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ハメリンナの風景はしっかり覚えている

投稿はうまくいかないものだ
 やっと、いくちゃんブログのコメントに載った。コメント数が減ってきたところをねらった。今日でロミジュリ東京公演が終わり、レミゼに取り掛かる。いくちゃんが居なかったから、関係ないせかいだった。本当にインフルエンサー。
ハメリンナの風景はしっかり覚えている
 フィンランドのハメリンナ駅構内に高山が映り込んでいた。ヘルシンキから電車で行ったんだ。丘の上から見た環境学習施設、チラッとみえたハメ城。フィンランドを電車で巡りたい。終着はロバエミニ図書館だけど。
本当にお金がない
 誕生日の臨時収入は母親の七周忌のあさくまに回ったみたい。当てにしていたに。今月、お金がない。結婚記念日(40年)、姪の双子の中学入学祝、名古屋の全握(いくちゃん次第)。なるべく、外にでないようにしよう。

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17文字のヘッドコメント 目次編 第1章~第5章 3/3

5.1 会社
 ・夢を持つものに従う風土
 ・会社生活を社会を含む設計のために三つの部門を経験することにした。
 ・システムは皆の思いをまとめ、組み合わせるものです。
 ・夢をかなえることを仕事にした。電算部では、全体を理解して、システムを作ることは楽しんできた。
 ・研究開発部門からは、システムは使ってもらうもので作るものではない。
5.2 技術者の思考
 ・未唯宇宙の構造は配置
 ・クルマを売るから、使うに変えるには、販売店の範囲を拡大させないといけない。
 ・メーカーと一緒に、お客様を支援していく体制が必要です。
 ・スタッフが300人のお客様を把握すれば、ソーシャルで2000万人とつながる。
 ・コラボとライブラリでメーカーとつながる。町一番のお店は、社会の中にあることを認識してもらう。
5.3 サファイア
 ・循環が持続を可能にする
 ・販売店システムはメーカー ・販売店 ・お客様の関係で、社会の縮図です。
 ・ローカルで考えることから循環は始まると見ることにした。
 ・知恵でローカルを活性化することで行動できる。
 ・ローカルのために、循環を意識して、企画してきた。
 ・メーカーでのグローバルのモノつくりは全体効率化で活力源になる。
5.4 企業の役割
 ・販売店システムの狙い
 ・先を見て、考えることが私のミッションです。
 ・循環の中で情報共有をいかに作るかを課題にした。
 ・店舗にグループを作り、要望を分類し、活動できるようにする。
 ・クラウド、ネットを活用して、サファイア構成として見ていく。
 ・そのためには、店舗スタッフの分化から、組織の位相化を図るのを目標とした。
5.4 企業の役割
 ・販売店システムの狙い
 ・先を見て、考えることが私のミッションです。
 ・循環の中で情報共有をいかに作るかを課題にした。
 ・店舗にグループを作り、要望を分類し、活動できるようにする。
 ・クラウド、ネットを活用して、サファイア構成として見ていく。
 ・そのためには、店舗スタッフの分化から、組織の位相化を図るのを目標とした。
5.5 情報共有環境
 ・情報共有で起こる社会の変化
 ・ポータルからサファイア循環の構想の具体化を始める。
 ・ポータル機能は情報共有のために、メッセージを集約する。
 ・アピール ・アンケートを双方向にすることでスタッフが思いを集約できる。
 ・販売店の高速ネットワークを使えば、ありモノを活用できる。
 ・ネットに配置されたライブラリとプル型接続する。
5.6 パートナー
 ・内の核と外の端はつながる
 ・高速ネットワークに期待することを販売店経営者にヒアリング。
 ・ヒアリングに当っては、社会との関係を含めた、サファイアモデルを提示した。
 ・社会変化に対応して、いんたーねっと要望が強かった。
 ・経営者はお客様とのつながりを要望しているが、メーカーシステムは画一的で、データが自由に使えない。
5.7 地域との関係
 ・市民の覚醒が出発点
 ・内なる仕事として、制約を考えずに、販売店の未来を考えている。
 ・店舗の意識変革を成し遂げた後に、地域にアピールして、社会の事例にしていく。
 ・企業ポータルの経験から、地域コミュニティの情報共有ポータルを支援していく。
 ・市民の状況を把握し、企業として、要望実現し、クルマの地域インフラを想定する。
5.8 社会を変革
 ・存在の力を組織に適用
 ・システムを作ることよりも、使うためのファシリテーターが重要で、存在の力を引き出して、社会を動かす意識を出す。
 ・自律した店舗から、組織を超え、地域活動に拡大していく。
