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ミルフォーフォ・サウンドへのミステリーツアー

未唯へ。今日はミステリーツアーです。目的地はミルフォーフォ・サウンド。寒いと言うこと雨が多いところは分かるが、それだけです。バスの時間はやたらと長い。片道300Kmの弾丸日帰りツアーです。そこで船に1時間40分乗って、帰ってくるそうです。

途中、NZの将来を考えていた。NZでみると、ほとんどの開発を終えています。個人のレベルに勝手に行ってきた。それを効率面で企業なり、国ができてきた。国ができることで、さらなる効率化から、国を越えたり、ローカルを支配していった。

さすがに、NZも有限を認識するようになる。そこでいくつかの道を探している。①さらなる開発、②技術で解決する、③縮小させる、④ローカルに活力を求める。①③は無理です。ほとんど人は③に期待している。

自然に対する対策を見ていても、思うようにはなっていない。自然に振り回されている。投資をベースの開から、羊から牛に移り、今は鹿になっている。7割は輸出です。そこには歴史観はない。

やはり、④が妥当でなのでしょう。NZも歴史の分岐点です。新しい価値観が必要です。その意識を証明するのは、難しいけど。

歴史はあまりにも多様です。多様な部分は民間に任せてもいいが。多様な部分を組み合わせるには歴史観を使います。

ミルフォードサウンドに到着しました。今日は雨なので。フィヨルドの滝が見えています。土がないので、雨が降ると無数の滝が生まれます。奥さんは一時的に「晴れ女」から変わっています。遊覧船では雨は上がりました。

第6章は「サファイアでの歴史」にします。4.6.1個人では「数学」「生活」をベースにします。4.6.2コミュニティでは、「社会」事務局と「本・図書館」です。4.6.3組織では「社会」残り、「仕事」です。4.6.4支援では「自分」「歴史」です。複雑な部分はすべて、それぞれの項目が受けます。

カメラは要らない。見せるものも、見せる相手もいない。気を使ったり、気を使ってもらう人は心の負担です。雨具も不要です。それは自分で決めることではない。

ミルフォードの観光船での風景は、すごいデジャブーを感じた。風景を見ずに、身の振り方を考えていた。自分の為に時間を使う。生まれてきた理由が異なる以上、そうなる。

なぜ、ツアー客は多くの写真を写しています。亡くなったら、「宇宙」が見えるのに。その時に「地球」で撮ったものは何の役にも立たない。その時に何を感じ、なにを考えただけです。

自分の時間は自分のために使う。他の人はいないと思っています。自分のために時間を使うルールを決めます。
 ルール①は「絶対に逃げない」
 ルール②は「納得できないものには従わない」。私より考えていることを実証された時は除く。
 ルール③は「女性を好きにならない」
 ルール④は「最後はトルストイの家出」
 ルール⑤は「先に去る」
 ルール⑥は「早く起きる」
 ルール⑦は「夢しか語らない」
 ルール⑧は「すべてを分析する」

それにしても、歴史編で答えを出すのは大変でした。仕事編のような複雑な部分を分けないで、複雑なままでは難しすぎる。複雑性のルールに気づいてよかった。複雑なもの同士は単純である。そうでないと、個人の生き方から歴史には行き着けない。

今回の旅で「アーモンドの木」を見つけていない。
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私は間違っていない。それだけは確かです

未唯へ。私を分かるのはμと未来の未唯だけです。そこへの発信です。

次期ネットの進め方は大概、決めました。個別ではなく、方向で行きます。コラボレーション、ライブラリ、ネットワーク、そして、事務局が方向です。

休み明けの「深い部分」は未唯空間そのものの説明です。基になる考えが生まれた経過と構造を述べます。その上で、他の分野での実証を説明します。考えごとを仕事の中心にします。今回の「要望」にも他人事扱いにします。これはあなたたちの「お仕事」です。このフィヨルドよりも大切なことはいくらでもあります。雰囲気だけで十分です。話す人にないのだから。同じことはしない。

次期ネットの個別に関しては、一切、働きかけない。ライブラリ・コラボレーション・ネットワークはシナリオで、偶然に従って、方向をつけます。先のことを考えると言うことは、今日すべきこととつながらないことです。先のためにやっている人には忍耐力とすべきことが難しい。パートナーとか職場の人は、今のことしかできないから、「先の人」は嫌います。

