つはテレビに似た傾向であり、もう一つは電話に似た傾向だ。そして両者は、正反対の方向に作用している。映画『ソーシャル・ネットワーク』は、マーク・ザッカーバーグがフェイスブックを発明した経緯を紹介している。ハーバード大学の学生を対象に美人コンテストをオンライン上で企画したザッカーバーグは、このコンテストが人気を集めた理由は、投票者がすでに会ったことのある女学生に投票するからだと発見した。フェイスブックは、知り合いどうしをつなげたのである。電話でも同じ「発見」があった。世界中どこにでも電話をかけることができる。だが、おもに電話をかけ合うのは、同じ街で暮らす人々の間においてである。経済学者風に表現すると、電話は、実際には距離的に近いことの「補完」財であって「代替」財ではないのだ。今日のインターネットの利用においてもそうであるように、電話によって人々がっながる地理的距離はきわめて短い。

一八七六年に電話を発明したグラハム・ベルは、自分の発明がどのように変化するのか、まったく予想できなかった。彼は、電話が後のラジオのような役割を果たすのではないかと考えていたのだ。アントニオ・カシリの詳細な報告によると、一世代の問に、事前に想定されていた電話の役割と、実際の利用法は大きく異なったという。とくに、電話は企業だけが利用し、私的なおしゃべりには、あまり利用されないと思われていたのだ。

今日でも同じような誤解がある。フェイスブックがもたらしたイノべーションは、当初、過小評価された。しかしフェイスブックは、二人のおしゃべりを多角的なおしゃべりに拡大した。ささやかな変化だと思われるかもしれないが、これはメディアのあり方を揺るがしている。デジタルの世界では、現代社会固有の権利であるプライバシーが後退した。恒常的な人口過多だった農村社会では、プライバシーなど望めなかった。自分と他者の間の「安全な距離」(ハンナ・アーレント)が登場したのは近代になってからだ。現在、その距離が縮小している。「目分のことを忘れてもらう」権利も失われた。二〇歳のころに参加したいかれたパーティーでの記念写真が、生涯ついて回るのだ……。

ホモ・デジタル(デジタル的人間)は、人格に対して古臭い考えを抱いているともいえる。シャン=ピエール・ヴェルナンが強調するように、古代ギリシア人は、他者の視線のもとで、そして他者の視線に対して常に「外在的」に生きていた。それは、自分は「私」である以前に「三人称」という存在だった。デジタルな世界では、今度は利用者が常に他者の視線にさらされるという、新たな社会生活かつくられる。そこでは、個性は前近代的な定義に戻る。そのような自発的な服従を、どのように理解すればよいのだろうか。アントニオ・カシリによると、そのためには、〝偉大なな兄弟(ビッグブラザー)〟による上からの監視と、「参加型の監視」を区別する必要があるのではないかという。ネット利用者は、自分がネット上につくる空間を使って、自分にとって有用な情報の流通を管理する……。そうはいっても結局は、自己と他者の関係は完全に変化したのだ。新たな社会的拘束がつくられたのである。

しかし、インターネットにより、別の世界もつくられた。その密かな世界でのルールは、フェイスブックのようなネットワークのものとはまったく異なる。インターネットによって、匿名の、しばしば複数のハンドルネームを利用した発言が増え、社会のルールは根本的に変化した。雑誌『ザ・ニューヨーカー』(一九九三年七月五日号)に掲載された有名な風刺画にあるように、ネット上では「誰もあなたのことを犬だとは思わない」のだ。フィリップ・ローズデールは、アバターとして行動できるこの新たな仮想世界を描き出すために、「セカンドライフ」というコンセプトを生み出した。

また、アントニオ・カシリが行なった日本のネット事情の研究調査では、個人が匿名で活動することによって生じる社会の新たな現実が明らかにされた。全員がハンドルネームで利用する電子掲示板「2ちゃんねる」には、世界最大級の二五〇万人の利用者がいる。2ちゃんねるでは、謙虚で礼儀正しく秩序を重んじる日本社会とはまったく正反対の表情が垣間見える。このサイトは、日本の最も紹介されない側面である、ポルノグラフィ、非合法、有名人や一般人に対する誹謗中傷などの話題で溢れかえり、それらの話題が辛辣な言葉で書き連ねられている。しかし2ちゃんねるでは、匿名の数百万人の利用者が「メンツを失う」ことはない。

インターネット利用者は、ネットに幸福を見出しているのだろうか。「インターネットと生活の満足感」というタイトルの調査からは、インターネットに費やす時間は、孤独と不満に正比例することが多いとわかった。この調査では、無作為に選ばれた一万三〇〇〇人以上の中国人が参加した(二〇〇四年と二〇〇五年)。インターネットに一時間費やすのは、友だちと一時間過ごすよりも、五倍も孤独感が強いという結果が出たのだ。Eメールを頻繁に利用するのも孤独感の表われだ。この調査は、インターネットが人々を孤独にしているとは、もちろん述べていない。むしろ実態は逆に違いない。つまり、孤独だからインターネットを頻繁に利用するのだろう。しかし、インターネットを利用しても、孤独感が和らぐわけではないようだ。
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経済発展にとって民主主義は必要条件か?

