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トルストイはなぜ家出をしたのか

『トルストイ 新しい肖像』より トルストイはなぜ家出をしたのか ⇒ この状況が書かれた本が見つかった。トルストイが無人駅で亡くなっていた、と思っていた。その風景がいつも心の隅にあった。

十月も末のある晩--トルストイは就寝中だったらしい--事態はクライマックスに達する。ベッドに横になっていると、僅かに開いていた扉を通して、妻が音も立てずにそっと彼の書き物机の上の書類を調べているのに気が付いた。彼女は言った--寝室に明かりがついていたから入って来たのです、具合はどう、と気づかわしげに尋ね始める。この冷ややかな偽りが最後の一撃となって、最後まで懐いていた伯爵の幻想を跡形もなく消し去った。つい数日前にも、ソフィア・アンドレーエヴナは彼の部屋の窓がきちんと閉められているかどうかを見るために部屋の中に入ってきた、そのときは、それほど健康を気遣ってくれているんだと喜んだ。しかし、今回はそうではなかった--彼は他の晩にも書斎で紙の擦れる音を聞いていたのを思い出す。それでこうしたことすべての真の意味が判然としたのだった。彼は鋭敏な想像力で、夜毎に演じられていた(仕組まれた)喜劇と、それとは知らずに自分が演じたヒーローのことを思い描いた。この発見で彼が味わった苦しみについてよく知るためにも、彼の日記の中の、こんな記述に目を通す必要があるだろう。

「私は十一時半に床に就き、午前三時まで眠った--目が覚めると、またいつかの夜のように、再び、扉の開く音と足音がした。前には気にしなかったが、今夜はちらりとドアに目をやった。書斎の明かりが隙間から漏れていた。それと紙の擦れる音。そこにいたのは何かを探しているソフィア・アンドレーエヴナである。何かを読んでいたのだ。前夜、彼女は私に、ドアに鍵を掛けないようにと言っていた。彼女の部屋のふたつのドアは開いていたから、私が少しでも音を立てればわかるはずだった。日夜、私の動きや言葉はすべて彼女の知るところであった。つまり私は彼女の統制下にあったのだ。再び足音がして、ドアが注意深く開けられる。彼女が入ってくる。私は、そのことがなぜ私の中に抑え難い嫌悪と憤りを惹き起したのか分からない。眠りたいと思ったが、眠れない。私は一時間以上も寝返りをし続け、それから、枕灯をつけて起き上がった。するとドアが開き、彼女が部屋に入って来て私に健康を尋ねた--灯りがついていて驚いたからだと言う……。私の嫌悪と憤怒は高まる。息が苦しくなり、脈拍も九十七くらいあったのではないか。それほど速かった。私は嘘をつくことができないので、急いで彼女に宛てて手紙を書き、家を出て行くのに絶対に欠かせない物だけを袋に詰め始めた。私は、ダシャンとサーシャを起こす。彼らは袋詰めを手伝ってくれた……。私は、彼女が聞きつけてヒステリーの発作を起こせば大変な騒ぎになる、想像しただけで身震いがした……」。

なんとか妻に知られることなく家を出ることに成功し、駅へ馬車を駆った。シャーマルジノ修道院方面への列車に乗るためだった。彼の妹が修道尼をしていた女子修道院である。彼はそこの独居室で執筆しながら、残り少ない日々を平穏に過ごしたいと思っていた。しかし、到着して間もなく、密偵とおぼしき見知らぬ人物を窓越しに認めた。そのあと暫くして、思いがけずチェルトコフの秘書がやって来た。「こんなにもたやすく見つかるとは! まったく、なんということ!」トルストイは驚いた。あわててさらに旅を続けたが、アスターポヴォ(今では知らぬ人のいない)という小さな駅で気管支炎に罹った。この上さらに旅を続けることなど問題外だと医者が言った。

