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ゲッティンゲン大学 数学の終焉

『ヒトラーと物理学者たち』より 科学に仕えることは国家に仕えること ⇒ ゲッティンゲン大学には行きたかった。幾何学者として、

公的な義務がないにもかかわらず、公務員法に抗議して辞職した唯一のユダヤ人はハーバーだけではなかった。ドイツの科学コミュニティは、ジェイムズ・フランクがゲッティンゲン大学の物理学教授の椅子を明け渡すという決定に対し、同じように衝撃を受けた。原子の量子論に関する研究で一九二五年にノーベル賞を受賞していたフランクは、第一次世界大戦中に二つの鉄十字勲章を授与されており、あらゆる基準からみて、何ら差別を受ける筋合いのない退役軍人だった。しかしフランクは、自分の子どもたちを二流の市民として扱うような国家に雇われ続けることはできないし、人々が不当に退職させられているのを引き下がって眺めていることもしたくないと説明した。同僚の何人かはフランクに対して、若き物理学者ルドルフ・ヒルシュの言葉を借りれば、「料理された直後は熱すぎて何も食べられない」、つまり熱はそのうち冷めていくものだ、という理由で説得を試みた。しかし多くの学者は、特に『ゲッティンゲン新聞』にフランクの辞職の手紙が掲載されたとき、その露骨に「政治的な」行動を非難した。そして、ゲッティンゲン大学の職員四二名が、「妨害行為に値する」と抗議して請願書に署名した。

フランクは国を直ちに出たわけではない。彼はアカデミックでない職を見つけようとしてゲッティンゲンに留まっていた。マックス・ボルンは六月にアインシュタインに、「彼(フランク)の試みが成功する可能性はもちろんまったくないでしょう」と書き送っている。ボルン自身もこのときまでにゲッティンゲン大学を辞めることを決めており、アメリカやフランスでのさまざまな仕事の情報を得るべく、イタリアのチロル地方に滞在していた。注目を集めることを避けるため、ボルンはフランクのような大胆なやり方を採ろうとは思っていなかった。ボルンがアインシュタインに打ち明けたように、「私にはフランクのような神経が備わっていないようだし、また彼の意図も分からない」ためであった。さらに、ボルンは述べている--

 妻と子どもたちについて言えば、ようやくこの数か月のあいだに、自分たちがユダヤ人であること、すなわち(喜ばしき専門用語を使えば)「非アーリア人」であるこピを意識するようになりましたし、私自身でさえ、とくに自分がユダヤ的であると思ったことはありませんでした。もちろん今では、いやと言うほど意識しています。というのは、実際に私たちがそうみなされているからだけでなく、抑圧や不正義が私に怒りと反逆心を引き起こしたからです。

数学者のリヒャルト・クーラントもゲッティンゲン大学を追放された。とはいえ、彼の場合は簡単ではなかった。クーラントは、状況に異議を唱えて争うという方法を採った。それは見込みのないことであり、さらには彼が共産主義者であるというキャンペーンが張られることになった。結局、クーラントに出国という決定を促したのは家族への不安であった。肉体的な危険性を感じたというわけではなく、ドイツ社会に沁みこむ毒に感染するのではないかという危惧であった。クーフントは後に、「一番下の息子は、なぜ自分もヒトラー・ユーゲントに入るべきではないのかを理解できなかったようだ」と書いている。

ゲッティンゲン大学は久しく、数理物理学の宝石のような場所だった。しかし、あいつぐ免職と辞職によって、その科学的地位は損なわれていった。国を出た人々にはほかに、ハンガリー人の物理化学者エドワード・テラー、数学者ヘルマン・ヴァイル、ジェイムズ・フランクの義理の息子アーサー・フォン・ヒッペル、帰化したロシア系ユダヤ人ユージン・ラピノヴィッチ、そして物理学者のハインリヒ・クーンたちがいた。彼らの多くは、フランク(シカゴ大学に身を落ち着けた)と同様に、連合国の極めて重要な戦時研究、特にマンハッタン計画に従事した。テラーは、第二次世界大戦後の熱核融合による水素爆弾の開発の中心的な推進者の一人となった。このような大脱出の直後、数学者ダフィト・ヒルベルトはある宴会の席で、教育相ベルンハルト・ルストの隣に座ることになった。大臣が彼に、「ユダヤ人の影響から解放されて、ゲッティンゲン大学の数学はどうかね?」と尋ねた。「ゲッティンゲンの数学ですって? もはや何もないというのが現実ですよ」とヒルベルトは答えた。