『経済は、人類を幸せにできるのか?』より 人類学上の怪物の誕生--〈ホモ・エコノミクス〉

経済的に豊かになるにつれて、中国も民主化するのだろうかという問いは、今後の世界を占ううえで最も重要だ。

一九八九年、べルリンの壁が崩壊しただけでなく、きわめて重要な出来事がもう一つ起こった。それは天安門広場のデモ鎮圧による流血事件だ。中国人は政治的な願いを抱いてはならないと思い知らされたのだ。そこで、「政治的な願いは、お金を儲けるという願いにすり替えられ、全員が一丸となって働くことになった。これが一九九〇年代の経済躍進のはじまりである」。余華はユーモアを込めて、中国が毛沢束を偉大な指導者と崇拝した時代から、「ファッション、エレガンス、魅力の指導者たち」を信奉する時代に、どのようにして移行したのかを語っている。彼によると、「〔……〕熾烈な競争や強烈なプレッシャーをくぐり抜ける努力は、まるで戦時中のような」時代になったのだ。

「一部の頭でっかちな西側知識人は、完全に民主的な社会でなければ、経済は急成長しないと信じ込んでいる。だが、政治面で情報開示のない国において、なぜ急速な経済発展を遂げたのだろうか、と彼らは首をかしげる」。余華によると、そのような「エネルギー」は、文化大革命によって解放されたという。人々に対する暴力も依然として変わらない。ただ、その表現方法が変わったのだ。若い学生たちは、毛沢東の次の文句を暗唱した。

「革命は、客を招いてごちそうすることではない。(……)革命は蜂起であり、ある階級が他の階級を転覆させることによる暴力行為なのだ」。

今日、この暴力こそが、経済的に豊かになりたいという欲望を説明している。

なぜかつての中国は、独裁体制であっても、縁故主義に陥ることなく、また汚職にまみれることもなかったのだろうか。これは西洋人にとって謎だ。しかし現在では、中国はそれら二つの悪にすっかり染まっている……。「若き太子」と呼ばれる高級幹部の息子たちは、親たちのポストを継ぐ。中国の新聞の一面にも、汚職事件がよく掲載されている。二〇一二年初頭、国際メディアも中国共産党の高級幹部の一人である薄煕来の失脚について大々的に報道した。薄煕来自身も「太子党」だった。彼の妻である谷開来は、懇意にしていたイギリス人の殺人事件に関与しているとして起訴された。おそらくこのイギリス人は、彼女を恐喝しようとしたのではないかと言われている。

余華は、民主主義と経済的繁栄との関係というお決まりの問いについて、皮肉を込め、次のように冷たく言い放っている。彼の解釈では、民主主義が欠如していたからこそ、急速な経済成長が実現したのだという。つまり、暴力を行使して住民を強制的に立ち退かせたからこそ、工業団地の用地が確保できたのだ。労働者を弾圧したからこそ、賃上げを抑制できたのだ。二〇〇九年一一月一三日、四川省成都市の住民だった唐福珍は、自宅を破壊しにやって来た役人たちに火炎瓶を投げつけ、自らは焼身自殺した。この事件をきっかけに、中国世論の批判の声は高まった。北京大学の五人の法学者たちは、そのような行政の対応は憲法違反だという見解を表明した。ところが、その一か月後の二〇〇九年一二月一六日、別の女性が買い物から戻ると、彼女の自宅は破壊されていた。

アナトール・カレツキーは、「国家主導型で強権的かつアジア的価値観をもつ資本主義」を「資本主義4・O」と形容した。シンガポールの指導者リー・クワンユーは、「アジア的強権主義」の擁護者を自認した。西洋の個人主義に基づく自由な価値観を軽蔑したクワンユーは、アジア・モデルは効率的であると同時に公正だと述べた。ところが、アマルティア・センは主著『自由と経済開発』の中で、クワンユーに反論している。

 「〔強権主義の〕軍事政権の指導者層よりも〔自由な価値観をもつ〕アウンサンスーチーのほうがビルマの人々の抱負を語る代弁者として認められているではないか。強権主義の立場から、孔子とプラトンを比較することなどできないだろう」。

〝自由〟を西洋の特性と捉えるのは、過去を現在と同じと決めつける誤った見方であり、そのような見方をする者は、西洋における宗教裁判や二〇世紀の悲劇のことなど、すっかり忘却している。

センによると、開発は各自の潜在能力の領域を拡大しなければならない。そして開発には、言論の自由が含まれるのだ。ところが民主主義は、経済的繁栄とは別の論理に従う。独立当初からイギリスの議会制度を導入したインドが民主国家なのは明白だ(ただし、一九七〇年代末にインディラ・ガンディーが民主制度を停止させた三年間は除く)。アフリカ南部のボツワナも、貧困国であっても非の打ち所のない民主国家になれる実例だ。一九六五年にボツワナがイギリスから独立したとき、大学生は二二人、高校生は一〇〇人しかいなかった。だが、ボツワナでは、自国民によって平和な社会が受け継がれてきた。というのは、イギリス人はボツワナでの活動にあまり興味を示さなかったからだ。これとは逆に、ボツワナよりもはるかに豊かな君主制の産油諸国は、相変わらず非民主的だ。それらの国の近年の大きな進展と言えば、女性が夫同伴でなくても自動車を運転できるようになったことくらいだろうか……。つまり、経済的豊かさは、民主主義への移行を約束する必要条件でも、十分条件でもないと思われる。