全世界が有名な患者のニュースを待ち続けた。彼の家族も友人たちも万が一の回復に望みをかけている間に、ソフィア・アンドレーエヴナがモスクワからやって来た。まっすぐ彼の枕頭に駆け寄ろうとしたが、面会が許されないと知ってショックを受けた。「私には分からない。私の夫にとって何が一番悪いことなのか。私のことで絶えず心配し続けることなのか、それとも、ばったり私に会うことなのか、彼らはどちらがより夫の健康を害すると思っているのだろう。私は、私の顔を見れば彼のすべての心配は消し去ることができる、と思っている。夫はすすり泣きながら、『お母さんはどうしている? あれには知らせないでくれ、あれを心配させないでくれ、病気のことはふせておいてくれ』と求めていると言う。彼らにはもはや私のことなど頭にないらしい。私は気が動転し、胸が痛くなった。私は彼と四十八年も共に暮らしてきたのだ--それなのに今、私は彼の傍らにいることさえ許されない。何と酷いことか」。

彼女が、夫が死に瀕して横たわっている家の前を歩きながら--唇を震わせ、身震いしながら、心乱れ、その目は涙であふれていた。雁の鳥がその愛する者が居る巣の中へ飛び込もうとして足掻いているようで、それを目にした多くの人々は胸を打たれた。哀れだった。彼女が最終的に入ることを許されたのは彼の死の一時間前であったが、そのとき彼はもう自分の妻を見分けることができなかった。

トルストイと妻との間に究極的な破局をもたらしたものを理解するためには、彼が一八八一年以降の自分の全作品を人類の自由な福利のために手放すことが不可欠だという意思を固めたのが、なぜこの時期だったのかを知る必要がある。手短に話せば、以下のようになる。

前世紀の八〇年代初めに、トルストイは初めて、財産全般に対して--中でも土地に対して、抑え難い嫌悪を感じ始めた。ソフィア・アンドレーエヴナは、一八八四年の秋には、彼から全権利と、一八八一年以前に書かれた作品についての出版上の特別な権利を譲られること、自分と子供たちのために出版と所領からの双方の収入を得ることは正当である、と自ら考えた。トルストイは、全財産との関係ではあたかもすでに死亡しているかの如くに振舞い、一八九四年には、正式にすべての財産を放棄した。彼は、その財産の管理を自らの相続者と見倣している者たち--すなわち自分の家族に委ねた。その後、妻はヤースナヤ・ポリャーナの所領を管理し始め、子供たちは父の土地と資本を自分たちで分配した。父のお気に入りの娘マーシャは、父に倣って五万七千ルーブルの自分の取り分を放棄した--しかし、後に結婚に際して、彼女は再びそれを要求し、受け取ったのだが、それは彼女の兄にとって厄介なことになった。というのも、彼はすでにそれを別のところに投資していたため、彼女の相当分を支払うにあたっては分割で少しずつしか渡せなかったからである。トルストイは、自分の土地を農民たちに与える代わりに自らの相続者たちに与えたことは間違いだったと書いているが、彼の贈与は家族たちの要請で、法的証書で正式に彼らに保証されたものであった。彼は自分の作品から入る収入を一旦は放棄していたのに、妻に与えていた代理の管理権を再び彼に戻してくれるよう任意で妻に求めた、そうすることが彼女の義務であるということを納得させようと強く働きかけたけれども、空しいことであった。彼女の意思に反してこれを取り戻すには力に訴えることが必要であったかも知れないが、しかし、不可能だった。なぜならそれは、彼自身の教義にも良心にも背くことであったから。とはいえ、彼女が、夫の願望を無視してその作品を売ったという事実は、彼自身の言葉を借りれば、生涯における最も熾烈な道徳的苦悩の原因であった。彼としては、一八八一年以降に発表された全作品を一覧表にし、彼の死後に発表されるかも知れないものも含めて、自分の意思で処理することは可能であると考えた。従って彼は、望む者は皆等しくそれらの作品を、代価を支払うことなく無料で再版利用することができる--そう新聞に公表することによって、家族の独占権からこれらを解放したのだった。

