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公共図書館の5つの将来像

『ポストデジタル時代の公共図書館』より デジタル時代における電子書籍と公共「図書館をどう理解するか

デジタル時代においても紙の書籍の活用を促す方向でしか活動していない、というやや悲観的な現状を述べた。だからといって、日本の公共図書館が時代遅れの存在になりつつあるわけではないことも述べた。地域を活性化しまちづくりに役立つ図書館をめざす、という方向では他国の公共図書館と共通しているし、それなりの実績も上げているのである。

このような現状から出発してわが国の公共図書館の今後を眺めたとき、電子書籍との関連でどのような将来像が描けるのであろうか。ここでは想定される5つの将来像を提示したい。

これらの将来像は、いま記したふたつの前提に基づいて、広狭両義の電子書籍と紙の書籍に対する自治体・公共図書館が取りうる対応を想像した私見である。異なる方向への展開を展望しているが、将来像同士は相互排除的ではない。むしろ状況に応じて複数の方向を取るのが普通であろう。

将来像1

 「本を読む場所」として、市民のニーズを重視し、ニーズに合わせて資料を提供する。現在は紙の書籍の読書こそが読書の中心と見なされているが、仮に世の中の「読書」が紙から電子に移り、市民のニーズも変化すれば、公共図書館も次第に提供資料の中心を紙から電子に変えることになる。

 現在の公共図書館の姿勢からすると、一番無理のない想像に思えるが、仮に書籍の中心が紙から電子に移ったとすると、電子書籍を提供するために、契約の問題等さまざまな課題を解決しなければならない。同時にアクセスできる人数とか、個別の合意により技術的に解決できるものも多いだろうし、ひょっとすると個別の合意や契約で済んでしまうのかもしれないが、しかしその根底に、出版社の自由な出版活動と図書館の公共性をめぐる議論があることを忘れてはならないだろう。

 書籍の電子化が進展する中でも、あえて紙の書籍の提供をサービスの中心とする、という選択もあり得る。この選択は短期的には有効かもしれないし、紙の書籍に対するリテラシーを保持することも公共図書館の大切な役割であることを考えると、意義のあることでもある。江戸時代に大量に出版された書籍を読む能力を、私たちが失った川ように、紙の書籍を読む能力もやがて失われていくに違いない。そうした中で、単にものを後世に残すだけでなく、読解力も保持してゆくことは、文化の継承という点で意味のあることである。

 しかし、利用を中心にサービスを組み立てられてきた公共図書館が、出版点数が減り価格が高くなり利用が減るような資料を、どれだけ購入し続けることができるかは疑問である。

将来像2

 先程述べたように、アメリカの公共図書館はICTへの対応をいち早く進め、今日なお強力に進めている。公共図書館はデジタル社会における情報の機会均等を保証する機関としての役割を担おうとしてきているのである。学校などと共に低料金でのインターネット接続を実現し、市民に無料で提供している。館内にPCを多数置き、インターネットヘの無料接続サービスを提供すると共に、多数の情報活用講座を開くことによって、人々に学習の機会も提供してきた。

 こうした基盤の上に立って、アメリカの公共図書館では、大学図書館に続き大規模なデジタル化が進行している。本書第2章で触れているように、テキサス州サンアントニオ市立図書館は「BiblioTech」と呼ばれる、本が1冊もない分館を2014年に開館し、「アメリカで最初の『本のない図書館』」を謳っている。そこでは約1万タイトルの電子書籍に加えて、多数のPCやタブレット端末、読書専用端末を備えて、市民に提供している。本のない図書館は他にもあるし、それほどではないにせよ、多数の電子機器を備え、広義の電子書籍を提供している図書館は多い。

 わが国でも、アメリカのようにデジタル社会における情報へのアクセスの機会均等を促進する役割を公共図書館が担おうとする方向性が提示されたことは、『2005年の図書館像』で触れた。しかし、公共図書館が広い意味での書籍の提供を超えて、デジタル社会における市民の情報活用を推進する機関であるとの認識や期待は、わが国にはない。したがって、公共図書館がICT活用の場だという認識を基礎に公共図書館に電子書籍が普及する、という道筋は、現実的でない。

将来像3

 すべての市民に書物を通じて情報にアクセスする機会を提供する、という近代公共図書館の理念を電子書籍にも適用して、すべての市民が電子書籍を利用する機会を提供する。これは将来像1で述べた図書館の公共性についてのひとつの明確な見解であるが、社会的公平性を重視して電子書籍の市場を無視するような考え方は、出版界にとうてい受け入れられないだろう。

 出版界との関係では、一方で、大学図書館との間における電子ジャーナルの契約のように、機関を主な単位とするものがある。これだと機関外の人の利用が閉め出されてしまい、一種の情報の囲い込みが起こってしまうことから、オープンアクセス運動のような、囲い込みを打ち破り、誰でもが情報にアクセスできるようにしようとする動きが出てきている。

