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歴史の歴史

ヘーゲルの「歴史哲学」

 やがて、一八○○年前後のことであるが、「文明進歩」という人類の歴史的発展段階の観念が、フランスのコンドルセ、ドイツのヘーゲルによって唱えられるようになった。ヘーゲルにとって、歴史とは、一人ぴとりは時代の真理を超えられないが、世界精神という人類共通の知性が段階をおって、自己自身の意味を確認しながら自由になっていくという哲学的な過程なのであった。そこでは、哲学が「絶対知」に到達して歴史は終わるとされたのだが、知性の発展を歴史で説明するとき、その説明が正しいためには、かれのように自分の思想がその歴史の最終段階にあるというほかに、どんな論理が可能だったであろうか。

 従来は哲学にはいくつかの普遍的な主題があって、どの時代の哲学者も、それぞれ独自にその主題にアプローチしているとみなされていた。しかしへーゲル以降は、哲学とはひとつの知的伝統の引き受けであり、似たような主題に対する対決であり、おなじ方向で取りあげなおしをくり返してきた思考の歴史であると考えられるようになった。逆にいえば、それぞれの哲学者の思考は、それぞれの時代のなかの思考にすぎず、過去の哲学の全体をのり超えることなどできないというのである--ヘーゲルとその影響を受けたクーザンが、そのように哲学史を総括した。そのとき哲学は「歴史哲学」となり、それ以降、大学で講義されるぴとつの専門領域として、「哲学の歴史についての哲学」となったのであった--いわゆる「講壇哲学」である。

 それまでは哲学者と科学者とは区別されず、現実のさまざまな領域に関して、その領域の専門科学を創りだすことと、それを実証したり応用したりすることとは区別されなかった。哲学者は富裕階層に属しており、あるいはパトロンがついていたが、一九世紀になると、産業の発展と社会の大衆化のなかで、科学者という職業および社会階層が成立して、哲学者はエリート養成のために拡張されつつあった大学制度の枠内で、哲学史の教師として生計をたてるほかはなくなった。

 哲学と科学は狭を分かち、哲学を学びたいひとは、自由に思考するのではなく、大学で過去の哲学者たちの思想と概念とを学び、その歴史的系譜を辿らなければならないということになった。それが「キャリア」として学界から認知されるようになった--いまもそうであるが。

宇宙の歴史と歴史学

 進化を肯定していた哲学者たち、スペンサーやベルクソンやプラグマティストたちは、人間精神中心のヘーゲル歴史哲学を批判し、また精神を重視する新カント派の歴史観に反対して、宇宙と生物と人間の歴史の全体像を得ようとした。文明進歩の歴史というより、自然における人類の進化、人類社会の文明の「進化」を論じようとしたのであった。

 結局、人間にとってのものであった「世界史」は、ルネサンスのまえとうしろ、未来と過去に向かって拡張されていったのち、今日では、宇宙全体の諸事象が時間とともに展開してきた普遍的な歴史のなかに包摂されてしまっている。われわれも、いま、そのなかのひとつの瞬間に立ち会っているというようにして、それへと位置づけられる。歴史は、もはや人間の出来事の物語ではなく、直線的時間のうえに並べられる客観的事実の連鎖であるというように、その意味を変えたのである。

 専門科学としての歴史学も、歴史哲学とも歴史主義とも訣別して、一九世紀ころから、諸科学に並ぶ実証科学となるための多様な方法論を構想した。ランケが代表であるが、へーゲルを批判して「世界史学」を唱え、具体的事例から出発して歴史を捉えるべきだとしている。その後、アナール学派など、歴史学者たちは、歴史に価値評価が入り込むのを避けて、専門科学としての歴史学を整備しながら今日にいたっている。

