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アクセス保障とベーシック・インカム

『不平等を考える』より 社会保障の新たな構想 どのような制度によって保障するか?

アクセス保障の構想

 さて、人々の生活条件を具体的にどのような制度によって保障するかについては、大きく分けて、所得保障およびアクセス保障という二つの考えがある。社会保障論の用語で言えば、「現金給付」と「現物給付」(サービス給付)がそれぞれ前者、後者におおむね対応する。所得保障は、所得や資産の保有を保障するものであり、それらをどう用いるかについては各人の判断に委ねられる。他方、アクセス保障は、基本的な諸機能を達成するために必要な財やサービスに無料ないし低コストでアクセスしうる機会を各人に保障することを指す(実際にアクセスするかどうかは成人の場合には各自の選択に委ねられる)。

 言いかえれば、所得保障は所有権(a right to have)を保障し、アクセス保障は利用権(a right to use)を保障する。利用権の保障は、コモンズ(共有地)の用益をコミュニティの成員に認める場合のように、思想史的には長い伝統をもっており(たとえばH・グロティウスやS・プーフェンドルフらの一七世紀の思想に見られる)、アクセス保障の考え方には、基本的な諸機能を達成しうる生活条件の保障をこの伝統に沿って再生しようとする意味合いもある。

アクセス保障の制度

 アクセス保障は、すでにさまざまなかたちで制度化されている。たとえば、民主党政権のもとで義務教育に加え高等学校での教育も無償化されたが、これは(中等)教育機会へのアクセスを保障しようとするものである。また、健康保険や介護保険は、医療サービスや介護サービスヘのアクセスを保障するものである(ただし、そのアクセスは社会保険料をすでに拠出してきた有資格者に限定されており、しかも、近年における自己負担分の引き上げは貧困世帯にとって実際の利用を阻む障害となっている)。

 公共交通機関や水道・電気・ガスなどライフラインヘのアクセス、また情報や通信(公共メディア・インターネッ卜等)へのアクセスもすべての人々にひらかれている必要がある。ケア・サービスや保育サービスの供給が不十分であればキャリアを形成したり、継続することは困難になるし、住居へのアクセスが保障されていないことはとくに若年失業者の就労を阻む原因になっている。利用料金のかかるライフラインに関しては、最低限の利用に関しては無償化することも検討する余地がある。

 いま述べたように、アクセス保障は、さまざまな形で制度化されながらも、アクセスを実質的に阻む諸要因--必要な財やサービスの供給不足をはじめとして、自己負担、相対的に高額の利用料金など--には十分な注意が向けられていない。

アクセス保障のメリット

 もちろん、所得保障をアクセス保障によって代替することはできないし、またそうすべきでもない。代替することができないのは、自己負担や利用料金をともなう公共サーピスヘのアクセスは一定の所得を必要とするからであり、また代替すべきでないのは、自分の意思で用益できる一定の資産(住居や二定の金融資産等)があることは生涯を通じての拠り所--湯浅誠の言葉を使えば「溜め」--となるからである。とはいえ、アクセス保障(利用権の保障)には、所得保障にはない次のようなメリッ卜がある。

 第一に、十分な所得があっても、たとえば過疎地域に見られるように、必要な医療サービスや食料へのアクセスが容易ではないこともあり、所得保障のみによって人々が基本的な諸機能を達成しうる生活条件を保障することはできない。

 第二に、アクセス保障においては、用途および利用の限度が定まっており、所得保障(現金給付)が惹き起こしうる濫用--それが基本的な諸機能を達成するためではない用途に向けられること--を抑制し、それを通じて、受給者に向けられる負の感情を抑制することができる(生活保護の不正受給率は二パーセントにも充たないにもかかわらず、メディアによるバッシングは繰り返されている)。

 第三に、アクセス保障は、対象者を特定しないュニバーサルな性格をもっており、対象者を限定する選別主義的な福祉(生活保護制度など)が招くスティグマ化を回避することができる。アクセス保障を充実させることはすべての利用者にとっての便益ともなるので、人々の間に分断が生じる事態を抑制し、社会保障制度への幅広い政治的支持を得ることができる。

 最後に、アクセス保障は、各種のサービス--『教育、保育、医療・看護、介護等』--を提供する人々に労働や仕事の機会をひらくことができるし、しかもこの種の労働や仕事はそれぞれの地域に定着しうる(余所に移転することが困難な)ものである。

