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本の未来からシェア社会を考える

未唯へ

 Iさんは居なかったけど、グランデだけで充分です。土日はスタバに中途半端に行ったので、コーヒーに飢えていた。

本の未来からシェア社会を考える

 デジタル化することで複製が簡単になる。印刷技術がなくなる。本は著者と個人をつなぐものは買うという行為で成り立っていた。

 著者を生かすために、買っている訳でなく、その間の中継ルートに対する支払、紙に対する支払いが大きかった.それがなくなった時点で、著者と読者をどうつなぐのか。

 当然、娯楽の本と訴える本では状況は大きく異なります。本が社会の変革を起こすためには、訴える本の位置づけを変えていくことです。本と個人をつなげるだけでなく、グループとつなげていく。そのグループが社会を変える原動力になる。

 グーデンベルグの時の聖書と同じ役割です。個人をつなぐだけでなく、グループとつなげていった、ルターの世界です。

 そこにおいて、デジタル図書を扱う図書館の役割は大きく変わる部分と変わらない部分が明確になる。大きく変わるのは、グループをいかに生成するかです。コミュニティのための図書館です。従来、抽象的な生涯学習を戦略化します。

 もう一つはアゴラとしての場所の提供です。古代のアレキサンドリア図書館のアゴラはキリスト教徒が跋扈する場所になった。そこにおいては、教育委員会は関係なくなり、地域のコミュニティが仕切ればいいです。そこで横につなげていくことです。デジタル図書の場合はコミュニティとぴったり合ってきます。

 単なる印刷で、本を渡すのではなく、内容そのものを渡すことになる。本は元々、分化です。読む人で多様なものになります。そこからの行動もバラバラです。コミュニティでまとめられれば、力のなります。一つのコンテンツに対して、いくつもできます。

車でのシェア

 その延長線上で車のシェアを考えた時は複製がネックになります。それを補うのは、共有の考えでしょう。

 車を複製するというアイデアを延長させればいい。車は実際の場所を取ります。デジタル化がいいのは、場所を取らないことです。リアルの本30冊を持ち運んでいた時に、肩を痛めました。デジタル化によって、図書館という場所、本の重さがなくなってきます。

 車を同じようにするにはどうしたらいいのか。カーシェアリングでの効率化と軽車両主体の交通体系です。つまり、人が合わせることです。人の都合をどう見ていくのか。機能として、そこに車があるから。

 これはかなり、大掛かりになります。いかに個人のスケジュールとか都合に合わせていくかです。市民のプライベートに入っていくしかない。そこにあるのは信頼関係です。そうでないと、アンバランスをもたらします。参画している市民コミュニティがコントロールしかない。

 店舗コミュニティでの情報共有が市民コミュニティとの接続を図ります。個別のお客様との信頼関係を超えて、グループでの接続を図ります。

偶然を生かすには

 1,2,3「偶然を生かす」とポータルで起こっていることが重なって見えます。偶然の持つ意味は、自分が生まれてきた意味を含めて、大きいです。

 偶然に偶然を重ねると、必然になってくる。ただし、歴史で方向修正されます。だから、歴史から見ていかないといけないということになります。こまごましたことは、その中にすべて、埋もれます。

 3年前の旅行前日に、偶然に意図を感じました。そういうせこい連中はいくらでもいます。その時から、偶然を読み取ること、結果から原因を探るのを自分の役割としました。つまり、偶然を味方にしました。

 偶然はいくら仕掛けても、方向そのものは変わりません。なるようにしかならない。だから、偶然から未来を見ていくことになります。すべてを知ることはできないのは、人間の限界です。

偶然が全て

 神においても、自分が作った世界だからと言って、すべてのことを知ることはできない。グーグルも同じです。だから、キリストにしても、偶然で奇蹟を起こすだけです。

 ある意味では偶然が全てです。偶然で得たものをすべてとします。それにしても、次から次への私のために偶然が準備されている。今日のパートナーからにしても、同じです。そこで何を得るかです。偶然は従うものではなく、意図を探って、流れを知ることです。
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