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単純な自転車促進策から新たなモビリティ構造のための戦略へ

『交通政策』より大きな構想を--単純な自転車促進策から新たなモビリティ構造のための戦略へ
モビリティ文化
 モビリティのスタイルの拡張は、モビリティ文化の社会-経済的コンセプトである。それは、空間的組織的文脈、例えば都市について、物質的象徴的なプロセスによる相互作用的な関係を意識して変えることである。それには、日常指向的および関与者指向的な定義がある。モビリティの文化は、移動すること/前進することに関して、物質的象徴的に有効な実際の形態の全体像を含む。このことは、交通インフラや都市デザイン、規範像、交通政策的な論争、行動、交通参加者そしてその背景にあるモビリティ指向性や生活スタイルの嗜好|生を含むものである。都市における関与者やインフラ、技術の相互作用のプロセスを前提とした社会一技術的なシステムとして示すことができる。
 都市/地域のモビリティ文化を変えるべきというコンセプトでは、利用者の視点から交通機関やサービスヘの要望やその形式を考えなくてはならない。交通機関全般について、ドア・ツー・ドアの視点から、目標とする層に向けて取り組むべきである。とりわけ多くのサービスにおいて、持続可能なモビリティを試してみたいと思わせるべきである。持続可能なモビリティ文化を避けたり、後退であると受け止めることがないようにすべきである。「かしこいモビリティ」というスローガンは、まさに前へ進ませるものであり、非常に巧妙に、乗らないわけにはいかない、という気にさせるものである。こうした「雰囲気づくり」は各々のグループごとに異なったものになるだろう。
 さらにコンセプトの計画実務上の次元では、統合的なコミュニケーションの意義も関連がある。計画上のインフラ関連の措置や計画やコンセプトの実現には4つの異なったコミュニケーション分野について配慮しなくてはならない。
  ・知識や要望、意識を知ることができるフィードバックや意見聴取という意味での市民とのコミュニケーション(公的な市民の参加のプロセスの他に、例えば直接的な市民との対話など)。ここではそうした計画策定上の文 化か今日すぐに実現できるわけではなく、ゆっくりと継続的に双方が学ばなくてはならないということに留意しなければならない。
  ・新しいインフラや行政サービスや建造物の企画やデザイン、例えば駐輪スタンド、都市地図、道路標識などの場合には、新規のものの機能と並んで受容可能性や感情などについても、マーケティング的なコミュニケニションの原則が当てはまる。工業デザイン、例えば高い価値のエクステリアや実施方法もここに含まれるだろう。その際にはターゲットとする層の特性に留意しなくてはならない。どのようなインフラやサービスが、特にどんなターゲット層に訴えるのか、そのターゲット層はどのようなコミュニケーションツールや場所を好むのか、といった点である。それについては、ここで示した類型が重要なヒントとなる。
  ・公共的空間における自主的な組織という意味での、交通利用者の相互コミュニケーションと規制の撤回(例えば対面ゾーンやシェアドスペースなど)[訳注:例えば歩道と車道、自転車道の境界をなくすような措置 それによって自動車がより慎重になるとされる。本書第11章参照]。
  ・組織内という意味での、計画や実施担当者の内部での関係と、交通政策的な目標についての内部的なコミュニケーション。
 こうした上位にあるコンセプトが、徒歩や自転車交通を都市交通や地域交通において、他の交通機関と対等な立場にする助けとなる。
結語
 徒歩と自転車交通に関わる計画や政策の推進に必要なものとして、以下の3つの中心的テーマがある。
  ①移民のバックグラウンドをもつ青少年のモビリティ
