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世界は3つの層でできている

『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』より 企業や個人が国家に代わってお金をつくる世界へ

私の問題意識:個人間のネットワークを力にするコミュニティ

第1層に、地政学的に切り分けられた「国家(ソブリン)」、その上に第2層として、国境を超えて地上をまるで雲のように漂う「企業(グローバルーカンパニー)」最後に第3層として、さらにその上にオゾン層のように点在し結びつきあう「個人間の紐帯(ネットワーク)」がある。

「国家(ソブリン)」については、すでに述べたとおりで、言うべきことはそれほどない。

国家とは知ってのとおり、地政学的に分割され、政府によって統治されている地域コミュニティのことだ。人びとは、移動コストを理由に何千年も国家というコミュニティに依存して生きてきたが、すでに述べたように、その存在意義の低下は著しい。

一方で、企業(グローバル・カンパニー)の存在感は、人々の想像以上に大きくなっている。GE(ゼネラル・エレクトリック)には病院から学校までなんでもそろっているし、アップルがアメリカ政府より多くの現預金を保有することはよく知られている。

日本企業でも、グローバル化はどんどん進んでいる。ュニクロを展開するファーストリテイリングや楽天は、社内の英語公用語化を掲げ、新卒採用でも中国人をはじめとするアジアからの留学生を積極的に採るようになった。これらの企業行動の背景には、「企業」が静かに日本という「国家」から離陸し、世界の空へと飛び立とうとしている姿がみえる。企業は国境を超え、その上に漂うことのできる存在である。

これらの日本企業は、そもそも「自分たちは日本国の一部である」という認識を持っていない(捨てた)のである(もちろん、日本に貢献したいと思っているだろうが)。それが、ュニクロや楽天の動きである。英語公用語化は、些末な各論にすぎない。これら企業は、「国家」という縛りから解き放たれ、グローバルに戦う〝収意表明〟をした新たな共同体の姿なのだ。

政府や行政、財界という「国家」に属しそこに従事する人びとは、そうした企業の認識を本質的に理解していない。「日本企業は日本国のもの」だと、心のどこかで固く信じている。「国家」側も、企業の海外移転の動きを察知し、法人税の引き下げなど対処策を打ってはいるが、残念ながら企業側からすれば、一時的な引き留め工作にしか映らないのである。

その企業の上に、霧のように存在する「個人間の紐帯(ネットワーク)」は、インターネットの発明によって、乗数的に加速してきた新しい層である。インターネットは、1991年8月6日に最初のウェブページが公開されてから、わずか20年の間に膨大に増殖した。現在では、196億8000万のウェブページが存在する。すでに世界の記録情報の90%以上を飲み込んだウェブは、今、人びとの経歴や個人間の関係といった有機的な情報を蓄え始めた。

ソーシャルーネットワークは、個人間の紐帯を明らかにし、強固にし、組織化し続ける。早晩、ウェブは我々の「履歴書」となり、個人の「信用」の源泉となるだろう。

フェイスブックやツイッターといった個々のサービス自体は弱体化し衰退するかもしれないが、この個人間の紐帯を強化する流れが止まることはない。やがてウェブ上のコミュニティはそこに必要な機能(憲法・教育・医療・福祉・市場・法律など)をみずからつくり始めるだろう。それは、今の国家が保有しているものである。
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