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人びとの図書館 NYPL(ニューヨーク公共図書館)

『朝日新聞 天声人語 2019夏』より
人びとの図書館
 日本語の「おおやけ」と、英語の「パブリック」。同じ言葉なのに、どこか語感が違うと思っていた。語源を調べて納得した。おおやけはもともと「おほ(大)やけ(宅)」。大きな建物の意味から朝廷などを指すようになった。要するに「お上」である。
 パブリックの方はラテン語の「人びと」から派生したという。そう思うと「公共」という言葉も生き生きしてくる気がする。東京で公開が始まったドキュメンタリー映画「ニューヨーク公共図書館」を見た。
 荘厳な造りの本館と、数多くの分館。そこでの活動は図書館の枠を大きく超え、人びとのなかに入ろうとしている。座談会が頻繁に開かれ、科学者や詩人らが語りかける。子ども向けの数学教室や大人向けの就職フェアも。
 家にインターネット環境がない人に、接続機器の貸し出しまでしている。「人びとをデジタルの闇から救う」との声が館員の口から出る。活動を支える資金の半分は民間からの寄付である。公立ではなく公共図書館なのだ。
 図書館は民主主義の柱だ。映画の中でそんな言葉もあった。貧富や肌の色に関わらず、すべての人が「知」に触れられることが民主主義の基盤であると。反知性主義や分断が広がるとされる米国だが、全く違う顔がある。
 私たちが図書館に持つ印象は受験勉強か、無料貸本屋か。いやいやどうして、日本の活動の幅を広げるところが増えている。ニューヨークと言わずとも、いつもと違う図書館へと足を延ばすのも悪くない。

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人びとの図書館 NYPL(ニューヨーク公共図書館)

『朝日新聞 天声人語 2019夏』より
人びとの図書館
 日本語の「おおやけ」と、英語の「パブリック」。同じ言葉なのに、どこか語感が違うと思っていた。語源を調べて納得した。おおやけはもともと「おほ(大)やけ(宅)」。大きな建物の意味から朝廷などを指すようになった。要するに「お上」である。
 パブリックの方はラテン語の「人びと」から派生したという。そう思うと「公共」という言葉も生き生きしてくる気がする。東京で公開が始まったドキュメンタリー映画「ニューヨーク公共図書館」を見た。
 荘厳な造りの本館と、数多くの分館。そこでの活動は図書館の枠を大きく超え、人びとのなかに入ろうとしている。座談会が頻繁に開かれ、科学者や詩人らが語りかける。子ども向けの数学教室や大人向けの就職フェアも。
 家にインターネット環境がない人に、接続機器の貸し出しまでしている。「人びとをデジタルの闇から救う」との声が館員の口から出る。活動を支える資金の半分は民間からの寄付である。公立ではなく公共図書館なのだ。
 図書館は民主主義の柱だ。映画の中でそんな言葉もあった。貧富や肌の色に関わらず、すべての人が「知」に触れられることが民主主義の基盤であると。反知性主義や分断が広がるとされる米国だが、全く違う顔がある。
 私たちが図書館に持つ印象は受験勉強か、無料貸本屋か。いやいやどうして、日本の活動の幅を広げるところが増えている。ニューヨークと言わずとも、いつもと違う図書館へと足を延ばすのも悪くない。

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教育キーワード 家族の変容

『最新 教育キーワード155』より
家族の変容
 「家族」とは、明治期に確立した近代家族制度を基本として成立した観念であり、一般に婚姻及び血縁によって結び付いた集団から構成される単位を意味する。しかし現代においては、共働き世帯やひとり親家庭の増加、‐事実婚、養子縁組、同性婚など、家族形態は多様化し特定の家族像をイメージすることは困難である。こうした家族の変容は、子どもの教育に対しても大きな影響を与えている。
 「家族」とは何か
  「家族」とは、婚姻によって結び付いた夫婦と子を核とした、血縁による親族関係からなる小集団を意味する。明治民法に規定された、家父長制に基づく戸主の下でイエを構成する親族関係を原型とする。1920年代には、旧内務省によって家を守り、子育てをすることで社会的役割を果たす「良妻賢母」という新しい女性像が推奨され、家族における理想の母親イメージが形成される。高度経済成長期に都市部のサラリーマン家庭を中心にして、自由恋愛による婚姻やマイホーム主義が広がり、核家族化か進行した。夫が職場で働き、妻は家庭で専業主婦として家事・育児を担うという性役割分業に基づく家族像が形成され、山田(2005)はそれを「戦後家族モデル」と称している。その後、総務省統計局が「標準世帯」を「夫婦と子ども2人」で「有業者が世帯主1人だけの世帯」という定義を採用したことから、広く一般的にイメージされる家族像として定着したとされる。