ソフィア・アンドレーエヴナは、莫大な収入をもたらす文学作品が書かれるたびにひどく心を乱すようになり、それらの新しい著作出版の権利もまた、彼女や家族の手に渡されるべきであると要求した。そういう場面の度重なる蒸し返しにトルストイの心は動揺した。そしてもうこれ以上、文学的創作は発表すまいと決意した。彼は、一九〇九年二月四日の日記の中で、すでに公表されている一八九五年三月二十七日の日記からの引用文を再び持ち出し、書いている。

 「今私は求める--私の死後、相続人たちが、土地を農民たちに与えること、さらに私の文学作品を、私自身が与えた者だけでなく、一般に自由に使えるよう万人に与えることを、求める。もしも相続人たちが、私の最後の願いであるこれらふたつのことを遂行できなければ、少なくともひとつ--前者の、土地を農民たちに与えること--を遂行させよ。もちろん彼らがふたつとも遂行するなら、それに越したことはない」。

この問題を公正に見るならぼ、そもそもトルストイは遺言状など作るべきではなかったのだ。自分の財産を放棄したのなら、彼は財産を残しておくべきではなかった。自らを国家から切り離したのであれぼ、彼は国家に保護を求めるべきではなかった。自らの物質的権利の処理の誤りが、道徳的失敗を作り出している。彼が為したはずのことは、人類のために自らの文学的遺産を放棄することであった。彼の相続人たちはこれを果たさなかった。それどころか、彼らはその意思を無視して、公然と抗議の声を上げた。兄弟たちは、新聞紙上で互いに論戦を交えた。娘のひとりは母親を相手に法廷に乗り込む構えさえ見せた。献身的に愛し合い、結束していたはずのこの家族は、父の精神的錯乱とまではいかなくてもその気うつ症の上に自分らの言い分を重ねながら、父の意思や日記の記述を巡って喧嘩を繰り返し、ついにバラバラになっていった。彼らは公証人を通していがみ合い、スキャンダルは新聞の好餌となった。同時に、ヤースナヤ・ポリャーナ売却のための交渉も進行していた。六百デシャチーナ〔ロシアの古ぃ面積単位。一デシャチーナは一・○九二五ヘクタール〕の広さに対して、百万ルーブルをと言う者、二百万ルーブルを要求する者もいた。ロシア政府に対しても申し出たが、政府が示したのは法外な安値であった。

チェルトコフは、トルストイ家の人々は作家の作品を自分たちの譲渡不可能な財産と見倣している、と断言している。そして、伯爵夫人が、彼チェルトコフのみならず他の人にも、自分には子供や孫たちが二十八人もいる、自分は彼らの利益をも管理しなければならないと言った、と語る。

この相性の悪い夫婦の関係に光を投げかけるある特徴的な出来事を、著名な作家の死後、私が知るところとなった。トルストイの遺骸がアスターポヴォからヤースナヤ・ポリャーナヘと運ばれる列車の中には、大勢の報道陣がいた。その中のひとりが自社から受け取った電報には、ツァーリが閣僚会議に対して、亡くなった作家の愛国的作品『戦争と平和』には特別に重きを置くようにとの指示があった。彼はこの電報を仲間たちに見せると、全員が直ちにそれを伯爵夫人にも見せるべきだとした。遺族のために用意された客車には、まだ灯りがついていた。

ぼんやり灯りのともった通路で、彼らはトルストイの息子アンドレイに迎えられた。アンドレイは、ツァーリからの電報があると知らされると非常に興奮し、更なる説明を聞くのも待たずに、すぐにも母親の車室に駆け込んで叫んだ。「お母さん、お母さん、ツァーリからの電報が来ましたよ!」ソフィア・アンドレーエヴナはろうそくを手に、夜着のまま急いで通路に出てくる。彼らは、ふたりとも非常に興奮し、神経過敏になっていた。ろうそくの薄暗い光。彼らは受信者が読み上げる電文の内容が理解できなかった。「これはツァーリ自身からのものではない!」と、母親と息子はほとんど異口同音に叫ぶ。彼らに明白に示されたのは、ツァーリが彼ら遺族に対して個人的な哀悼の意を表したのではなく、『戦争と平和』を書いた愛国的作家を許すよう大臣たちに指示しただけだ、ということであった。