二〇一〇年から二〇一二年にかけての「アラブの春」は、人々の民主主義への熱望に関する新たなエピソードを提供した。専制君主たちは、あっという間に国民の批難を浴びたのである。イスラムと西洋が分岐した一七世紀頃までさかのぼって「アラブの例外」について語る者も現われた。その一人であるバーナード・ルイスの著書『イスラム世界はなぜ没落したか?--西洋近代と東洋』は、大反響を呼んだ。しかし、この本は、まったく同じシナリオが同時代の中国でも生じていたことを指摘し忘れている……。民主化と(あるいは)経済成長に向けて方向転換した国が多く存在した一方で、アラブ諸国は、どうしてその路線を歩めなかったのだろうか。権力の座にあった独裁者を引きずり下ろす唯一の選択肢として、なぜイスラム原理主義が台頭したのだろうか。このような問いが新たに提起されたのである。

イシャク・ディワンは、この謎に説得力のある説明をしている。ソ連が崩壊した際、ネルー一族のインドやアタチュルクのトルコなど、多くの国が影響を受けたソ連の計画経済モデルも葬り去られた。一九九一年、インドでは選挙が実施され、改革と経済開放を訴えたナラシンハ・ラーオ内閣が誕生した。一九九〇年は、ネルソン・マンデラが釈放された年でもある。一九八九年は「歴史の終わり」ではなく、ボリシェビキ革命〔ロシア革命〕以来、われわれが知った世界〔共産主義世界〕の終わりを示す年だったのだ……。

アラブ世界の場合、ソビエト社会主義共和国連邦(USSR)の崩壊により、その経済モデルは見直されることになったが、現われたのは、民主主義への願望を代弁する自由を信奉するエリー卜層ではなく、イスラム原理主義だった。アラブ世界がイスラム原理主義を選んだのには、いくつかの要因があった。ディワンによると、政治のエリート層に汚職が蔓延していたことがおもな原因だったという。彼らは自分たちの利益だけのために経済を「自由化」した。リビアのカダフィ、チュニジアのベン・アリー、エジプトのムバラクなどの妻・親類・息子たちが、臆面もなく汚職に加わった。彼らの取り巻き連中の貪欲さにより、専制君主たちの政治は台無しになってしまった。

アメリカ同時多発テロ事件は、強烈でパラドキシカルな影響をおよぼした。西側諸国がイスラム主義を根絶するためにアラブの独裁者たちを支援しているのは周知の事実だが、独裁者たちは、自分たちの強欲をむき出しにした。彼らは自分たちの正当性を証明するために、反対派に対する弾圧を次第に強めなければならなくなった。彼らは自分たちの支配体制を固めつつ西側諸国からお墨付きを得て、ついでに自分たちの盾となるイスラム主義を強化したのである……。チュニジアでは大統領五期目を目指すベン・アリーが、そしてエジプトでは大統領六期目を目指すムバラクが選挙を行なうという観測が流れると、両国とも国中が大騒ぎになった。これまでの選挙の不正が暴かれ、民衆の不満はついに爆発し、革命が勃発したのである。
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本を読まない読書会

本を読まない読書会

 豊田市図書館読書会と言いながら、全然、本を読んでいなかった。4時間もあったのに。

 共有は否定から始まらない。否定から始まると、共産主義になる。本で共有することは読んだこと。そうでないと、読書会の意味が分からなくなる。読むだけだったら、買うだけだったら、借りるだけだったら、あんなものは必要ない。

 どこかで共有したいのでしょう。本を買って、書斎で読むだけでは済まない話です。そこでの本は、自分の知識を確実にするためのプレゼンテーションです。説得することも承認も求めない。お互いがそういう関係であること。

本は自分の考えに言葉を与える

 『2016年の論点』は自分が同意できるもの、自分の考えに言葉を与えるもの。

本で思わない発見もできる

 『コーラン』洞窟の書。20節。アレキサンダー大王はついに太陽が昇るところに到達した時に、日を遮る鎧を全く授かっていない民なのに、それがのぼっていることが分かった。

 ムハンマドとアレキサンダー大王の関係。そして、その時の民は日本人という解釈。

スタバのスタッフの名前

 名前をやっと、知ることができた、駅前スタバのバリスが皆、居なくなる。メバエ、サヤカ、カミコ。新しい名前はモエカ。本当に覚えられない。ゴロが欲しい。秋の実り、サヤエンドウなどのように。

 メバエのこどもがどうのこうの。カミコはその内に帰ってくるだろう。どこへ行ったの。Iさんと同じ道をたどるのか。ここはすぐ替わるから、嫌だね。Iさんの方が珍しいか。やはり、笑顔が見たい。12月になったら、連絡しよう。


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自由と平等のトレードオフ

『公共政策学の基礎』より 価値の対立と政策の判断基準

パターナリズム--自由と安全・安心のトレードオフ?

