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存在と無の間にあるモノ

日本は変われるのか

 関心を持っていない人には小さなものに見えるけど、これは大きなことです。それに順応できるか。むしろ、率先していくのが日本でないとダメです。

 日本は特に、外国からの刺激が少ないところです。黒船みたいなもので、国がつぶれるとなると、一気に変わります。それにより、地方分権から中央集権になリ、国民国家ができた。今度は、その逆です。

 元々、フィンランド自体は、スウェーデン語も一緒に教育していた。サーメ語をやっている人はほとんどいないけど。

個人の分化と合意形成

 どこにいても考えられる。個人が分化していれば、全ての問題を自分の頭で考えられます。これが大きな特徴です。組織の場合は、権限を与えることしか考えられない。それだと拡がらない。合意できない。

 フィンランドは500万人で、日本の20分の1以下です。だから、自分たちで決められるのです。そして、少ない人間をどういうふうに使っていくのかも、見えています。だから、合意形成の仕方も変わってきたんです。

 スウェーデンと戦い、ロシアと戦い、ドイツと戦った。完全に負けることはなかった。そこから、シスの精神が出てきた。ノキアの歴史がそれを証明しています。ただし、ヨーロッパを越えた、グローバル化で状況が変わってきました。

グローバル化はヨーロッパを飲み込む

 ヨーロッパのノキアは世界市場のアップルとか、中国などに勝てなくなってきている。中国はヨーロッパを狙っています。中国の発想は、ギリシャの湾岸と国鉄を手に入れて、それから、EU全体に拡げていくというやり方です。

小学生の英語教育

 公文的な発想での小学生の英語教育をするとなると、発想が大きく異なります。教材などはソーシャルネットワークを使うカタチになり、家庭と公文教室もつなげることができます。教えるのではなく、学ぶ力を使うとなると、教師の資質も異なります。

 それをコミュニティとくっつけていけます。学校教育とは、学校図書室でつなげていく。その生徒の状況をハッキリさせて、的確な方向を出していく。海外との交流もクラウド的に行うことができます。

ミカプラスの日々

 ミカプラスの最終日です。明日はいないし、来週はすべての時間を埋めています。逃げ込むつもりです。

存在と無の間にあるモノ

 間になる、全てのものをムシする傾向があることに気付いた。内なる生活と外なる世界の端の部分とはつながります。内なる世界を取り巻く周辺のところはムシします。

 存在の無の関係では、自分と宇宙全体しかなくて、その間にあるモノ、家族とか会社とか国とかはムシします。これは、存在と無と言ったところからの結論です。

 一番の主流である、全てを知りたいの対象は、周辺を知りたいのではなく、後ろ側と外側の輪郭とつながることです。これは、LL=GGとも、諸、関係します。その間の雑多なものは、それぞれの生活でやってもらえばいい。重要なのは、接点を作ることです。その接点も、LL=GGという極端な部分からの接点です。それによって、トーラスができます。

 それが故に、自分の周辺が狭く感じます。だから、その部分はムシします。ムシできます。
 世界とつながっているという感覚はどこから生まれてくるのか。たぶん、そこから来たのでしょう。インターネットは、その通り世界、見知らぬ世界とつなげるためです。そして、最後まで、周辺部分をムシします。

生活編のコラム

 生活編のコラムはどっちかと言うと、雑情報です。考え方の整理です。定型的なところで述べられるものを述べています。
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