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ソーシャルメディアと弱い絆/強い絆 フラッシュモブ

『コミュニティ事典』より 欧米のコミュニティ

「弱い絆/強い絆」とは何か

 アメリカの社会学者マーク・グラノヴェッターは、著書『転職』の中で、「弱い絆の強さ」という逆説的な主張を展開した。その元となったのは、人々の転職行動の研究において、ごく親しい家族や親友といった「強い絆」は、同質性が高いために新規な情報をもたらし靭く、むしろ顔見知り程度の知人のような「弱い絆」の方が、異質で新規な情轍が得られ、より有用であるという知見であった。グラノヴェッターの主張は、それ以降も、個人が取り結ぶネットワークの研究に対して、大きな影響を与えることとなった、その竹子を抽象化して述べるならば、凝集性の高い「強い絆」ばかりが存在していては、社会は小規模な集団へと分散してしまい、むしろそれを互いにつなぎとめるような「弱い絆」こそが、社会を結びつけているというものであった。

 近年注目されている社会関係資本論においても、関連する主張が見受けられる。たとえば代衣的な論者であるアメリカの政治学者ロバート・パットナムは、同質的でつながりの強い「結束型社会関係資本」だけでなく、異質的で開放的な「橋渡し型社会関係資本」のj爪要性も指摘した。この後者こそが「弱い絆」にあたるものである。

 なおグラノヴェッターと同種の研究は、日本でもいくっかなされてきたが、『転職』の翻訳お・でもある渡辺深によれば、日本社会では「強い絆」のほうが有用なケースが多く見られてきたという。

「ソー活」という可能性/問題点

 その後、2000年代以降のインターネットの本格的な普及を経て、こうした動きにも変化が見られつつある。いわゆる「ソー活」はその典型といえるだろう。「ソー活」とは「ソーシャルメディアを通した就職活動」の略であり、2010年代に入って目立ってきた動向である(2012年には新語・流行語大賞にノミネートされ、2013年版(現代用語の基礎知識)にも収録された)。

 具体的には、各種のソーシャルメディア上において、求職者側は自己アピール情報を掲載する一方、企業側も就職情報に関するページを開設し、双方向的なコミュニケーションを図りながら就職活動を進めていくことを指す。

 旧来までの、部活動や血縁関係を通した、いわゆる「コネ採用」が「強い絆」だとするならば、ソーシャルメディア上の情報にアクセスしたり、自己アピールを行うことは、理論上は誰にでも可能であり、まさに「ソー活」こそ、現代版の「弱い絆(の強さ)」ということも可能だろう。関連した興味深い事例としては、図に示されているように、2014年に、当時東洋大学4年生であった菊池良が、「世界一即戦力な男・菊池良から新卒採用担当のキミヘ」と題して、過剰なまでに自己肯定的なアピールを強調したホームページを作成し、各種ソーシャルメディア上で大きな反響を呼びながら、企業から内定を得たというエピソードが挙げられよう(後にフジテレビ系列でドラマ化された)。

 しかしながら、これはやはり特殊な事例であり、実態としては「ソー活」はさほど広がりを見せていないといわれている。また、ソーシャルメディア上の情報は、逆に企裳側が内定を出す前の「身分照会」代わりに使われることも多いといわれ、かえって求職者たちが、就職活動に際して、個人情報の公開を控えたり、削除することもあるという。

ソーシャルメディアがつなぐのは弱い絆か、強い絆か

 こうした「ソー活」の状況にかんがみても、今問われているのは、日本社会においてソーシャルメディアが紡いでいくのが、果たして「弱い絆」なのか、それとも「強い絆」なのか、という点にある。可能性としては、どちらもありうるといえよう。

 だが、これまでの関連研究の蓄積を振り返るならば、日本社会におけるインターネットは、新規な関係形成をもたらすというよりも、結局のところ既存の人間関係を強化したり、あるいは人数の面で増加していても、同質的な関係に留まっていると指摘される傾向にある。つまり、グラノヴェッターがいうような「弱い絆」の形成に、役立っているとはいまだにいえないような状況である。

 しかしながら、ソーシャルメディアは、それぞれのサービスの流行り廃りが激しく、今後さらに新たなサービスが展開される可能性もあるため、引き続き検討を重ねていくことが肝要といえるだろう。

フラッシュモブの成立とその起源

 2003年6月17日、ニューヨークのとあるデパートの絨毯売り場に突如200人近くもの一団が姿を現した。一枚の高級絨毯を取り囲み、何やら激しく論争しているらしいその様子に驚いた店員に彼らが言うには、自分たちは郊外の大きな倉庫で一緒に暮らしている、今日は「みんなで乗って遊ぶ」ための「ラヴラグ」を探しにきた、とのこと。あっけにとられている店員が見守る中、その絨毯を買うかどうかの議論が熱心に交わされたのち、投票が行われ、少数の賛成意見と多数の反対意見が出されるやいなや、一同は唐突にその場から姿を消した。