   これまで持続可能なモビリティについての外国人の市民に対する外国語によるインフォメーションの提供は、限られていた。柔軟で健康的で、価格も妥当な個人のモビリティの促進という面では、移民のバックグラウンドをもつ青少年は見過ごされてきた。今まで多くの地域(ベルリンやブラウンシュバイク)で、移民の女性の自転車教室は行われてきたが、青少年向けの同様のサービスは見当たらない。交通手段の印象や利用は、幼児期や青少年期の経験により強く影響を受けるため、こうした層への働きかけは重要である。これはモビリティの社会化であり、家の外での動きとして徒歩や自転車に乗ることを学ぶことは、日常的なモビリティのレパートリーとして重要な部分となる。家族や社会的ネットワークが、日常生活習慣の形成に影響を与え、徒歩や自転車利用についても同様である。多くの子供が、今では自転車の乗り方を習っていない。にもかかわらずドイツでは10~17歳の青少年は平均的には自転車愛好グループである。
   徒歩と自転車交通によるモビリティというテーマにおいては、移民の青少年の交通行動についての学術的な基礎がほとんどない。さらにこのグループに徒歩と自転車交通を動機付けるために、ぴったりと当てはまるような促進措置を、コミュニケーション上うまく、(スポーツ)教育上ふさわしく、実際的に働きかけることも欠けている。
  ②電動モーターの利用
   今後20~40年の個人交通における電動モーターの利用は、自動車に限定されるわけではない。すでにいくつかの電動アシスト自転車が販売されている。セグウェイのような乗り物のコンセプトも、早暁拡大するだろう。目的に合わせたデザインという意味の新しくてまったく別な車両コンセプト(電気軽自動車や街乗り自動車)も、今日より多く街で見かけるようになるだろう。電動モータによるモビリティが、古典的、近代的な徒歩と自転車交通手段(自転車、徒歩、キックボード/足踏みスクーター、インライナー)にどのような効果があるかという、新たな問いかけが出てくるだろう。
  ③人口動態の変化
   さまざまな交通研究がこの間示してきたように、高齢社会の交通負担は増加している。今日や将来のシニア世代は、10年前よりも盛んに移動している。高齢世代は均質でなはく、モビリティの必要性や要求も一様ではない。多様化と個人化の進行は、年齢における生活設計や生活スタイルの多様化にも現れている。モビリティに直接関係してくる(「積極的に克服」か「適応と諦念」の2っのタイプ)。現在まで、年齢による生活スタイルの変化についての研究はほとんどない。

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柔軟で、モダンで、化石燃料後の交通手段

『交通政策』より 徒歩と自転車交通--柔軟で、モダンで、化石燃料後の交通手段
徒歩と自転車交通についての議論
 徒歩と自転車利用はヨーロッパの多くの国で、この15~20年の間に評価を高めている。問題はその際にどのような変化が起こったかということである。世論の受け止め方、意識、促進戦略あるいは機関別分担率の実際の増加などについてである。
 徒歩と自転車交通の環境負荷軽減の可能性は高く、同時によりよい条件のための投資コストは比較的小さい。そのためにこの10年において、徒歩と自転車交通を地域、国内あるいは国際的に促進しようとする政策的なコンセンサスがみられる。これは政党を超えたコンセンサスであるが、まだ流れの転換をもたらしてはいない。その前提の議論には、細部に肖点がある。質が高く密度のあるインフラやサービスを創出するためには、利川月・の必要性や要望を詳しく知る必要がある。さらに、インフラやサービスだけではなくコミュニケーションの課題も含めた、統合的な計画が必要という面もある。
 徒歩と自転車利用の意義が挟められているもう1つの理由は、徒歩と自転車交通の利用が長い間、いわゆる声なきグループ(子供、若者、高齢者、女性)によるものであったためである、と批判的な交通経済学の側からは指摘されている。つまり、それはさほど暇要でないものとして扱われ、徒歩については依然としてそのままだというのである。
徒歩と自転車によるモビリティの発展と現状
 徒歩と自転車利用は、馬の利用や馬車による移動を除けば、長い間個人のモビリティの主要な手段であった。自転車は大衆的交通手段として、工業製品として誰でもが手の届くものになった時期に、その最盛期をむかえている。
