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終の棲家

仏壇を買うのについていきました。

一通り、選んだ後に奥さんと妹さんから、「これはあなたの終の棲家(ついのすみか)になるんだからと言われました。こんな小さいところに入れないでしょう。私の棲家は宇宙だと感想を述べたら、「散骨」は勝手にすることができない。すると100万円かかるからと言われました。

その前に。そういうことは後の人が考えることで、死んだ人には権利がないと言われました。こんな楽しい会話を仏壇屋でしてました。ちなみに、私の宇宙は空中とか海ではなく、宇宙の縁〔ふし〕と全てと真中が結びついたものです。

それと、葬儀場では知らない人の出棺を行っていました。母はそれに一生懸命拝んでいました。妹が聞いたら、父と向こうで縁があるかも知れないので、よろしくと頼んでいたということでした。
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ブログは本当にすばらしい

アデレードにいる姪の玲子のブログが楽しみです。

彼女がいかに将来に向けて生きているのかが伝わってきます。ああいう日本女性がどんどん活躍すれば,日本もよくなるのに。

それにしても、会社は女性は自分の能力を信じていない。

元のグループの渡辺さんもも十分な能力を持っているのに、現在は補助的な仕事をさせられている。枠組みの中に入った男性だけがウロウロしているだけです。突破力も何もあったものではありません。

その点では、彼女らの突破力はすばらしいです。私ができるのは、その力をリリースさせることと、疲れたときに、若干の方向を含めて癒すことができたらと思います。

私は茶道を習っている時に女性の統合能力に感銘を受けました。もっと信じましょう。

それにしても、「明日は明日の風が吹く」(アデレードの姪)はすばらしい。販売店の情報共有の世界で、スタッフの思いがお客様に届くように2010年までにはしていきましょう。

今日は3月10日は結婚記念日です。結婚したのは昭和54年です。

覚えやすいように、54年3月21日にしようという提案が奥さんからあったので、覚えました。

父への看護、葬儀などで苦労をかけたので、メッセージを送ることにしました。花キューピッドは9日にすませました。あとは、いつものようにチョコレートケーキです。

未唯の誕生日(2/14)の時には、出遅れたために適当なものがなく、セブンイレブンで小さなものですませたので、今回はきっちりしそうと探しました。

職場の女性陣にもおいしいケーキの情報を聞いたりしました。おかげで今まで話したこともない女性からも話し掛けられました。

栄の地下のケーキはワンホールが大きいので、小さいのを探しに松坂屋へ向かいました。その途中で不二家があり、ちょうどいい大きさがあったので、それにしてしまいました。 奥さんも幹大もおいしいと言ってました。
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未唯が動物看護の学校を卒業

袴をはいて行ったということで、帰ってきたら、写真を撮らせてもらおうとリクと一緒に玄関でスタンバイ。30分以上も待ったけど、来ないので部屋での待機に変更。

リクは落ち着かない様子で、そのまま待っていました。40分ぐらいにリクが騒ぐので,降りたら、袴をはいた未唯がいました。

今までは,写真を撮らせてくれなかったが、今回は「リクと一緒ならいい」という条件で許可が出たので20枚ぐらい撮りました。写真を撮るのは小学2年以来です。

リクに貸衣装を触らせないようにコントロールしていました。さすがに「専門家」です。その意味では,リクをコントロールしながらの写真は一番彼女らしいかもしれませんね。

めい?

未唯、卒業式だったんだね。

おめでとう。とはいえここでは伝わらないね。

きっといつか伝わる気が来るさ。

そしてさすが専門家。写真今度見せてね。
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ICレコーダー

久しぶりにICレコーダーに蓄積されたコメントを雑記帳に落としました。イヤホンで聞きながら,インスピレーションと言うソフトで入力していきます。

歩きながらとか,スタバで感じたことなどをICレコーダに入れます。それで気づいたことは多数あります。

ICレコーダーはこれで6台目で,全てソニー製です。現行機は2年使ってボロボロです。バッテリーのふたも取れてきました。以前のソニーでは考えられません。それと今までは1年ごとに新しい仕様のマシンが出てきたので,その都度変えていたが、ここ2年間出てきません。

ICレコーダーとインスピレーションに出会えたことは私の幸せです。
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このブログそのものが「未唯への手紙」そのもの

未唯の二十歳の時に、それまでに自分が考えたこと,世の中の状況,将来への指針をまとめて「未唯への手紙」として、渡す夢がありました。

先月の誕生日には第1章しかできていませんでした。全部で5章まで書く予定でしたが、全然まとまりません。思いを書き表すのは難しいです。

だけど、この元旦から続けている、この社会活動のブログそのものが、「未唯への手紙」そのものかもしれません。だから、第6章として位置付けます。

1年も続ければ、自分の中の全てが出てくるでしょう。それと現象とライブで考えたことが出てきます。まあ、そういうことで、自分のために書きましょうね。
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ポータルを情報共有層に上ます

