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図書館はどこへ行くのか

『挑戦する図書館』より 情報技術・ネットワークの進化と図書館 情報技術と図書館サービス

図書館はどこへ行くのか

 誰もが、いつでも、どこででもコンピュータ情報通信ネットワークにアクセスして知識や情報を入手できるとなると、図書館は必要なくなるのではないかという考えが生まれる。それに、過去の図書も含めてあらゆる本がデジタル化されネット上に公開されれば、本に収録されている知識や情報はネットワークから入手できるようになる。図書館という空間や施設そのものが無駄だと考える人も出てくるだろう。

 図書館の外のネットワーク空間と図書館のなかを隔てる壁はなくなる。図書館がネットワーク空間に飲み込まれてしまうのか、図書館の空間の独自性を維持できるのか。知的な創造に関わってきた図書館は、近い将来、図書館そのものの存在を問われることになるだろう。基本に立ち返って、図書館とは何かを考えなければならない時期にさしかかっているといえる。

 「価値創発」に関しては、図書館としても考え方をまとめておく必要がある。ネットワーク上で出合う知識や情報から新しい知識や情報が生まれる。それに伴い、図書館の知的な創造の場としての地位は低下する。これはやむをえない。だからといって、図書館として手をこまねいているわけにはいかない。ネット上で出合い、新しく生まれる知識や情報だけが、知識と情報のすべてではない。すでに前章でもふれたように、図書館としては、人と人の交流によって生まれる知識や情報があることを確認しておくことが必要だ。

 人と人のリアルな面と向かった交流は、人格的な面も含めたさまざまな情報をお互いに交換し合うという特徴がある。

 その特徴を生かし、新たな知識や情報を生み出すためには、図書館の空間を再構築し、さらに図書館員の役割も見直さなければならない。図書館員は、相談・回答サービス、情報発信、調査・研究に関わるだけでなく、地域社会のさまざまな活動に関わり、かつ、そのなかで人と人を結び付けるコーディネーター、コンシェルジュ、ナビゲーターの役割も果たすことになる。図書館員の研修や再教育は喫緊の課題だ。ここでは、図書館とは何かという問題に挑戦する前に、現在進んでいるIT化か図書館にどのような影響をもたらすかを見ておこう。まず、現在進行中の日本のIT政策から見ていくことにする。

「公共クラウドの構築」について

 「公共クラウドの構築」は図書館のシステムをも対象とするもので、一部の図書館はすでに運用を始めている。クラウドを導入している図書館の事例は、富士通やNECのウェブサイトのなかのクラウド関係のページにある。また、二〇一四年のライブラリー・オブ・ザ・イヤーで優秀賞を受賞した福井県鯖江市図書館は、クラウドの先進事例としても評価された。コンピュータ関連経費などの面から見ると、県庁や教育委員会と話し合って条件が整備され次第、クラウドを採用、参加する方向で取り組むべきだろう。

 「宣言」と直接関係が深い事柄は、以上のようなものとなる。しかし、IT化はこのほかにもいくつもの検討課題を図書館に突き付けている。それらについて以下で考えてみたい。

集合知のレベルアップと図書館サービス

 またインターネット上には質問・回答の専門ウェブサイトもある。「Yahoo!知恵袋」などがそれだ。これらは質問が寄せられると、それを見た人が回答を寄せ、そのなかから質問者は自分の質問の回答にふさわしいと判断したものを採用するという仕組みである。つまり、どの回答を最適と判断するかは質問者の自己判断・自己責任に任されている。

 私もかつてレファレンス演習で学生に出した問題がネット上の質問・回答サイトに出ているのを見たことがあった。四つの回答が寄せられていたが、すべて誤っていた。どれも当て推量で、回答の根拠が示されていない。こうしたことは日本人によるネットヘの書き込みでは珍しくないので、べつに間違っていたからといって目くじらを立てることではない。

 集合知は確かにネット上のすばらしい成果といえるが、そこには誤りもある。しかし、それでもレファレンス・サービスの質を変えることにはつながっていくだろう。図書館界内部での集合知の創造も一層強化していく必要がある。

 集合知を基盤として将来優れたスマートマシンが登場し、ネット上の多くの質問に対して正確な答えを導き出すようになるだろう。そうなったとき、人間の役割・仕事はどうなっていくだろうか。レファレンス担当の図書館司書は、どのような仕事の内容にシフトすることになるのだろうか。シフトできなければ、仕事がなくなるという恐れさえある。

資料情報のデジタル化とオープン化

 資料のデジタル化は急ぎ進めなければならない事項である。世界の趨勢から見ると、日本の資料のデジタル化は遅れている。図書館では特に、地域資料のデジテル化か急務だ。問題は著作権である。国立国会図書館のような対応はとれない。そのうえ、地域資料は、著作権者の現住所がわからない場合が圧倒的に多い。著作権者の了解をとってデジタル化するという作業は非常な困難が伴う、というよりほとんど無理といっていいだろう。そのため、フェアユース(公正な利用)という考え方を導入して、デジタル化ができる道を開くよりほかにないように思われる。図書館界として議論をまとめ、国民に提案するのだ。

 またデジタル化の範囲も問題になる。日本の場合、古くから紙が存在した。読み書きは鎌倉時代の後半にはかなり普及した。そのため、手書きの文献の数は非常に多い。地方に行くと、屋根裏や戸棚の奥などに墨で書かれた文書がどこの家にも積み上がっている。これらのごくごく一部が地域の図書館や博物館に収蔵されているだけで、ほとんどは放置されている。デジタル化の技術でこうしたものを残すことも考えたほうがいいのではないか。

 いま一つの問題は、そうした文献を読みこなす人が少なくなっていることだ。もう半世紀ほど前になるが、私が早稲田大学文学部で学んだときには古文書を読む科目があったが、いまはもうない。ごく一部の県立図書館が古文書を読む講座を開いているが、日本の知的な文化を継承するという点では、こうした試みはもっと広範囲におこなわれるべきだろう。

住民による電子書籍の作成支援

 かつて、ガリ版刷りの図書や雑誌を作って売ることが若者たちの間ではやった時代があった。東京・神田の三省堂書店、東京堂書店、ウニタ書舗などにそうしたコーナーがあって、そこで売ってもらった。若者文化の一つだったが、エレキギターに取って代わられて衰退した。

 現代の若者は電子書籍を作って売っている。秋葉原ではもうだいぶ前からCD-ROMに収めた漫画やコミックを売る店があって、若者でにぎわっている。図書館でもウェブサイトにコーナーを作って、そこに展示して読んでもらうなどしていい。図書館が音声動画入りの電子書籍を作ることができるソフトを製作して無料配布してもいい。講座を開いて参加者に作ってもらう。もちろんシニア向けの講座も用意しよう。電子書籍も一つの文化になるだろう。
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