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1989年の意識

未唯へ。NHKの番組の影響で1989年を振り返っています。あなたはまだ、3歳でしたね。若かった。私も39歳だったから、飛び出せる可能性を持っていた。

NHKのBS世界のドキュメンタリー「1989からの出発」を地上波で2日間にわたって放映していました。

1.ポーランド 大国支配からの脱出 ~“連帯”勝利より20年~
 東欧革命の先頭を走った。日本と同じ広さの国土に4千万の人口を持つ。激動は今も続いている。ドイツとロシアに挟まれ、アメリカとの関係も絡んでいる。

2.「ルーマニア 民主国家への苦闘 ~流血革命より20年~
 日本の本州と同じ面積に、2150万人が住む。チャウシェスク大統領の銃殺と三日間の銃撃戦で千人以上の死者を出したが、共産党と決別していない。

3.「チェコとスロバキア ふたつの道 ~ビロード革命より20年~
 日本の5分の1の国土に、1千万人が暮らしている。ルーマニアの流血を避けたいという思いが無血で共産主義経済から資本主義経済に切り替えれた。4年後にはチェコとスロバキアは政治的に分断された。

4.「旧・東ドイツ“英雄都市”の試練 ~壁崩壊より20年~
 “英雄都市”ライプチヒには工場が無残な姿をさらしている。統一後も経済の混乱が続いている。ニコライ教会の「平和の祈り」から始まった改革で、「自由」を求めた。そして、自由な社会主義を求めた。

「自由な」社会主義がその時に、存在できたら、社会は変わっていたでしょう。

1989年は3つの出来事がありました。ベルリンの壁崩壊、天安門広場の弾圧、そして昭和天皇崩御です。

ベルリンの壁崩壊は1989年11月9日です。11月9日は9.11の月日を逆転として、記憶しています。それよりも61年前の1938年11月9日は「水晶の夜」です。この三つは私の頭の中で、歴史のチェーンでつながっています。

1989年の私の雑記帳を見ると、実験室と設計室を光回線でつなげた新LAの提案を電算部長に行っています。彼は、私のことを「きちがい」と表現しました。そして、この会社には「きちがいが少なすぎる」と述べ、2.6億の予算を使わせてくれた。

「未唯への手紙」「NAKさんへの思い」「存在と無」「テトリスに狂う奥さん」などが書かれています。私の20年間はさほど、変わっていません。
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