goo

問題は認識されるためにある 一・五七ショック

『入門 公共政策学』より 問題--いかに発見され、定義されるのか モデルケース:少子化対策 問題への注目--一・五七ショック

「問題」が認識されるために

 政策問題とは「社会で解決すべきと認識された問題」である。ここで気をつけなければならないのが、社会での「望ましくない状態」が自動的に「問題」とはならないということである。

 「望ましくない状態」=「問題」ではないかと違和感を覚えられるかもしれない。しかし、「望ましくない状態」があったとしても、誰かが気づかなければ、もしくは、それを「望ましくない」と認識しなければ、問題とはならないのである。

 身近な例で考充てみよう。自宅の部屋が散らかっているとする。一般的には望ましくない状態であり、問題かもしれない。しかし、部屋の住人が散らかっている状態に気がつかなければ問題とはならない。部屋は片づけられないままである。もしくは、住人がそれに気がついても、「望ましくない」と認識しなければ問題とはならない。部屋は同じく片づけられないままである。

 社会での問題も同様である。本章で取り上げる少子化問題についても、子供の出生数が減少している状態に社会や政策担当者が気づかなければ、問題とはならない。また、もしそのような状態があると分かっても、「望ましくない」と認識されなければ対策はとられない。

 さらに、多くの問題をわれわれの社会は抱えている。それらの中で当該問題が深刻かつ重要な問題であると認識されなければ、(たとえ問題と認識されても)解決策の検討が後回しにされる可能性が高くなるのである。

注目される四つの要因

 それでは、社会の特定の状態を「問題」と認識させる要因はなんだろうか。政策過程論の一部となる議題設定論では、問題が注目される要因はいくつか存在することが指摘されている。

 まず、挙げられるのが重大事件の発生である。世間の関心を集める衝撃的な事件が発生すると、メディアは事件をとりまく状況をクローズアップする。こうして世間に「問題」として認識される。

 いわゆる「ストーカー問題」は典型例である。ストーカー(つきまとい)行為は昔から存在していたものの、以前は問題としてクローズアップされなかった。問題とされるきっかけとなったのか、一九九九年一〇月に埼玉県で起きた殺人事件である。女子大学生が殺害されるという痛ましい事件を契機に、ストーカー行為の問題性や取り締まりの必要性が認識された。

 次に、社会指標の変化である。社会の状態について政策担当部局は様々なデータを集計し、指標化している。特定の指標が従来と違った数値になると、政策担当者の注目を集めたり、メディアの注目を集めたりする。

 例として「空き家問題」がある。家が建っていても人が住んでいない空き家は以前から存在していた。人口が減少している地方都市ではさほど珍しいことではない(この「珍しくない」という認識から、それを問題とは見なさないことにもつながる)。この空き家が問題として認識されるきっかけとなったのは、統計指標(の発表)であった。住宅の状況については、総務省の住宅・土地統計調査が五年ごとに行われ、その結果が公表される。二〇一三年に行われた調査では全国で空き家が八二〇万戸となり、空き家率(総住宅戸数に占める空き家の割合)が二三・五%と過去最高を更新した。総務省が空き家率を発表するとメディアは一斉に報道し、「空き家問題」として一気にクローズアップされたのであった。

 専門家による分析も、問題が注目される要因となる。各分野の専門家が問題を発見し、分析結果を報告書や論文で発表することによって、問題がクローズアップされる。

 古い例であるが、ローマ・クラブによる報告書がある。スイスにあるシンクタンクのローマ・クラブが一九七二年に刊行した調査報告書『成長の限界』によってエネルギー資源問題がクローズアとフされた。同報告書では、システムダイナミクスというコンピューターシミュレーション手法によって将来のエネルギーの枯渇状態が示され、わが国でも注目されることとなった。

 裁判での判決も問題への注目を集める。わが国ではあまり馴染みがないが、訴訟社会の米国ではよくあるケースである。なんらかの問題から訴訟が生じ、司法の判断により注目されたり、行政に対応が求められたりする。