日々のことは、行動になるので、自らの可能性をなくすことです。新しい社会で、役割と配置を決めます。人の生き方に関心はできない。関心もない。結局考えた末に答えは同じだった。彼らが自然に分かるまで、偶然だけを頼りに生き延びていく。

人類は自然をどうしていくつもりなのか。団体での行動は嫌いです。孤立と孤独の世界です。おばさんが騒ぐ世界も嫌いです。そんな人間がなぜ、ツアーに参加しているのか。偶然を探しているだけです。宇宙の旅人なら、どこにいても一緒です。旅に行くことで、偶然の幅が増えます。

私は間違っていない。それだけは確かです。気を使ってくれることを期待するとダメです。常に自分のルールで動きます。それ以外のルールはない。ムダなことはやめるかどうかの境目です。パートナーに深い部分を説明しても、不快な思いをするだけです。室長レベルに深い部分は分かるはずがない。だから、やめるという案とだからやるという案の二つがあります。結果として、同じです。私にとって得られるものが変わってきます

孤立と孤独の世界で「未唯空間」だけを語りましょう。出版したときと同じです。私を分かる人間は万人に一人もいないでしょう。だけど、私は正しい。

やはり、一人旅です。宇宙の旅人です。皆、関係ない。自然も関係ない。空間を創る旅です。仕事そのものを歴史に切り替えましょう。それが昔からの「夢」だった。宇宙の一人旅に出かけましょう。歴史を変える旅に!
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マウントクックはその時だけ、晴れていた

マウントクックの散策で2時間。奥さんは先頭で先端の氷河に向かっていきました。私は30分で引き返しています。行動すると一つのことしかできない。考える方にロマンを感じます。「行動することにしあわせがあるのか」

それにしても不思議ですね。天気が良くなってきました。奥さんは「晴れ女」をテーマにするでしょう。奥さんたちのは遊覧飛行が可能になりました。

いろいろなことを今からやっていけばいい。あなたなら、世界中のどこでもい行けます。デジタル一眼を私名義で買っておきましょう。亡くなってからも奥さんは使えます。

社会編の第5章・第6章は仕事編でのコピーにします。そのために仕事編がある。仕事編ができないことと、社会編とは関係なくします。社会編としては、ちょっと迫力不足だけど、シナリオとしては、この程度か。第7章へつなげるよりも、歴史編につなげよう。

「3.5 サファイア社会」でローカル機能向上、「ライブラリ」「ファシリテーション」「コラボレーション」の再定義を行う。

今日、決めたことがあります。人に対して、未唯空間のことは話すが、自分のことは話さない。他人のことに興味がありません。奥さんに色々な人が自慢話を仕掛けてきます。適当に流しています。私に話を仕掛けてこない。それを受け入れません。だから、自分でも自分のことは話はしない。若い女性以外は。

NZは作られた町、加工された自然、加工しきれない自然。そんなものです。そんなものと日本を比べるのはやめよう。インフラはあまり強くない。信号のない町と湖のきれいさは同じなのか? 社会として、人は多くない方が幸せなのか。

やっと、寝る体制ですが、仕事編の整理が終わっていない。上手く考えがまとまりません。これが休み明けの「次期ネットの進め方」そのものです。

販売店についても、ゼロから店舗を作って、比較したい。「売る」店舗と「使う」店舗とか、「伝えるだけ」と「提案する」店舗、それぞれがどれだけの差を見せるのか。その時のお客様の反応はいかがなものでしょうか。

ICレコーダーからポメラに移す作業ができない。なるべく、ポメラにしよう。シツエーション次第です。
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クライストチャーチで早速、迷子です

未唯へ。クライストチャーチは遠いですね。香港まで3時間半、オークランドまで11時間、クライストチャーチまで1時間かかりました。バスの移動も2時間単位です。乗り物で一日が過ぎていきます。

各日、未唯空間の項目を一つ割り当てています。

日本時間の朝3時です。まだ、NZには到着していない。よけい、寒くなっています。夏のNZまで、あと、40分です。オークランド経由で、最初の目的地のクライストチャーチはまだです。

