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組織は死ぬことを忘れさせる

組織は死ぬことを忘れさせる

 宗教を含めた組織は死ぬことを忘れさせることを売りにしてる。南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽に行けるという呪文。これはキャッチフレーズ です。

 思考停止した連中がのさばる社会。日本が一番の典型。その最たるものが太平洋戦争への突入。それがゆえに 神風が起こった。そんなところでしょう。

 国とか軍とかいう組織に一方的に頼った世界。その泥沼から抜け出すためには個人の覚醒が必要。なぜこの世界に放り込まれたのか、という思考と、それらを世界のインバリアントにする発想が必要。

未唯宇宙の書き出しノート

 項目に対して、四つのキーワードでエッセイを書く感じ。これで 関係を 作り出しましょう。

65年間使っていなかった右目

 パソコンを見る時、右目だけで見ている。65年間使ってなかった右目。生まれてきた時に潰した右目。視力が0.2のままで矯正できない右目。その右目だけでパソコンを見ている。他のものはすべて左目なのに。

何もすることがない世界

 未来は「仕事」というものを取り上げられて、何もないすることがない世界。死と向かい合って、生まれたきた理由を探る世界。そしたら本来的な 生き方ができる。

コロセウムで自動運転車のレースを開催

 自動運転車でレースをしたらどうなるか。最初は、今の人間の操縦のレースと同じような形でしょう。それがどんどんエスカレートして、いろんな武器が出てくる。スターウォーズのように。その中をかいくぐったレース 。新しいギャンブルが始まる。人ってそんなもんでしょう。

武器の進化

 米軍はアフガニスタンで山ほどのドローンを使ったみたいです。ほとんどが狙撃。武器としての進化。そして退化していく

暑い!

 それにしても暑い。扇風機が熱い風を送ってくる。

 32°だって 馬鹿げてる。

高所恐怖症は無理させるな

 ひらがなけやきのバンジーを見ていたけど、高所恐怖症をなめんじゃねえ。テレビで高いところからの風景見るだけで足が地につかない。この世界に放り込まれた時のトラウマなのか。
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OCR化した9冊

『誰にもわかるハイデガー』

 「現存在」ってどんな存在?
  一ヶ月かかって読み終えた
  現存在とは死ぬ存在
  「存在と時間」の主役はどういう人なのか?
  現存在は自分を気遣い、次に道具を気遣う
  現存在は最初から道具を了解している
  道具のいろんな性格
  なぜ現存在には「者」をつけないのか

 実存とは人間の可能性のこと

  サルトルか、メルロ=ポンティか
  三分でわかるフッサール
  実存とは?
  平均的日常性というあり方
  共現存在を気遣うことによって自分を気遣う
  死を忘れさせてくれる存在
  情状性とは気分のこと
  語りと沈黙

 死を忘れるための空談(おしゃべり)

  世人とのなかで我々が陥る状態
  好奇心は気遣いから離れる
  我々は非本来的な生き方をしているとは思ってない
  不安が人間を本来的な場所へ戻す
  不安のもとは自分が死ぬということ

 「時間」とは何か?