 わが国での例として非嫡出子遺産相続問題がある。非嫡出子とは、結婚していない男女の間に生まれた婚外子のことであり、わが国の民法では非嫡出子の遺産相続分は嫡出子の相続分の二分の一と規定していた。この規定は同じ「子供」でありながら非嫡出子を不利益に扱うものであり、憲法第一四条で定める「法の下の平等」に反するとして訴訟が起こされた。二〇一三年九月に最高裁は全員一致で民法の同規定が憲法違反であるという判決を下した。これをもとに同問題がクローズアップされ、同年一二月には民法の一部を改正する法律が成立し、非嫡出子の相続分が嫡出子の相続分と同等になった。

問題注目のサイクル

 先に述べた四つの要因によって特定の問題が注目される。しかし、注目のされ方はすべて同じになるとは限らない。一大社会問題となるようなものもあれば、そうはならないものもある。

 大きな注目を集めるケースとしては、報道によるものを想像するだろう。重大事件の発生による注目はその典型である。事件が生じ、メディアによって報道が行われ、世間の人が「問題」として注目し、政治や行政に対してなんらかの対応を求める声が上がってくる。

 もちろん世間の注目をあまり集めないケースもある。その際には、行政の担当者のみが問題を把握し、淡々と処理することとなる。例えば先ほどの社会指標の変化による注目では、政府が指標を発表したとしても、メディアが報道しない、もしくは報道しても世間が注目しない場合もある。同様に、専門家による分析についても、専門性の高い問題に対してそもそも世間はあまり関心を示さないため、問題への注目が集まらないことがある。

 さらに、議題設定論では、問題の注目のされ方には二種のサイクルがあるとされ、「問題注目のサイクル(イシュー・アテンション・サイクル)」と称されている。問題がずっと注目され続けるのは珍しい。同じような問題でも、ある時には非常に世間の注目を集めるのに対し、一定の時間が過ぎると注目されなくなる。その後問題が大きく変化していなくても、再度注目される場合もある。

 例えば、学校でのいじめ問題はその典型であろう。日本では一九八〇年代に東京都で学校でのいじめを苦に中学生が自殺すると、学校での「いじめ」が問題として認識されるようになった。しかし、いじめに関する文部科学省の調査結果(いじめの認知率〔一〇〇〇人あたりの認知件数〕)によると学校でのいじめは起き続けているものの、問題への注目は必ずしも継続されてこなかった。そして、二〇一一年一〇月の滋賀県での中学生の自殺といったように、大きな事件が生じるとメディアによって大きく報道され、再度「いじめ問題」が注目されるのである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

医者は患者をこう診ている(うつ病、自殺懸念)

『医者は患者をこう診ている』より

〇八時二三分 ミスター・E・K(うつ病、自殺懸念)

(一〇分経過)

彼は感情のままに話しているように聞こえる。自分が行動に移すのではないかと心配している--まるで自分のコントロールが及ばないことであるかのように。彼にはここのところ、社会的・心理的なストレッサーが多々あった。そのうえ、人口統計学的に見ても自殺のリスクが高い。さらには、うつ病の重症度を評価するチェックシート〈PHQ-9〉の評価も、私の直観を裏付ける--彼の抑うつ状態のスコアは二二。〝重度〟である。症状は先週より悪化しているようだ。そしてなにより--彼は自暴自棄に見える。彼を見ていると、これまで目にしてきた、あるいは同僚から話を聞いた患者さんのことが思いだされた--GPに診てもらった直後に自殺を試みたり、実際に自殺したりした患者さんたちのことが。イギリスでは、四五歳未満の男性の死因の第一位は自殺だ。自動車の衝突事故、心臓病、がんよりランクが高いのだ。自殺はまた日本の若い男性の死因一位でもある--日本における自殺率は、イギリスのそれより三倍も高い。ある研究結果によれば、自殺で命を落とした人の約四五%が、亡くなる一ヵ月以内にプライマリ・ケアの医師に診察してもらっているという。本気で自殺したいと望んでいる人がいるとしたら、思いとどまらせる方法はまずない。とはいえ、私が患者さんの自殺リスクをきちんと評価する努力もしないうちに、患者さんがみずからを殺めようものなら、私は最低の医師だ。