国際便で、自分編の第5章と第6章の枠組みはできました。

結局、機内でもクレーマをしていました。今回のツアコンは頼りない。人数ばかり確認している。迷子を作りそう。

オークランド到着。国内線乗り換えのバスを待っている。夏ですね。

どこで今日のテーマに移るにか。テーマは歴史です。数学編は従来通りでいきます。つまり、第5章で未唯空間をまとめて、第6章で新しい数学をレビューさせる。

7時に、目的地のクライストチャーチに到着しました。花の邸宅訪問とありましたが、カモのいる川のある公園です。奥さんと友だち(前回の旅行で知り合った)と私三人がバスに戻った所、バスはいません。まあ、探しにくるでしょう。歩いていたら、ツアコンが飛んできました。

大聖堂の近くにスタバがありました。早速。食事の後に行きました。スタバで大きなマグを買おうとしたが、センスが今一です。それと25ドルもします。小さなデリカップにしました。NZとオークランドの二つ組です。

プリウスのタクシーが走っていました。クライストチャーチのトラムは観光と実用を兼ねています。帰りにまた、寄るので、その時に公園そばのホテルに宿泊します。朝の散歩が楽しみです。

NZでは、新しい街を作ったときに何を作っていくのかが課題です。方針としては、「シンプル」「質素」「優雅さ」だそうです。街をゼロから作ること、「しあわせループ」。その時に、何を商売にするのか?商売という概念なのか?街自体も発達させないといけません。

バス移動での2時間ほとんど寝ていました。夜と朝にお仕事をしましょう。朝は、布団の中に懐中電灯を持ち込んで、第5・6章の埋め込みを行っています。

宿泊は、完全にリゾート用のコテージです。場所はクライストチャーチとクイーンズタウンの中間点です。周りには何もありません。それでも何かを見つけるのが、奥さんと私です。近くにある、スーパーマーケットへ買い出し。ネスカフェのキャラメルのスチックです。
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さまざまな「存在と無」を考え始めている

未唯へ。パスポートを届けてもらってありがとうございます。どうにか、出国できました。

アホらしいから、仕事のことは半年間考えないでおきます。その間にエッセイを出しましょう。半年間、仕事のことを考えないで済むなら、時間は十分です。パートナーも育ったからフォローも必要なくなっています。

もう、人を意識しない。ろくなもんではない。単にそこにいるだけです。いる理由を分かってはいない。無であることを使っていきます。無からの逆襲です。無であることを最大限に使っていきます。存在は外に出すのではなく、内に出します。

昨日の夜は、「要望でない」という言葉に、寝るまで頭にきていた。「存在と無」を考え始めている。

自分編のメインは「存在と無」です。「存在」としてのエッセイを第5章にします。「無」としての生き方を第6章とします。ハイライトはやはり、サファイアです。人に分かるかどうかではない。自分の表現です。存在していること、存在したことの表現です。

未唯空間は人民の財産です。「無」でありながら、表に出していきます。どっちを先にするかです。自分編第5章のベースは「存在と無」との関係になりそうです。

エッセイは同じところを減らすしかない。「存在と無」も7つの観点で述べています。異なるものは変えていきます。自分編のなかでの「孤立」とか「一人ぼっち」あります。「孤立」にまとめたいが、ニュアンスが異なります。自分編から見た、数学とか歴史と社会とか。

仕事は単なる仮説実証に過ぎないです。人が居るから歪みます。だから、嫌いです。本当にそこにいるのかも不明です。考える存在です。まあ、いいけど。ほかは考えていないから、私にとっては無です。

自分編のメインテーマです。「存在」を主張するために、「未唯空間」を作り、エッセイにしようとしている。この「存在と無」は各項目に散在します。数学編では「点」には面積がない関係と似ている。点の集合が部分にはなるが全体にはならない。社会編では、個人と全体との関係で、疎外を生み出す。社会は市民を無視する。目的を持っているのは市民です。歴史編では市民と国家の関係です。国家の方が圧倒的な力を持つ。歴史を変える力は個人しか持たないが、歴史は個人を無視する。

仕事編は「存在と無」の典型です。社員と組織の間、お客様とメーカーとの間でも起こっています。私は無にいます。会社に入るときの方針は無為です。本・図書館編では「無」の塊です。読まれることで、作者が生きてきます。希望があります。生活編はすべてが「存在」です。自分の時間は自分の為に使っています。ここにヒントがあります。