  死は経験不可能なもの
  死に先駆けて、死に直面して、死を了解できるのか
  人間の存在している意味というのは時同性である

『力の追求 ヨーロッパ史』

 ブルジョワジーの勝利
 小ブルジョワジー
 「鎖の他に、失うものは何もない」
 「危険な階級」

『ローマ帝国史』

 より広い世界へ

  バルバトゥスの子孫
  征服とその結果
  カンナエの戦いと捉えどころのない戦争の表情
  ポリュビオスのローマ政治論
  服従の帝国
  帝国のインパクト

『時代を写した写真家100人の肖像』

 南條直子 『アフガニスタンムジャヒディン』

  アフガニスタンに散った報道写真家
  出口のない日本とヒロイズム
  報道写真家の資質
  愛称は「ゴルゴタイ」
  誕生と死

 長倉洋海 『マスード愛しの大地アフガン』

  新しいフォトジャーナリズムの表現
  英雄の素顔が伝えたこと
  遅れてきたカメラマン
  遠い国を繋ぐ

『日本の原子力外交』

 日本に課せられた役割

 供給国としての日本

 「持てる国」としての日本

 「バーチャルな核兵器国」としての日本

 アメリカヘの不信と日米協定の自動延長

 日本の担いうる責任

『都心集中の真実』

 都心は「男性中心」から「女性中心」へ

  女性が男性よりたくさん東京に集まってくる時代
  かつて都市は男性中心だったが
  未婚女性が多く住んでいる区はどこか?
  23区中16区で未婚女性が増加
  未婚女性が増える区と格差の関係
  中央区は未婚女性の楽園

 未婚女性は東横線が好き

  均等法第一世代女性が都心と山の手に住む
  会社の近くに住みたい
  未婚女性は山の手のイメージの良い町を好む
  未婚女性はスタバのある街に住む?
  都心は未婚一人暮らし世帯の女性が多い

 働く女性は隅田川沿いに集中

  働く女性はウォーターフロントが好き
  駅に近い街が好まれる
  セレブな街は女性就墓亭が低い
  皇居のまわりで女性が輝く
  エリート女性はどこに住むか

『ラーメンの歴史』

 敗戦と食糧不足

 余剰小麦の輸入

 新しい食べ物の必要性

 インスタントラーメンの誕生と人気

 インスタントラーメンはなぜ開発されたかヮ

 インスタントラーメンとラーメンブーム

『現代思想講義』

 家族の衰退

  人口減少
  家を出ない子どもたち
  家庭という神話
  資本主義における家族
  家族の崩壊
  液状化する社会

 社会のゆくえ

  世間
  社会という概念
  社会化過程
  学校教育
  過渡期の社会

 帝国Ⅱ

  差別の構造
  能力と人格
  道徳
  奴隷根性
  国家の必要性
  国家の衰退
  旧くて新しい帝国
  アメリカ
  反グローバリゼーション

 文明の先にあるもの

  自然と文明
  文化
  帝国と奴隷
  理想社会
  共産主義
  分配と差別
  平等性のドグマ
  政治的意識

 群れなすひとびと

  大衆社会論
  欠如としての大衆
  群れと組織
  有機体的関係
  社会における群れ
  群れと形態
  われわれは群れである
  部分と全体
  モナド
  群れの現象

 なぜひとは思考しないのか?

  四つの生き方
  確率論的思考
  情報と決断
  感性の総合
  発見すること
  哲学と知恵
  イデオロギー批判

『最新世界情勢講義50』

 武力行使ではなく、外交交渉こそが最善の道である

 メディアは世論を誘導できないし、むしろ縛られている

 「オバマがアメリカを弱くした」という批判は見当違いである

 ヨーロッパは「ドイツの独檀場」ではない

 イスラエル・アラブ間の和平は原理的には可能である

 アラブ世界の対立は宗教的動機よりも国家と戦略に起因する

 「強権国家」ロシアでも民主主義体制は根づくことができる
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インスタントラーメンはなぜ開発されたか?

『ラーメンの歴史』より

インスタントラーメンの誕生と人気

 ラーメンのルーツは、中国と日本の幅広い歴史に深く根ざしているが、インスタントラーメンの起源はそもそも戦後の日本にある。インスタントラーメンは民主化された平等な戦後社会の一角を占める、大衆的な食品であり、その誕生の背景には次の三つの要因があった。小麦粉が入手しやすくなったこと、中国やその他の植民地で生活を体験した民間人が食に変化を求めたこと、そして都市化が進むにつれ会社や工場で働く人々が、米でなくても満足感のある食事を求めるようになったことである。経済的に豊かになるにつれて、クラブやバーが建ち並ぶ繁華街も活気を取り戻し、人々は昼、夜、深夜を問わず新しい味を求めた。手軽に食べられるものが好まれ、中国料理への蔑視は影を潜めた。戦前に一度流行りはじめた、和風のスープに肉と小麦の麺が入ったラーメンが、再び人気を取り戻した。ラーメンは戦後の日本人のニーズをすべて満たす食べ物だったのだ。