 ・クルマを皆で使うための条件からシェア社会を構築するのも店舗の役割になる。
 ・いい社会を地域インフラで作り上げていく。

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17文字のヘッドコメント 目次編 第1章~第5章 2/3

3.1 他者の世界
 ・メディアの変化は何を生む
 ・社会に取組みことにしたが、全体像が見えないので、コンビニ、ケータイなどの社会の接点からアプローチし始めた。
 ・社会の中核の政治、経済はマスコミで理解しようとしたが、見えない。
 ・そこで、多読と会社の情報と歴史認識から見ることにした。
 ・トポロジーを使って、地域から見て、行動することで全体を見ている。
3.2 地域から見る
 ・地球的課題を地域で解決
 ・社会の実体を見るために、ボランティアで地域を見ていくことにした。
 ・行政へのアプローチで、審議会に市民案を提出してみたが、反応はありません。
 ・個人でなく、グループの存在が必要です。
 ・地域を軸に、社会をトポロジー構造として、解析する。
 ・エネルギー問題などの地球規模の課題には超国家的な対応が必要です。
3.3 地域のあり方
 ・なぜ、図書館は地域にあるのか
 ・環境問題に対応するヒントをフィンランドのハメリンナで得た。
 ・環境学習施設で行われている4つの方策で地域での活動を見ていく。
 ・豊田市での活動として、環境学習設備設立に参画して、コミュニティの必要性を感じた。
 ・市民はニーズに基づいた発想で行政を超える。
 ・行政は地域活性化した地域を支援する役割を持つ。
3.4 集中から分散
 ・静脈発想から地域活性化
 ・国民国家では国の意思の力が原動力になるが、環境社会では、国からの画一的な分配は限界になっている。
 ・地域が自律できるために、権限を委譲し、地域コミュニティでの判断に基づき、活用を図る。
 ・地域コミュニティのポータルで市民との情報共有を図り、市民の存在の力と知恵で、活性化し、静脈系を再構成する。
3.5 配置から見る
 ・平等を実現するには
 ・制約を外した、内なる社会では、政治形態まで及んでいた。
 ・個人の分化から、組織に依存しない市民を育成する。
 ・先行する公共図書館をクラウド化して、シェア社会の実体を市民に示す。
 ・地域での社会保障などで、新しい快適生活を定義して、合意を得る。
 ・コミュニティで市民を位相化して、新しい民主主義を描く。
3.6 コミュニティ
 ・コミュニティ運営の難しさ
 ・市民の存在の力を集約することを考えてみた。
 ・ソーシャルウェブで、情報共有して、意識と知識を集約させる。
 ・危機感からの公共意識で市民がコラボして、合意形成を図り、行動できるようにする。
 ・環境 ・エネルギー問題も、地域の知恵でコンパクトに対応する。
 ・お互いの状況を把握し、新しいシェアを可能にする。
3.7 地域が自立
 ・復興ではなく、創造
 ・3.11クライシスで国民国家の脆弱さが露呈した。
 ・壊される世界を想定して、分散自律型に変えていくのは地域です。
 ・エネルギーにしても、地域の特性に合わせ、市民との合意形成が必要になる。
 ・社会インフラ展開も国単位ではなく、地域インフラで対応する。
 ・市民の存在の力をコミュニティに集約していく。
3.8 自由と平等
 ・地域活性化の目的は
 ・市民コミュニティを活かすために、グローバルを含めて、変えていく。
 ・そのために、コミュニティにサファイア機能を配置する。
 ・環境社会では、消費者から生活者意識のライフスタイルのマーケティングを支援する。
 ・市民を活かす合意形成と専門家の活用で展開を可能にする。
 ・税金、雇用、社会保障を地域から変えていく
4.1 主義の目的
 ・国民国家と民主主義
 ・歴史への関心は、国民国家のドイツにナチが成立した理由が知りたかった。
 ・国民の総意を反映したものだった。全体主義は民族と国民国家のジレンマからの究極な姿です。
 ・民主主義は、グローバル化で集中と格差を生み、地域を圧迫している。
 ・ローカルの反発からテロを生むと同時に、ローカルへの支援も出てきている。
4.2 国民国家
 ・総力戦での国民の必要性
 ・歴史をトポロジーの観点から、ローカルとグローバルの関係で国民国家を分析し、先行きを見ることにした。
 ・歴史での偶然の意味を知り、サファイアの仮説からシナリオを描いた。
 ・フィンランド ・トルコなどの歴史認識から世界の流れを理解している。
 ・地球規模の課題から、ローカル主体と超国家の二元化が見えてくる。
4.3 国家の限界
 ・レバノン杉が国家の象徴
 ・国民国家を変えるのはグローバル化だけではなく、地域での意識の変革がある。
