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資本主義と民主主義の危機を哲学する ガブリエル


『欲望の資本主義3』より 資本主義と民主主義の危機を哲学する
ソーシャルメディアはカジノだ
 忘れてはならないのは、私たちがこうした企業に搾取されていることです。メールを送受信したり、ネットニュースを見たり、検索したり、買い物をしたり、動画を見たり音楽配信を受けたりといった、私たちがインターネット上で行っている行為はすべて「労働」です。その労働がデータ付加価値を生み出し、何十億ドルというおカネがカリフォルニアの口座に支払われるのです。
 ソーシャルメディアはカジノのようなものです。人々はインーターネット上の書き込みや投稿画像に「いいね」をクリックしたりすることで、いねば「賭け」をしています。投稿者はフォロワーを集めていく。ポイントを稼いだ人は大儲けができる。その構造の中で、ユーチューバーの成功者が増えれば、それは賭けに参加したユーザー側の利益にもなります。
 しかし、最も利益を上げているのは、投稿者や「いいね」をクリックするューザーではなく、胴元、つまり、ソーシャルメディアの運営管理者です。これはカジノとまったく同じメカニズムです。しかも、ソーシャルメディアは、世界中のどのカジノより不公平なカジノだと言えます。どんなダーティーなカジノより、GAFAの方がはるかに汚いと断言できます。
ソーシャルメディアと民主主義の危機は同じ現象である
 --GAFAなどによるバーチャルな世界、つまりデジタル社会は、現実の社会にどのような影響を与えていると思われますか。ソーシャルメディアなど、情報のデジタル化によって構築された社会システムは、持続的なものではありません。交通規則のない高速道路と同じで、いつかは壊れてしまいます。既に多くの犠牲者が出ています。このようなテクノロジーを使った暴力や犯罪、組織的なテロが起きています。しかし、そうした現象だけでなく、グローバルな価値観そのものが崩壊しつつあり、それが「民主主義の危機」だと言われています。
 民主主義の危機とソーシャルメディアは、実は同じ現象です。二つは別々の事象ではありません。メディアが世論を操作し、その結果世論が不安定になることで民主主義が危機に陥る、といったような構図ではありません。そうではなく、この二つは一つの同じ現象なのです。
 人間の社会性は、本来、自分と距離の近い世界で構築されるものです。私たち人間は、肉体があってこそ存在し得るもので、それ以外はすべて想像上の、つまり架空のものです。その上うな意味で、現代の世界には完全に架空のグローバル社会が存在しています。そこは生身の人間ではなく、アバター[仮想空間でのユーザーの分身]たちの世界です。そしてこのアバターが引き起こす様々な社会的ダイナミズムが、民主主義を崩壊させるのです。
 民主主義は今なお、私たちと距離の近い世界、例えば、国家や政府、古典的経済などにおいては人々の結びつきを保っています。しかし、インターネットが構築する新しい社会システムは、こうした世界に破壊をもたらします。
 アメリカの例を見てみましょう。国土が広大なアメリカでは、やり取りする相手が遠く離れているケースが多く、ソーシャルメディアはもともと、離れ離れになった家族や友人知人同士が手軽に連絡を取り合える手段として利用されていました。つまり、最初は、自分に近い関係の人たちとの繋がりを保つための便利なツールだったのです。
 しかし、今日では、多くの人々が姿の見えない相手とやり取りをし、架空の繋がりを持つようになりました。そのコミュニケーションは完全にフィクションで、小説を読かのと同じです。そうした架空のコミュニケーションに大部分の時間を使っている人々は、顔が見える相手との真のコミュニケーションをほとんど行っていません。哲学における存在論の見地からすると、私たちの日常は、ほとんどの時間をビデオゲームに費やしているようなものです。身近な人との手軽で安価なコミュニケーション手段として普及したソーシャルメディアが、身近な人々同士のコミュニケーションを破壊しているのです。
 --それが、民主主義を崩壊させるということですか。
 その通りです。インターネットは決して政治的に中立なプラットフォームではありません。見えない影がインターネットを支配しているからです。
 例えば、初期にはたくさんの検索エンジンがありましたが、今ではグーグルの独壇場です。私たちは様々な形でインターネット空間に繋がり、インターネットから十分な情報を得ている気分になっています。誰もがほんの数分で、新聞を読かのと同じような満足感を得ることができます。しかしこれは大きな誤解です。我々は情報を得ているのではなく、いわば小説を読んでいるのと同じです。あるいは、テレビドラマを見ているようなものです。
 トランプについて、インターネット上で毎日様々なニュースが発信されます。彼が傘を持っているとかいないとか、アイスクリームをいくつ食べたとか、ホワイトハウスで誰とどのくらい話したとか、誰をクビにしたとか……。そのような記事を配信することで、(人々はトランプについて十分な情報を得たと錯覚し)真実は覆い隠されてしまいます。「メイ首相のダンスステップ」や「ユンカー欧州委員会委員長の皮肉」といったタイトルの記事も同じです。
ジャーナリズムの危機
 これは、ジャーナリズムの危機です。トランプやトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領、習近平らがジャーナリストたちに批判的だからではありません。それも困ったことですが、より深刻な問題は、批判的でないジャーナリズムが横行してしまっていることです。
 真のジャーナリズムとは簡単には見えないことを白日の下に晒すことです。しかし、ソーシャルメディアで拡散されるニュースは、内容が非常に表面的です。トランプに関しても、私たちは彼の言動の上辺しか知ることができず、トランプに関連して起きている事象を深く理解することはできません。これが今日、インターネット社会が生み出した時代の潮流です。そして、ジャーナリズムの危機は民主主義の危機でもあります。ジャーナリズムなどの力によって真実を突き止めようとする姿勢が失われた民主主義は、もはや民主主義として機能しないからです。
 そして、この状況はソーシャルメディアの背後にいる「誰か」に巧妙にコントロールされています。
 実際の政治で重要なことは、リソース(資源、富)を分配すること。そしてリソースを分配するには、マテリアル(原料、材料)を変形・変換することが前提です。マルクス主義の古い命題の一つは、「分業の基盤となるのは労働である」ですが、労働とは、結局のところ、マテリアルや于不ルギーを様々な形態に変形・変換することです。
 先に指摘した通り、インターネットでニュースを見たりメールを送ったりすることは実は「労働」です。そして、その「労働」が、背後に隠れ目に見えない「誰か」に、ジャーナリズムを危機に陥れる原動力として利用されています。ネットで配信される表層的なニュースを読んでいる私たちは、それが「労働」であることや、背後に「誰か」がいることに気づかずに、十分な情報を得たと錯覚しています。こうした構造が、ジャーナリズムの批判精神そのものを危機に陥れているのです。

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