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メディアの世界観

『編集の教科書』より 編集者の世界観
世界観というのは、個人だけではなく、メディアにも存在します。かつてフジテレビは「楽しくなければテレビじゃない」というスローガンの下で、エンタメ路線に転換しテレビ業界の王者に君臨しました。
どんな人間も面白いことを求めています。大げさにいえば、社会は、世界は面白いものがなければ成り立たないはず、とでもいいたげな言葉です。実際、視聴率ナンバーワンの座を占め続けたのですから、その考えはビジネスとして大成功でした。しかし、フジテレビの場合は世界観と呼ぶには、やはり浅薄すぎた言葉のようです。そこにはメディアとして、権力とどう向き合うかとか、面白いとは本当はどういうものなのか、と考える姿勢が見て取れないからです。
案の定、番組のなかでバカ騒ぎをしているだけではないか、という飽きが広がり、あっという間に視聴率王者から陥落してしまいました。マンネリです。惰性に身をゆだねたのでしょう。日ごろからのしっかりした自らへの問いかけが弱く、時代の変化に対応して自ら変化することができなかったという声が多く聞かれます。さて、メディアの世界観といえば、やはり新聞が一番体現していると思います。それは「社説」をもっているから、そこの主張がその新聞の世界観を反映したものととらえられるからです。
よく日本の新聞では、『朝日新聞』と『産経新聞』を読めばいい。あとの新聞は、その中間なのだから、この二つの新聞の間にある考え方なのだから、という声を聞きます。新聞を読まない若い人には何のことかさっぱり分からないかもしれませんが、それぞれの新聞の政治的なスタンスのことを言っているわけです。たとえば、『朝日新聞』は安倍政権に批判的、『産経新聞』は安倍政権に近い考え方で新聞記事を作っているという意味です。
『朝日新聞』に関してはこれまでたくさんの本が出版され、ネット上でもさまざまな情報が飛び交っています。「ザ・新聞」という位置づけにあるからなのでしょう。さて、『朝日新聞』の世界観を語るうえで、避けて通れないのは「朝日新聞綱領」です。かつては『朝日新聞』の社員には社員手帳が配られていました。ビジネス手帳のようなもので、1年のスケジュールが書き込めるようになっていました。いまは廃止されたようですが、この社員手帳を開くと、最初に印刷されているのが、この綱領でした。
4項目あって、各項目が3行ずつ書かれています。第二次世界大戦で軍部と一緒になって戦争参加を鼓舞した『朝日新聞』は、戦後、その反省にたち、この綱領をつくったわけです。以下、引いてみます。
 一、不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。
 一、正義人道に基づいて国民の幸福に献身し、一切の不法と暴力を排して腐敗と闘う。
 一、真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す。
 一、常に寛容の心を忘れず、品位と責任を重んじ、清新にして重厚の風をたっとぶ。
この4項目です。いまにしてみると、なんだか辛気臭い感じもしますが、言っている内容については、あまり変哲のないものなのではないかと思います。
しかし、この4項目が新入社員の段階で徹底的に身に沁みこむまで覚えさせられるかといえば、それはないわけです。取材や執筆の現場では、これらのことが意識されることは少なく、現場は現場でもっと実務的に動いているといったほうがいいでしょう。
そうした現場に浸透している世界観というものがあるとすると、わたしの経験でいえば次の3点です。
第一には、権力のチェックという意識です。あらゆる権力をチェックする。それは首相、国会議員に始まって、県知事、市長などから、民間の大会社の社長や大組織の幹部など、あらゆる権力をもつ人が対象になります。新聞記者なら当然のことといえなくもないのですが、いまは分かりませんが、『朝日新聞』は地方にいても本社にいても、その意識は強いということがいえるでしょう。
第二には、リベラルを重視するという点です。リペラルという言葉は、学問的に探るといろんな意味合いがあるようですが、ここでは言い換えると憲法でいうところの基本的人権の尊重、といっていいかもしれません。たとえば、組織と個人が対立した場合、弱者や少数派の立場の意見をよく聞き、個人ならその人の人権を尊重する立場に立つという考え方になると思います。
第三が、これも憲法にありますが、国際平和主義です。
ともかく第二次世界大戦の反省にたつ、ということで、前述した「朝日新聞綱領」が、戦争推進の旗を振った反動として打ち出されたわけですから当然といえば当然でしょう。国際平和主義に関連して思い出されるのが国連のPKO(国際平和維持活動)です。
日本は1992年に初めてPKOに参加しました。自衛隊の派遣先はカンボジアです。どうしてそういうことが起きたのか、流れを簡単にいいますと、まずは1889年に東西冷戦が終結、という大きな背景があります。東側陣営の本山だったソ連(当時)はその後、15の共和国に分裂して完全に消滅します。そして唯一残った大国が米国となりました。米国は「世界の警察官」として、ふるまうようになりますが、同時に日本に対しては、国際貢献をするよう求めてきました。
1991年に湾岸危機という事態が起きます。これはイラクがクエートに軍事介入し、クエートの主権回復を目指すために、国連の多国籍軍が派遣されました。当然日本にも応分の負担が求められましたが、日本はカネだけを負担したのです。これをきっかけに、カネだけでなく「人も出せ、血も流せ」と日本に対する圧力が強くなりました。
しかし、日本政府もいくら米国の言う事とはいえ、いきなり戦闘地域に自衛隊を派遣するということを「はい、分かりました」というわけにはいきません。そこでPKOが出てきました。PKOの大前提は紛争の両者が停戦します、という合意をしている点です。以後、軍事的紛争はやめます、という合意があるわけですから、原則として戦闘はもう起きない、ということです。
私もこのとき、カンボジアに取材チームの一員としてカンボジアに行きました。国内は自衛隊を海外に派遣するなどとんでもない、という意見からPKOだけでなく、PKF(国連平和維持軍)にまで踏み込んで参加すべきだとする考えまで、それは幅広く、いろんな論が対立していたのを覚えています。個人的には、停戦合意が前提になるのであれば、PKO参加はいいのではないか、と思いましたが、朝日新聞の社内ではそうでもなかったことを覚えています。ときおり、『朝日新聞』が批判されるケースがありますが、以上の3点の針が大きく極端な方向に振れた場合に、そうした現象がおきているように思います。
3点それぞれが単独で大きく針がふれてしまって、その結果、問題が起きている場合もあるでしょうが、2つないし3つが重なっている場合もあるかと思います。
たとえば、『朝日新聞』と安倍政権は対立関係にあるという見方ですが、これは第一の権力のチェックという点もあるでしょうが、安倍政権のタカ派的政治に対して、具体的には集団安全保障の推進、憲法改正の動き、などは第二のリベラル重視、第三の国際平和主義という点でも針が振れているケースだと思います。

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