 ・グループの力、メディアから歴史の意識を図る。
 ・フランス革命後の国民国家は二つの大戦で民族争いと総力戦を生み出した。
 ・中央集権での分配の限界からローカルへの分散へ向かう。
 ・ソーシャル組織の発想から新しい政治原理を考える。
4.4 歴史を解釈
 ・先を知って、どうするのか
 ・次の時代を考えるために、底辺となる歴史哲学と数学的歴史観で人と社会構造のあり方を考えた。
 ・ローカルとグローバルのサファイア循環という認識で地域から変わってきている。
 ・人が多いほど、幸せになれる未来のシナリオを重ねてみると、ローカルの分化とグローバルでの統合という構図
4.5 歴史哲学
 ・共産主義の欠陥
 ・市民が自律するためのコミュニティが必要になっている。
 ・ローカルがグローバルに従属してきた国民国家と民主主義制度が変わっていく。
 ・グローバルは国を超え、ローカルに寄り添い、コミュニティで地域を活性化し、国がそれを支援する。
 ・その先には、コミュニティと超国家をネットでつなぐ世界がある。
4.6 歴史の流れ
 ・歴史を個の力が動かす
 ・3.11クライシスでは、国からの画一的な対応に依存せずに、自立する価値観での復興が望まれる。
 ・地域は自律して、知恵と強みで再生して、その集合体で国を作り上げる。
 ・国という制約は、市民がネットでつながることで破ることができる。
 ・歴史はクライシスを重ねながら、ゆっくりと環境社会に向かっていく。
4.7 存在の力
 ・フィンランドの目指す道
 ・国民国家を変えてきた、グローバル化自体が変わってきている。
 ・自立した個人が、意思の力から存在の力に変わることが前提になる。
 ・エジプト革命では、ソーシャルでの情報共有が変革の武器になった。
 ・先行するフィンランドでは、シスの精神で、自立を果たしている。
 ・地域を活かす超国家が統合の役割を果たす。
4.8 階層の変化
 ・国家の単位は500万人
 ・内なる歴史で、歴史の変革の将来を見渡す。
 ・社会がトポロジーのように、分化と統合の位相をベースとする時空間になっていく。
 ・環境社会で生き抜くために、市民の分化から社会の位相化が始まる。
 ・環境社会は地域コミュニティと超国家の二元化に変換される。
 ・137億年の歴史を踏まえて、2050年の変節点を描く。

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17文字のヘッドコメント 目次編 第1章~第5章 1/3

1.1 生きている
 ・真理は数学にある
 ・中学生の頃の存在と無で絶対的な孤独にいる自分を発見した。
 ・あまりにも狭く、死しか見えない。
 ・高校生の時に、存在の証しを真理探究に求めた。
 ・真理は数学にあり、全体を見ることができると信じて、数学科を目指した。
 ・トポロジーと四方教授は期待に応えてくれた。
 ・社会と歴史で未来学者をめざすことにした。
1.2 考えるしかない
 ・偶然は用意されている
 ・生まれてきた理由を探して、存在の力で仕事をしてきた。
 ・仕事では、皆の夢を聞き、夢を伝え、確信を持つことで、分化を行った。
 ・そこで、もう一人の私として、無敵のμが生まれた。
 ・大いなる意思からの偶然を意識すると必然が見えてくる。
 ・それで、制約を突破してきた。
 ・考え抜くことで啓示が得られる。
1.3 私は何なのか
 ・私という感覚
 ・存在と無に救いを求めて、哲学に入り込んだ。
 ・池田晶子さんの宇宙の旅人に辿り着いた。
 ・旅人として、存在が軽くなる。生きることは考えること、生まれてきて、存在するのは考えるためとした。
 ・社会の中の個人をμの目から見て、社会を分析する。
 ・数学的思考で、ローカル近傍系を武器にすることにした。
1.4 内なる世界
 ・他者は存在しない
 ・自分の根源である、存在と無を集中的に考えた。
 ・自分は考えている時だけ存在し、内なる世界を持っている。
 ・元々、無なので、社会に干渉し、好奇心を追求していく。
 ・考えることが存在と無をつなぐので、考えることで大いなる意思に応える。
 ・絶対的な孤独にたいしては、内なる世界で生きることで、社会の真理をめざす。
1.5 外なる世界
 ・持続可能性
 ・社会を分析にあたり、先が見えないので、メッセージを発信することから始めた。
 ・考え、感じたことを残し、分類することで、何かが見えてくる。
 ・社会への行動は、行政と市民の間のボランティアから、笑顔でつながる社会をコンセプトにした。
 ・分析結果から、グローカルで循環する構成のサファイア社会を定義した。
1.6 未唯空間
 ・ヘッドから部品表