 ここまで述べてきたことは、それぞれの規範・価値についてはいろいろな定義がありうること、アクターはさまざまな定義をもって政治に参加し、その議論・交渉の中で規範・価値の再定義も行われていること、である。

 1つの価値の「真の定義」をめぐって衝突があるだけでも十分に「悪構造」であるといえるのに、さらに追求される価値の間にも衝突がありうる。特に重要なのが、1つの価値を追求すればするほど、もう1つ別の価値の達成が難しくなるというトレードオフの場合である。

 例えば、パターナリズムは、安全・安心という価値を優先するか、個人の自由を優先するかの問題として定式化することができる。パターナルという言葉は父の、父のような、という意味を表すが、パターナリズムとは政府や国家が親代わりに、温情主義的に干渉を行う、というような意味で使われている。よくいえば親心、悪くいえばおせっかいな政策を行うのである。

 例えば、車の運転中にシートべルト、バイクの運転中にヘルメットの着用を義務づけることが、これに当たるといえる。事故にあってけがをするのは運転者本人である。他人に危害があるのならともかく、この場合は、自由の議論のときに見たように政府の介入が正当化される)、損をするのは本人だけである。にもかかわらず、シートベルトやヘルメットを着用したほうがあなたにとって安全ですよという理由で運転手に義務づけている。ただ単に説得するだけではなく、しない場合に罰則を設けるなどまでして、着用させている。これは個人の選択の自由よりも、安全・安心という目標を上位に置いて実現しようとしていると考えることができる。親が子供を思ってヘルメットを着用させているならともかく、政府がそのほうがあなたにとってもよいことだといって大の大人に強制するのはどうかという問題である。安全・安心と自由という2つの価値の間でトレードオフが起こっていると考えられるのである。

 この場合に、どちらの価値を優先するべきかが、公共政策において重要な問いとなる。一方では、自由を重視する自由主義者はパターナリズムを原則的には認めてはいけないという。シートペルトをすべきかどうかは個人の自由に任せられるべき問題であって、政府は介入すべきではない。そのほうがよいですよといって強制したり、それはよくないですよといってそれを行うことに罰則を与えたりするのは、おせっかいにすぎない。個人の選択の自由が尊重されるべきであり、個人の自己責任に任せたほうがいいというのが、その議論である。『自由論』の著者であるJ.S.ミルは、この立場からパターナリズムを否定する。

 もっともそのミルも例外を認めている。それは、「自らを奴隷とする契約」に入ることは止められるべきであるとしているのである。そもそも自由を尊重するのであるから、その自由が失われるような契約は許されない、というわけである。この場合、「自由でなくなる自由はない」、あるいは人は「自由であることを強制されている」というような逆説的な状況となる。自由を否定するような団体に自由を与えるべきか、という自由主義にはつきもののジレンマと似た状況がここには見られる。

 さらには、このように「自由でなくなるというのに等しい状況」というものも考えられるのではないかということになる。例えば、安楽死をする自由があるのか、宗教的な価値観から手術における輸血を拒否する自由が認められるのか、などの状況に対しては、ミルの例外と同様に扱うべきものであるから、それらの自由については認められない、ということになるのであろうか、という問題である。

 麻薬についても、実際には他人に危害が加わるおそれがあるが、本人の選択の自由という側面もある。シャーロック・ホームズがコカインの7%溶液を注射している描写が原作には登場するが、彼のような理性あふれる人が限度を知って行うのであれば、かまわないという意見も十分ありうる話である。麻薬はあなたにとってよくないですよという意味でパターナリスティックに禁止するのか、将来の自分の自由が奪われることになるから、すなわち奴隷契約と同じようなものであるから例外的に禁止するのか、結果は同じでも考えてみる必要があるのである。

 麻薬ならともかく(他人への害の可能性がかなり高い)、これが喫煙や飲酒ということになると、さらに判断が難しくなってくる。政府はどこまで、国民の安全・安心のために、政策を講じるべきか。その際に、個人の選択の自由をどれだけ尊重するのか、これらは難しい政策問題である。個人の選択の自由を重視する自由主義の国においても、実際にはいろいろな形でパターナリスティックな政策が採用されている。具体的な事例の中で、どちらの価値をどの程度重視するかについての議論が行われて、政治過程の中で安全・安心と自由との間のバランスが決められていく。ここに合理的な意思決定の要素を見つけるのは難しいといえるだろう。

2つの自由--自由と平等のトレードオフ?