 家族構成の変化
  2018年度の国民生活基礎調査(厚生労働省)から現代の世帯数の構成割合を見てみると、核家族(夫婦と未婚の子のみ)の世帯は全体の29・1%で、単独世帯(27・7%)や夫婦のみの世帯(24・1%)とが、ほぼ同じ比率となっていることが分かる。1986年度と比較すると、それぞれ41・4%、18・2%、14・4%であり、約30年の間に家族構成が変化している。その背景には、青年層を中心に進学や就職による都市部への移動や未婚・非婚・晩婚の広がりによる単身世帯の増加、高齢化の進展に伴う高齢夫婦や独居の増加、あるいは子どもを持たない選択をする夫婦(DINKs)の存在等がある。いずれにしても、「標準世帯」に代表される家族はすでに実態と乖離しているといえる。
 夫婦関係の変化と子どもへの影響
  「戦後家族モデル」のイメージは、性役割分業に基づく専業主婦の存在と密接に結び付いている。しかし、2017年の就業構造基本調査(総務省統計局)によると、育児をしている女性の有業率は64・2%であり、専業主婦は一般的ではなくなっている。また、人口動態統計(厚生労働省)によれば、2017年度の離婚件数は21万2262件で1986年度の約1・3倍に増加しており、ひとり親と未婚の子のみの世帯(母子家庭・父子家庭)は約365万世帯に上っている。
  さらに、子どもの養育環境も不安定になっており、子どもの貧困が社会問題となっているほか、厚生労働省の2018年度調査では児童相談所における児童虐待相談件数も13万件超と増加の一途である。これまでにも、特別養子縁組による親子関係や再婚による異母兄弟の家族、乳児院や児童養護施設などで暮らす子どもは存在していた。
  このように、家族の変容とは「戦後家族モデル」という共同幻想が解体し、ライフスタイルの多様化によって、特定の家族モデルが失われたことを意味している。このことは同時に、「戦後家族モデル」から疎外されてきた家族が可視化されるようになったといえよう。
 新たな「家族」の在り方
  これからの家族の在り方を、どのように考えたらよいのだろうか。おそらくそれは、個人の選択と自己決定に基づいて結び付いた親密な人間からなる集合体としての家族像がイメージできるのではないだろうか。もちろん「戦後家族モデル」が否定されるものではなく、夫婦間の合意に基づき相互の生き方の自由が尊重され、さらに家族が果たしてきた機能(愛情、信頼、帰属意識、安心・安寧、生殖、養育など)の必要が満たされれば、必ずしも血縁や制度的な契約関係を介さない家族の在り方も含まれるだろう。こうした家族の多様な在り方が、社会的な合意の中で包摂され、承認される仕組みを構築していくことも要請されていくだろう。
  その変化はすでにみられている。夫婦関係においては、共働きの家庭を前提とした制度設計や、介護や育児の社会化、家事の協働が進んでいる。また地方レベルでは、同性婚を認めるパートナーシップ制度が条例化されている。婚姻制度に則らない事実婚の広がりが、選択的夫婦別姓制度の議論を促している。もちろん男女の賃金や雇用形態における格差、働く女性の出産に伴う社会的不利益、旧態依然とした性役割分業の観念や専業主婦の軽視、母子家庭や父子家庭、婚外子や未婚の母、LGBT等への社会的な偏見や差別など、まだまだ公平・公正・寛容な社会への課題は多い。人々の認識を変えていくには長い時間が必要であるし、法律や制度を直ちに変更するには課題も多い。しかし、人口減少社会に直面している日本では、一人ひとりの自立した尊厳ある生き方を実現させようとする力が、少しずつ現実社会を動かしている。
子どものための哲学(P4C)
 子どものための哲学(phylosophy for children=P4C)は、教室で子どもたちと教師が対話を繰り広げながら哲学的問いを探究する教育実践である。P4Cは、今日的課題を多様な角度から分析し、解決策を自ら、また他者とともに発見し、それを絶えず問い直し修正していく力を子どもたちに育むために有効な手段である。
 哲学とは何か
  学校が世界に関わる知識・技術伝達の場であるとみれば、そこでの教育関係は非対称性を基本としている。知識・技能を有する教師が教え、それらを修得していない子どもが学ぶ。その非対称性は、教師は有能であり、子どもは相対的に無能である、というある一定の見方を喚起する。しかし、教師は本当に世界のことを十分に知っており、子どもに対して有能であるといえるのだろうか。
  世界は多くの事象であふれている。人々は古来より、その存在の意味や在り方(理念)を探究してきた。こうした知的営為が哲学(phylosophy)である。「哲学」には一般的に「難しい」「堅苦しい」というイメージが伴うが、哲学することは敷居の高いことではなく、日常的に行われている。特に子どもにとってはそうである。「なぜ…なのか」という問いを抱きながら、子どもは世界を把握しようとする。ある程度世界を経験している大人よりも、子どもの方が深く考えている。