 ・考え、感じたことをフロー場として、雑記帳で表しくきたが、未唯空間として、体系化することにした。
 ・全てを7つのジャンルに集約して、項目で分化しながら、全域を統合する表現を作り上げた。
 ・近傍系の考えで、サファイア循環を未唯空間で構成した。
 ・理解のために、言語表現で項目間の関係の位相化を図ることにした。
1.7 未唯宇宙
 ・再編の指針
 ・私の分化は未唯空間で表現し、存在の力を示すことを意味する。
 ・本を含めて、情報を収集し、関心を深めて、全てを発信する方式を取った。
 ・未唯空間で未来予測を開始した。
 ・社会を位相化するステップ、未来としてのLL=GGの世界を想定した。
 ・近傍系となるコミュニティの共有意識で知識と意識の保有を提案することにした。
1.8 全てを知る
 ・境界はどこにある
 ・制約を受けない内なる自分で未来を想定した。
 ・具体的に、数学 ・社会 ・歴史のジャンルの変革のシナリオ作成してみた。
 ・サファイア社会の目標は幸せなシェア社会の構築になります。
 ・個人的には、存在の力で全てを知ることができれば、自己肯定を得ることができる。
 ・未唯宇宙で真理を得たので、自分に還ります。
2.1 数学とは何か
 ・次元を旅する
 ・存在と無から、自分を存在を超えるものとして、真理を求めた。
 ・真理は、不変で、全体の空間を規定するものでしょう。
 ・数学は考える手段で、宇宙のように全体が見え、アナロジーで展開できる。
 ・道具として、近傍系を規定すれば、全体が見える多様体を発見した。
 ・社会の不変を規定することで、多様体として解析できる。
2.2 点から発想
 ・時空間の位相は因果関係
 ・トポロジーの武器は空間配置です。 ・図書館、社会、歴史も多様体モデルで解析した。
 ・理系の思考でゼロから空間を構築することが可能になった。
 ・仕事で複雑性の論理を使った。部分は全体よりも大きいことを部品表空間に適用した。
 ・販売店では店舗 ・本社を空間に配置して、サファイア構成を見出した。
2.3 部分から全体
 ・連続性の意味するもの
 ・販売店システムの空間として、EUの行動基準のThink Globally, Act Locallyから{思考、行動}と{地域, 全体}を軸とするサファイア循環を作り出した。
 ・対応する4つの機能を使い、近傍系を連鎖して、位相空間と見なした。
 ・トポロジーに従って、基本空間をベースにグループ設定を行うことで、分化と統合の関係ができた。
2.4 数学史
 ・物理から独立
 ・数学の歴史では、論理追求と空間の柔軟性を求めて、進化してきた。
 ・算数は具体的なモノを、アルキメデスのように地面に描いてきた。
 ・デカルト平面は力学では有効な手段だったが、数学では次元の制約で限界を向かえた。
 ・空間を自由に創造することで、数学は独立した。
 ・ローカルを多様化して、グローバルで定義を行う
2.5 空間を超える
 ・自由で平等な空間
 ・全てを知りたいために、未唯空間を作ったら、社会の位相化が現れた。
 ・そのために、全ての時間を考える生活にしていく。
 ・未唯空間として、数学 ・図書館 ・社会 ・歴史に展開させた。
 ・社会を位相化すれば、制約を打破することができる。
 ・世界を数学的に解釈して、社会の位相化を実現することがターゲットにした。
2.6 新たな数学
 ・個-超空間の新しい数学
 ・サファイア循環、未唯空間の思考過程から新しい数学ができてきた。
 ・ローカル規定をグローバルの多様な空間につなぎ、特異点の歪みを除去して意味のある空間を創出することは汎用性を持ちます。
 ・そのためには、個人の分化で、自己組織化したコミュニティに組み込む。
 ・周縁の変化を解析して、空間の拡大 ・進化を図る。
2.7 社会に適用
 ・インバリアンとが変わる意味
 ・会社に入って、トポロジーで仕事をし始めた。
 ・人の考え ・行動を近傍とみなして、システム全体の空間に配置することで、個々が見られ、全体が見えてきた。
 ・その考えで部品構成、実験結果、ネット設計に適用した。
 ・ローカル近傍系として、コミュニティを解析して、環境社会を持続型社会とし、数学モデルを作り出す。
2.8 個と超の世界
 ・存在は無に含まれる
 ・歴史認識で、次の次がどのようになるかを内なる数学で考えた。
 ・個人の近傍化とトポロジー思考を駆使すれば、存在の力を認識することができる。
 ・コミュニティの情報共有からはじまる世界を描くことにより、個人の分化から社会の位相化への道を示す。
 ・結果として、LL=GGの世界に至った。それが歴史の変節点になる。

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フィンランドにおける地域間格差の拡大