このエピソードは、ソフィア・アンドレーエヴナの俗物性を大胆に浮き彫りにするものだった。これこそなぜトルストイが死を目前にして、自分の家庭や家族に背を向けたのかを、他の何よりも雄弁に物語るものである。
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「生きる」とはどのようなことか?

『自信過剰な私たち』より なぜ哲学が必要か? 今の価値観の「外」に「生きる意味」を探してみる

今の価値観の「外」に「生きる意味」を探してみる

自己の能力を高めたり社会の役に立つことと、その人が幸福で悔いのない人生を過ごせることとは別問題である。それが楽しいと思えればよいが、本当は他のことをやって楽しみたいのに、そうした欲求を無理に抑圧して鍛錬に明け暮れたり自己犠牲的に振る舞ったりしていると、思わぬときに欲求不満が爆発したりもするかもしれない。それに「モラルに殉じる」という生き方は、美しいだけでなく危険性も孕んでいる。それはときに自分だけを傷つけるのみでなく、身近な人をも傷つけるし、さらには異なるモラルの持ち主も傷つけるかもしれない。

小説『すばらしい新世界』は、子どもは体外受精でつくられ、国家の管理政策のもと生まれもって知能や体格が定められ、それに応じた仕事へ就くよう人間がランク分けされている。人びとは洗脳教育とその後のソーマや大衆娯楽によって不満を感じることなく、哲学・文学などのヒューマニズムを連想させる古典的書物は(表向きは)存在せず、人びとは薬によっていつまでも若さを保ち、人が死ぬときにも誰もが悲しみを経験することなく、いつでも誰とでも性交渉を楽しめる。そこでは特定の誰かを想い、束縛することはモラル的に正しくない。なぜなら「誰もがみんなのもの」だからだ。そうした価値観のもとで生まれ育ったレーニナはそれに殉じているが、しかしその外側で育って連れてこられた野蛮人ジョンはヒューマニズムを好み、そして、一夫一妻的な純愛に--できればレーニナと--殉じたいと願っている(私たちの社会でいえば、多くの人がジョンの側にいることを自称しているように思われる)。世界統制官のムスタファ・モンドは実は野蛮人ジョンの価値観をよく理解しているのだが(実はシエイクスピアにも精通している)、それまでの世界で生じた各種失敗から学んでつくられた統制的な社会政策を重視し、その継続を誓っている。他にもいろんな登場人物はいるのだが、これら三人をはじめ誰もが自身のモラルに忠実に従っている。しかし、彼らが交わるとき、どうしても解消できないすれ違いが生じ、その結果、いくつもの悲しみが生まれる。ジョンに好意を抱くレーニナはジョンと関係を結びたがるが、それは或る意味では「みんな」にジョンを加えようとすることである。もちろん、そこには悪意はないし、むしろ善意だけがあるのだが、ジョンは「そんなのぱ真の愛ではない!」といって激しく拒絶し、むしろ、レーニナこそが目を覚ますべきだと考える。どちらも或る意味では善人である。そして、そんな社会を管理しているムスタファ・モンドでさえ「みんな」のためにそうした政策を実施しているのであって、登場人物のそれぞれがそれぞれの善意に満ちている。しかし、そうであるにもかかわらず、最後は悲惨な結果に終わってし圭う。悪意がない優しい(小説の)世界でさえそうであるのだから、復讐心や集団心理によって動かされがちな現実の人間が、異なるモラルの持ち主に対してどのような態度で接してしまうかは想像に難くない。