  哲学の原語は、ギリシア語の「フィロソフィア」である。知を愛する、という意味をもつこの語をつくり、使い始めたのはソクラテスだとされている。ただ、ソクラテス以前にも、思想家たちは万物の根源とは何かを探究していた。思想家たちは、ありとしあらゆるものの本性・真の在り方としての〈ピュシス〉を探究した。ソクラテスは、こうした探究の前提を、つまり、万物がすでに存在しているという前提をも相対化し、存在とは何か、という問いを探究していった。この意味で、哲学とは自明とされていることに徹底した反省を加え、それが何であるかを探究することであるといえる。
 子どものための哲学とは何か
  子どものための哲学は、1970年代のアメリカにおいて、教育プログラムの形で生まれてきた。その先導者がマシュー・リップマンである。リップマンは、教室で子どもたちと教師が対話を繰り広げながら哲学的な問いを探究していくことに大きな意義を見いだしていた。そうした対話を通じて、子どもたちが物事を論理的に考えたり、批判的に考えたりする能力を高めることができる、と考えられたからである。リップマンの、子どもの直感的思考を大切にしながら哲学的な問いを探究していく実践は、現在に至るまで広がりを見せ、多くの国の教育現場で修正されながら実践されている。
  リップマンが提唱する子どものための哲学実践は、子どものための小説(代表例『ハリー・ストットルマイヤーの発見』)と教師のための解説書が用意されている。小説は年齢別につくられ、子どもたちの疑問を刺激するねらいをもっており、登場する架空の人物によって議論の手本が示される。子どもたちは読後、そこから何を学んだかを話し合って小説を内面化し、その内容を利用しながら、教室で議論を続けるという流れとなる。教室内で子どもたちが哲学的思考を促されるのであり、それによって探究の共同体が形成され、機能していくことが目指されている。
  子どもの哲学実践における教師の役割は、探究が継続するように、子どもたちの多様な視点を顕在化させ、子どもたちに根拠やそこに含まれている意味を探し出させることである。その際、子ども自身の考えがどこに向かうかが明らかになる前に、その思考を遮らないようにしなければならない。教師は、子どもの哲学的思考のコーディネーターとしての役割を担っている。
 子どものための哲学の現代的意義
  子どものための哲学は、現在、第2世代に入っているといわれる。第2世代の論者は、リップマンが子どものための哲学を論理的思考・批判的思考を育成する手段としてみなしていることを批判している。いま、子どものための哲学において重要な鍵を握ると認識されているのは、反省的思考とコミュニケーション能力である。
  これまでの学校教育は、ある問題には必ず答えが存在しているということを前提に、その答えを子どもが個人の学習を通じて認識し、覚えていくことを求めてきた。しかし、そうした正解主義は現在の社会を生きる上では不十分だと認識されてきて久しい。変化に対応しながら正解を自ら、また他者とともに探究し続けていく修正主義が現在求められている。子どものための哲学はまさにそうした力を育む場となる可能性を秘めている。
  大人は、何事にも正解を求めようとしてしまう。しかし、子どもはそうではない。答えが出ないとしてもご地回りをしようが、直感的にそのことを深く考えようとする。また、疑問に思ったことは様々な角度から問いを発して探究していく。子どものための哲学は、私たち大人の論理的・合理的思考を今一度、相対化するためにも注目されているといってよい。大人が合理的に思考するがゆえに見過ごしてしまいかねない「本質的な何か」を発見するきっかけを、子どものための哲学実践の中に見いだすことができる。

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コミュニティ心理学

『心のしくみとはたらき図鑑』より
コミュニティ心理学
 人々の暮らすコミュニティ、そして広く社会や文化は、その精神的発達に非常に大きな影響を与える。身近に関わりを持つ人々や場所は、その人が何かを考え、信じ、行動する際の文脈を形づくるとともに、日常生活を方向づける明示的な、あるいは暗黙の規範を形成する。ただし、人々は周囲の環境から影響されるだけでなく、逆に文化やコミュニティを生み出し、発展の方向を決める存在でもある。
コミュニティはどのように働くか
 コミュニティは継続的に進化していく生態系であり、何かを共有する個人の集まりから成る。そして、コミュニティを取り巻くより広い文化のあり方を反映するとともに、その発展に影響を与える。
 どのような概念か?