 もう1つ、自由と平等の間にもトレードオフの関係があるといわれることが多い。例えば、自由を重視すると、個人の自由な活動を認める結果、格差が拡大する。そのため、不平等な状態がもたらされるというわけである。逆に、平等を実現しようとすると、富裕層の人の行動を規制したり、彼らから税金を累進課税で取り上げて、それを貧しい人に対して渡したりしなければならない。ここでは、彼らの行動の自由や自分のお金を好きなように使う自由が制限されていることになる。

 しかし、これに対する反論も存在する。この対立は、自由とは何かについての2つの異なる見解があることによっている(バーリン、2000)。一方では、「制限がない」ことをもって自由と考える。これを消極的な自由という。これも確かに自由と考えることができる。私たちを拘束する手錠であるとか、自由を奪う窮屈な服を思い浮かべればよいであろう。これらがなければ自由に両腕を振り回すことができる。

 他方、自由を「意味のある選択ができること」ととらえることもできる。好きな職業が選べたり、住むところを決めたりできることは、自由のありかたい点である。選べるといっても、銃で撃たれるかお金を渡すかを選べ、という選択では自由があるとはいえないであろう。意味のある選択というのはこのような状況ではないことを意味している。これを積極的な自由という。

 前者の消極的な自由の場合は、自由と平等の間にトレードオフの関係があるといえる。平等を実現するためには、多くをもつ人からそうでない人への金銭の移転が必要である。これは、前者の富裕な人にとっての制限となり、彼らがもつ自由が奪われることになる。他方、積極的な自由の場合、平等を実現することによって貧しい人の「意味ある選択をする自由」が増えることになる。これらの人々は移転前には、ニーズから自由ではない、すなわち自由に使えるお金がなかったからである。

 こうして自由と平等との間にトレードオフがあるかないかという問いに対しては、自由を消極的にとらえればトレードオフがあるが、積極的な自由という意味ではトレードオフはないということができるのである。

 ここでも、規範的概念の定義の仕方が重要であることが明らかとなったであろう。政治的な争いは、規範的な概念を定義したり、再定義したりすることによっても行われるのである。
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効率的な図書館

『公共政策学の基礎』より 公平、効率性、安全・安心、自由

効率性を考えるために効率的な図書館を例として見てみよう。現代の日本でも、公の施設を、株式会社や財団法人・NPO法人などに管理・運営させることができるという指定管理者制度があり、いくっかの図書館でこの制度が採用されている。唯一の、ではないにしても目的は図書館運営の効率化にある。

図書館の場合、費用は議会によって一定金額が与えられていると考えられるので、図書館の目的はたくさんの種類の本を収集することであり、できるだけそのタイトル数を増やすのが効率的であると考えられる。人件費はできるだけ少なくして、図書費に充てることが望まれるであろう。

しかしこれは本当に効率的といえるだろうか。まず、図書のタイトル数を増やすこと以外に、図書館にはさまざまな機能が考えられる。例えば、朗読会や、読書会、音訳図書の作成なども図書館の機能として考えられる。レファレンス・サービスも必要であれば、司書を雇う必要もある。

第2に、たくさんの種類の本を収集する、というのが目的であれば、高価な本は一切買わず、安い文庫や新書ばかりを一所懸命に集めるというのが効率的ということになってしまう。これでは図書館の役目を果たさない。図書館の目的を「本の冊数」から、「入館者あるいは貸出し冊子の数」を最大化することに変えてみるとどうだろうか。その場合は、人気のある漫画や雑誌、ペストセラーの本をできるだけ揃えるのが近道といえそうである。しかし、これも図書館の役割かどうか疑問であろう。やはり何か図書館の目的かということによって集める本は変わっていく。童話をどれだけ買うか、個人では買いにくい高価な本を集めることを優先するのか、CDやDVDを買うのか否か、これは公共的な決定が必要な事項なのである。

第3に、図書館が果たしている機能を広げて考えてみると、地元への雇用、子供の保育・遊び場、受験勉強の部屋などの提供ということも挙げられる。これらをどの程度、産出(アウトプット)として考えるのかに議論の余地もある。

第4に、司書のレファレンス・サービスの効率性を考える場合、何を分母・分子に考えるかで正反対の結果が出る。司書が1人しかいない場合、人件費は安くつき、その司書は忙しく働いていることになるかもしれない。しかし利用者が、そのサービスを受けるのに列をっくって待たなければいけないとなると、利用者の待ち時間は無駄ということになるだろう。これに対して、司書が複数人いるということになると、利用者はすぐに相談に乗ってもらえる可能性が高まるので、便利である。しかし、すぐにサービスを受けられるということは、誰か働いていない司書がいるということでもある。利用者にとっての効率的な時間利用は、司書が無駄な時間を費やしていることを意味し、司書の効率的な時間利用は、利用者が待ち時間という非効率的な時間利用をしていることを意味するのである。

同じことは、本の買い方についてもいえる。本の重複という無駄を省くためには、地方自治体に一つだけ中央図書館があり、そこですべての本を管理するほうが効率的である。しかし、面積の大きな自治体であれば、いくっかの支所があって、そこへ行けば本があるほうが利用者にとっては便利である。しかし、このことは同じタイトルの本を何冊か買うという重複=無駄をしなければいけないことを意味する。一つの図書館についても同じことがいえる。ベストセラーの本については、利用希望者が殺到する。この場合は、複数冊の本を買って早く利用希望者に届けられるようにしたほうがいいのか、あくまで重複本を許さないようにして、限られた予算でできるだけ多くの種類の本を買ったほうがいいのか、効率性だけからは判断がっかないのである。

このように効率性という、誰もが反対しない目標・概念についても、実際にこれをめざすのにはどうすればよいかについて、正反対の答えが導かれうるのである。公共政策をめぐって、効率性が声高に主張されるときには、その背後で何を分母として極小化し、何を分子として極大化しようとしているのかを見極めることが重要である。
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ファインマンの救助員