 戦後の復興が進み、日本が国際社会に復帰しつつあった一九五八年、大阪近郊在住の起業家、安藤百福がまったく新しい食品--インスタントラーメン--の製造法を編み出した。長いこと温めていたアイデアだったが、開発は自宅裏でたった一人で行われた。「チキンラーメン」と名づけられたこの新商品が登場すると、人々は我先に買い求めた。味のついた乾麺をどんぶりに入れて熱湯を注ぎ、蓋をして待つこと二分〔発売当初。その後三分に〕。後年、小袋に入ったスパイスも加わり、それを振りかければラーメンの一丁上がりだ。包装は衛生的で、作り方はいたって簡単、おいしくて栄養もあり、お腹一杯になる。この新しい食品はたちまち人気を博した。家庭でも電化が進み、長時間の家事から解放された女性たちは再び働きはじめた(多くはパートタイムだったが)。男女を問わず、仕事以外にも趣味やその他の活動で外出することが増加し砂この画期的な新商品を発売した日清食品は、手軽に作れるだけでなく、栄養満点の食品として宣伝した。「縁付調理不用、無類に美味しい、強力栄養食、即席チキンラーメン、熱湯をかけるだけで、すぐ召し上がれる」というのが宣伝文句だった。

 有名なシェフで前科のある人などまずいないが、この安藤は二度も勾留された不名誉な過去の持ち主だ。一回目は一九四三年に日本の憲兵隊に、二回目は占領下の一九四八年にGHQによって捕えられた。その上に、二度目の投獄から無罪放免されたあとには、理事長を務めていた信用組合が倒産し、すべての財産を失って無一文になった。安藤は回顧録で、こうした最悪の状況のなかで「食こそが最も崇高なものなのだと感じられた」と振り返り、それがインスタントラーメンの開発の源だったかもしれないと書いている。戦争末期の日本の食糧事情は悲惨な状態で、なかでも拘置所で出されるものは、およそ食べ物とはいえない代物だった。一回目のときに入った拘置所の食事は不潔きわまりなく、四五日後に釈放されたときには、ひどい栄養失調のため自力で歩けないほど衰弱していた。友人や家族に付き添われて病院に行った彼は、長期の療養を余儀なくされた。それから五年後、今度は脱税容疑で巣鴨プリズンに収監されたが、驚いたことにそこでの食事はアメリカ式でおいしく栄養もあった。戦争犯罪の容疑者や既決囚が収容された悪名高い施設だったが、「食事はみんな平等」で「米兵と同じ」であり、「戦時中の憲兵隊での経験に比べると、天国と地獄の差があった」と、安藤は自伝『魔法のラーメン発明物語 私の履歴書』で振り返っている。

 一九一〇年、台湾で生まれた安藤は幼くして両親を亡くし、台南県ののどかな田舎町で祖父母に育てられた。一九三〇年代初め、成功をめざして日本に渡り、メリヤス繊維の商社を設立。一九四一年二一月、出張中の台湾で日本軍による真珠湾攻撃のラジオニュースを聞いた。戦時中は辛酸をなめ、戦後は仕事もなくなり、無一文になる。国は荒廃し経済も壊滅状態にあった。そんななか、安藤はただ一つ残った池田の自宅の裏庭に小屋を建て、インスタントラーメンの開発を始めたのだ。

 一九五八年に安藤が開発したインスタントラーメンが発売されると、たちまち大人気となった。勤め人や学生たちが苦労して稼いだ金で我先にと買い求めただけでなく、その賞賛の声は新聞、雑誌そして街角にあふれた。一方、その高い人気に乗じて、類似品や偽物を売って金儲けしようとする者も数多く現れた。一九六六年四月二五日には、偽物二五万袋を本物の半額で売ろうとした業者が摘発された。安藤の発明は今日の大衆文化に大きな位置を占めるラーメンフィーバーの発端となった。もっともインスタントラーメンは、ある日突然無から生じたのではない。その誕生には、ラーメンと日本の歴史が深く関わっている。それは一〇〇年にわたる味覚や伝統、さらには価値観の変化の歴史であり、その間には日本社会に大きな影響を与えた二つの大戦もあった。こうした変化を経て、インスタントラーメンは、誰もがどこでも手軽に食べられる食事や軽食として、学生や勤め人、主婦や子どもたちに受け入れられたのだ。

インスタントラーメンはなぜ開発されたか?

