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アクター・ネットワーク ハィブリッドの概念

『ミシェル・セール』より

 準-客体論からアクター・ネットワークヘ

 知の対象としての自然と人間集団との関係が、流動的なものとなり、人間集団が物(自然)を介しつつ、お互いの距離を巧みに取りながら、自然と対話する--ここにこそ、知の本来の躍動する姿があり、私たちか棲み分けつつ生きる新しい大地かあるだろう。対象としての自然と、複数の人間集団の関係は、一度できるだけ明快なかたちで単純化され、さまざまな社会構造の分析に応用できるまでに、図式化される必要がある。セールの準-客体論から大きな影響を受け、こうした図式化を実現した人物に、ブリュノ・ラトゥールがいる。

 『虚構の「近代化」などの著書で、ラトゥールは人間と物の世界曾然」の関係を分析するために、「ハィブリッド」という独特の概念を提示している。ハイブリッドとは、一言でいえば、人間が自然に働きかけた結果であるのか、自然が人間に働きかけた結果であるのか、判然としないグレーゾーンにある対象のことである。こうした曖昧な存在は、そのどっちつかずな性格を残存させたまま、私たちに影響を与え、また私たちからも働きかけられるか、近代という時代はハイブリッドの存在を必死で否定し、この両者か截然と分けられるものであるかのように扱ってきた、と彼は言う。

 彼の言うハイブリッドがどんなものなのか、「オゾンホール」の拡大という、よく耳にする現象を例にとって、まず考えてみることにしよう。これは私たちが日々、新聞を開くと目に飛び込んでくる、よくある話題としてラトゥール自身が掲げているものだ。

 通常の化学的説明によると、「オゾンホール」は、工業製品の使用とともに大気中にまき散らされるフロンガスが、紫外線で分解され、それによって塩素ラジカルというものが生まれ、それが触媒となってオゾン層示破壊されるために起こるということになっている。だが気象学的には、南極の寒冷化によって起こった現象だともいわれ、その科学的原因そのものが、いまだ疑問の余地を残している。

 このオゾンホールときまって一緒に語られるのは、地球温暖化という現象であるが、この現象は年々はっきりと体感されるばかりか、「オゾンホール」という、原因のはっきりしない対象を媒体、挺として人間社会に実際に影響を及している。産業国の首脳や、企業の重役らには、まるで社会現象に対処するような対処が、求められるまでになっているのだ。

 このとき、「オゾンホール」は、どこからどこまでが人為的な原因で拡大したものか、また自然現象によって拡大したものかわからない。つまりはグレーゾーンに置かれた対象である。こうしたグレーゾーンにあるものこそが、ラトゥールの言うハイブリッドなのである。

 フロンガスの入った製品を売っている企業の活動や、それを買って使用する購買者の行動は、間違いなく人為的な行動である。しかしそれが、いったんオゾンホールという「ハイブリッド」を経由すると、今度はそれが科学的対象の姿をとって現われてくる。またこれに対し、産業国の首脳会議、が開催されてその対策が議論されたりすると、そこでは再び人為的な活動が展開されることになる。そこで求められる対処はというと、人間社会で起こった問題を倫理的に処理するというかたちに、どうやら徴妙にすり替えられているようなのだ--ちょうど福島の原発事故のあと、電力供給の不足に対して「節電」することか、復興に向けた日本国民の倫理的態度であると強調され、自然からの脅威や電力会社の技術上の致命的な過失が、いつの間にか私たちの社会的生活の問題へと「内面化」されてしまったように、である。

 日常的に流されるニュースを目で追っているだけでは、物の次元から人間社会の次元へと、こんなふうに折り返しが見られ、両者が混淆していることには決して気がつかない。自分たちの社会集団で求められる態度のうちに、たちまち各々が自閉していってしまう。
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