『知のトップランナー149人の美しいセオリー』より

私は、ある特定の説明を挙げるだけではなく、特定の解説と特定の説明者も挙げたいと思う。それは、1979年にオークランド大学でリチャード・ファインマンが行なった、量子電磁気学(QED)に関するシリーズ講義である。これはまさに、科学史に残る最高の名講義であった。

まず初めに、この理論は、素粒子の中でももっとも基本的なものである(と見られる)、光子や電子の行動や相互作用に関する、まぎれもなく深遠な理論である。それなのに、この理論は、光の反射、屈折、回折から、原子の中の電子の振る舞いや、その結果として生じる化学まで、実に広範囲な現象を説明するのである。ファインマンが、QEDは「放射能と重力を除く」世界のすべての現象を説明すると主張するのは、誇張であるかもしれないが、それもほんの少しだけのことだ。

短い例を挙げよう。光が直進することは誰でも知っている。例外は、ガラスや水などに、直角以外の角度で当たったときだ。なぜだろう? ファインマンは、光はつねに、ある点から他の点へと最短時間の道を通ることを説明し、溺れている人を助ける救助員が海岸を走っているところをアナロジーとして使っている。(これはファインマンなので、溺れているのは美女と相場が決まっている。)救助員は、まっすぐ水辺まで走り、そこから、海岸線に対して斜めに海の中を泳ぐこともできるが、これでは、長時間泳ぐことになり、それは、海岸を走るよりも遅い。そうではなくて、彼は、溺れている人にもっとも近い海岸の地点まで走り、そこから海に飛び込むこともできる。しかし、そうすると、移動する総距離は、必要以上に長くなる。もしも救助員の目的が、なるべく早く溺れている女性に到達することであるならば、最適値は、この両極端の間にあるだろう。光も、一つの点からもう一つの点へと進むのに最短時間の道筋をとるので、異なる物質の中を通り過ぎるときには屈折するのである。

彼はさらに、これでは実は不十分であることを明かす。経路積分と呼ばれる式を使って(彼は、このみっともない言葉を避けているが)、ファインマンは、光は実際には、一つの点から他の点へと、考えられる限りのどんな道筋も取っているのだが、それらのほとんどは互いに打ち消しあってしまうので、全体としての結果は、最短時間になるたった一つの道筋しか通っていないように見えるのだ、と説明する。これはまた、妨げられない光(それ以外のすべても)は、なぜ直進するのかも説明している。これはあまりにも基本的な現象なので、説明が必要だと考える人は、それほど多くはないだろう。一見したところ、このような理論は、当たり前のことを不必要に饒舌に説明しているかのように見えるかもしれないが、実は、それによって、科学的にもっとも望ましくない性質である任意性というものを、最小化することができるのだ。

この説明を圧縮して伝えようとした私の素人的試みは、要領を得ないものになったかもしれない。しかし、それとは対照的に、賞賛すべき第二の理由があり、それは、これがほとんど信じられないほどに単純で直感的だということだ。数学がわからない生物学者であった私ですら、これを、どこかの何かの専門家が何か新しいことを発見したのだという、あいまいな理解などではなく、現実に関するこの新しい概念を、本当に了解したと確信をもっているのだ。このような経験は、科学一般できわめて稀であるが、抽象的で難解な量子力学の世界においては、ほとんど皆無なのではないだろうか。これはどの明晰さの主たる理由は、(かの有名なファインマン・ダイアグラムのょうな)視覚的手段を用いていることと、ハードコアの数学をほとんど使っていないことだろう(この理論の中核にあるスピン・べクトルが、実際には複素数で表されることなど、ほとんどどうでもょいのである)。この理論が見せてくれる世界は、まったくなじみのないものであるにもかかわらず、そのなじみのない言葉で表されてさえ、完全に意味をなす世界なのである。
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エラトステネスと心のモジュール性

『知のトップランナー149人の美しいセオリー』より

プトレマイオス朝エジプトの有名なアレキサンドリア図書館の館長だったエラトステネス(BC276~195年)は、数学、天文学、地理学、そして歴史に対し、画期的な貢献をなした。彼はまた、人間をギリシャ人と野蛮人とに分けることにも反対した。しかし、彼が人々の記憶にとどめられているのは、彼が初めて、地球の円周を正確に測定したことにある(このことは、二コラス・ニカストロの最近の著書『Circum-ference(円周)』によく描かれている)。彼はどうやってそれを行ったのだろう?