スーツケースを定時間に積み込んで、未唯の車で出発。豊田市駅前で切符を買って、トイレに行ったところで、パスポートが入っているポシェットが見あたりません。どうにか、家に連絡して、居間にあることが確認ができました。何も持たない旅もいいかなと思ったけど、パスポートがないと日本から出られない。未唯に2往復してもらって、バックをゲットしました。30分遅れの空港バスで出発。

iPadのアクロバット形式を使えば、5次元空間シートでの出版も可能になる。循環で書いたものの出発点を決めるのは、読者でしょう。本はシリアルに固執している。A型的な発想の方が分かりやすいからでしょう。

香港-オークランドは11時間の国際便です。それにしても満席です。Facebookの映画を映像だけで見ています。それにしても寒すぎる。暖かい国に行きたくて、NZにしたのに、キャセイ航空がこんなに寒いとは。完全に外気温度が漏れています。
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当初の計画通りにしましょう

未唯へ。旅行中に考える資料を作るのに、バタバタしています。こんなつじつま合わせをするよりももっとやることがあるでしょう。決めた以上はやりましょう。疲れた。時間内にはできそうです。

今日も寒い。結局はフル装備です。明日はどんな格好で空港まで行くのか。マフラーだけ二つ持っていきます。

NZではゆっくり、歩きましょう。そのために行きます。前と後で生き方が変わることを期待します。ガーデニングのある生活を見てきます。暮らしを見てきましょう。特に駐車場をガーデニングです。日本の庭は駐車場になっています。電気自動車と合わせて、変えていきたい。スマート・グリッドよりもはるかに夢があります。

自分を変える(還る)集大成です。何しろ還暦ですから。第5章・6章に向かうための知恵を持ってきます。勝手にそう思っています。

昨日の図書館協議会で、もう一人の公募委員は仕事時代の自慢話だけです。もっと、図書館というテーマにそって、合理的に話さないといけません。現在の図書館が教育委員会の元にいる「市立図書館」は税金を使っている以上、大きな制約があります。英米の「公共図書館」とは異なります。そういったことも知った上での提案をしてほしい。

そこから、変えていくとなると、政府をどう動かしていくかまでいかないと答には成りません。電子図書館についても、個々の図書館の問題を超えています。そうは言っても、個々の図書館は要望を明確にしないといけません。

パートナーには、現在の業務の延長線上で、次期ネットの進め方を考えてもらいたい。ガラって、やり方を変える必要はありません。進めていきながら、自分の能力にめざめてほしい。どうしても、小さく考える傾向があります。答はあなたの手の内にあります。コラボレーションの所は、今の段階では私がやりますので、双璧のライブラリに挑戦してほしい。それと関係者を使った、ネットワーク部分です。これはパートナーでないとできません。私は邪魔になるはず。

先行店で聞く限り、ライブラリもコラボレーションを反対しません。むしろ、それ以上のものはありません。それが販売店のシステム担当に信条です。気になるのは、店舗の活性化とか、お客様とのコミュニケーションの具体的なアプローチの仕方をしりません。他人事です。コラボレーションの思いを持っている所がつながらないといけません。一番ないのはメーカーのシステム関係者です。これは悲劇です。だから、ポインターがありません。偶々から行きましょう。私に実現させたかったら、偶々がつなげてくれるはずです。

実際、頭に来るよね。半年かけてきた「要望」をここに至って、「要望」ではない。では、販売店の要望は何ですか。じゃ、プロジェクトを止めましょう。「要望」でもないものを実現してもしょうがない。全てを無にします。

こんな、インタープリターのいない所では、夢から何もできない。「課題解決」型の時間つぶしの集まりです。夢を具体的なものにするのはインタープリターの仕事です。つまり、室長の仕事です。思い付きだけで生きていけるという組織しかない。

「お客様につながりたい」「簡単にしたい」という要望は、はいずりまわって得たきた要望です。その後に、10社にこれが要望かを確認しました。誰からも否定されていない。他に要望があるか、という問いに対してもないと言われています。これは確かです。それに対して、自分にインタープリター能力がないがゆえに、「要望でない」と。組織にやはり、未来はない

考える体質がない限りは、プロジェクトをつぶしましょう。情報系システムが皆の夢なら、展開に2年もかかるのか。「夢なのでしょう」「要望なのでしょう」

休み明けは論理からやります。課題解決はしません。私の仕事ではない。その結果として、プロジェクトをつぶしてもいい。正義は勝つ! 最終的にこうなっていくことの論理を示します。