『転機にたつフィンランド福祉国家』より フィンランドにおける地域経済の動向と地域間格差の拡大
課税所得からみた地域格差
 人口1人当たりの地方所得税の課税所得をMaakunta別にみてみると、2007年度は最大がUusimaaの1万8,566ユーロ、最小がPohjois-Karjalaの1万1,385ユーロで、およそ1.63倍の開きがあった。2013年度は最大がUusimaaの2万896ユーロ、最少がPohjois-Karjalaの1万3,231ユーロであった。さらに、自治体別にみると、2007年度は最大がKauniainen(Uusimaaに所属)の3万1.988ユーロ、最小がMerijarvi (Pohjois-Pohjanmaaに所属)の8.311ユーロであった。自治体間では実に3.85倍の開きがみられた。2013年度は最大がKauniainen(3万5,855ユーロ)で、最少がRaakkyla(Pohjois-Karjalaに所属)の9,642ユーロであった。3.71倍の開きがみられた。1996年度の人口1人当たりの地方所得税の課税所得をみてみると、最も高かった自治体はKauniainenの11万9,762フィンランドマルカで、最小がMerijarviの3万7,271フィンランドマルカであった。1996年度における自治体間の開きは3.21倍のため、自治体間の経済力の地域格差が拡大していることが把握できるのである。
 さらに、自治体間の経済力格差を検証するために、図表2-8をみてみよう。図表2-8は、2011年度のKauniainenとMerijarviの勤労所得税(国税)の納税者を課税所得段階別に整理したもの、ならびに、KauniainenとMerijarviの地方所得税納税者を国税の勤労所得税の課税所得段階別に整理したものである。Kauniainenの人口数は8,545人、Merijarviは1,187人であった(2008年12月31日現在)。国税である勤労所得税の納税者数はKauniainenが3,841人、Merijarviが187人で、人口に占める勤労所得税納税者の割合は、Kauniainenが44.9%、Merijarviが15.7%であった。Merijarviでは国税(勤労所得税)の課税最低限に達していない者が多いのである。また、地方所得税納税者に占める勤労所得税納税者の割合は、Kauniainenが60.3%、Merijarviが23.1%であった。Merijarviでは、地方税収入の大部分を占める地方所得税収入において、Kauniainenに比べて低所得の納税者に依存する割合が高くなっていることが把握できるのである。さらに、Kauniainenでは、6万ユーロ以上の課税所得を有する者が1,800人おり、Kauniainenの勤労所得税の納税者総数の46.8%を占めている。これに対し、Merijarvftは6万ユーロ以上の納税者は7名で、Merijarviの勤労所得税納税者総数のわずか3.7%にすぎないのである。
低所得者層の増大
 地域差が大きい失業率
  フィンランドでは低所得者層が著しく増大している。低所得者とは収入が全国平均の60%未満(年1万4,741ユーロ未満、1人暮らしの場合)の者をいう。図表2-9をみてみよう。フィンランドでは、全国平均の年収入(1人暮らしの場合)が2万4,569ユーロ、低所得者層の年平均収入は1万2,394ユーロである(2010年)。このような低所得者層は、1990年に39万4,978人であったのに対し、2010年には約1.8倍の70万6,030人になっている。総人口に占める低所得者の割合も、7.9%から13.3%に増大している。年齢別にみてみると、18歳以上64歳までの低所得者は、21万632人(1990年)から44万7,081人(2010年)へと2.1倍増加し、当該年齢層の人口に占める割合も6.8%から13.6%に増加した。65歳以上の者は、1990年(12万3,239人)と2010年(12万4,045人)では数的にほぼ変化がない。また、18歳未満(ほとんどが低所得者層の家庭に属する)の者は、6万1,107人(1990年)から13万4,904人(2010年)へと2.2倍増加し、当該年齢層に占める割合も、5.1%から12.4%に増加している。さらに図表2-9には示されていないが、16歳以上24歳未満では当該年齢層の26.5%が低所得者層である。このような低所得者層は、大不況が終わって経済が回復しても増大しており、今日のフィンランドの経済・社会にビルドインされているのである。
