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『ニュージーランドのくらし』

『ニュージーランドのくらし』

ニュージーランドの歴史②

イギリスの海外農園からの自立

●帆船でやってきた人々

一五世紀の終わりごろから、世界の海には新天地をもとめるヨーロッパの帆船がいきかうようになりました。ニュージ―ランドに最初にきたヨーロッパ人はオランダ人のタスマンで、一六四二年のことです。そして一七六九年には、イギリス人のクックがやってきます。

その後、アザラシの毛皮やクジラのあぶら、木材などをもとめて欧米人たちがきます。マオリ人はこれらの人々に食料を提供するかわりに、おのや釘などの鉄製品、毛布などを手に入れました。

●ワイタンギ条約とマオリ戦争

一八四〇年、イギリスはニュージーランドを植民地にするために、マオリの各部族の首長をあつめて、北島の北部にあるワイタンギで条約をむすびます。条約では、この地の主権はイギリス国王のものとなること、マオリ人たちはイギリス国民として権利を保証されること、マオリ人の土地所有を保証するとともに、土地の売買はイギリス国王とのあいだでだけおこなうことなどがきめられました。

しかし、実際にはマオリ人の土地が不正にうばわれたりして、とうとうマオリ人とイギリス軍とのあいだで戦争になってしまいます。戦争はおもにマオリ人の多くすむ北島でくりひろげられ、二〇年近くにもわたりました。

戦争はマオリ人の敗北に終わり、このあいだにマオリの人口も減りました。減ったのは戦争のためばかりではありません。ヨーロッパ人がもたらした病気も原因でした。長いあいだ、孤島にくらしていたマオリ人たちは外界からの新しい病気に対して抵抗力がなかったのです。マオリ戦争のあいだ、南島では牧畜農業がさかんになっただけでなく、金鉱が発見され、移民もふえて発展しました。

●つぎつぎとうちだされる社会政策

一八六〇~七〇年代は、この国の風上にあった羊の品種改良がされたり、小麦枚培が軌道にのったりして、牧畜農業の基礎ができた時代です。また、国内外の交通や通信網も発達しました。

一八八〇年代には、集約的な農業が発展して、バターやチーズなどの輸出がふえました。それに冷凍技術が確立し、羊肉が冷凍船でイギリスに輸出されて、順調に成績をのばしていきます。

一八九〇年代は、議会で政党による政治がはじまり、数々の進んだ政策がうちだされます。一八九三年には世界で最初の婦人参政権が確立。一八九八年には、この国最初の社会保障制度として、老齢年金制度がうちだされました。

●参戦、そして独立国家へ

20世紀に入ってからも、羊毛や羊肉、酪農製品などの輸出はさかんで、ニュージーランドの農産物輸出国としての地位はゆるぎないものとなります。なかでもイギリスとのきずなは強く、ニュージーランドはイギリスの海外農園とまでいわれるほどでした。

  • 第二次世界大戦のいずれも、ニュージーランドはイギリスを助けるために、戦地に兵をおくります。そのことが人々に、自分たちの国が独立した国であることを意識させました。

二つの大戦にはさまれた一九三〇年は世界的な不況の時代で、この国も影響をうけましたが、大規模な事業をおこして雇用をふやし、年金制度も確立し、国による医療活動をはじめました。

第二次世界大戦はイギリスをふくむ連合国の勝利に終わりましたが、イギリスにとって二つの大戦の犠牲は大きく、経済的にすっかりおとろえてしまいました。一九四七年、ニュージーランドはイギリス連邦の一員となり、ひきつづきイギリスとの深い関係がつづきます。

ところが一九七〇年代になると、イギリスがヨーロッパ共同体(EC)に加盟今までのようにニュージーランドの輸出品がイギリスにうけいれられなくなってきました。このころから、この国はアメリカやオーストラリア、日本などに市場をもとめはじめます。そして、それは近年、ますますさかんになっています。

●社会保障、福祉のゆくえ

数々の先進的な社会保障、福祉政策を打ちだしてきたこの国ですが、一九七〇年代は石油ショクや農産物の国際的な価格低迷のために、国の財政は赤字になってしまいました。

そこで八〇年代になって、いろいろな行政改革をしたり、経済活動にじゃまな規制をゆるめたりしました。そのかいあって、やがて財政は黒字にかわりました。しかし、思い切った改革のために、社会保障や福祉政策が後退してしまいました。現在、国民はこの国にふさわしい政策を政府に問うています。

↓ウエリントンにある戦争記念館。第一次・第二次世界大戦では、3万人近くものニュージーランド兵が戦死した。

ニュージーランド略年表

◆9世紀ころタヒチ島方面からポリネシア人がLONて、モアを狩猟しながらくらす。
◆13~14世紀ころ現在のマオリ人の先祖がきて、焼畑農耕と狩猟採取の生活をはじめる。1642年オランダ人、タスマンが南島に到達。●1769年イギリス人、クックが南北両島を探検。
◆18世紀末~19世紀はじめアザラシ、クジラ、木材をもとめて欧米人がくる。
◆1814年マオリ人に対してキリスト教布教。◆1840年ニュージーランド会社による移民はじまる。ワイタンギ条約がむすばれる。
◆1841~45年第一次マオリ戦争。
◆1848年オタゴ協会による入植開始。
◆1850年カンタベリー協会による入植開始。
◆1854年ニュージーランド国会開設。
◆1860~72年第二次マオリ戦争。
◆1861年オタゴ地方でゴールド・ラッシュ。
◆1865年ウエリントンへ遷都。
◆1867年マオリ男性の選挙権みとめられる。
◆1882年羊肉をのせた冷凍船が就航、
◆1893年世界最初の婦人参政権みとめられる。
◆1898年老齢年金給付法成立。
◆1899年南アフリカ戦争に派兵。
●1907年イギリスの植民地から自治領になる。
●1914~18年第一次世界大戦に派兵。
1938年医療の無料化、年金制度の拡大。
1939~45年第二次世界大戦に派兵。
1947年ウェストミンスター憲章を批准し、イギリス連邦の一員になる。
●1965~72年ベトナム戦争に派兵。
●1973年南太平洋での仏の核実験に抗議行動。
●1984年行政改革、規制緩和に着手。

正義は超の一つかもしれない個の存在の力を発揮させるせーらは正義#早川聖来
それが福祉だとかということよりも国家が国民にサービスすることを自覚してるかどうかが重要です

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