 徒歩と自転車交通の重要性は、1960年代から特に徒歩のシェアの低下によって小さくなっていった。自転車利用と徒歩は、この時期新たに生まれた自動車指向の構造において、時代に合わず快適でないとみなされた。 1990年代まで、一部は今日でも、計画策定者や政治家は、徒歩と自転車交通の経済的な意味について認めていなかった。交通機関別分担率で、徒歩が大幅に減少し自転車は低い水準にとどまっていたのは、こうした動向によるものである。自転車の割合の減少は1950年代からはじまり、1960年代には本格的に減少していった。ドイツではここ10年くらいで初めて、徒歩と自転車輸送は再度評価されるようになった。
 Roeはこうした動向には、政策、社会的および調査手法的な要因があるとしている。徒歩と自転車交通は、すでに言及した声なき層が主に利用している。モータリゼーションによる乗用車輸送の発展と計画は、ほとんどが男性によって行われている。こうした不均衡と、多くの投資や調査研究が、自動車による交通の部門で行われてきたことにつながっている。Roeは、交通経済学は1990年代まで、ほとんどが標準化された方法で行われてきたとしている。こうした数理統計的な調査方法は、自動車交通の分析には適しているかもしれないが、徒歩や自転車については充分ではない。
 1日のトリップにおける徒歩の交通量は、現在24%であり、自転車は10%であるのに対して、公共交通は自転車より少なく、自動車交通は同乗者を含めると58%であった。全体で2億8、100万トリップであり、その半分は3km以下のトリップであった。自動車を利用するトリップも1/4は3km以下であり、1/2は5km以下であった。ここに転換の可能性がある。徒歩の場合、85%が3km以下であり、自転車では75%が3km以下であった。都市部では短い距離の割合はもっと大きい。
 ドイツ国民の20%は毎日あるいはほぼ毎日自転車を使っている。さらに20%が週に1日から3日自転車を使っている。地方では、自転車の利用率は人口密集地よりも多くなっている。学生・生徒や自動車を保有しない勤労者は、自転車を利用する層であり、毎日使う人は学生・生徒で36%、勤労者で37%である。大部分が高齢者である非就労者は最も自転車を使わない層である。
 ドイッの世帯で自動車を保有していないのは18%である。大都市ではこの割合は明らかに大きくなる。車を保有しない勤労者においては、マルチモーダルの組み合わせが、最も大きな割合となっている。トリップのうちの44%が徒歩で、25%が公共交通で、17%が自転車で行われ、自動車は14%に過ぎない。公共交通と自転車の組み合わせも5%程度である。公共交通の利用には必ず徒歩を伴っている。すべての移動の多くには、徒歩の区間が含まれふ)。
 徒歩と自転車利用は、余暇や買い物、通学および私用において割合が大きくなっている。
 買い物目的の例では、近隣や都市の中心部に行く際に徒歩や自転車を利用するというのが明らかである。近隣へは44%が徒歩、12%が自転車となっている。
 機関別分担率における徒歩の割合は、近年ゆっくりであるが減少してきている。計画実務や調査研究においては、徒歩交通は常に隅に追いやられている。歩道や公共空間の高質な計画は、必要性が主張されているが、ぜいたくであるとして切り詰められている。歩道のネットワークは市街地に集中し、島のように孤立している。ベルリン州は例外で、2010年にヨーロッパの都市として初めて歩行者交通戦略が策定され、案はすでに作られている。しかし国全体での徒歩交通計画やマスタープランはない。交通を利用する側も、徒歩は重要でないと考えている。「歩行者である」という自意識はほとんどない。交通手段について尋ねられた場合も、ほとんどの場合徒歩のことは忘れている。
 徒歩と自転車交通についてのこうした意識の藍魁は、どこから来たのだろうか。道路交通の利用者においては、それらを下位におく傾向が自意識の中にまず形成されているのだろう。徒歩と自転車交通は輸送実績においては、移動距離の面から意義が小さいと考えられがちである。それについては次頁図17-4に示す。