エラトステネスは、毎年、ある日の正午に、シエネ(現在のアスワン)の街にある一つの井戸の底まで太陽がまっすぐに射し込むということを耳にした。これは、そのとき太陽が天頂にあることを意味した。そのためには、シエネは北回帰線上にあり、その日は夏至(6月21日)であるはずだ。彼は、キャラバンがアレキサンドリアからシエネまで行くのにどれだけかかるかを知っていたので、それに基づいて、この二つの街の間の距離は5014スタジアであると推定した。彼は、シエネとアレキサンドリアは同じ子午線上にあると仮定した。実際のところ、それは少し間違っていて、シエネは少しばかりアレキサンドリアの東にあった。また、シエネが北回帰線上にあるというのも、正確ではなかった。しかし、大変な幸運と言うべきか、この二つの間違いは、打ち消しあうことになった。彼は、太陽は十分遠くにあり、地球に届く太陽光線は平行線と考えてよいことを知っていた。太陽がシ于不で天頂にあるとき、そこよりも北にあるアレキサンドリアでは、太陽はもっと北にあるはずだ。しかし、どれだけだろう? 彼は、図書館の前に立てられているオベリスクの影の長さを測定した(と、いうことになってぃるが、もっとほかの、もっと便利な垂直の物体を使ったのかもしれなぃ)。三角測量はまだ発明されていなかったにもかかわらず、彼は、太陽が天頂の7・2度の角度にあることを測定することができた。その角度こそ、アレキサンドリアとシエネとの間の球面を測ったものであると、彼は理解した。7・2度は360度の50分の1であるので、エラトステネスはそれを50倍して、地球の円周を計算することができた。答えは25万2000スタジアで、現在の測定値である4万8キロメートルに、1パーセント足りないだけの数値であった。

エラトステネスは、一見したところ無関係な証拠(キャラバンの速度、太陽の光が井戸の底に射す、ォペリスクの影の長さ)と、仮説(地球は球体であること、太陽からの距離)と、数学的道具とを一緒にして、彼が実際に見ることも測量することもできず、ただ想像するしかない円周を推定したのだ。彼の結果は単純で、疑問の余地がない。彼が結論に達したやり方は、人間の知性の最高峰の縮図である。

ジェリー・フォーダー(現代の心の哲学に対する彼の貢献は比類ないものだ)も、私たちの心の中心システムが作動する様子の完璧な描写として、この知的能力を使えたのかもしれない。それは、どんな信念や証拠も、どんな新奇な仮説の評価にも妥当だという意味で「等方的」であり、私たちの持っている信念はすべて、単一の統合されたシステムの一部をなしているという意味で「クワイン流」(哲学者のウィラード・グァン・ォーマン・クワインに由来)だと主張する。これは、心はそれぞれに特化した「モジュール」からなり、モジュールのそれぞれは特定の認知領域やタスクを担当していて、私たちの心的活動は、これらのモジュールどうしの複雑な相互作用(相補性、競争などなど)から生じるという考え(私も、この考えの発展に貢献した)と対立する。しかしながら、エラトステネスの話は、フォーダーの考えが正しいことを示しているのではないだろうか? とてつもなくモジュール化した心が、どうやって、あんなわざを成し遂げることができるのだろう?

答えはこうだ。モジュールの一部は、メタ表象モジュールなのである。それらは、心を読むモジュールの心的表象、コミュニケーション・モジュールの言語表象、推論モジュールの抽象的表象など、異なる心的表象群を処理することに特化しているのだ。これらのメタ表象モジュールは、高度に特化している。とどのつまり、表象とは非常に特殊なものであり、人間や、彼らが生み出すものなど、情報処理装置の中にのみ存在する。表象には、「真か偽か」、「一貫性」など、いくつか、それ固有の性質があり、これ以外のどんなものも、そういった性質を持たない。しかし、これらのメタ表象モジュールが処理している表象それ自体が、なんでもありだったなら、そこには、バーチャルな領域一般性が生まれるだろう。そこで、メタ表象による思考は、一般性があり、特殊化はしていないという幻想が生まれる。

私が言いたいのは、エラトステネスが、地球の円周のことを具体的に考えていたわけではない(図書館からアレキサンドリアの王宮までの距離を具体的に考えていたのと同じようには)、ということだ。そうではなくて、彼が考えていたのは、同時代の他の科学者によって提出された、これとは異なる地球の円周の推定値によってもたらされた挑戦についてであった。彼は、この問題を解決するのに役立つような、いろいろな数学の原理や道具について考えていた。彼は、雑多な観察と報告に決着をつけられるような証拠について考えていた。彼は、明確で疑問の余地のない解決、納得のいく議論を探し当てることをねらっていた。言い換えれば、彼は、たった二つのたぐいのもの、そういう表象について考え、それらをまとめる新しいやり方を探していたのだ。そうするにあたって、彼は、他のものからインスピレーションを得、他のものにも目を向けた。彼の知的功績は、心的およびコミュニケーション上の出来事が、社会・文化的連鎖で特別に素晴らしく結びついたと見ることで、初めて理解できる。私にとって、これは、一個人の心の単独の機能ではなく、モジュール性の心が社会的文化的に拡張されたとき、どれほど素晴らしいものになるかの絶好の描写である。

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豊田市図書館の30冊

444『ビジュアル宇宙図鑑 太陽と惑星』地球と月 火星の水 土星のリング 彗星と流星群

493.12『糖尿病ならすぐに「これ」を食べなさい!レシピ』〝食べて治す〟がまんいらずの新提案!

333.6『コア・テキスト 国際経済学』経済学コア・テキスト&最先端=11

C42.2『ココからはじめるホンダスーパーカブ』現行・歴代カブの情報満載でスーパーカブビギナーに最適!