しかし、社会や「みんな」は、個人に対し「モラルは絶対守りなさい」と暗に強要する。それはそうだ。守りたくないときには破ってもいい、というのであればそれはもはやモラルではない。モラルとは或る意味では理不尽なもので、計算や打算に還元できないからこそのモラルであって、それは人びとの心に深く根を張り、人びとの心を根底から支えるものとなる。だからこそ、それを引っこ抜いたり薙ぎ払おうとするような相手に対し、私たちは嫌悪感を覚えるのだ。ただし、問わなければならないのは、①私たちは異なるモラルの持ち主の存在そのものを本当に許せないのかどうか、そして、②自分の今現在を規定するようなモラルや価値観は、本当に自分の根っこであるのか、ということであろう。前々は寛容の問順であり、そして、後者は自身のアイデンティティの問題である。しかし、私たちはどこかで信じ切っているモラルや価値観、理想的アイデンティティを、人生において、一度くらいは問い直す必要があるだろう。これまで絶対視していたモラルを一時的でいいので相対化し、「いくつかあるうちの一つの価値観」とみなすことで、あなたはもしかするとあなたのそれとは異なるモラルの持ち主と仲良くなれたり、今の自分を変えてゆけるかもしれない。

どうか勘違いしないでほしい。これは別に「常識を常に疑え」とか「モラルなんて無視しろ」といっているわけではないし、「殺人犯の気持ちを理解しましょう」などといっているわけでもない。いっているのは、もしあなたが信じ込んでいる価値観があなた自身の可能性を制約する形で「生きる意味」を一義的に決めているとき、その価値観の外側においてあなたにとっての生きる意味が本当に存在しえないかどうかを問うてほしい、ということである。

この重要性を提唱した哲学者として有名なのはやはりニーチェであろう。ニーチェは「モラルや徳ある生き方を「真理」として人びとに語る哲学者・道徳家たちを批判し、それに従うことで良き生を送ろうとしている人びとを畜群と呼ぶ。ニーチェからするとこの世は畜群道徳で溢れかえっており、キリスト教はもちろんのこと、民主主義、社会主義、それに無政府主義でさえも「道徳的真理によって人びとは救済される」と主張することで人びとを畜群に既めて弱体化を図る勢力といえる。「万人は平等であり、他人には共感すべきである」と利己性を超越する生き方を説くそれらの教義は、自らの派閥に人びとを囲い込みその内部において「良き生」を保証しつつ、良き生はその中にしか存在しえないと説くようなもので、それは人間の「矯小化」「凡庸化」「価値低落」を引き起こす(『善悪の彼岸』第五章)。つまり、モラルによる囲い込みは人間の可能性に制約を課しているかもしれないのだ。 誤解をしてはならないのは、ニーチェのこの言から「ああ、真の哲学とは反社会的で反倫理的なものなのだな」と解釈してはならないということだ。「世間の価値観なんてくそくらえ」といっている人が[悪人]「犯罪者」、あるいは「反常識」に価値があると思い込んでいるならば、その人もしょせんで行くべきであるし、そうであるがゆえに、自分と意見を異にする他人を恨んだり呪ったりすべきではない。幸せになるためには「みんな」の一致が必要であり、「みんな」が一致していないがゆえに幸せを感じることができずに他人を責めてしまうのであれば、そんな幸せにどれはどの価値があるというのであろうか。