  コミュニティは、住む場所の近さ、共有の関心、価値観、職業、宗教的慣習、民族的背景、性的志向、趣味など、いろいろな共通点によって築かれる。個人にとってはアイデンティティの支えであるとともに、自分よりも大きく、さまざまな要素の統合された存在の一部となれる場でもある。このような関わり合いにより、人は心理的コミュニティ感覚(自分が他者と似ているという感覚、他者との相互依存の認識、所属意識、安定した構造の一部であるという感覚)を得ることができる。
  コミュニティ心理学者のマクミランとチャビスは、心理的コミュニティ感覚の要素として、メンバーシップ、影響力、統合とニーズの充足、情緒的結合の共有の4つを挙げ、それぞれを定義している。メンバーシップは安心感、所属意識、メンバーによる献身などを意味する。影響力とは、コミュニティとその各メンバーが互いに影響を与え合う関係を指す。統合とニーズの充足は、コミュニティの一員であることによって、メンバーが報酬(ニーズの充足)を得られるという感覚である。情緒的結合の共有には、共有されたコミュニティの歴史などが含まれ、真のコミュニティ感覚を最もよく表す要素と言える。
 コミュニティ心理学者の仕事
  コミュニティ心理学者は、集団や組織、機関の中での個人のはたらきを理解し、その理解をもとに生活の質やコミュニティのあり方を改善することを目指している。家庭や職場、学校、礼拝所、レクリエーションセンターなど、日常のさまざまな環境や文脈の中で人々を研究する。
  コミュニティ心理学者の目的は、人々が自分の環境をコントロールする力を高められるよう支援することである。そのために、個人の成長の後押し、社会問題や精神疾患の予防、そして誰もがコミュニティに貢献するメンバーとして尊厳のある生活を送ることにつながるような制度やプログラムをつくる。たとえば、コミュニティの問題を特定し是正する方法を人々に教えたり、社会の周縁に追いやられた人や長い施設生活で自立の難しくなった人を、社会の主流に復帰させるための有効な手段を実施したりする。
エンパワーメント
 エンパワーメントとは、人々が社会に前向きな変化を起こしたり、個人あるいは組織や社会レベルの問題をコントロールしたりする力を得られるよう、積極的に働きかけていくプロセスだ。
 どのような概念か?