 このように、アクセス保障は、個人に財を分配することではなく、人々が市民として必要とする公共財(公共サービス)へのアクセスを保障することを通じて、すべての市民が特定の他者の意思に依存せずにすむ生活条件を構築しょうとするものである。

 アメリカの経済学者R・ライシュは、交通機関、教育機関、病院、公営住宅、公園などの公共財がはなはだしく劣化し、富裕層が公共の施設やサービスから離脱している現状に警鐘を鳴らしているが、日本の社会もとくに教育機会の保障や住居保障について大きな問題をかかえでいる。GDPに占める公的な教育支出の割合はOECD諸国のなかで下から二番目のレベルにあり、公営住宅の供給や家賃補助心きわめて不十分である。こうした公共財の不足は、人々の生計を圧迫し、学資ローン等の大きな負担を若年者に負わせている。

補完的な所得保障

 いま挙げた理由から、生活条件の保障はアクセス保障をベースとすべきであると考えられるが、それによって所得保障を完全に代替することはできない。社会保障の制度としては、所得保障が労働による所得およびアクセス保障を補完するとともに、あわせて自らが所有するものを自らの判断で用益できる個人の自由を擁護し、それを可能にする制度が望ましい。そうした補完的な所得保障の制度としては、「給付つき税額控除」の仕組みがある。

 これは、働くことへのインセンティブを維持しながら、就労が十分な所得をもたらさない人々に対して、税を徴収せずに所得を補う仕組みであり、そうした給付を行わない現行制度(所得控除および給付を行わない税額控除)に比べ、課税所得をもたない不利な立場にある人々の生活条件を改善することができる。これは所得調査のみで実施できる制度であり生活保護制度のような漏給やスティグマ化を避けることもできる。この制度は、アメリカ、イギリス、フランスなどですでに実施されている。

 ただし、この制度がすでにアメリカにおいて実施されていることからも分かるように、補完的な所得保障(現金給付)は、保育、教育、医療、介護、住居などのアクセス保障(現物給付)がしっかりと整備されていなければ、人々の生活条件を十分性のレベルにまで引き上げることはできない。

ベーシック・インカムについて

 雇用の機会が今後さらに減少していくことが予想されるなかで、労働の有無に関わりなくすべての人々に所得を保障する制度、すなわちベージック・インカムの制度について論じられることが多くなった(これは、所得や資産の多寡とは無関係にすべての市民に対して定期的に一律の現金--たとえば月額七万円ほどの--を給付する制度である)。ベーシック・インカムは、労働による生活保障を主、労働する能力/機会を持たないものに対する生活保障(社会保障)を従とする、これまで長く受け入れられてきた考えを根本から問い直し、この関係を逆転するものである。

 労働する能力/機会をもたない人々を劣位の者として扱う規範を疑問に付し、ともかくも労働することへと駆り立てる強制的な圧力から人々を解放するという点で、たしかに、この制度構想は大きな魅力をそなえている。基礎所得が保障されれば、自らにとってやりがいのある仕事や活動に従事しようという意欲が喚起され、社会はより多様な生き方をする人々から構成されるようになるかもしれない。

 しかし、今日の条件のもとでこの制度を導入することは難しいと思われる。この制度を維持していくためにはかなりの財源が必要であり、その財源は働こうとするインセンティブが多くの人々から失われないかぎりで得られる。とすれば、この制度によって保障される所得は、そうした労働へのインセンティブを損なわない程度に抑制される必要がある。それに加えて、この制度のもとでは、働く人々の抱く不満は、働かない人々へのルサンチマンに転化しやすく、制度への支持はきわめて不安定なものになるだろう。

 ベーシックインカムは、先に引用した見田宗介の文章にある、「就労」(主)と「福祉」(従)の関係を逆転し、生活の保障を労働から切り離すラディカルで魅力ある制度構想である。しかし、この制度は、かなりの好条件がそろわなければ持続可能なものとはならず、そうでない条件のもとでは、むしろ負担をおう者と受益する者との間に分断を生みだしやすい。

 この先も就労機会の減少が避けられないとすれば、P・ヴァン・パリースらが指摘するように、その機会それ自体が貴重な財となり、それをどのように分配するかという課題も緊要なものとなっていく。それに対しては、労働時間を短縮することによって就労の機会をより多くの人々に分配するというワークシェアリングによって対応し、それが所得の減少をともなうとすればそれを補完型の所得保障によってカバーするのが基本的な方向性であるように思われる。
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