  このような状況が生じていることは、先に述べた農業の衰退や産業構造の変化と密接に関係しているし、失業率の上昇と密接な関連性がある。第1章で掲げた図表1-3をみてみよう。失業率は、深刻な不況の影響を受けて1993年には16.3、1994年には16.6%と急上昇した。1994年をピークに失業率は下がったものの、1990年代を通じて10%台の高いままの状態が続いた。21世紀にはいってからも高い状態は解消されず、10%をきったとはいうものの、2000年から2003年までは9%台で推移した。2006年にようやく7.7%まで下がり(失業者数は約20万人)、以後景気上昇の中、2008年には6.4%まで下がったが、大不況以前の水準(3.2%)には達していない。そして、リーマンショックの影響を受けた2009年には失業率が上昇し、8%台となった。2014年においても失業率は8.7%と高い数値を示している。
  失業率は、地域的には農村部を広大にかかえる北部、北東部のMaakuntaが高く、国平均の失業率が7.7%に下がった2006年においても、5つのMaakuntaにおいて10%を超過していた。つまり、Kainuuの17.1 %を筆頭に、Lappiが12.4%、Etela-Savoが11.5 %、Pohjois-Karjalaが10.4%、Keski-Suomiが10.3%の失業率を示していたのである。さらに、失業率は2009年において7つのMaakuntaで10%を超過し、2014年においても6つのMaakuntaが10%を超過している。Helsinki市のあるUusimaaの2011年の失業率は5.8%と低かったけれども、景気が悪化した2014年の失業率はUusimaaにおいても7.3%に上昇している。
 若年者(20歳台)に多い生活保護受給者
  生活保護受給者数の動向をみてみると14)生活保護受給者数は1996年の34万9,591世帯、60万9,636人、受給率(総人口に占める生活保護受給者数の割合)11.9%をピークに減少している。経済が順調であった2008年の生活保護受給者数は21万5,570世帯、33万9,394人、受給率は6.4%であったが、リーマンショックの影響を受けて景気が悪化した2009年には、生活保護受給者数は23万8,755世帯、37万7,688人、受給率は7.1%に上昇した。さらに、その後も生活保護受給率は下がらず、2013年には24万5.765世帯、38万1,851人、受給率は7.0%になっている。また、生活保護受給率をMaakunta別にみてみると(2013年)、Pohjois-Karjalaが8.6%、Uusimaaが8.0%、Keski-SuomiとPohjois-Savoが7.7%、Lappiが7.5%となっており、失業率が高い北部や北東部のMaakuntaを中心に生活保護受給率が高いことが把握できる。これに対し、大都市特有の問題を抱えるUusimaaを除いた南部や西南部のMaakuntaの生活保護受給率は総じて高くない。
  さらに、フィンランドの生活保護受給の特徴として、若年世代の受給率が高いことが掲げられる。生活保護受給世帯を年齢構成別にみた場合、1991年から2011年までのいずれの年度においても、20~29歳の生活保護受給世帯数が最も多く、2011年は7万2,372世帯となっている。また、2011年の受給率(当該年齢層の総人口に占める当該年齢層の生活保護受給者数の割合)は20~29歳の場合は25.2%で、4人に1人が生活保護受給者となっている。この中で20~24歳がとくに高く受給率は約15%にのぼっている。これに対して60歳以上の受給率は低い。
  図表2-11を検討しよう。世帯構成別生活保護受給世帯数をみると、最も多いのは1人暮らし世帯で17万1,779世帯となっている(2011年)。1人暮らし世帯の生活保護受給世帯数は全生活保護受給世帯数の7割強を占めている。1人暮らし世帯の中では男性の割合が高い。また、世帯構成別世帯数に占める生活保護受給世帯の割合が最も高いのは1人親世帯で、24.1%となっている。実に、4世帯に1世帯が受給世帯になっている。これに対し、夫婦世帯の受給は少ない。
  以上から、フィンランドでは若年世代(20歳代)、1人暮らし世帯、1人親世帯の生活保護受給割合が高いことがわかるのである。フィンランドでは、すぐれた年金制度や障害者福祉制度、女性雇用のしくみがあるので、高齢者、障がい・病気、母子の生活保護受給者は比較的少ない。その代り、失業と生活保護が密接に関連している。生活保護受給者数の動向をみるならば、若年世代を中心に受給者が多いことや、地域の雇用問題、大都市特有の問題等が、生活保護の受給に反映されているということができるのである。

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雄弁に語りかけたハイパーカード