  コミュニティ心理学の目的の1つは、個人やコミュニティ、とりわけ社会の大勢から排除された人々の力を引き出すことだ。
  エンパワーメントにより、社会の周縁に追いやられた人々や集団が、それまで受けられなかった援助や情報を得られるよう後押しする。
  それは、少数派の人種、民族、宗教に属する人々や、ホームレス、物質使用障害などのために、社会規範から逸脱した人々への援助である。社会の大勢から外れた結果、負のスパイラルに陥ることもある--仕事が見つからない。仕事がないので、自活できず、職業的な誇りや達成感を持てない。その結果、自信がしぼむ。ついには、社会性や精神的健康が蝕まれて、慈善団体や社会福祉サービスヘの依存を強めていく、といった具合に。
  エンパワーメントでは、そうした人々が自律して、自活できるように対策をとる。その土台となる要素は、社会正義、アクション志向(社会や個人に変化をもたらすことを念頭に置いた)の研究、公共政策への働きかけである。
  コミュニティ心理学者は支援対象者の職探しや、有用な技能の習得、慈善活動への依存からの脱却などを後押しする。支援対象者やコミュニティにとってどうなることが最善か、そうした前向きな変化をどのようにもたらすべきかを慎重に考えながら、深い敬意を持って援助を行う。
  こうしたエンパワーメントの本質とは、あらゆる文化を称え、コミュニティの持つ強みを伸ばし、人権や多様性の尊重により、不当な抑圧を減らしていくことだ。
 エンパワーメントの2つのレベル
  心理学者は、2つのレベルでエンパワーメントに取り組む。第1に、ミクロのレベルで社会問題に取り組み、変化を起こす。これは、社会的な問題の解消を意図した、個人生活の支援である(たとえば、差別を受けた人々が容易に訴訟を起こせるようにする)。
  第2のレベルで扱うのは、マクロの変化だ。問題のもとになっている制度、組織構造、力関係に働きかける(たとえば、いじめ防止のための法律を設ける)。この種の変化はミクロレベルのものよりも実現に時間がかかるが、現状を覆し、多くは広範囲に望ましい影響をもたらす。
都市のコミュニティ
 都市のコミュニティに関わる環境心理学は、人々の行動を周囲の環境との関係の中で考察する研究分野である。開かれた空間、自宅や公共のビルなどのいろいろな建物、そして人々が関わり合う社会的な場面など、さまざまな環境が研究対象となる。
 環境が人に与える影響
  心理学者ハロルド・プロシャンスキーは、人間の行動や発達が基本的に環境に左右されるという説を唱え始めた先駆的な研究者の1人である。周囲の環境による直接的または将来的な影響を理解すれば、望ましい結果やウェルビーイングにつながるような物理的環境を見いだし、設計・構築することが可能になると考えた。
  実際、環境心理学の研究によれば、人間は周囲の環境から、心理的にきわめて強い影響を受けており、自分のいる場所に対する認識に強く同化して、場面に応じて行動を変化させる。
  たとえば、子どもは環境に合わせて活力のレベルを調整しており、家庭、学校、遊び場で、それぞれ振る舞いが変わる傾向がある。また、人は室内で活動する際、屋外の景色が見える方が集中できることや、ある程度のパーソナルスペースを保っている万が、心地よく感じることを示す研究もある。
  混雑、騒音、自然光が届かないこと、住居の老朽化、都市の荒廃といった問題で環境が悪化すると、人々の心身の健康や健全な社会性が損なわれてしまう。建物や公共の空間の設計が、個人や社会の全般的な健康や、ウェルビーイングの要となるのはそのためなめだ。
  建築家、都市計画者、地理学者、景観設計者、社会学者、プロダクト・デザイナー(さまざまな製品の設計者)はみな、人々が生活をより良いものとするための展望を描くのに、環境心理学の知見を利用している。
 混雑感と密度
  環境心理学者は、物理的な尺度としての密度(density、ある空間に人が何人いるか)と、混雑感(crowding、十分な空間がないという心理的感覚)とを区別している。通常、人が混雑を感じるには、その場の人口密度が高いことが前提となる。混雑感は人の感覚に過剰な刺激を与え、自制心を奪い、ストレスや不安を高める。
  しかし、混雑感は常にネガティブに作用すると言うよりは、中立的なものであり、人口密度は人々の気分や行動を強化するだけだと考える心理学者もいる。
  たとえば、楽しみにしていたコンサートに来た人は、会場の混雑を感じることで気分が高揚し、より一層演奏を楽しめる。一方、恐怖を感じる状況にいる人は、混雑感によってその体験をますます不快に感じる。
  コミュニティにおいては、混雑感は優勢な行動を際立たせることがある。たとえば、攻撃的な集団は人口密度が高まることで暴力的になるかもしれない。逆に、過密な都市環境に、公園や歩行者専用区域といった、人々が交流できる有意義な空間を設ければ、全体的な雰囲気が良くなり、緊張が和らぐこともある。

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