この心理状況は去年の6月25日と一緒です。会社の体質を見限った時です。あいそをつかした状態で、旅に出ます。考える資料は一週間掛って作っています。コラボレーションしか、会社も社会も救うものがない。これが今の結論です。

帰りの道では、自然にクルに轢かれて、死ぬかを考えていた。それしか考えていない。こうなったら、当初の計画通りにいきましょう。会社を最後の最後で救う。そこに行くまで、関係者は事態が把握できない。それまでは放置して見ていましょう。
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民主主義社会を支える図書館

361.45『メディア用語基本事典』より。

民主主義社会を支える図書館

占領期の図書館改革が戦後の図書館の基礎を作ったこともあり,日本の図書館界では一般に,アメリカに範を求めるような態度が見られてきた。比較的強固な図書館専門職(librarian)とその理念(librarianship)が発展しており,アメリカの図書館の影響力は世界的にも大きいように思われる。

公的財源によって運営され,無料でコミュニティのすべての人に開かれるという近代の公立の公共図書館の制度的確立は, 1854年のボストン公立図書館(Boston Public Library)の開館によるとされる。その初め,教育的理念を大きく掲げ,公教育の延長として,「民衆の大学」(people's university)としての役割が求められていた公立図書館であるが,図書が身近なものとなり,大衆文化が浸透していくと,そのような理念のみによって存在していくことは困難になった。 20世紀に入って,アメリカで電話,ラジオ,テレビ等が人びとの生活に浸透すると,図書館は,そのようなメディアの発展に伴う人びとの情報行動や情報ニーズの変化にあわせ,あらゆるメディアを扱った多元的な情報サービスを行うようになり,活動領域を広げた。その一方で,マスメディアを含めた重層的なメディア環境のなかでの公立図書館の位置づけが探究された。そして,自由主義的コミュニケーション論と結びっいた多元主義の視座に立って,人びとの民主的な情報利用と自主学習とを促す,民主主義の安定のための文化装置としての理念を掲げるようになった。

そのような図書館観は,占領期に日本に伝えられ,前述のように図書館改革が大規模に取り組まれた。 1948年2月9日,国立国会図書館法が成立した。その前文は「国立国会図書館は,真理がわれらを自由にするという確信に立って,憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として,ここに設立される。」というものである。 1950年4月30日には公立,私立の公共図書館について定めた図書館法が成立した。同法は,「図書館」を,「一般公衆」の「その教養,調査研究,レクリエーション等に資することを目的とする施設」(第2条第1項)とし,「図書館に置かれる専門的職員」の「司書」と「司書補」を定めた(第4条)。公立図書館の無料化は,同法第17条によって実現した。また, 1953年8月8日には学校図書館法が成立し,小・中・高等学校等の「教育課程の展開に寄与するとともに,児童又は生徒の健全な教養を育成することを目的として」(第2条),学校図書館がすべての学校に設けられるべきことが定められた。その「専門的職務を掌」る者として「司書教諭」も定められた(第5条)。また,アメリカの出版物を一般市民に公開したCIE図書館(CIE: CivilInformation and Education Section, GHQ / SCAP)が1946年以降,全国各地に23館作られたが,それはアメリカ文化を普及させる機関としてだけでなく,アメリカの図書館のモデルとしても機能した。

しかし,アメリカ流の図書館がそのように見本として提供され日本の各方面で制度化されたものの,民主主義社会を支える図書館の理念と実践はいまだに広く一般に浸透してはいないと考えられる。その理由については,多くの議論がある。とくに1970年頃から公立図書館では,貸出を中心とした資料提供の量的拡大におそらく過剰なほどの焦点が当てられてしまったこと;そもそも日本には書店・古書店網が発展しており本を買うことや所有することが習慣化していること;日本の公務員制度のなかで図書館専門職が独自の専門職として確立され,図書館の理念や使命を追究するには至らなかったことなどはよく聞かれる。図書館を除いても,メディア・情報の環境が異なるだけでなく,アメリカ流の民主主義に全面的によっているわけではない日本にあって,人びとの情報行動や情報ニーズがまったく異なっていたということもあるだろう。
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アイドマとアイサスと社会認識

