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宗教による覚醒の位置づけ


 仏教は本来、覚醒のためにあると思うと、一番近いのはやはり、創造主でしょう。正法眼蔵。そこで、NHKテキストの「100分de名著」の正法眼蔵を買いました。

 小乗の方がまともだと思います。退場にすることで、商売とつながった。南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽浄土にいけるという商法。普段から練習して、葬式の時に、マイクロバスで乗り込んで合唱する。

なぜ、他者に伝えないといけないのか

 自分で確立することを他者に伝えることの無意味さ。自分の内なる世界なのに、なぜ、まとめないといけないのか。まとめてどうするつもりなのか。まして、それを他者のために使うと言うことは矛盾しています。

宗教による覚醒の位置づけ

 宗教による覚醒を未唯空間のどこに入れ込むか。それがこの正法眼蔵が示したことです。ムスリムとキリスト、そして釈迦も含めて、何を望んだのか。

仏教は施しで生きるので循環できるのか

 施しを獲て生きているというけど、施しを行なうものには自分なりの論理があります。施しによって、人を区別してしまう。施しを受ける専門家って、音楽家と異なり、何を与えるのか。

 組織というのは大体そんなものです、誰が仕切っているわけではなく、単に循環しているだけ。これは小さな町の商店街と一緒です。お互いが買うことによって、何となく、商売している気になっている。重要なのはアウトプットとして、毎日生きていること。生きるために何を消耗するか、それをどう補充するか。

 異なるループのスーパーとかコンビニができることで、循環が乱れて、その結果、シャッター街になっていく。当然、消費がなくなったらその論理は回りません。循環しません。

考える時間

 寝ながら考える時間を増やしましょう。乃木坂のネット放送を探している時間の半分でもかなりの時間が生まれます。

乃木坂は本質ですね

 乃木坂は空想の世界です。だけど、ある意味では本質です。硝子張りにしながら、隠すとこは隠している。運営などはそういう世界です。時系列で並べればいいのに、矛盾がないようにすることで見順を起こしている。
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