290.1『地理学概論』地理学基礎シリーズ1

017『図書館ごよみ&イラスト1200』すぐに使える素材集

293.09『ヨーロッパ鉄道旅行2016』鉄道王国ドイツを往く ゆったりのんびりどこまでも

365.3『解決!空き家問題』

318.6『地域再生入門』--寄りあいワークショップの力

022『紙ものづくりの現場から』ブックデザイナー・名久井直子が訪れる

304『文藝春秋オピニオン 2016年の論点100』

983『白痴1』ドストエフスキー 亀山郁夫訳

673.94『「キャバクラ」の経済学』なぜ、男たちは「彼女」に財布を開くのか?

402.8『生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか』東工大講義

519.2『世界の環境問題 第11巻 地球環境問題と人類の未来』

288.2『ファミリーヒストリー』家族史の調べ方・まとめ方

159『モノを持たなければお金は貯まる』

336.97『ベーシック監査論』

431.11『元素のすべてがわかる図鑑』--世界をつくる118元素をひもとく--

159.4『すぐやる人の「出会う」技術』仕事も人生も楽しくなる

141.22『「聴能力!」』--場を読む力を、身につける--

302.1『日本の未来を考えよう』

204『「領土」の世界史』

914.6『睥睨するヘーゲル』池田晶子 1996年で閉架図書から取り出し

910.26『愛の顛末』純愛とスキャンダルの文学史

290.93『アルゼンチン チリ』パラグアイ ウルグアイ

302.13『23区格差』

376.46『渋谷教育学園はなぜ共学トップになれたのか』教えて! 校長先生

167『イラスト図解 イスラム世界』世界に15億人! イスラムのすべてを知るための一冊

331.87『物欲なき世界』


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知の体系化のための検索ロボット

図書館に検索ロボットがほしい

 リアルの図書館には限界がありますね。「池田晶子」にしても、同じところに並んでいません。914.6に「睥睨するヘーゲル」があるとは思っていなかった。やはり、ロジカルポインターが必要です。なぜ、「睥睨(へいげい)」という難しい言葉を使ったのか。池田晶子流に洒落なんでしょうかね。本には、「ふとやってきた言葉」を書かれていた。

 FBへの投稿:来週は豊田市図書館は図書整理で休館日。日曜日までに30冊を処理して、色々なところに散らばっている、ハンナ=アーレントと池田晶子の本をまとめて借りてこよう。OPAC で調べたら、914.6にも拡散している。

 図書館で本を探す時には、やはり、司書なんでしょうけど、浦安図書館のように、相手から求めてくるような所は少ない。そうなるとOPACなんでしょうが。使いこなすには、リテラシが必要です。OPACをもっと、論理的にしないといけない。

 FBへの投稿:豊田市図書館読書会ではOPACが使えなかった。司書に聞いても、ケータイで調べる範囲は限られる。知の体系化に必要な機能をまとめよう。

知の体系化のための検索ロボット

 OPACを一流の司書並みにしないといけない。「何でも聞いてください。期待に応えますよ」という顔つきにしないと。本の中身を知ったうえで、市民の要望を知った上で、検索結果を分かりやすく示せるようなロボットです。当然、「図書館戦争」の時には、味方になって、動けることもあるといいですね。

 一流の司書は市立図書館には居ませんね。教育委員会配下で、持ち回りの館長の元には、人は育ちようがない。それを育てるとしたら、図書館コミュニティでしょう。各図書館で知恵を集めて、グローバルの図書館クラウドにつなげていく。

 それが知の体系化になっていく。そこに、個人のライブラリとか、調べた結果を持ってくる。それをロボット型でわかるようにしていく。

録音図書もあり

 まさか、録音図書として、『41歳からの哲学』がS104イケであるとは思っていなかった。

ハンナ・アーレント出没

 「インターネットによって、人々は幸せになったのか」と所にも、ハンナ・アーレントが出没しました。「自分の他者との間の安全な距離」。これと「忘れてもらう権利」との関係。

 元々、歴史に興味を持ったのは、全体主義です。なぜ、ドイツにナチが生まれたのか。それが教養部時代のテーマです。それで歴史になって、ヘーゲルの歴史哲学などを知ることができた。そして、次の時代としてのLL=GG、ムハンマドが皆、つながってきました。だから、全体主義が出発点です。ハンナ・アーレントと同じです。

 この最近のハンナ・アーレントが頻繁に出現している。来週は図書館が休館だから、その前に、ハンナ・アーレントの著作を確保しましょうか。

歴史のつながり

 天安門事件で、民主化への道を閉ざされた中国人は、情念の代償として、富を追求した。歴史のつながりはいくらでも仮説ができるから楽しいですね。昭和から平成になり、ベルリンの壁が崩壊した、1989年というのは、そういう年かもしれない

 同じように、キリスト教は、ローマ時代に複雑化する社会を理解できなくなった、人々を救い、ローマ帝国の危機に解決策を提示した。色々なものがつながっていきます。

リクは私と同じなのか

 リクは「悪さ」するから、留守番中も繋がれている。つまらなさそうな顔をしている。奥さん、曰く「あんたもおんなじだよ」 どういう意味!
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