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戦争の記憶をめぐる三つの道徳観

『日本の長い戦後』より

戦争を道義的にどうとらえ、正当化するかは、時代や場所、歴史的文脈、政治・文化的伝統に左右される。アウグスティヌス神学から生まれた正戦論では、大規模な政治暴力の使用が道義的に妥当なこともありうるとの立場から戦争を理論化し、正当なものとしている。第二次世界大戦は連合国の立場からすると「正しい戦争」で、連合国は枢軸国を悪しき侵略者とみなして成敗した。とはいえ西洋神学起源のこうした見方に文化的普遍性があるわけではなく、人類史全体に当てはめることはできない。これよりも一般的なのは実利を重視する見方で、政治力や国益を拡大する勝利の戦争を「正しい戦争」とする、殺伐とした現実的認識である。日本には戦争の長い歴史があり、そこにはさまざまな基準を見いだすことができる。たとえば近代以前には朝廷の許可を得た者が戦いの名分を手に入れ、封建制の下では戦に勝った者が正しいとされた。近代に入ってからは、西洋発祥の国際戦争法規が断片的に取り入れられた。だから日本が良い戦争と悪い戦争という概念を組み立てるにあたって、絶対的基準をどこにも求めず、現実主義や相対主義を織りまぜているのはある意味で当然だ。さらに、日本の文化は多神教的伝統から生まれ、実社会では倫理相対主義が息づいている。ユダヤ・キリスト教文明とはほとんど無縁に発展したそんな文化に、正戦論がぴたりと「当てはまる」わけはないが、それでも日本は第一次世界大戦や第二次世界大戦における自国の行動を正戦論によって正当化した。日本の「正戦論」では、アジア太平洋戦争は欧米白人の植民地支配から「大東亜共栄圏」を守る、天皇のための「聖戦」を意味した。一九四五年に日本が降伏すると、道徳規範がさかさまになり、「正しい戦争」はたちまちのうちに「間違った戦争」に変わった。そこで多くの人は、現実的な倫理相対主義(「勝てば官軍、負ければ賊軍」という思考)にふたたび戻っていった。

戦後の日本社会で道徳規範がねじれ、日本人の戦争観がすっかりシニカルになっていったことにより、トラウマの相対立する語りを生み出す土壌ができていった。それから数十年を経て、三種類の卜ラウマの語りが育まれてきたわけだが、それらはさまざまな形で、しかし深く国民感情に刻み込まれていく。日本のとった軍事行動や政治行動は正しかったのか間違っていたのか、敗戦という負の遺産は屈辱なのか幸運なのか。こうしたいろいろな問いについて、それらの語りは評価を異にする。未来の日本がどこへ向かうべきかについても合意はない。

第一の類型は、戦争と敗戦を、勇敢に戦って戦死した英雄の話としてとらえるものである。こんにちの平和と繁栄は先人の尊い犠牲なしにはありえなかった、このような戦没者がいて初めて平和が成り立っていると結果論を唱え、戦争や国民の払った犠牲を正当化する。第一の類型に属する語りは、こうした「幸運な敗戦」観を道徳的基盤としている。終戦記念日の追悼行事や新聞の社説などで犠牲者に感謝を捧げるこのような言説がよく目にとまるが、この語りは特攻隊などの若者の死も無駄ではなかったという言説を補強する効果がある。これは日本国民であることへの誇りを養うこと、また国の開戦責任、敗戦責任から注意をそらすことにもつながる、美しい国の語りということができる。

第二の類型は、戦争を敗戦の犠牲になった被害者の話としてとらえ、その被害者の心情に寄り添い、自身を重ね合わせるというもの。前面に押し出されているのは「破局」--まぎれもない大悲劇--のイメージで、そこではすさまじい軍事暴力による大規模な殺戮と破壊に対する嫌悪が道徳的基盤になっている。人々の苦難を強調し軍国主義に反対するという言説はしばしば家族、学校、メディアのなかに見いだされ、被爆都市の広島や長崎、そして空襲の被害を中心にしたものも多い。しかし、この語りは日本に傷つけられたアジアの人々、すなわち遠くの他者の苦難から注意をそらすことにつながり、悲劇の国の語りになっている。

第三の類型は、戦争を中国や朝鮮、東南アジア各地における加害者の話としてとらえ、日本がおこなった帝国主義的支配や侵略、搾取を強調する点において、前二者と対照をなす。日本が暴力を行使したり人々を虐げたという過ちを反省し、後悔するという道徳的基盤に立ち、「地獄へ転落」したやましい国の語りになっている。この加害の語りは、三つの語りのなかでもっとも悩ましく、物議をかもしやすいが、歴史書、報道ドキュメンタリー、従軍経験者の証言のなかに見受げることが多く、そのなかにはベストセラーになった本などもある。東アジア諸国との和解と協調をめざす市民運動令友好団体の多くは、この加害者論に立脚している。

道徳観や利害を大きく異にする人々が、それぞれの記憶をかまびすしく語っている。そのことから、国の歴史をどう描くかについて国民が混乱しているというょりは、たがいに措抗している状態にあることがうかがえる。この戦争の呼び方一つにも、問題ははっきりあらわれている。米占領軍の定めた「太平洋戦争」は一般的な名称として、今も「美しい国」論のなかでよく使われる。これと対抗関係にあるのが日本の進歩派知識人や教育関係者が使う「一五年戦争」という名称で、「やましい国」論で使われることが多く、やはりこちらも社会に定着している。この名称では、太平洋での開戦の一〇年前から日本が進めていた帝国主義的侵略が強調されている。このほか、こうした名称に付いてまわる政治的な意味合いを避けようと「アジア太平洋戦争」や「昭和の戦争」、「第二次世界大戦」という呼び名も使われるようになった。また、「先の大戦」とか「あの戦争」、果ては「あの不幸な一時期」と言う人もいる。「あの戦争」をどう呼ぶかという問題は、追悼行事での挨拶や歴史教科書、博物館の展示など、あらゆる場面で頭をもたげる。日本各地にある「平和」博物館も、戦争の全体像を示すことができないまま、この歴史問題に対処せねばならない状況にある。そこで加害者、被害者、英雄のいずれかの語りに焦点を絞り、文化的トラウマの部分像だけを描く。欧米では日本が戦争の歴史を忘却しているという批判がよくなされるが、これは遺憾ながら、負の歴史遺産をめぐる膠着を忘却と混同した、まと外れな批判である。
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