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サファイア「循環」「機能」「革命」

モスでの朝食の試み

 朝7時過ぎに、歩いて、モスまで来たけど、お客様は全然居ません。朝モスはヒットしていない。通りの道は通勤の車で一杯です。

 モスの朝食にしたけど、ホットコーヒーの量が少ない。スタバでのトールとかグランデになれていると、半分以下に感じてします。朝、食べに来たというよりも、朝の時間をどう過ごすかの実験に来たけど、モスはイメージに合わないですね。

 一番、イメージに合わないのは、お客様があまりにも少ない。1時間弱居たけど、一人だけしか来なかった。スタッフも全然、顔が見えない。あかりさんたちが居る、駅前のスタバの方がいい。元町の方はいつも同じだけど、話が合いそうもない。

 この際、朝マックも試しましょうか。だけど、元町はあまりにも雰囲気が悪い。どうしても、対面のスタバに目が行ってします。

 モスの朝食は、ハムカツバーカーが290円、ブレンドコーヒーが250円。それで割引が110円で、合計430円。半分しかないコーヒーで250円なんだ。

時間感覚を失っている

 何しろ、時間感覚を失っています。いつまでに何をやらないといけないのか。よく考えるとこれは現役の時も同じです。どこへ持って行くわけでもない。これは宗教家も皆、同じでしょう。なにしろ、締め切りは一つしかない。個体として見たら、死の時です。宇宙から見ると話は別だけど。

 親鸞にしても、自分の知りたいことを求めて、中国まで行った。行くも帰るも地獄なのに。その時に、いつまでに答えを出さないといけないというのはなかった。自分の中の問題です。だから、自分がきっちりすればいいだけの話です。頼ろうとするからダメなんです。

技術に依存してはダメの意味

 技術に依存してはダメだと書いたけど、あの意味は、自分たちでどうにかしましょうというよりも、今の技術はインフラを伴います。インフラを作り上げている時間がないということと、多様化の為に、インフラを一つに絞り切れない、ということです。

 そこでインフラをインフラを選ぶ技術を持っていない。次は水素にするか、電気にするのか。そういう問題ではなく、自分たちの生活を根底から見直していく。生きている理由に納得できるようなものにしていく。

 それを見直すために、何が必要かというと、技術ではなく、それぞれが考えること、覚醒することです。

サファイア「循環」「機能」「革命」

 9.4から9.6までは「サファイア」の三段面です。ここにサファイアを集中させます。これと歴史編とか社会編で、どれだけ、具体化できるか。

 地域と国という立場だったけど、これを変えます。内部での方針と対応、外部からの方針と対応。その循環です。サファイアをグローバルとローカルから、内部と外部の関係をどうつなぐか。機能もそういうカタチになります。

 そうしないと、地域と国という従属関係から対等の関係に持ってこれない。視点がずれます。内側と外側にすることで、相対的にカタチになります。

サファイア革命の意味

 ローカルとグローバルを内と外にすることで、サファイア革命の意味が分かってきました。内で作られたシナリオと外に出していくこと。外に新たな循環を作り出すことです。

 ポイントとしては当事者ではないということです。あくまでも内で行ったものを、やるなら、そうなるという、一つのシナリオにすぎません。というのは、皆がそういうシナリオを持って行動することで、それぞれにとっての外の世界が変わっていく。内なる世界は変わりません。

 一人の人間と外の世界がイコールになること。それをカリスマが行うのではなく、全体の各人がやっていくこと。

個人が理念を持ち、覚醒すること

 当然ながら、個人の持っている理念よりも、全体の理念の方が低くなります。これは当たり前のことです。一人の理念で全体が膨らむのも確かです。

 何しろ、一人というけど、それは137億年の蓄積の上に成り立ったものだから。個人というのはそういうものです。だから、そこはでかいです。内側から外側と言っても、外側が変わらなくても、一向に構わない。これが従来の革命と異なる点です。

