goo

ヒトという動物の子育て

『正解は一つじゃない 子育てする動物たち』より ヒトという動物の子育て
大変な出産
 直立二足歩行と脳の大型化のため、ヒトの出産は特に難産です。腰やお尻の部分にある骨盤は、二足歩行を支える重要な部位であるとともに、その内側には産道が通っています。二足歩行に適応したヒトの骨盤では、産道が湾曲して中央部が狭くなっており、胎児の頭がぎりぎり通れるだけの幅しかありません。これ以上産道を広げようとすると、骨盤の脚のつけ根が離れていき、足を踏み出すたび体の軸が左右にぶれて、二足歩行の子不ルギー効率が低下します。そのため、胎児の頭がかなり通りづらいにもかかわらず、ヒトはこれ以上産道を大きくできなくなりました。そして、ヒトの出産には命の危険がともなうようになり、医療の介入がない場合、出産によって母親が死亡する割合は一・五パーセントにのぼるとする報告もあります。その一方、四足歩行をするほかの大型霊長類ではこうした制約がないため、胎児の頭に対して産道のサイズはわりと余裕があります。
 大きくかたい頭を通すため、胎児のほうにもヒト独自の特徴が見られます。ヒトの産道の入口は左右に幅広で、出口は前後に広くなっています。前後に長い頭を通すため、胎児は、産道の入口では頭を横に向け、中央部で九〇度回転し、出口では頭を後ろに向けて出てきます。そして幅広の肩を通すため、また回転します。また、頭の骨は複数のパーツからなりますが、胎児の段階ではそれらがまだ完全にはくっついていません。頭の形が少し変わることで、産道の通過の困難さをやわらげます。
 新生児の顔の向きも問題になるという説があります。産道から出てきた新生児の顔は、ニホンザルなどの小型の霊長類では一般的に母親の腹側を向いていますが、ヒトでは背側を向きます。これは、胎児の頭の中でも最も大きくかたい後ろ側が、産道をどう通るかが異なるためです。新生児が母親の腹側を向いていれば、母親は頭を出した新生児をひっぱって取り上げることができます。しかしヒトのように背側を向いている新生児を母親がひっぱると、新生児はエビ反りする方向に曲がり、場合によっては脊椎を損傷してしまいます。このため、ヒトの出産では産婆や親類などの他者がつきそい、胎児がなかなか出てこない時には、母親に代わって取り上げてやる必要があります。しかし、ヒトに近縁なオランウータンやチンパンジーでも、新生児の顔は母親の背中を向いて出てくるという報告もあり、頭が背中を向くと他者のつきそいが必要になるという因果関係に疑問を呈する研究者もいます。
手のかかる乳幼児
 ヒトの乳幼児はひときわ無力な状態にあり、子育てには手がかかります。ヒト以外の霊長類では、乳幼児は親の身体に自力でつかまり、眠っている時も離しません。しかしヒトの乳幼児は自力でつかまることができないため、誰かが抱っこしてあげる必要があります。生後しばらくは首もすわりませんし、寝かしつけなども必要です。
 ヒトの乳幼児が特に無力なのは、脳が大型化したためと言われています。ヒトの祖先で脳が大型化し始めたのは直立二足歩行が完成した後だったため、胎児の段階で脳を成長させて大きくすると、もはや産道を通ることができなくなってしまいます。そのためヒトは、胎児のように未熟な状態で生まれ、生後しばらくは急速に脳を成長させることで、脳を大型化させるようになりました。たとえばチンパンジーやゴリラでは、五歳くらいまでに脳重量は出生時の二倍になって大人の大きさに達しますが、ヒトの脳重量は出生後一年で二倍になり、五歳くらいまでには三・五倍になって、ようやく大人の脳の大きさの約九〇パーセントに達します。
 出生後もしばらくは脳の成長にエネルギーをとられるため、ヒトの乳幼児の身体の発達はゆっくりになり、大人に依存する期間が長びきます。安静時のヒトが消費するエネルギーのうち、脳の消費分は、ヒトの大人では二〇パーセント程度なのに対し、五歳以下では約三九パーセントから六六パーセントに達します。
しかし多産
 難産で乳幼児には手がかかるにもかかわらず、ヒトは非常に多産な霊長類です。野生チンパンジー、ゴリラ、オランウータンの平均的な出産間隔はそれぞれ五・五年、四・四年、七・六年ですが、ヒト狩猟採集民では三・七年です。ヒトの出産間隔が比較的短く、短期間にたくさん子どもを産み育てられるのは、共同保育、子どもへの食物提供、早く柔軟な離乳のためです。
 ヒトでは、母親以外の個体も子育てをよく手伝い、子育てのコストを母親から他者に分散させています。ほかの霊長類では、子育てをするのは母親ひとりという種がほとんどです。しかしたとえば、工業化されていない社会の複数のヒト集団を調べた民族学的な研究では、乳幼児に対する直接的な世話(食事、抱っこ、身づくろいなど)のうち母親が担当する時間割合は平均して五〇パーセント程度で、残り五〇パーセントは年上のきょうだいやおばあちゃんや父親が担っていました。母親以‐外の女性による授乳もヒト社会では広く見られ、調べられた約二〇〇集団のうち四七パーセントで観察されていますが、ほかの霊長類では、キンシコウやキツネザルや中南米の新世界ザルの一部でよく観察されるくらいです。