 「よく聞いていただけますか。私はあなたのことが心配です。先週より抑うつ状態が少々悪くなっているようです。薬の効果があらわれるまで一週間以上かかる場合がありますし、あなたはいま自殺しようと考えはじめている。メンタルヘルスの専門医にアドバイスを求めるべきだと思うのですが、そうしてもよろしいですか?」

 「ええ……わかりました」彼はのろのろとうなずく。

私は容赦なく時間がすぎていることを自覚している。とにかくいまはメンタルヘルスの専門医である同僚に電話をかけ、助言をもらうという責任をはたさなければならないIできれば専門医に緊急の評価をしてもらいたいところだ。私は深く息を吸うーそのためにはだいぶ時間を割かなければならない。いったん患者さんに自宅に帰ってもらうことはできるだろうか。そして診察を終えたあと、精神科のチームに連絡してもいいだろうか。それとも自殺リスクが高いことを考えれば、私が診察を終えるまでここで待っていてもらうほうがいいだろうか。ひょっとすると、午前の診察にまた一〇分ほどの遅れがでることを覚悟しても、いますぐ精神科チームに電話をかけるべきなのかもしれない。待たされた患者さんが腹を立てるとしても。

 「のちほど、お電話してもかまいませんか? 携帯電話はおもちですか? 精神科のチームと連絡をとるのに少々時間がかかるかもしれません。ここで長いあいだお待ちいただくのも恐縮ですから」

 「わかりました」彼は私に携帯電話の番号を伝える。

 「どこでお待ちになる予定ですか?」

 「カフェで」

 「わかりました。一時間後くらいにお電話を差しあげますが、それでよろしいですか? 携帯電話の電源をオンにしておいてください。精神科に診てもらえるよう手配しますから。それまでおひとりで待っていても大丈夫でしょうか?」

 「大丈夫だと思います」

彼が公共の場所にいるつもりだと聞き、私はほっとする。彼はこれまで自殺のことをしばらく考えっづけてきたはずだが、まだ行動には移していない。そして、しばらくは大丈夫だと考えている。私が彼に電話をかけるときには、専門医チームからの支援を得られているはずだ。そこで彼がいまから一時間以内に自殺するリスクはきわめて低いと、私は判断する。ゼロではないが、ごくわずかな可能性しかないはずだ。

 「けっこうです。では一時間ほどしたら、お電話いたします」

 「ありがとうございます」

彼は立ちあがり、私のほうをこっそりと見る。私も立ちあがり、足を引きずりながら歩く彼のうしろにつき、両腕を広げ、彼の身体を囲むようにしてドアまで歩く。まるで油断のならない細い道を歩く親が子どもの身を守りながら進んでいくように。

彼が診察室をでていくと、私は赤い表紙の大きなノートを手にとり、彼の名前と電話番号、そして自分のやるべきタスクを書きとめる。精神科医に連絡を入れ、患者さんに電話をかけること。この赤いノートに書きとめておけば、私はかならずその作業をする。私はほんの数秒、考え事をする時間を自分に与える。はたして自分は適切な診察をしただろうか。それから、パソコンのカルテに診察の記録を入力する。書き込んでいるうちに頭のなかを整理できるし、彼の自殺リスクに対する私の評価をくわしく記録に残せるうえ、彼が話した内容を首尾一貫した話にまとめることもできる。入力を終えると、私はカルテを読みなおし、やはり自分は適切な行動をとったと考える。だれかに疑問をぶつけられても大丈夫だ。こうして頭のなかが整理できたため、一時間ほどたってから精神科医チームに電話をかける際になにを話せばいいのかという心積りもできる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