 安藤がインスタントラーメン開発に至った背景には、戦後の日本人の貧しい食糧事情があった。貧困や社会的混乱、生活への不安や飢えとの新たな戦いを強いられている都市住民に、手軽に作ることのできる食事を提供したいと考えたのである。丸一年試行錯誤を繰り返した末に(最初の発案から数えること一〇年が経過していたが)、安藤は夢を実現した。あらゆる失敗を乗り越え、おいしくて栄養があり、熱湯を注ぐだけでできる即席麺を生み出したのだ。

 安藤の自伝によれば、当時の厚生省栄養課長、有本邦太郎からアメリカの余剰小麦粉を使った商品を自身で開発したらどうかと勧められたという。占領下、厚生省は日本人に余剰小麦粉による粉食を奨励していたが、安藤はそれが学校給食をはじめとして、パンやビスケットに限られることに不満を感じていた。安藤は「パン食は……生活が洋風化してしまう」のではないかと懸念し、「東洋には、昔から麺の伝統がある。日本人が好む麺類をなぜ粉食奨励に加えないのですか」と有本に提案した。その有本の勧めもあり、安藤はこの難題に立ち向かったのだった。

 GHQでは、この時すでに日本人に小麦粉を使ったパン作りを奨励しようと試みていたが、おおむね失敗に終わった。オーブンのない日本人の家庭で実際にパンなど焼けないのに、GHQの当局者は最初この事実に気づいていなかった。

 占領後早々にパン食の奨励は壁にぶつかった。これを憂慮したGHQは、東京在住の主婦一〇〇人を対象に、日本人のパン食に対する意識調査を実施した。GHQの経済科学局価格・配給課食糧部門の要請により作成された報告書は、アメリカの小麦粉利用推進調査団(一九四九年から一九五〇年にかけて来日)に参考資料として提供された。報告書でとくに強調されたのは、「日本人はパン食を全面的に受け入れているわけではなく、将来にわたり主食の一部とするというより、どちらかというと一時しのぎと考える人が多い」ということだった。主婦たちは、この時期のパンは粗悪なもので、まずく変な臭いがするという感想をもっていた。これらの主婦の四〇%はパンを鍋で蒸して作っており(中国のパン、饅頭のょうに)、オーブンで焼いていたのはわずか二%にすぎなかった。GHQの目標は、日本人のパンに対する嗜好を調査したうえで、配給の小麦粉の有効な使い方を主婦に奨励することだった。

 またこの調査では、パンをもっと取り入れたいと思っている主婦は、わずか七%に過ぎないことが明らかになった。三三%は現状で十分と考え、四二%はもっと減らしたいと答えた。「もし自由に選べたら、まったく食べない人が一〇人中三人、食べたとしてもたまにという人が残りの大半を占めた」と報告書は述べている。つまり、もっとパンを食べたいという人は、ほんの一握りだったのである。GHQもアメリカの小麦業界もパン食の普及が日本の経済と社会の安定に役立つと考えていたものの、日本人の食生活のパターンを変えるのはきわめて困難だという現実に直面した。日本の主婦(及びその家族)は、米に優る栄養源はないと頑なに信じ込んでいると報告書は指摘し、次のような五八歳の主婦の言葉を紹介している。「うちの主人のような大工は、パンだけじゃ身がもちません。パンには栄養がないからだと思うんです。日本人は昔からずっと米を食べてきたんで、パンをそんなに食べられませんしね。腹の足しにもなりません」。アメリカに無条件降伏をしたとはいえ、米こそが「国民食」であるという戦前・戦中の信念は簡単には消え去らなかったのである。