 チェが考えたモノがキューバにどう影響したか。多分、それは違ったはずです。カストロに近い形で終わりました。だから、チェは自分の内部の姿を求めて、ボリビアに行って殺されました。トロッキーにしても同じです。内なる世界で作られたものを外なる世界でカタチにしようとするけど、それは結局、外部的なものに過ぎない。

 覚醒という言葉を使っているのは、その力にめざめることです。137億年を一身に浴びることです。親からではない。自分の氏・素性といっても、たかが知れています。

 最低でも、20万年前にアフリカから出て来たときは一家族でした。猿人類になると、何百万年、地球は30億年前からです。それを一身に浴びて考えたことは、全てに対して、自由だということ。そして、内部を作れば、外部は高々、付属品です。

 だから、外部に求めるのは、超・資本主義であり、超・民主主義です。あくまでも、シナリオです。自分を活かすために、自分の内部との整合性を取るためにはそれぐらいのレベルのものが必要だということです。ハイパーだということだけです。

 それぞれの内部から作られたものを集めた時に、どういうカタチになるのか。それは個人の意識よりも低いものです。高いものになることはありません。チェが考えたよりもキューバは低いです。トロッキーが考えたよりもソ連ははるかに低いです。それは他の力で変わってきます。

 この特徴は、その中で偉大な力があると、それに引きずられて、大きくなっていくつもりでいる。それは単に方向を間違えただけのことです。核心の部分はもっと小さいです。自由と平等だけかもしれません。

分化と統合のイメージ

 ここまで来ると、分化と統合のイメージがハッキリします。分化は内部の世界、統合は外部の世界、内部の世界と外部の世界をどうつなげていくのか。エネルギーはすべて内部の世界に在ります。

 外部には色々なものが居ます。企業は際たるものです。これはグローバルで参加しています。行政はローカルのそばにいます。国はその間の中途半端なものです。それらが統合という名のもとにいます。新しい統合は境界を持たないかもしれません。

境界線は意味を持たない

 その意味ではオスマントルコとISは一緒です。彼らは境界線を持たない。モンゴルも同様に境界線はなかった。

 30年戦争の結果の、ウェストファリア条約の世界だけが国境線を持つ。国境と民族はバラバラです。国境が意味を持っていないということです。日本と英国だけが意味を持つ。英国は、ジブラルタルのような所に「国」を持つから、そうとは言えないか。

 それが環境社会という名のもとに、国境を持たない大きな世界とローカルとつながるコミュニティの世界に再構成されるのが、第9章です。

通勤という名の駐車場

 8時半になっても、通勤のためか、道路が混んでいます。異常です。異常な街です。そして、それを異常だと感じない人たち。

胸の違和感は相変わらず

 散歩も兼ねて、モスまで来たけど、胸の違和感は手術以前と同じです。何を治したのかな。スッキリとしない。このままで海外旅行に行くのは難しいですね。10月のカテーテル検査、それ以前のエコーも含めて、症状を確認していきましょう。

 もしかすると、単なる筋肉疲労かもしれない。それで心筋梗塞が見つかったのはいいことかもしれない。無駄かもしれないけど。

道路における分化と統合

 道路も統合の一つでしょう。それぞれ、自由の意思を持つ、個人が車というモビールで巨大化して動き回っている。だけど、これは統制がとれていない。「進撃の巨人」として見ると、撲滅する対象になる。今まで、考えたことが、思いかけずにつながること。これは物理の発見でも皆、同じです。そこに感動が生まれ、拡大が始まります。

第9章の次のターゲット

 第9章が内と外の世界の攪拌とみると、第10章は何なのか。10.1「多くの人が生きられる」が生きられるというのが出だしです。この意味するのは何か。そして、最後はすべてを知ることになっている。最後は自分に戻ってくること。

 第9章の後に第10章を行うのは、心理的にきつい。違う方の考え方の方に持って行きましょう。とっても、ナイーブな第2章数学編でしょうか。次は数学編です。2.1.1.1「数学の真理」です。不変で空間をつくる。そこから真理を導き出す。
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