『これからの本の話をしよう』より 雄弁に語りかけたハイパーカード
この手でつくりこの手で流通すると言いながら、この手が動かすものはアップルのコンピュータ、マッキントッシュだった。一九八〇年代、八二年からその年代の終わりにかけて、日本ではNECのPC98という機種が席巻していた。誰も知らないような外国のコンピュータを使って、商売などできるのだろうか? マッキントッシュでつくり、読むのもこのコンピュータが必要だ。これでしか読めない。なんだァ……と、そう思うことだろう、おっしやるとおりだ。出版だというなら明らかに間違った考えそのものだ。でもしかし、アップルに依存するしかない状況のなかにデジタル出版はスタートしたのである。
理由ははっきりしていた。どうあろうと私たちがもっとも注目したのはマッキントッシュが個人一人ひとりの未来に焦点を当てていたことだった。どこよりも一番先を走り、世界の今後を語ろうとしていた。会社や組織のビジネスの合理性を担うということではなく、パーソナルな視点で私たちの生活を豊かにしていく、人とコンピュータとの関係を伝えようとしていた。あるハードに依拠した限定付き出版ということよりも、たとえ偏った歪なものであったとして、そこに本質的な提案があるならば、解決は時間の問題だと鷹揚に考えていたのだと思う。
アップルのやってきたことはいろいろあった。語ればきりがないくらいだ。そのなかで忘れられない私たちのツールとして、ハイパーカードがあった。アップルが一九八四年に導入したマッキントッシュに、一九八七年にハイパーカードはバンドルされた。アップルの開発者だったビル・アトキンソンが開発の中心を担った。
情報の最小単位を一枚のカードだとする考えが示されていた。カードに文字を書き、何枚ものカードを積み上げて綴じれば、ナンバリングされた本になった。また、一枚のカードにボタンを付けて、ボタンを押せば、積み上げられたどこかのカードに飛んでいく。これはまるで私たちが本で日々やっていることと同じだった。二つのカードは……情報は、瞬時につながった。本を読み、注釈のある別ページを見るようなものだろう。カードをパラパラと自動的にめくっていけば描かれたイラストはその場でアニメーションになった。
ボタンを押せば音も出た。この音はコンピュータから発するビープ音などだけではなく、コンピュータにつながった外部メディアヘのリンクを可能にしていた。ドライブに音楽のCDを入れたら、随意の音楽の正確な場所ヘリンクが取れた。その場所から一定のある場所までの音声をプレイしてストップさせるというようなことができたのだ。当然にもカードにはその音楽箇所についてのコメントとも能書きとも言えるテキストが表示される。読むことと聴くこととが一体化した提示となっている。まさに音の再現が随時・随所で可能になる本の実現と言ってもよかった。
何よりも明瞭に原理原則をカードの集積とボタンとリンクによって解明してみせていた。データだの情報だのと、わかったような、わからないような言葉を頭をひねくって理解する必要は一つもなかった。コンピュータに馴染みのない人々にとって、このわかりやすさは本当にありかたいものだった。自分でもやれるじゃないか! そう思った。
これでつくられた記念碑的作品として、ロバート・ウィンターの『ベートーベン第九交響曲』というのがある。当時ロバート・ウィンターはUCLAの音楽学部の教授だった。
音楽CDはとんでもない作品数が市場にあふれている。一方で音楽についての知識・知見というものも相当数、本として出回っている。しかし、その両者をつないで見せることは音楽CDを聞き、本を読んだ読者の頭のなかでやられるしかない。
教授としてのロバート・ウィンターは教室で学生たちにそれをやって教えている。何たるかを大声でひとくさり話したうえで、教壇のピアノで実演してみせる。言っていることと音楽とを結び理解を立体化させる。これがハイパーカードと市販の音楽CDをリンクさせて目の前に届けられてきた。ボイジャーのCDコンパニオンシリーズの第一弾だった。
 「そこにシューベルトを入れることもできるのか?」
ロバート・ウィンターの『ベートーペン第九交響曲』のハイパーカード企画に興味を持った一人の男がいた。魅入られたように説明を聞き、じっと画面を見つめている。
 「もちろんだ、シューベルトだってバッハだって、マイルス・デイヴィスだっていい」
ボイジャーのスタッフは、男の問いかけに対して、こう答えた。
 「『第九』の制作に使われているコンピュータの技術は、じつはきわめてシンプルなものでしかない。コンピュータはただリンクの役割をしているだけだ。重要なのは結びつけるべき何か、この場合ベートーベンの『第九』についての知識なのだ。それは誰かが学び、生み出し、かちとった特別なものだろう。今私たちは、特別なものを世の中に伝えたい人に向けてこのデモをしている。あなたにとってこのデモが何かの役に立たないか、と呼びかけているんだ・・・…」