私たちはここまで、「非ユダヤ人」が何の異議申し立てもせず、いかに右記の出来事の大半を受け入れてきたのかをみてきた。ある者は自分の地位や未来への不安のためから、ある者は運命論もしくは「ドイツの科学を守る」ためという考えから、またある者は、新法から利益を得る立場にあるがゆえに、単純に同意した。苦しい言いわけをする者たちもいた。ウォーレン・ウィーバーはKWGの事務局長フリードリヒ・グルムについて、彼は「視線をテーブルに落として状況への弁護をするが、彼の弁護はまったく印象に残らず、底の浅いものであった」と書いている。ウィーバーの抗弁に対してグルムは、黒人に対するアメリカ人の偏見を引用して言い返している。ウィーバーは、彼にしろ、他のリベラルにしろ、これを支持せず擁護せず言いわけもしなかったのではないかとその違いを指摘した。グルムは何も言い返すことができなかった。ウィーバーは、「プランクのような、数少ない実際に高貴で勇気ある人々のほかに、誠実な人、どこかしら率直に思える人には出会わない」と書いている。

ユダヤ人の同僚たちを「支援し」、あるいは「守った」科学者たちであっても、彼らの行動が究極的にその排斥の過程を進めることになり、さらには支持することにさえなるということに心至らなかった。彼らは遺憾の意を示しながら、ユダヤ人科学者たちが海外で職を見つける手助けをしたが、ドイツに留まろうとしたクーラントのような少数の人々への支援は乏しかった。また彼らは、湯ダヤ人の同僚たちの後任を探す過程に参加することで、空席となった理由の正当性を暗黙のうちに受け入れた。ハイゼンペルクはボルンをゲッティングン大学に留まるよう説得できず、ボルンが去った後に空いたポストヘの自らへの指名を受け入れたが、結局は、政治状況のために実現しなかった。

国家に対する組織的抵抗の経験が何らない科学者たちには、ほかに何ができるかについての考えはなかった。彼らは、自分たちがおとなしく従うことで、国家の無法を制限できるのではないかと期待した。バイエルヘンによれば--

 留まることができる者は留まるべきだ、がスローガンだった。物理学の指導者たちが目指したのは、個々人の困難を最小限にし、可能であれば、免職や退職を取り消し、そして何をおいてもドイツ科学の国際的な地位を保つことだった。……彼らは、国家社会主義の最悪の部分は過ぎ去っていくだろうし、ドイツの名声のための科学の重要性は永遠であると考えていた。

しかし彼らは、最悪の部分は速やかには過ぎ去らないということをすぐに悟らされた。一九三四年八月の後、すべての公務員はヒトラー本人に対して忠誠を誓う宣誓書に署名すること、つまり総統国家への究極的な誓約を求められた。ライプツィヒ大学のハイゼンベルクとデバイは一九三五年一月に署名し、ライプツィヒ大学は不承不承ナチ化されていった。イタリアからの客員研究員エットーレ・マョラナは、「スワスティカ(かぎ十字)が至るところでみられる。ユダヤ人の迫害はほとんどのアーリア人を喜ばせている」と記している。学生たちは、残っているユダヤ人教授たちを公然と罵りはじめ、「非ドイツ精神」に反対するデモを行なった。ライプツィヒ大学は、「指導者原理」(独裁者個人による議論の余地のない指導性を重んじる)を採用する新しい組織となり、新学長アルトゥール・ゴルフは、学生と教授は今や「ヒトラーのもとの同志」であると述べた。一九三三年一一月にライプツィヒ大学のアルバート・ホールで開かれた、国家社会主義大学教員連盟主催の会合では、「ドイツの大学および専門学校の教授たちのアドルフ・ヒトラーヘの献身」というナチ支持のスローガンが賛美された。この会議はヨハネス・シュタルクによって企画され、フライブルク大学の学長であり哲学者のマルティン・ハイデガーの演説がなされたことで知られる。

一九三五年までに、ドイツ国内の科学者の五人に一人、物理学者にかぎれば四人に一人が解雇された。そして、権力と影響力のある(ほとんどというわけではないが)いくつかの地位は、党に従順であるために昇進した二流の人間によって占められた。さらにナチスは、誰が科学を行なったのかではなく、どのような科学が成されたかを強調するようになっているかにみえた。一九三三年六月に、帝国内務相ヴィルヘルム・フリックは、「科学の自由についてのあらゆる点において、科学への奉仕は国家への奉仕でなければならず、科学的成果は人々の文化に役立たなければ価値がないと考えるべきである」と宣言した。またバイエルン邦の教育文化相は、ミュンヘンの大学教授たちを前にした演説で、「今後、あなたたちにとって重要なことは、何か真理であるかを決定することではなく、それが国家社会主義の革命の精神に適っているかどうかを決定することである」と述べた。

しかし、こうした言葉が良き科学への呪いの言葉のように聞こえるとしても、実際には、そうした空疎なスローガンはほとんど何の影響ももたらさなかった。ナチの指導者たちは、科学の中身を評価できる立場になく、そもそも科学に大きな関心を抱いているわけでもなかった。物理学にナチスの教義を侵犯させようというのは、国家が認める事業ではなく、数名の著名ではあるがユダヤ人に敵意をもつ者による自己宣伝であり、究極的には無益な試みであった。
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Unknown (大きな関心)
2020-10-31 09:43:33
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