 一九五〇年代から一九六〇年代にかけて、日本はアメリカから四億四五〇〇万ドルの「食糧援助」を受けた。内容は大部分が小麦粉で、厚生省はこれを粉食奨励計画の一環として販売し、学校給食にも「栄養改善運動」の柱としてパンと牛乳が取り入れられた。食生活史研究家の鈴木猛夫は、この運動が日本に余った農産物を購入させ、日本の食生活をアメリカ経済の支配下に置くための策略だったとみ&。それには日本人の主食を変えるのが一番だったというのだ。鈴木は、アメリカが学校給食にねらいを定めて資金と食糧を提供したことに注目し、一見、寛大なこの計画はアメリカの巧妙な作戦だったと指摘した。さらに彼は、「子どものときに食べたものは一生その味を忘れないと言われている」として、この政策は食の帝国主義にほかならないと非難した。日本の食生活の変化の背景には、アメリカの陰謀があるとみる鈴木に対し、農業ジャーナリストの大野和興は、よりバランスのとれた見方を示している。大野によれば、戦後日本の食糧供給や食習慣の変化は、戦後、農業の危機が声高に叫ばれたにもかかわらず、日本の農業の「解体」が進んだことにも一因があるという。たしかに小麦の輸入は日本の農業に重大な影響を与えたがヽアメリカが売りつけたのは余剰作物だったという事実を踏まえると、日本の食生活を自分たちに都合のいいように変えて経済的利益を得るというもくろみは、実際の目標というより偶然の産物という意味合いが強かったのかもしれない。こうして小麦が普及したことの結果の一つが麺類の売り上げ増加であり、いうまでもなく、ラーメン人気の上昇だったのである。

 何を食べるかという問題は、経済面だけでなく、戦後の日本社会の自己認識の核心に触れる文化的な意味合いがあった。当時の厚生省官僚で栄養と健康に関する著作も多数ある大磯敏雄は、著書『栄養随想』のなかで次のように分析している。米を食べる人々は「在るから食う」という考え方であるのに対し、小麦を食べる人々は「食うから在る」と考える。前者が消極的で、後者は進歩的、積極的だと。これを裏づける科学的根拠はないにもかかわらず、大磯は戦後の自信をなくした日本人に、精神論的だが説得力のある議論を展開した。米は美味で容易に嗜好を満足させるので、積極性を失うもととなるのに対し、小麦のみの食生活は決して美味でないので、それ以上のものを欲し、嗜好し生産するといった積極的な意欲を働かせる方向に進ませるというのであ和こうした主張は明治時代の福滓諭吉と森鴎外が繰り広げた、日本人は米を食べるべきかどうかという議論をある意味で思い起こさせる。全国紙で取り上げられたこの論争もまた、日本人らしさを作るのは食べ物であることを示唆するものだった。

 アメリカは日本に、農業生産力を増強するのではなく、輸入した余剰作物を日本の経済復興の助けにするよう圧力をかけたが、そこには食糧援助と引き換えに軍備を増強させようとする戦略があった。日本を段階的に再軍備させ、束アジアにおける反共の防波堤としての役割を負わせることが、アメリカ側のもう一つの思惑だったのだ。かくして、パンの消費についての否定的な調査結果にもかかわらず、一九五〇年代には医療関係者や栄養学者を巻き込んで、米の代わりにパンや小麦を使うことを奨励する全国的なキャンペーンが展開された。一九五六年から、アメリカ小麦協会は「キッチンカー」なるものまで走らせ(地方の市町村ではそれ以前からキッチンカーを使った料理講習を行っていた)、全国各地の主婦にアメリカ産の小麦粉の使い方や、なじみのない新しい料理の作り方を教える講習会を開いた。