つまるところ、社会的な価値観に従って生きようが背いて生きようが、哲学者の意見に従おうが背こうが、幸せになる人はなるし、なれない人はなれない。そして、どちらにしても変わらないというのであれば、せめて自分が何をしているかくらいは知っておいた方がよいだろう。自分の人生のなかで誰を守り、誰を傷つけるのか、そして、誰に対して責任をとろうとしているのか、反省しそれらをはっきり意識することで、自分が実際に歩んでいる生き方が見えてくるであろう。大切なのは「自覚」である。自覚がなければ、それはあなた自身のかけがえのない人生とはいえない。そしてその自覚が本当かどうかは他人にぱ判別がつかないが、だからといって、その自覚っぷりを他人にわざわざ説明することもない。他人はあなたについて「解釈」はできても、あなたの自覚を本当の意味で「理解」することはできないからだ。そうした意味では、あなたをはじめ、人は皆孤独かもしれないが、それでよい。あなたの自覚はあなたにとって唯一の価値があるもので、あなた以外の人がみだりに「ああ、それって大事なことだよね」なんて言えるような凡百のものではないのだ。その孤独のなか、「自分の生」を意識しつつ生きること、それこそがあなたにとっての「自由」であり、あなたの本質ともいえる。たとえ幸福を求めて迷路のごとき人生を歩んでいようとも、そして迷路の先には何もなかったとしても、あなただけがそこで気付きうる「自由」だけは--幸福がそれを与えるわけではなく--まさにあなたの自覚こそが与えるものなのである。
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平等という問題の新しい局面での疑問

『デモクラシーとは何か』より デモクラシーと平等 ⇒ ハイアラキーのもとのデモクラシーで平等はあり得ない。これは数学的世界での真実です。

行政がデモクラシー的になり始めると、それは少数者の少数者のための道具から、一般大衆向けのサービスに変化する。腐敗、無能或いは依恬忌厦がたびたび起きるが、往々にして新しい行政サービスは、理性的な警戒が有れば、地域社会の観点から、そして職員採用のデモクラシー的理想を維持する時に、効率的になり得るのである。共通の福利サービスのため発展し設置された科学的行政集団が、究極的に地域社会に対して責任を持ち、広範囲にわたる支援、活動および人事などを設定することにより、人々の目標が達成されるような手段を講じる。

その時、これらは平等という問題の新しい局面を意味する。ここでは、二つの疑問について簡潔に述べてみたい。

最初の疑問は、「デモクラシーはリーダーシップを妨げるか?」

デモクラシーに基づいた地域社会においては、強いリーダーシップを発揮できないと、しばしば論じられてきた。同様にデモクラシーでは、他の如何なる形態よりも、指導者を識別することができるとも、良く論じられる。デモクラシーにふさわしい指導者を提供する方法は、弱点を隠す地位という覆いを必要とする如何なる特定の階級をも擁護する必要がない。デモクラシーでは、政治的指導者をその才能に基づいて、近代的選挙のプロセスまたは実力とキャリア制度を通じ、自由に選択できるのである。

指導者を選ぶに当り、デモクラシーの大衆は重大な過ちを犯すかも知れないものの、そのような過ちは取消しが可能なのである。

二番目の疑問は、「デモクラシー社会では、あらゆる種類の優越に対する危険な羨望、および全ての人間の格差を排除する傾向は無いのであろうか?」

何れにしても大衆からの圧力は、私たちの経済構造を破壊するばかりか、私たちの政治的構造と文化的構造をも破壊すると、近頃の感覚的な(悲観的な)エリートの一部の者は議論してきた。デモクラシーを恐れる人々がいる。 しかし彼らは、大量輸送のシンボルとして受止められる場合の、フオードの自動車の方をもっと恐れている。彼らは万民教育に脅威を抱いている。大衆向け映画を恐れている。皆が同じような服装をすることを恐れているのである。

私はずっと以前に、ハイデルベルグのネッカー河畔を散歩していたことを思い出す。私と一緒だった友人は、共和国のその河沿いには、かつて水遊びをする場所はどこにも無かったと私に言った。「だが今は」と彼は続けた。「全域が解放され、そのお陰で、だらしなく手足を伸ばして寝そべる裸の人々が溢れて、そこは慎みある人々が来たがる場所でなくなった」。それはまさしく貴族の発言であった。彼は、人々が自然の与えたこの喜びを楽しむのを善しとしていなかったのである。