 徒歩と自転車利用は、多くの場合道路交通においてかなりの危険を伴っている。防護のない移動は、直接的な環境をダイレクトに体験する。近年交通事故における死者も負傷者も減少傾向にある(2009年:負傷者約40万人、死者4、100人)。連邦統計庁の事故統計を見ると、歩行者の負傷者や死者の数は一貰して減少している(2008年:負傷者3万2、800人、死者592人)。自転車利用者では負傷者は増加している(2009年:7万8、967人)。自転車利用者の死者は2007年には過去最低の425人だったが、再びやや増加している(2009年:462人)。
 都市における自転車の利用割合の増加が、例えば事故の増加につながるのではないかという点についていくっかの調査がある。実務家や研究者は自転車輸送の増加により自転車同士の事故が増加するとしている。自転車の密度が高くなると、自転車同士の軋傑も増加する。そのために統合的な計画の目標として、都市あるいは都市内の交通において、自動車交通と徒歩と自転車交通の間の事故が重大なものにならないようにするべきである。

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多民族国家ドイツ イスラムとの共存

『ドイツがわかる』より 多民族国家
イスラムとの共存
 現在ヨーロッパで暮らすイスラム教徒は、ドイツ、フランス、英国などを中心に約1800万人に上る。文化、習慣、宗教の違いから、ヨーロッパの社会にとってイスラム教徒との共存はなかなか難しいものとなっている。
 ヨーロッパ社会とイスラム系住民との摩擦のひとつがベール着用問題である。イスラム教徒の女性の中にはベールで頭部をおおったり、頭からつま先までおおうブルカまたはニブカを着用したりする人がいる。これはイスラム教の聖典コーランの中の記述や預言者ムハンマドの言葉などを根拠にしているといわれている。しかし、これについてはさまざまな解釈が可能で、統一見解があるわけではないらしい。実際、イスラム圏でも意見の相違は大きく、国や宗教権威がベール着用を一律に義務づけたり、あるいは禁止したりすることを疑問視する人は少なくない。
 ドイツでは、ベール着用にかかわる論争が1998年にバーデンーヴュルテンベルク州で始まった。教職に応募したあるイスラム教徒の女性が、授業中はベールを着用しないと明言しなかったとして、州政府はこの女性の教師試用任用を拒否した。その理由は、ベールは宗教的シンボルだけでなく、政治的シンボルでもあり、他の文化との融和を拒む意思表示となる、また、教師は公務員であるから憲法に定められた信仰問題における国家の中立性にもそぐわないということだ。この問題は連邦憲法裁判所まで持ち込まれた。同裁判所は、州法にはベール着用禁止を根拠づけるものはないけれど、法律で定めれば着用を禁止することができるという判断を下した。これを受け、大学を含む公立学校において教師のベール着用禁止を法律で定める動きが各州に広がった。
 その後もこの論争はおさまらず、ベール着用を認める判決が下されることもあった。キリスト教の修道女が所属する修道会の服を着て公立学校で授業をするのは認められているのに、ベールの着用だけ禁止するのは宗教の平等の原則に反するというのが判決の理由である。
 オーストリアや英国をはじめとして、ヨーロッパの多くの国々でベール着用は認められている。これに対して、政教分離を厳格に運用しているフランスでは、公立学校における宗教的シンボルの着用を禁じる法律が2004年に施行され、ベール着用は認められていない。さらに、2010年にはブルカなどを公の場で着用することを禁じる法律が成立した。フランスのほか、ベルギーやスペインでもブルカやニブカの着用が禁止されている。ブルカやニブカについては、60%以上のドイツ人が着用禁止に賛成している。与党のキリスト教民主同盟は、裁判、警察の検問、公道での通行に際してブルカやニブカの着用禁止を法律で定めようとしている。
