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民主主義とイスラム主義者の挑戦

『民主化かイスラム化か』より

二〇一二年三月初め、エジプトの議会選挙で票の二八%を集めたイスラム主義のアル=メール党をミニースキャンダルが襲った。この超保守的なサラフィー主義政党の国会議員のアンワル・アル=バルキミが、真夜中に幹線道路で銃を持った男たちに襲われ、殴られて顔に重傷を負ったこと、その上にコカ六五〇〇ドルにあたる現金を奪われたと報告したのだ。バルキミ氏は顔を包帯でぐるぐる巻きにしてテレビに現れ、議会の同僚の多くから同情や憐れみを受けた。警察に責任を負うゆえに恥をかかされた内務省は、遺憾の意を表明し犯人たちを捕え裁きを受けさせるための努力に格別の精励を約束した。

しかし、疑惑がすぐに浮上した。ある病院の医師がその説明を問題とし、バルキミ氏の顔に包帯を巻いたのは自分だが、身体攻撃による裂傷を治療するためではなく、バルキミ氏の鼻への整形外科手術を隠すためだったと主張した。同議員はただちに医師の主張を否定し、仲間の議員たちも彼の肩を持って医師を攻撃し、政治的動機で嘘をついていると非難した。しかし、医師と病院は切札を持っていた。彼らは手術の詳しい不利な証拠を提出し、その手術は襲撃されたと言われる時間に行われたことを明らかにした。バルキミは自分のいる穴がますます深くなったので掘るのをやめることにし、襲撃の主張は悪ふざけだったと認めた。襲撃話をでっち上げたのは麻酔の影響が残っていたからだという彼の弁解は、多くの人を納得させなかったし、アル=ヌール党のイスラム主義者の仲間はもちろんそうだった。彼らはその偽りが党全体に恥をかかせただけでなく、仲間が整形外科手術を受けた厚かましさゆえに激怒した。こうした行いはサラフィー主義者の間ではひどく非難されるが、それは人間の創造は神の完全さを表しているので、いじくるべきでないと信じているからである。信用を失い今や見捨てられたバルキミ氏は、速やかに辞表を提出するよう強制された。

バルキミ氏の不幸な逸話は、ある点でアラブ世界における民主主義の展望に関する、より大きくはるかにより重要な討議の隠喩として役立つ。一方で、サラフィー主義者やより少ない程度に他のイスラム主義者が代表する教条的政治の硬直性は、穏健な政治や政策を希望する人たち--彼らの第一の要求は、妥協し譲歩する用意を見せることだ--にとって快いものではありえない。二〇一一年と二〇一二年に、エジプトだけでなく他のアラブ諸国における自由選挙でイスラム主義者が大きな民衆的支持を受けたことは、そうとうの実質的な民主的変革にとって良い前兆ではないかもしれない。しかし私たちは以前の、たとえばムバラク、ペン・アリ、カダフィの政権下では、かの良き医師は強力な政治的コネを持つ国会議員の嘘を暴露しようと人前に立つのは、よほど躊躇したかもしれないことを想起する必要がある。そしてもし彼が暴露したならば、治安部隊か政党の暴漢連中によって徹底的な尋問を受けることを免れる保証はなかった。あるブロガーがエジプトの過去を思い出して語ったように、「私たちは、一個人が国民の問題に鼻を突っ込むことはできるといつも知っていました。しかし今回は、国民が初めて一個人の鼻に突っ込んでいるのです。」疑いなくバルキミ氏をひどく悩ませたことに、全事態が公怯と行われた。頑固な男たちも、政策決定者たちへの地下の反対派時代から、透明性を求める政治環境においてはその役割が変化するにつれて思慮分別に服従するようになり、彼らの厳しい思想が修正されることかありうるのだろうか?

政治学者たちは、民主的制度の創設は権威主義的態度を変える能力があると論じてきた。この文脈においては、新しいイスラム主義の政治エリートが自由民主主義者にとっての主たる関心事である原則の諸問題、すなわちシヤリーア法の押付け、少数派の扱い、女性の自由の制限、銀行の規制への不当介入等にいかに取り組むかを見ることは、とりわけ興味深いだろう。しかしこの議論は、イスラム主義者に限られない。世俗派の政治家たちもまた根深い態度を身に付けていて、多くは汚れなく民主的というわけではない。実際、長きにわたって権威主義的統治のもとで生きてきた社会全体が、権威主義的な規範や慣行の影響を受け易くなっているし、民主主義の政治的議題は問題としなくてもそれに伴う無数の社会的自由を深く懸念している、文化的に保守的な共同体の場合は言うまでもない。

これら諸国の内外の観察者たちは、民主主義への最初の数歩、すなわち暴君を追放して自由で公正な選挙を行うことは大声で情熱的にほめそやし、もてはやしさえした。しかし熱狂のさなかでも、ハンナ・アーレントによる真の革命の定義を忘れないことが重要である。アラブ諸国におけるゆゆしき出来事は真の革命だったのかという質問に対して、ハンナ・アーレントは別の質問によって答えただろう--それらの歴史的事態の結果として、民主主義が生まれましたか、と。
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