 今日、世界史とは、世界をひとつとみなし、実存主義が主張した個人の独異のプロジェクト(実存主義でいう「投企」)などはあり得ないとして、その世界で起こった膨大な数の客観的事実を記述するために、すべてをクロノロジカルに(時系列にしたがって)並べなおそうとする試みである。とはいえ、何に焦点をあてるべきか、どんな論理が見いだきれるか、どんな意義があるか、どこまで客観的になるかなどについては、多くの議論がある。正しいとされる歴史観もまた歴史のなかにあって、将来は書きなおされるのであるとしたら、むしろどこかで歴史学自体が破綻しているということにはならないのだろうか。

 考えてもみてほしい、歴史にも歴史があるというパラドクシカルな事態を--つねに現在の最終段階の歴史観による歴史が正しい歴史であって、過去の歴史を全部その歴史観で書きなおしていけばすむという話だろうか。歴史学者たちが「現代史」を書くことができないでいるのは、単に係争中のことが多いからではないし、実証性に限界があるからでもない。それは、もしかすると「時代」がなくなってしまったから、そしてまた、時代を定義することのできる「歴史」、ないし超歴史があり得なかったからではないか。要するに、宇宙のはじめから、ありとあらゆることが係争中になってしまっているからではないのか・・・…。

存在したもの

 考えてみてほしい、人類が出現する以前の、宇宙と地球と生物たちが、ただだれも知らなかったけれども、そのようにして存在していたと述べるときの「存在」という言葉の意味。それは、いまのわれわれの経験とどのように「おなじもの」なのか。もっといえば、歴史上の存在者は本当に存在するのか--それはハイデガーが問題視した「事物的存在者」よりも、もっと切実な問題のような気がする。

 たとえば、祖父母が育っていたころの話を聞けば、第二次大戦であれ、高度成長期であれ、社会状況は違うものの、つぎつぎに成り変わっていく〈いま〉が、いまと同様にあったと信じられる。それならば、ずっと時代をさかのぼって、坂本竜馬でも織田信長でも、書物に書いてある歴史上のどんな人物についても、かれらがどう感じ、どう考えたろうと想像することができるだろう。

 だが、先史時代よりもまえ、あるいはだれも人間がいなかった世界での、気の遠くなるような長い時間、単細胞生物や動植物であれ、大地のもろもろの地形であれ、宇宙空間のもろもろの銀河であれ、「それらが存在していた」というときの、「存在する」ということの意味は何であろうか。

 ラッセルが、「宇宙が五分まえにすべての記憶とともに創造されたとしたら……」という問いかけをしている。「記憶も含めて」ということであるのだから、(過去をあったことのように回想できる以上)何も変わることはないのかもしれない、いや、何か馴されているような感じもする。第一に過去の記憶、これはぼんやりしたり思い違いしたりする。第二に現在に遺されたものからの過去の推理、これは状況証拠しかないので蓋然的にとどまる。それらと過去における実際の存在とはおなじものか?--それらは現在の事象とどのょうな関係になっているのであろうか。

 (ハイデガーが勧めるように)存在という概念について考え込むことのないぴとにとっては、答えはどちらでもいいことであろう。それにしても、ラッセルの問いかけのなかには「五分まえ」とある。「では、五分一秒まえはどうなのか」と聞き返すことはできる。ラッセルの問いかけには、前提において、時間が淡々と経っていく確固とした世界の存在が控えている。この信念がなければ、ラッセルの問いかけもひとを驚かすことはできないだろうし、その意味では、この問いかけは最初から破綻しているのである。

 一八世紀まで、西欧では、宇宙は神の創造から六〇〇〇年しか経っていないというのが常識だった。二五年で一世代とすると(たったの)二四〇世代であるから、まだ懐かしいと感じられる程度であろうか。とはいえ、もはや存在しない過去や、われわれのものとは異なった現在について考えるとき、そこにある膨大な量のデータは、はたして現在がこうであって、こうあるほかはなかったとするほど確固としたものなのか。それは、ただわれわれを安心させてくれる、単なる想像や妄想の産物にすぎないということはないのであろうか。
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