 ドイツでは全国の保育園や幼稚園の3分の1はキリスト教系の団体が運営している。イスラム教系の保育施設はほとんどなく、キリスト教系の保育園や幼稚園がイスラム教を含む他宗派・他宗教の子どもの入園も認めている。ただ、キリスト教系の施設に限らず一般に、保育園や幼稚園の現場では食事や祝日の扱いで問題が起きている。たとえば、イスラム教徒は原則的に豚肉を食べず、ハラル食品しか口にしない。さらに、ドイツの祝日は復活祭やクリスマスなどキリスト教にかかわるものが中心なので、他の宗教の子どもたちとの兼ね合いに苦心している。ドイツでは当たり前のクリスマス会やイースターの卵探しなどの行事が実施できなくなっている。
 他宗教との習慣の違いから大きな騒動になったこともある。そのひとつが「割礼」をめぐるものである。ユダヤ教徒とイスラム教徒には割礼の慣習がある。割礼とは男児の性器の包皮の二鄙を切除する儀式で、ユダヤ教では4000年の歴史がある。ところが、2010年にケルンで割礼手術を受けたイスラム教徒の男の子が大量出血し、手術をした医師が起訴されるという事件が起きた。裁判では医師は無罪となったが、割礼自体は傷害罪にあたるとの判断が下された。この判決後、処罰を恐れた医師が割礼手術を拒否するケースが急増した。
 この事態にドイツ各地でユダヤ教徒やイスラム教徒から激しい反発が巻き起こった。ベルリンでは宗教の自由を求めて両宗教合同のデモが行われた。一方、割礼禁止を支持する人たちは子どもの人権や自由な意思決定の権利を主張した。政府は割礼を合法化する方向に動き、議会で関連法案が可決され、一定の条件のもとなら割礼は合法ということになった。
 だが、これで一件落着というわけにはいかなかった。医学的必要性もないのに子どもの体にメスを入れ、しかも本人が意思表明もできないうちに実行してしまうのは子どもの人権を著しく侵害しているとして、割礼の全面禁止を求める声がなお根強くある。これに便乗するかのように、反イスラム・反ユダヤ勢力が批判を展開し、法律をより厳しくすべきだと主張している。一方、ユダヤ教徒やイスラム教徒のほうでも、この法律ができたことでお墨付きをえたと考える人たちがいて、法律の規定にしたがうことなく従来通りのやり方で割礼を行ったりしている。ユダヤ教やイスラム教にとって宗教的通過儀礼のひとつである割礼が、はたしてヨーロッパ市民社会に受け入れられていくのかきわめて難しい問題である。
イスラムの反ユダヤ主義
 ナチス政権時代にユダヤ人を迫害し、大量虐殺を行ったという過去への反省から、ドイツはユダヤ人を敵視する主張や行為に対して厳しく対処している。しかし近年、イスラム系移民や難民の間に反ユダヤ的考え方が広がりを見せ、ドイツ社会は対応に苦慮している。
 イスラエルとパレスチナの間で衝突や紛争が起きると、ドイツ国内のパレスチナ系移民をはじめイスラム系の人たちが大規模な反イスラエルーデモを行っている。一部の過激な人たちがイスラエルの国旗を燃やしたり、ホロコーストを想起させるシュプレヒコールを叫んだりしている。反ユダヤ主義撲滅が国是のようになっているドイツにあって、これらは許しがたい行為である。イスラエルの国旗の中央に星が描かれているが、これは「ダビデの星」と呼ばれ、ユダヤ人やユダヤ教の象徴となっている。かつてナチス時代にはユダヤ系住民の衣服にグビデの星がつけられ、その住居や商店にはこの星が描かれ、区別され、差別された。だから、ダビデの星が描かれたイスラエルの国旗を燃やすことは反ユダヤ主義的行為とみなされる。
 2017年に大規模デモがベルリンで行われた時も、イスラエルの国旗が燃やされ、反ユダヤ的シュプレヒコールを叫ぶ人たちがいた。これに対し、メルケル首相をはじめ、法務大臣、州の大臣、野党の政治家などが即座に声をあげ、これらの行為を断罪した。反ユダヤ的言動は言論の自由とは別物だと明言する人もいた。
 反ユダヤ主義が広がる背景にはイスラム系移民や難民の増加がある。小さい時から反ユダヤ的環境の中で育ち、ユダヤ人を拒否するのが当たり前になっている人たちがいる。ドイツに来てからも、モスクで反ユダヤ的な説教を聞かされたり、アラビア語の反ユダヤ的ニュースに接したりしてその思いを強くしていく。加えて、社会への適応がうまくいかず、差別や疎外感を味わっている人たちにとり、反ユダヤ主義は積もり積もった不満のはけ口になっているようだ。これに対しては、成人には融和統合教育の中で、子どもたちには学校の授業の中で、ドイツでは反ユダヤ主義は決して容認されないことをしっかりと教えていく必要があるとされている。