 ラーメンの人気が再び高まり、インスタントラーメンが登場したのは、まさに小麦粉製品が米の代用品として盛んに売り込まれた時期だった。完成させるのに発想から一〇年近くかかったとはいえ、実際にインスタントラーメンを製造するのは思いのほか簡単で、わずかなステップを踏むだけですんだ。安藤は小麦粉を使って麺を作るときに、かつて植民地時代の中国で食べた麺のように、コシを出すためにかん水を加えた。通常の麺の場合、生地から作った麺をゆでてからどんぶりに入れ、スープを注いで食べる。生麺ならこれでよいのだが、問題はいかにして長期保存できるようにして、全国に流通させるかだった。この最終段階が最も重要だった。麺の新鮮さを保ったまま、形を崩さずに包装するにはどうしたらいいかを考え出すのに、安藤は最大の時間を費やした。

 試行錯誤の末、安藤は自宅で妻が天ぷらを揚げるのを見ていてその方法を思いついた。すばやく高い温度で揚げて、固い一つの固まりに仕上げることだ。非常に短時間で揚げるので、熱湯を注ぐと麺は「ほぐれて」元の形に戻る。かん水を含んでいるから、麺は弾力性を保ち、ちぎれたり、パンのようにふやけてしまうこともない。麺のコシを保ったまま、ひと固まりにすることが、インスタントラーメン成功のカギだった。発売後数年間、安藤は「即席」という言葉を使っていたが、やがてカタカナの名前をつけることで売り上げが伸びるようになった。高度経済成長期に入った一九六〇年代初め、日本が徐々に国際化するなかで、安藤はインスタントラーメンという新しい名前をこの商品につけた。そしてインスタントラーメンの発明は、その後の日本人の食生活に決定的な変化をもたらしたのである。
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家族の衰退

『現代思想講義』より

家庭という神話

 フィリップ・アリエス『〈子供〉の誕生』によると、一九世紀、そのころまさに「子ども」という特別な時期があると認識されるようになったという。ホモ・サピエンス二○万年の歴史において、それは稀有なことだった。

 前近代における家族とは、「一族郎党」、血縁関係および姻戚関係、それに加えて召使たちや家畜たちを含めて家族だった。そうしたなかで、産まれてきた子どもがだれにどのように世話され教育されるかは、それぞれにおいて、また地域と文化によって千差万別であった。たとえば、古代ギリシアの市民たちは、外部のひとびとを戦争等によって拉致してきて、家内奴隷として生産やサービスに従事させていた。

 アリエスによると、父と母と子を単位として、そのなかで「愛」によって子どもが育てられるとされたのは、一九世紀、西欧近代においてである。土地に根づいていたひとびとが、資本主義の荒波によって分断され、土地から切り離されて都会に「個人」として住まって労働者になったとき、愛の理念のもと、土地を疑似的に再確立するようなものとして近代核家族が成立した。エリザベート・バダンテール『母性という神話』によると、母親が自分が産んだ子どもを育てる本能をもつという「母性愛」の神話も、このころできた。

 「家族」という語で今日イメージされているものは、人類の歴史においては大変珍しい形態である。なるほどその生物学的関係はすべての有性生殖の生物に共通したものであるが、子どもがさしあたっては父と母とのみ同居して成長し、やがて家族から出て新たな家庭を築いて親になるというプロセスは、一九世紀以降に普及した新しい生活形態なのであった。

 マロの『家なき子』が裏返しに表現していた「家庭」というュートピア的神話。「ユートピア」とは、どこにもない場所という意味であるが、その愛の理想からの隔たりに一生苦しむひとすら出現するようになった。デーアミーチス『母をたずねて三千里』も同様である。

 当時生まれた、幼児期の父子関係が人生のすべてを規定するという精神分析理論は、そうした特定のひとびとへの実践的治療のための仮説にすぎなかった。家庭を意識しすぎたことによる病的な精神は、決して人間の普遍的な問題ではなく、一九世紀末から二〇世紀にかけてのブルジ’ワ家庭崩壊の「時代の病」にすぎないのだ。フロイトの理論は、近代的人間の精神構造の理論であって、普遍的人間については何も教えてはくれなかった--そもそも「普遍的人間」など存在しないのだが。