 雑誌編集者のビル・ワジクが仕掛けたチェーンメールから生まれたこのプロジェクト、「二ューヨークにほんの10分程度、わけのわからない群衆を生み出そうとするプロジェクト」はその夏8回にわたって開催され、その様子をブログにまとめたショーン・サヅェージによって「フラッシュモブ」と名づけられた。するとそれを見た人々が今度は自分たちのプロジェクトを各地で主催し、実行するようになる。その結果「フラッシュモブ現象」はアメリカ中を、そして世界中を席巻し、その夏のうちに「南極大陸を除くすべての地域を征服してしまった」(サヴェージ)。翌年に刊行された「コンサイスオックスフォード英語辞典」にはこの語が新語として収録される運びとになり、次のよう解説が付された。

  インターネットや携帯電話を通じて呼びかけられた見ず知らずの人々が公共の場に集まり、わけのわからないことをしてすぐにまた散り散りになること。

 こうしてネットカルチャーの中に定着するに至ったフラッシュモブだが、しかしその原点にあるのは実はワジクのプロジェクトばかりではない。ロンドンのアーティスト、ペン・カミンズはやはり2003年頃から「モバイルクラビング」と称する突発的なダンスイベントを繰り返し主催していたし、ニューヨークの劇団、インプロヴ・エヴリホェアはすでに2002年頃から「ミッション」と称するドッキリ系のパフォーマンスイベントを立て続けに主催していた。さらに日本では早くも2001年頃から2ちゃんねるを拠点に、「ネタオフ」などと呼ばれる大規模なパフォーマンスイベントが盛んに開催されていた。

 このようにワジクのプロジェクト以外にも、21世紀を迎えるにあたってどういうわけか世界各地の都市からほぽ同時発生的に同様の活動が立ち現れてきたわけである。そこで繰り広げられるのはいずれの場合もひたすらバカバカしく、くだらなく、わけのわからない行動、無意味かつ無目的な行動だ。これら一連の活動、ネット環境の普及とともに立ち現れてきたいわば21世紀的なジャンルの集合行為としてのこうした活動に、「フラッシュモブ」という語は1つの名前を、そして1つの概念を与えることになったといえるだろう。

フラッシュモブの展開とその意義

 その後、ネット環境は進化し、2000年代も後半になるとメールとブログの時代からSNSとYouTubeの時代へと移り変わっていく。それにともなってフラッシュモブの内実もさまざまに変化していった。一方でそれはYouTube上のコンテンツを志向するものとしてエンターテインメント化し、とくにアメリカをはじめとする英語圏では、そして日本でも、カミンズのクラブの流れを汲むダンスイベントや、インプロヅ・エヴリホェアのミッションの流れを汲むパフォーマンスイベントが主流となる。他方でそれはSNS上のコミュニティを志向するものとしてアクティヴィズム化し、とくにロシアをはじめとする|日ソ連圏では、2000年代を通じて推し進められてきたいわゆる「カラー革命」の進展にともなって、どこかしら政治的なニュアンスをともなった半デモ型、半プロテスト型のイベントが主流となる。

 さらにいずれの場合もその動きはグローバル化していく。世界中の人々が同じ日の同じ時刻に一斉に動きを止めるという「ワールドフリーズデイ」、一斉に枕叩きに興じるという「インターナショナルピロウファイトデイ」などのイベントがアメリカを起点に世界数十ヵ国で同時開催された一方で、「新しいリアリティのゾーンを生み出す」こと、「全世界のリアリティを一瞬にしてつくり変えてしまう」ことをめざすという「グローバルフラッシュモブ」がロシアを起点にやはり世界数十ヵ国で同時開催された。

 こうして2000年代を通じて世界中で醸成されてきたフラッシュモブカルチャーは、2010年代を迎えるにあたってより大きな展開を迎えることになる。 2011年、カラー革命の終着点となった地、中東から突然大きな衝撃がもたらされた。「アラブの春」である。チュニジアやエジプトに劇的な政変をもたらすに至った一連の革命行動は、もちろんフラッシュモブとして実行されたものではない。しかしSNS上のコミュニティから呼びかけられて馳せ集まった群衆が祝祭的な、ときにカーニヴァルまがいのお祭り騒ぎを繰り広げ、その様子をYouTube上のコンテンツとして確かめ合いながら世界中に発信していくというそのスタイルは、まぎれもなく2000年代を通じてフラッシュモブカルチャーの中で確立されたものだった。実際、チュニジアやエジプトでのいわゆる「フェイスブック革命」の起点となったとされるモルドヴァでの「ツイッター革命」、さらにベラルーシでの「ライヴジャーナル革命」なるものはいずれの場合も、もとはといえば一連のフラッシュモブとして企画され、実施されたものだった。

 ニューヨークのデパートの絨毯売り場から生まれたフラッシュモブは、今やこうして世界を揺るがしかねないほどの巨大なポテンシャルを持つものにまでなっている。21世紀的なジャンルの集合行為としてのフラッシュモブは、そのバカバカしさ、くだらなさ、わけのわからなさをむしろその原動力としつつ、その無意味さと無目的さの中に立ち返ることからあらためて新たな意味と目的を形づくっていくための1つの力、それによってこの世紀を形づくっていくための巨大な集合力となりうるのかもしれない。
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