 そんななかショッキングな報道があった。ドイツの学校内でユダヤ系の児童がイスラム系の児童からいじめや暴力を受けているという。ベルリンの小学校(基礎学校)ではイスラム教徒の児童がユダヤ人の下級生をいじめ、「イスラムを信じないと殺すぞ」と脅迫していた。同じようなことが大都市を中心に増加する傾向にある。子どもたちは反ユダヤ的感情を持つ親に育てられ、ユダヤ人に敵意を示すことに抵抗を感じていない。ユダヤ人団体は、いじめにあった子どもたちを受け入れるため、ユダヤ人専用の中学校建設を計画している。同じようなギムナジウム(日本の高等学校に相当)はすでにある。
 反ユダヤ主義はドイツだけでなく、フランス、英国、ハンガリーなどヨーロッパ全体で広がりを見せている。ユダヤ系住民が路上で汚い言葉を浴びせられたり、日常的に暴力を振るわれたりすることが増えている。これは右翼だけの現象ではなく、左翼にも見られる。ユダヤ系人口がヨーロッパ最大のフランスでは、イスラエルなど国外に移住するユダヤ系住民が増えている。反ユダヤ主義の高まりはイスラム系移民がもたらしたというだけでは説明がつかない。ョーロ。パ社会に根強くある反ユダヤ感情や差別意識が、イスラム系移民に便乗する形で発露したものともいえる。

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待ち時間は待たない

超の存在によって、平等になる。神の前には差がなく、境界がないように。アレキサンドロスだけが超人ではない。皆が超人になる世界。 #超の存在
思考が止っている。山の頂にいるみたい。一旦山を下って、別の山を探そうか。 #山を下りようか
よく考えると全てが待ち時間。137億年に対して、このパルスそのものが待ち時間。バスの待ち時間にはやることはいくらでもある。 #待ち時間
存在と時間から始まって、存在の無になった。他者の問題は解決できると同時に方向を生み出した。 #存在と時間
なぜ、スタバなのか? 来週から始まるICレコーダーの生活。その前哨戦。そうなると、書き起こしがポイント。この席が一番なじむ。それもカーテンが上がる10時前。 #スタバのこの席
何となく、頭がフラフラします。 #頭がふらつく
マラソンはスポーツとして成り立っていない。トライアスロンにすればいい。マラソンを冬季オリンピックの種目にすればいい。 #本当にオリンピックをするんだ
CDJ1229にBabymetal、Alexandos。近くでSu-metalが見えるんだ。いいなあ。 #Su-metal

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豊田市図書館の19冊

134.94『アメリカのニーチェ』ある偶像をめぐる物語
548.3『ロボット法』AIとヒトの共生に向けて
702.07『現代美術史』欧米、日本、トランスナショナル
336.2『思考法図鑑』ひらめきを生む問題解決 アイデア発想のアプローチ60
521.6『近代建築そもそも講義』
C25.2『「100年に一度の変革期」を迎えた自動車産業の現状と課題』
766.1『オペラ入門』
675『KPI・目標必達のコンテンツマーケティング成功の最新メソッド』
C25.3『交通政策 ドイツにおける新しい潮流』
404『FUZZY-TECHIE』イノベーションを生み出す最強タッグ
377.96『東大紛争から五〇年』歴史の証言
293.7『イタリア 2019』
318『指定管理者制度問題解決ハンドブック
302.34『ドイツがわかる』歴史的・文化的背景から読み解く
324『民法』
758.02『流れがわかる!デンマーク家具のデザイン史』なぜ北欧のデンマークから数々の名作が生まれるのか
332.25『インド経済史』古代から現代まで
134.2『カントの生涯』哲学の巨大な貯水池
151.2『自由意志』

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