 戦後アメリカから入ってきたTVドラマには、「何でも知っている」パパ(一九五四上(三年)や「世界一」のママ(一九五八上(六年)が描かれていた。『宇宙家族ロピンソン』(一九六五~六八年)の、宇宙を放浪してさえしながらも、何と毅然として穏やかな親たちであることか。しかるに実際の家庭では、お母さんがいい加減でも、お父さんが自分勝手でも、それは普通のことなのであり、「愛している」などといいながら、猫かわいがりでぺットのように扱っていたり、あるいは衣食住の世話だけで放置していたりしても、それは普通のことなのである。

 もしあなたの親が真に子どもの将来を想って親身の世話をしてくれているのなら、それは僥倖として自分の運命に感謝すべきであろう。というのも、その親は、あなたにではなく、たまたま産まれてきた子に対してそうしているだけにすぎないのだから……。

家族の崩壊

 今日において、子どもが大学にまで進んでいるあいだ、労働者とならない空白期間(モラトリアム)が延長されていることも、女性が社会進出して労働者となることが推奨されていることも、以上の過程に矛盾しているょうに見える。それは、資本主義の発展のなかで、家族の位置づけにおいて生じてきた矛盾であろうか。

 その矛盾の解決は、プラトンが『国家』の第四巻で暗示していたように、あるいは(クスレー『すばらしい新世界』に描かれていたょうに、人工授精および人工子宮による将来有能な子どもの生産、および施設による集団育児であろうが、しかし、そのことは、「自由で平等な個人」という近代の理念に対して、大きな葛藤を引き起こす。

 ひとびとは矛盾を抱えたまま生活していくだろうが、家庭崩壊や生涯独身者は、例外的な現象ではなく、資本主義の行きついた、避けられない現象なのではないだろうか。

 ひとは、どの時代でも、その時代に生まれついた条件のもとで思考する。それゆえ、あるひとびとが、核家族的な家庭の理念を前提にして、それをひたすら維持すること、再実現することに人生を賭けようとするほどである。だが歴史的には、それは近代、この一五〇年の特殊な現象でしかなかった。

 愛のある家族がよいものであるとか、実はそうでもなかったとかいう問題ではない。すべての家族に自動的に愛が生まれるわけではないのに、愛があるはずとされた家庭の理念が、精神分析が示したょうに--、いかに悲惨な家族関係を導いたかという問題でもない。

 ただ指摘すべきことは、次世代の子どもたちは、もはやそうした理念を理解できなくなるに違いないということである。いまやSNSのまだ見ぬ「友だち」の方が、家族よりも親密だと考える子どもたちも多い。「死にたい」というメッセージに「いいね!」と応答した見知らぬひとのところに出かけていく若者たち。

 次世代の子どもたちは、IT化されIoTのなかで働くAI機械にとり巻かれた環境を前提として育つ。そのなかで、労働の意味も、人間であることの意味も、いまとは別様に理解されなおすことになるだろう。

 そのとき家族がどうなっており、どう理解されるようになっているかは分からない。今日すでに子どもたちは保育所や学校や塾によって、なかんずくネットによって、ほぼ直接的に社会のなかに産まれてきており、家族の意義は弱まる一方である。

 子どもが親のいうことをほとんど聞いてくれなくなりつつあり、家族のあいだの親密な人間関係にも、自分のものの所有にも、それほど執着しなくなりつつある。愛とは所詮その程度のものだったのか……、愛はいまやネ″卜の「自己承認欲求」にすり替えられ、古代的な徳や利他的な自己犠牲は神話となる。

 愛とはもとより執着のことでもあるが、執着するものが見せかけの自分、社会的評価の対象としての「個人」であるとき、愛は虚栄心(プライド)と呼ばれてきた。とはいえ、古代の価値も近代の価値も消え去るとき、虚栄心という、現代風にいえば自己承認欲求を非難する理由はない。ただ、そのことによって自殺したり殺人したりまでするひとたちの存在を、どう考慮に入れておくべきかは問題である。

液状化する社会

 親戚縁者一同が近隣に住まっていたころからすると、近代における核家族化それ自体が、すでに家族崩壊の一歩なのだった。数千年のあいだおなじ土地に暮らしてきたひとびとが、この一〇〇年で日本各地に散らばってシャ。フルされてしまったことに、驚かされないではない。