 図書館と書店は、同じ潤A品を同じ人々に届けているという意味で、本質的に競合関係が存在している。一方で、例えば子育て中の家族にとって、絵本のように子どもが成長したら必要なくなるものに対してまですべて購入しなければならないときの購入可能な絵本の数とそれによる社会的効用を、公共図書館を通じて利用可能となる数と、そこから得られる読書体験、およびリテラシー獲得による教育的効果を考えると、公共図書館を通じた書籍の提供には、書籍を普及させることを通じた社会的効用のあることが理解される。

 紙の書籍においては、書店・出版社との競合は新刊書籍に限定されていて、品切れ・絶版書については競合関係を想定する必要がなく、むしろ図書館は出版文化の維持と継承という点では出版社を補完するような存在であった。しかし、電子書籍においては、出版社は同じプラットフォームを通じて市民にも図書館にも販売することができるため、以前に出版された書籍についても競合関係が生じてしまう。

 先程の子育て中の家族の例を電子書籍の場合に当てはめてみると、あるプラットフォームが定額・低料金で絵本の読み放題のサービスをはじめたとしたら、それはほぼ公共図書館のサービスに重なり、違いは有料か無料かという一点のみになってしまう。このとき、公共図書館が無料で電子書籍を提供するとしたら、その意義は、すべての人に電子書籍の利用機会を提供するか、または、総体としてかなりな金額になる契約料金の支払いを通じて、あまり利用が見込めなかったり、単独では電子書籍の出版ができない出版社を支援する、という福祉的・文化的な役割に求めることができるだろう。いずれにせよ、公共図書館と出版社とは競合を避け、互恵的な関係を構築する必要があるが、それは難しいものとなるだろう。

将来像4

 高齢者や障害者など、情報へのアクセスに支障のある人々に対して、アクセスを保障する。本書第5章で見たように、デイジーなど、デジタル化はアクセシビリティの改善に効果があり、その提供は公共図書館の役割として期待される。高齢化の進展と共に情報アクセスヘの支援を必要とする人々の数は増え続けるから、この将来像は実現する可能性が大きい。ただし、サービスを必要とする人の割合は比較的少数に留まるであろうから、図書館サービスの中核となる可能性は低い。また、新しいサービスはICTに関する技能を前提としているから、技能習得の機会を設けることも忘れてはならない。

将来像5

 わが国の公共図書館が向かおうとしている方向、すなわち、地域や住民の課題解決に貢献し、地域の役に立つ図書館になることをめざす、という方向においても、本書第5章で野口が述べているように、電子書籍の活用を想定することができる。特に、地域のさまざまな面を記録し保存する事業は、地域の記憶装置としての役割を公共図書館が果たすことになる。例えば、東松島市図書館は、外部のさまざまな機関と連携して、震災関係の資料や写真を収集すると共に、市民の経験を記録し保存するという、「ict地域の絆保存プロジェクト」を実施し、成果を上げている。

 公共図書館が地域の活動に参加し地域の活動を支援する中で、広義の電子書籍が作成され活用されることもあるかもしれない。岡山県立図書館が作成・提供する「デジタル岡山大百科」などは、市民参加型の郷土情報データベースを構築する試みであろう。公共図書館の正規の事業ではないが、各地で図書館を会場に行われているウィキペディアタウンヘの支援なども、広義の電子書籍作成に公共図書館が関与しようとする試みとみなすことができる。

 狭義の電子書籍に関連しては、札幌市立図書館が行った、北海道内の出版社による電子書籍出版の支援が注目される。

 これらはいずれも意義のある試みであり、また、将来性も見込めるが、札幌市立図書館の事例を除いて、本書第6章で述べられているように、デジタル化の課題は主にデジタルアーカイブ論の領域で論じられてきており、まちづくりや地域の課題解決といった面でとらえられる活動では、作成される記録類はまだまだ紙によるものが多いように思われる。

7 デジタル時代における「公共」とは

 デジタル化・電子書籍という観点から公共図書館の可能性を眺めてきた。アメリカのようなデジタル環境への積極的な関与のない日本の公共図書館では、図書館がイニシアティブを取って電子書籍の積極的導入を図ることは難しいが、市民のニーズをベースに読書中心のサービスを提供している現状から、電子書籍が一般的になれば公共図書館も追随するだろうこと、その場合には、出版社との競合から、図書館の公共性が改めて問われるだろうと記した。

 情報へのアクセスに支障のある人々に対するサービスや、まちづくりへの関与、地域への貢献からは、わが国の公共図書館においても広義の電子書籍、デジタルアーカイブに関わる可能性のあることが示唆されている。結局のところ、市民に対してニーズに応えて何かを提供するという姿勢よりは、市民に提案し市民と積極的に関わる中からしか、デジタル時代に対応し、広狭両様の電子書籍を作成し発信し、収集し提供する新しい公共図書館の姿は見えてこない、ということなのではあるまいか。従来の、ややもするとまず規則ありきで、未来を先取りしようとしない硬直的な運営を良しとするあり方から、市民との協働の下に、未来を創る活動を促進するように自ら規則を作り柔軟に運用するような、新たな「公共」の図書館が求められ、そしてそれを実現しようとする活動ははじまっているのである。
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