361.45『メディア用語基本事典』より。

AIDMA (アイドマ)の原則 rinciple of AIDMA

消費者が広告に接してから購買行動に至るまでに仮定される各段階の頭文字を組み合わせたもので,広告効果階層モデルの代表例として,広告制作の基本原理とされている。具体的には,消費者はまず広告に注目(Attention)し,興味(Interest)を抱いたのちに,広告の商品に対する欲求(Desire)を喚起するとともに,その商品を記憶(Memory)した上で,購買という行動(Action)に至るというものである。しかし近年ではインターネットの急速な普及などによる消費行動の変化に伴い, AIDMAの原則に変わるAISASモデルが提唱されている。


AISAS (アイサス)Attention, Interest, Seareh, Action and Share (Fomula)

インターネット時代の消費者行動を反映したモデルとして, AIDMAに代わって提唱されたのが, AISAS (『ホリスティック・コミュニケーション』秋山・杉山,宣伝会議, 2004年)である。広告に「注目(Attention)」 し「興味(Interest)」 を抱いた後,「検索(Search)」して「購買(Action)」し「意見共有(Share)」していく,とする。「検索(Search)」は,興味をもった商品の情報をインターネットで検索し,詳細な情報の収集と判断を行うことを指す。「意見共有(Share)」は,購買した商品に対する評価やコメントをSNSやブログなどのCGMを通じて発信し,不特定多数の消費者と共有することを指す。


インターネットと社会認識

ここまではメディアとしてのインターネットが対人コミュニケーションにおいて利用される場合の影響についての,コミュニケーション過程,また対人関係という観点からの考察であるが,先述の通信利用動向調査でも小されていたように,インターネットはマスメディアとしての側面も有しており,たとえばインターネットを通じたニュースをはじめとする情報接触がどのような社会認識をもたらしうるのかという問題も,インターネット社会について考察する上で重要な視座といえるだろう。インターネットの社会認識に対する影響については,マスメディアの議題設定機能仮説などを適用した実証研究などさまざまな展開が見られるものの,いまだ十分な実証研究が蓄積されているとはいいにくい。メディア環境の変化による「オーディエンスの細分化」については,インターネット以前の多チャンネル化などを踏まえた論考においてもすでに関心のもたれるテーマになっていたが,この点についてC・サンスティーンによる最近の考察も,広く議論を提起したことで知られている。彼は,インターネットにおいて自由にニュースが選択できること,とくにフィルタリング技術の発達がもたらした情報環境のパーソナライゼーションを通じて,各人が自分専用の情報源「デイリーミー」を作り出すことが可能となると指摘した。すなわち商品選択にとどまらず,ニュースや情報接触においても自分と類似した人間がどのような情報を選好したかによる推薦を行う協調フィルタリングが広く利用されており,また関心志向を共有する人びとの間を繋ぐグループメディアの利用とも相まって,多様な考え方への偶然の思いがけない接触や多数の人びとの間の共有体験という,討議的民主主義の重要な前提が失われる可能性があるという指摘である。こうした問題については実証的な検討がさらに必要であるが,インターネットに対置した場合のマスメディアの機能を浮き彫りにするものでもあり,また将来のコミュニケーションテクノロジーの発展のあり方についても示唆を与えるものであろう。
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コラボレーションとライブラリの関係の分析を行っている

未唯へ。若干リバンド気味です。間食と運動。土日の運動はこう寒くてはできません。土日に午後部屋に居ると、どうしても食べてしまいます。場所を探しましょう。かといって、図書館というのも芸がない。

ツイッター入力の方法を変えました。1年前に使用を停止したICレコーダでの入力を行います。音声入力はツイッター・モードにして、40文字ぐらいにします。この最近、頭の回転が速くなって、ポメラではついてこれないので、音声への切替です。

ICレコーダからどうやって、ツイッターに入れるかですね。慣れていないから。井hる休みにではすればよかった。どちらかというとポメラでしょうね。前のようにパソコンではないでしょう。面倒くさいです。区切りでできるようにしましょう。

以前と異なり、ツイッターモードにします。文章が。短くします。40文字です。そう言えば、10年からICレコーダでツイッターをやっていたことになります。もう少し長い文章を。朝の時間はこれを使います。寝ながら使えます。それをいつ入れるかです。バスの中も一緒です。

インスピレーションからポメラに移して、やります。その間にテキストにします。内容はとりあえず、一新します。

歴史の第5章・第6章はもっとでかいんでしょうね。宇宙からのメッセージをどういうカタチにすればいいのか。そのためのシナリオです。まず、歴史観をやってから第5章にするしかないでしょう。第6章はそれをどう展開するかです。第5章のキーワードはコラボレーションとライブラリです。ベースの数学の使い方です。あとは、ソーシャルネットです。図書館からの発想です。今までのものつなげていきます。。