ポータル画面にメールを表示することを検討しています。①現行のメールサーバをウェブメールに対応させる案 ②ポータル側で作り込む案 ③グループウェアをかませる案があるが、前向きに考えて③を採用しようとしています。

ポータルにグループウェア機能が増すことで、情報共有全体を一つの画面で対応させることができます。グループウェアを5年以上使っている販売店とイメージ合わせに入ります。

電算部では,この良さをわからないでしょうから、現場と共同戦線を張ります。これでまた、2010年構想に一歩近づきました。

だけど、こういう発想について来れない連中は多いんだよね。(もう子)
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3つのストレス

何となく、頭に浮遊感があり、10時に寝ました。早朝3時に起きて、奥さんから頼まれた葬儀関係のリストを作成し、4時から5時まで睡眠しながら、原因を考えました。浮遊感があった後は目眩になり、1日寝ることが年に2回ぐらいで発生しています。

おもな原因はストレスと睡眠不足です。どうも、3つほどのストレスが考えられます。

 ①父親の死去に伴う、反面教師から見た自分をどう再構成するか

 ②市民参画の方向が見えにくくなって、時間だけがすぎていく予感

 ③仕事としては、サファイア(SA-fire)のアピールが出来ていないこと

3つとも、先行きのことだから、まずは自分をイニシャライズすることにしました。数学者だから、その辺は得意です。
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市役所の限界が見えてきた

今日はパートナー会議がありました。市役所は市民参画をうたいながら、ああいう人間しかいないとは本当に情けないです。この半年、皆がやってきたこと、考えてきたことを全て、小さな小さなミエでつぶしていく。

ここには最高の組み合わせがあります。思いだけで行動できるNPOがあり、経験を積んだスタッフがいて、原田さん、先生、加納さん、ゴローさんなどもそれぞれの役割をきっちり果たしてくれて、一つ一つに悩みながらも、前に行こうとするT-GALsがいるような偶然に感謝をします。

では、どうするか。私は決してあきらめません。時代が味方をしてくれる以上はどんな形でも作り上げます。そのためには、一つは調べることです。どこへいってもいいのかなと思います。変えていくには必要でしょう。市役所の実体とか、先生が市民参画できない本当の理由とかを調べましょう。

もう一つは発信することです。今回の父親の死去に際しての二人の姪のブログで彼らのおじいちゃんに対する思いが記されていました。そこには私が感じていない、もう一人の父親がいました。自分の思いみたいなものを皆がどんどん出していく世界がそこにあります。

それをもとにして、行動していけば、市民はどんどん強くなっていきます。彼らがいみじくも言ったように、我々の方がスキルもあるし、市民の目、つまりお客様からの目があります。それを行動で作り上げていくことは出来ます。さあ、出発ですね。
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東富士の元職場の同窓会

三島まで日帰りで、同窓会にクルマで行ってきました。せっかくだからということで、奥さんが東富士の親友のところにおしゃべりするために同乗。珍しい組み合わせですね。

元の職場に訪れることは私はしません。去った以上は無縁です。

東富士に赴任した時に「君子豹変す」と言われました。電算部からユーザー部署に異動した途端に言動を全て変えました。思考パターンを変えました。2ヶ月で完全に東富士の人間に変わりました。

それに比べると、名古屋に来た時に、その思考パターンを変えるのに2年かかりました。本当にそれぞれは別の会社です。

その意味で、私には3つの会社(本社・東富士・名古屋)と社会活動の4つの世界を見通す力があります。

東富士の連中は相変わらず、その世界だけに生きていました。

死者は生者を煩わすな

葬式の最中も頭の中で、このコトバがリピートしていた。

会社での仕事でも、考えていない人は考えている人の邪魔をするな!という時にも使っています。会社も行政にも、そこにいる理由がわからずに自分の範囲を広げようとする人が多くいます。

しかし、今回は奥さん、妹、姪のこともあり、自分の全ての主張をなくし、風習に全て従いました。

会社の人への呼びかけは極力せずに、父と母のつながりを基本にすることで、ゆったりとした空間が出来たと思います。
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反面教師

これが私の父へのスタンスです。

数学をやっているときは、何も為さないという「無私」にあこがれていたが、生まれてきた理由、生きている理由を考えれば考えるほど、この世の中がどうなっていて、どうなっていくのか、どうすればいいのかの好奇心がわいてきました。

その対極にあったのが、父でした。

数学をやることも、大学を選ぶのも、会社も偶然が必然だとやってきました。

だから、私の死に方は父と異なることになるし、それを目指して今後もやっていこうと決意しました。さて、子供たちはどんな生き方をするのでしょうか。
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