男は頭のなかに無数のアイデアを渦巻かせて、あきらかに触発された様子だった。
この男こそ、『LAウィークリー』誌や『エンタテインメント・ウィークリー』誌の音楽欄を担当するベテラン音楽ライター、アラン・リッチだった。彼はそのとき六八歳だった。
学生のころからイタリア・オペラのレコード輸入を手伝い、二〇歳を過ぎるとレコード店で働いた。以来、途方もない量のレコードを聴きあさってきた彼の頭のなかには、指揮者、レーベル、録音情報などに関する膨大な情報が詰めこまれていた。クラシック音楽のレコードのことなら、知らないことはなかった。
彼の家にはあふれんばかりのレコードが収集され、棚という棚はすべてしなっていた。重さで家さえも傾く、とよく笑って話した。しかし、ふと気づくと、これらはすべて自分の身の上にしまいこまれた「無形文化財」にすぎない。万巻のレコードも、おのれという身がなければそれぞれの意味を結びつける糸は断ち切られ、単なる廃材の山に成り下がってしまう。そう思って足取りが重くなりかけていた。
 「こんなことがありなら、やれることは山ほどある。オレだったらシューベルトの歌曲でやってみたい」
アラン・リッチは音楽評論家ではあったが、ウィンター教授のような音楽理論の専門家ではなかった。そこで、鑑賞という点に重きを置くことにした。こうしてできあがったのはシューベルトの『ます』だった。コンピュータ上に本を表示させて読むという行為に親近感を抱かせるものだった。はじめて『第九』を見たときのような驚きや可能性はなかったが、軽い鑑賞の手引きといった感じが、かえってコンピュータ上の小冊子として印象を鮮やかに伝えていた。
コンピュータの専門家ではない、けれど本の中味をよく知る人間がこれからはコンピュータを道具として、出版を可能にしていくことができる。言わんとすること、伝えたいこと、そのもっとも素朴で堅固な姿勢の原初形態がここには現れていた。
私は思いきり呼びかけた。
 このソフトウェアはあなたの創ろうとする気持ちを支援するはずです。創るための技術的問題を解決し、困難を乗り越える助けになるはずです。そして何よりもっとも大きかったあなたの経済的負担を軽くするはずです。あなたは一人のために世界でたった一冊の本を創ってみることさえできるのです。私たちはこのソフトウェア開発に渾身の力を注ぎました。私たちの提示する技術にまだ多くの問題は残されているとおもいます、しかし使用をためらう理由はありません。デジタルにおける文字を扱う方法の一つが、十分な考察を経て具現化されています。それがここに、確かな形としてあり、今すぐにも利用されることを待っています。
ハイパーカードでつくられたエキスパンドブックの日本語版マニュアルの巻頭に書いたものである。
ツール開発にすべてのエネルギーを費やした。消費したといったほうが正直なところだろう。さすがに浪費とは言いたくないが、現実は翻弄される毎日だった。例によって私たちはエキスパンドブックをこう宣伝した。
何でもできる、誰もが、簡単に……。
このスローガンは今でも誰かが繰りかえしている。リアルに言い直せば、できることは限定され、一部の人だけが、困難を乗り越えてつかむもの……にすぎない。もちろん資金的バックアップがあり、好意的な支援者に恵まれ、忍耐強い時間をかけたケーススタディを経ることができるなら、スローガンは現実のものにもなるだろう。そんな幸運が舞い降りることは、だがありえない。結局は編しのスローガンとして潰えていく。
裏切られるのは読者/ユーザばかりではない。コンピュータに、よって、もって、立つ、私たちは、コンピュータの基準にのっとり開発を進めることになる。この基準はれっきとした私企業が決めるのであり、私企業が変更するものだ。いつ何時、こちらの勝手な思い込みが裏切られたって文句の言える筋合いではない。
強い誰かのもとに寄りかかり、ビジネスを成立させていく。君子は豹変し、こっちの勝手な思い込みはものの見事に覆される。徒労感、ばかばかしさと哀しみの辛酸をなめること、どうしようもない。
アップルのハイパーカードに依存したエキスパンドブックは、その後アップルのQuickTimeへの注力に従ってそっちへ流され、アップルの経営判断によるQuickTimeチームの解散によって、進路を失い路頭に迷うことになった。エキスパンドブックはもちろん、ハイパーカードによってつくられた作品のことごとくは頓挫していった。

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