 とはいえ、ボヘミアンやジプシーやロマやュダヤ人たちが、西欧社会の流民として、移動をくり返してきたことも忘れてはならない。いま、シリア難民が西欧に溢れるのも、特殊な事象なのではない。人類が定住するようになったあとも、こうした流民たちが社会を動揺させつつ、あたりまえに階層を形成していたのである。わが国の場合にも、渡来人を含め、そのようなことがなかったわけではないであろう。

 ともあれ、父と母と子の親密な核家族(家庭)は、家族という集団の崩壊過程の「時分の花」(世阿弥『風姿花伝』)であったにすぎず、しかも少子化というが、夫婦は子どもを作らないで「いま」を楽しみ、多くの子どもたちは、自責の念にかられながら、あるいは無関心になって、老親を見捨てるようになりつつある。

 それは、ドゥルーズ/ガタリのいう「脱土地化」であろうか、土地という、知覚と振舞において身体と密接に関わりあっていた地盤から、労働も家族も切り離され、ひとびとは抽象的な社会、ネットニュースでしか知られない、もろもろのどこかの出来事の膨大ながらくたの表面を浮遊する生き物にたった。

 AI化と家族崩壊の現象のあいだには、因果関係があるわけではないが、ポストモダンヘ向かっての、おなじひとつの地崩れであるとはいえる。それは、人間と機械の違いが本質的なものではなくなってきていることの二つの現象ということであろうか、やがては家族も消滅して、いみじくもホごノズが家族を無視して構想した近代市民社会、個人が生まれたときから社会に直結している状態が、リアルに出現しつつあるように思われる。

 家族がなくなるというのは想像し難いことであろうかー-そこでは、どのようにして子どもが産まれ、育てられるのか。しかし、二〇〇年まえのひとびとも、まさか男女二人で家庭を作り、子どもを育てているなどという今日の状況は、想像できなかふたに違いない。

 現在の社会状態は、崩壊しつつある家族の廃墟と、虚栄心の場としてのネットと、そこに灰汁のように浮遊する政府や企業といった組織から成る混沌とした場所である。その隙間すきまに一陣のつむじ風のようにして、数多のハラスメント、数多の暴力が、ところ構わず発生する。

 それに対し、相変わらず「国家」という体制の網を被せようとする一群のひとびともいるし、個人を自由で平等なものとして維持するために「人権」を叫ぶ一群のひとびともいるが、現在は、そのいずれであれ、真に統合した全体を作りだすにはいたらない。

 現在は、「社会状態の零度」にある。零度とは、水が氷になる温度であり、氷が解ける温度である。凍結しつつある一方で、ジグムントーバウマンのいう「液状化する社会」‐-人間はひたすら消費し消費され、社会を支える個性的な個人がいなくなる(『リキyドニフイフ』序論)。

 最近、経済産業省の若手官僚たちによる『不安な個人、立ちすくむ国家』(二〇一七年)というレポートが話題になった。「自由のなかにも秩序があり、個人が安心して挑戦できる新たな社会システム」が必要だというのだが、それがどのようなものかは書いていない。どうしてそれがよいことかも、そもそもそのようなものが可能なのかも書いてない。国家の域を出ないその社会システムでは、「挑戦」できるのは官僚たちや、その方針にのっとった経営者たちだけかもしれないと感じたひともいるのではないか。

 AIの普及と家族の衰退は、構造主義的にいえば、どこかで共通している歴史の変化の二つの現象である。そこでは、人類全体の人口増加にもかかわらず、人間の、質量ともの減少が進む。「人間の終焉」と述べたのはフーコーであったが、それは近代的核家族の崩壊とともに、それによって育てられてきた「人間」と呼ばれた立派なひとたちが社会をリードしていくという、統治の神話が消えたということであった。社会とは、ホッブズがとうから述べていたように、真に単なる個人の集合であるということになるのであろうか。
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