何もネッカー河に行く必要はない。シカゴ郊外に行く必要もない。 と言うのは、私はほんの数年前、サウス・パークの委員たちの前で、ミシガン湖の浜での水遊びについて、議論せねばならなかった。「ここは世界でも最も綺麗な湖だ」と彼らは言った。「あなたは、乗り物に乗ってやって来る人々が、浜辺で寝そべっている髪の毛を長く伸ばした多くの人間を見なければならない、と考えているのですか?]彼らは、南部の問題について話していたのである。シカゴの57番街で、そして20世紀の現在、素晴らしい湖の前面で“みだらな服装をしている”人々に、抗議をしていたのである。

この二番目の疑問に対する答は、本当の格差はデモクラシーにおいて、他の何よりもはっきりと見分けられるし、その形を留めているということなのである。だからと言ってデモクラシー社会が弱体化される訳ではない。人は国家を転覆させるために、集まって共謀する必要はないのである。何故なら、人々の能力をフルに発展させる道は解放されているからである。従って、私たちは格差の基盤と言うより友愛の基盤に帰結し、そして死後の、もしくは消滅しようとしている格岫の投影に対して、地域社会を守るのに必要な範囲で、互恵的計画に基づく文化的パターンに帰結するのである。

完全な平等は、その上うな仕組みの下では達成できないとも言える。私はこの疑問に関して、後の議論でもっと詳しく、実践的な根拠に基づき取上げることにしたい。しかし今のところは、平等は一つの理想として常に価値を有するものとしておこう。最終目的としての平等は価値有るものである。そして、共通の善と矛盾しない根拠に基づいて、全ての個人に内在する尊厳を認識することは、人間の希望と熱意と夢において永遠で絶えることの無い価値を有するのである。

私は結論として、ダグラスとの大論争の末に独立宣言でリンカーンが述べたコメントを引用したいと思う。ダグラスは、独立宣言は白人と英国臣民にのみ適用されるべく、意図されていると言い張った。 リンカーンは独立宣言においては、次のことを確立すべく意図されたものであると言った。「標準的な根本の原理、それは、全ての人に分り易く、全ての人によって尊重される。即ち常に期待され、常に得ようとされ、そしてこれまでに一度も完全に達成したことはないものの、常に近くまできていて、従って常にその影響を広め且つ深め、どこにおいても全ての肌の色の全ての人々にとって、人生の幸福と価値を増大するものである」と。それは、人が模索するーつの理想として有益であるのみならず、過去に舞い戻るのを防ぐことに役立つ。またそれは、“自由な人々を将来的に悪意に満ちた専制の道に引き戻そうとするかも知れない全ての者に対する”重要な警告となっている。

デモクラシー体制下での幅広い不平等を指摘することは容易である。そして、私自身もそうすることに精力を注いできた。 しかしデモクラシーが、その他の政治社会システムではなし得なかった、次の諸々のことを確立したことは否定することはできない。即ち、法的平等、参政権における平等、および公職にっく権利、経済的および文化的な機会の均等、格差でなく友愛に基づく生活、そして人類愛の地位を常に広く確立しようとする希望ある目標などである。そしてこれらの傾向を観察していくにつれて、私たちはデモクラシーの国家において、人間の尊厳、人間の価値、人間の共通の善への参加などの、将来的な一定水準の平等を目指す着実な動きを見出すことになる。
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寝ながらの作業

今週も30冊借りてきた

 一応、30冊の処理が終わります。

 結局、10冊ぐらいがOCR化のガイドライン。午前中に選択し、ごごからOCR作業。

寝ながらの作業

 寝ていても疲れるだけです。眠れていない。ザラザラしている。午前中の本の選択は基本、寝ながら。寝ながら話すときは、やはり、あたかも話しているようにしましょう。それがキュービックの意味ですね。

レベル2の構成

 レベル2は本そのものになる可能性が高い。その為のロジックを作っていきます。

デモクラシーと平等

 「デモクラシーと平等」平等の定義で明け暮れていますね。共産主義とか全体主義での実験に及ばないと、平等の定義は出来ないでしょう。
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