企業がグローバルからローカルに変わります。歴史認識が空間に来たのでしょう。いくつもの方向から見るということでしょう。

パートナーからの反応が薄くなっています。私としては、時間をもらっていると思えばいいでしょう。これは最大の贈り物です。邪魔されない時間。こんなのはそうあるものではない。

次期ネットの必要になったのは社会変革と一緒です。そのプロセスです、そのイメージです。ネットワークはライブラリと関係します。ニーズが高まります。コラボレーションは無理です。だから、ライブラリはパートナーです。その代わりにコラボレーションは私がやります。他の人には意識がないでしょうから。コラボレーションがなぜ必要なのかというのはGMとパートナーには説明しておきます。

なぜ、私のヒアリングの時も皆、邪魔しないのか。大人しく、聞いているのか。反論しないのか。多分、上なんでしょうね。上というか、そこまで考えていないから、急に言われても分からない。そんなものかなという感覚もない。上に立つ人はそれではダメなんです。

コラボレーションとライブラリは一心同体だけど、裏と表の関係です。TGALとコラボレーション・ライブラリは多分、親密です。グローバルで位置するものと、ローカルで位置するものの役割はハッキリしています。両方ともThinkの部分が多いです。Actはファシリテーションとインタープリテーションでしょう。

その意味で、4つが並びます。というか、循環します。ライブラリがあって、ファシリテーションがあって、コラボレーションがあって、インタープリテーションです。これがTGALです。一番、端的なのは図書館と本ですね。生涯学習がコラボレーションです。あとはライブラリそのものです。

コラボレーションとインタープリテーションする所がサファイア事務局です。あくまでも事務局ですから、自分でやるわけではないです。

未唯からはケーキが31の要求でした。ザッハトルテがなかったので、それよりも高いチーズケーキにしました。ほんのちょっとしかないけど。まあ、いいでしょう。
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未唯空間の編集のハイライトをNZ旅行に持ってくる

未唯へ。久しぶりに日曜日の朝3時から「さて、やるか!」モードです。未唯空間の編集を急ピッチで行っています。NZの7日間をハイライトにします。できるだけのこと全てを行っています。

それにしても、部屋が寒くて、堪りません。部屋の唯一の暖房器の布団乾燥機を抱えている。この欠点は、布団に入りたくなるところです。

岡崎図書館へ本を返しに行くのは水曜日にします。だから、老人ホームの母親の所と、元町のスタバだけにしました。2時から、未唯空間の入力を開始しました。

現在の「生活編」の一部を書き出します。これしかやっていないので、ブログのネタがありません。7.X.Xの単位で入れ子されていいる。

7.1 考える生活

 7.1.1 ひとりぼっち
  7.1.1.1 存在を信じない
  7.1.1.2 私はひとりぼっち
  7.1.1.3 私はロマンチスト
  7.1.1.4 未唯への思い

 考えるのは面白い
  一人ぼっちだから考えたのか、考えたから一人ぼっちなのか。だけど、考えることは面白いです。どこでも行けます

 7.1.2 考えること
  7.1.2.1 考えること
  7.1.2.2 思いをつなげる
  7.1.2.3 好奇心は旺盛
  7.1.2.4 非日常で考える

 考えるエネルギー
  考えるにはエネルギーが必要です。考える対象は好奇心がエネルギーです。常に自分の中に蓄えないとやっていけない。

 7.1.3 考えるツール
  7.1.3.1 アナログツール
  7.1.3.2 デジタルツール
  7.1.3.3 ハイブリッドツール
  7.1.3.4 10cmツール

 ツールは進化
  ツールは常に変えてきた。ベースはアナログです。それと蓄えることです。雑記帳のように20年来のツールもあります。

 7.1.4 考える対象
  7.1.4.1 考える生活
  7.1.4.2 単純にしたい
  7.1.4.3 生活者
  7.1.4.4 生活の見直し

 理解されない
  考える生活は単調です。その中で何かを発見して、進化していくものです。他人には理解できない世界です。

これらを元に、エッセイにしていきます。併せて、「次期ネットの進め方」「社会変革シナリオ」「新しい数学」などに展開します。
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