 霊長類の中でヒトの女性にのみ明確な閉経が進化したのも、共同保育に関連があります。個人差はありますが、狩猟採集民の女性は一〇代後半から繁殖可能になり、二五~三五歳くらいで繁殖力はピークに達し、五〇歳までには閉経して子どもを産めなくなります。女性にとっては、死ぬまで繁殖力を保ち自分の子どもを産み育てるよりは、中年以降は繁殖せず、血のつながった孫の子育てを手伝うほうが、ヒトの進化してきた環境では、結果的に多くの子孫を残せたと考えられています。実際、さまざまなヒト集団を調べても、特に母方のおばあちゃんが子育ての重要な協力者であることがわかっています。
 ほかの霊長類とは異なり、ヒトでは、男女や子どもがそれぞれ獲得してきた食物を分かち合い、特に大人から子どもに積極的に食物を提供します。ヒト以外の霊長類でも母子間や大人間で食物を分配することはありますが、他個体が食物を取っていくのを黙認するという側面が強く、ヒトのように積極的に分け与えることはまれです。こうした特徴のため、ヒトの子どもはスキルが未熟で体力が弱くても、肉や根茎など、獲得が難しいけれども栄養価の高い食物を多く食べることができ、病気や怪我をして一時的に食物を獲得できなくなっても、飢え死にすることなく、回復し生きながらえることができます。
 離乳が早く柔軟であることも、ヒトの多産な性質に貢献しています。授乳中は母親の体内で分泌されるホルモンの濃度が変化し、栄養条件がそこまでよくなかった場合、排卵サイクルが停止し、妊娠できない状態になります。そのため、出産間隔を短くするには、離乳を早める必要があります。しかし、ヒト以外の霊長類では、離乳が終わると子どもは自力で生きていかねばならないため、まだ独立できない状態で無理に離乳を早めると、子どもは餓死したり捕食されたりしてしまいます。一方ヒトでは、離乳後も大人が子どもに食物を提供するため、子どもの死亡率を増加させることなく離乳を早められます。また、授乳中は乳を出せる母親の存在が必要ですが、離乳が終われば、ヒトでは共同保育と食物提供によって、母親がいなくとも子どもを育てられるようになり、母親は時間やエネルギーを次の子どもの妊娠に割り振ることができます。こうした特徴のため、平均的な離乳年齢は、チンパンジーで四~五歳、オランウータンでは六~七歳ですが、工業化していないヒトの社会では二~三歳と早くなっています。さらに、ヒト以外の霊長類の離乳年齢はそこまで融通のきかないものですが、ヒトの離乳年齢は柔軟で、全体の分布を見ると○~六歳といった広い幅があります。
 このように、ヒトは、食物提供によって、子どもの死亡率を低下させ、条件に応じて早く柔軟に子どもを離乳させて出産間隔を短くできるようになりました。さらに、共同保育によって、子育ての負担を母親以外にも分散させ(イラスト)、上の子どもがまだ独立していない段階で下の子どもを産み、手のかかる子どもを複数同時に育てられるようになったのです。
現代の子育て
 長い時間をかけて進化してきたヒトの子育てに関する性質が、現代の社会・文化の状況とミスマッチを起こしている例があります。たとえば、二〇世紀になって子育ては核家族などのごく狭い関係に閉じられるようになりましたが、共同保育によって分散させていたコストや苦労が特に母親に集中し、虐待や自殺など、時に母子の命を危険にさらすほどのストレスがかかることになりました。また、帝王切開で産まれる子どもの数は世界的に増加し続けていますが、帝王切開で産まれた新生児は、腔を経由する際に獲得するはずだった、母親の持つ細菌の一部を受け継ぐ機会を失っており、免疫関連の疾患などにかかるリスクがわずかに増加することがわかっています。商業主義の粉ミルクが市場を席巻した結果、ヒトの早く柔軟な離乳が極端に走りすぎ、母乳のもたらす免疫的な防御を受けられずに亡くなる乳幼児が増加したという痛ましい過去もありました。進化によってヒトという動物の性質が生物学的に変わっていく速度より、ヒトをとりまく社会や文化の状況が変化する速度のほうが圧倒的に早いため、こうしたミスマッチが起こっています。
 しかし、ヒトの生物学的な性質と食い違うからといって、こうしたミスマッチをすぐさま悪と断罪することもできません。帝王切開は危険な状況にある母子の命を数えきれないほど救ってきましたし、粉ミルクは親たちの心強い味方でもありましょう。現代の日本であれば、西洋医学や多種多様の公的・私的サービスを適切に活用することで、こうしたミスマッチから生じ得るリスクは無視できるほど小さくなります。
 ヒトも長い進化の歴史を背負った動物であるという事実は、現代に生きる私たちの子育てに対して正解を指し示すものではなく、よりすこやかに子育てをするためのまた別な視点を与えてくれるものであると私は思います。人間にとっての常識や「当たり前」は、わずか数十年で変化し固定し、私たちの子育てを縛り制約します。何十万年という進化の時間の中でヒトが行ってきた子育ての原型を知り、現代社会の子育てがどのくらい同じだったり違ったりするかを考えることで、そうした束縛を一歩引いて冷静に眺めることができるのではないでしょうか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 自明性が壊れ... OCR化した8冊 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。