最後の砦・ドイツの試練 〝壁〟の町の空気

『トランプ時代と分断される世界』より 最後の砦・ドイツの試練

取材を進める中で感じざるを得なかったのは、難民について少しでも不満を口にすると、正当な理由があっても「ナチス」だとか「極右」と呼ばれてしまう社会の雰囲気があるのではないかということだ。むしろ、そのように少しの異論も許されないような空気が、より彼らの不満を増大させているようにも映った。

実際、そうした空気にさらされ、困惑している現場があった。それはミュンヘン郊外にあるノイペアラッハという地区。私たちは、難民施設の建設をめぐってある騒動が起きていると聞いて訪れた。

空き地に建てられた施設には今後、難民の入居が開始されるということで、訪れた三月はまだ誰も住んではいなかった。敷地内には、居住用の建物と、バスケットボールのコートや広い運動場がある。焦点となっているのは、その施設の運動場と、隣り合う住宅地とのあいだに作られた〝壁〟だ。高さは四メートルで、あの「ベルリンの壁」よりも高いという。

ドイツのメディアのみならず、ロイターやAPなど海外の通信社もこの壁のことを取り上げ、話題にしていた。中には、「ベルリンの壁の再来!」「差別される難民施設」などといった、地域住民と難民とのy分断‘を強調する記事も少なからずあった。

壁は住民たちの要望で造られたものだが、その理由を聞いて回ると、ここでもほとんどの家から取材を断られてしまった。これまで多くのメディアが殺到したことで、取材に疲れているような様子だった。

そうした中、壁の建設を要望したある住民が取材に応じてくれた。シュテファンニフイヒさん、五九歳。地方裁判所で裁判官として勤めている。ライヒさんによると、難民施設の建設が決まった二年前から、住民同士で話し合い、壁の建設を市に要望したという。その一番の理由は騒音対策だ。

 「私たちは難民が来ることを歓迎しています。ただ、勤め人が多いものですから、週末くらいは静かに庭でのんびりくつろぎたいのです」

ライヒさんによると、住民たちが問題視したのは敷地内にある運動場だった。ここで難民の若者や子どもたちがスポーツをしたりすると、静かな暮らしが失われるのではと考えた。

 「ドイツにはスポーツ施設が出す騒音に関する法律があります。そして審査の結果、同じ法律がここにも適用されることになり、この運動場にも防音設備が必要だと判断されたのです。難民たちはサッカーやクリケット、祖国での遊びをここでするでしょう。この壁があれば、難民と住民、双方が満足して暮らすことができます」

市の担当者による調査も行われ、四メートルの高さの壁が建てられることになった。しかし、その後、よもやメディアの取材が殺到することは想定していなかったという。そして、さらなる想定外の事態もやってきた。

ライヒさんとともにその壁を見に行くと、壁にはスプレーで大きな落書きがされていた。

 〝ファシストの壁〟〝壁ではなく橋を作れ〟

この壁が、難民への差別的な感情を表したものだと感じた何者かが書いたのだろう。壁の建設を求めた住民たちを敵視するような表現だ。ライヒさんは言う。

 「もちろん私たちはファシズムを信仰していませんし、本当のことではありません。でも、そう思う人がいるのでしょう」

さらに、家の壁に「人種差別主義者」と落書きされたケースまであるという。証拠のために撮ったという写真を見せてもらうと、赤いスプレーで仰々しく書かれていて、憎しみに満ちているように感じられた。

 「もちろん、さまざまな見方があるでしょう。私は、メディアが独自の解釈に基づいて報道する自由や、人々の言論の自由はあると思います。その自由を侵すつもりはありません。残念なのは、難民についての議論が勃発して以来、人々が前より大きく二つに分かれてしまったことです。考え方が極端になり、社会全体も二極化してしまいました。繰り返しますが、難民を排除する気持ちはまったくありません。私も仕事が大変なので、夜や週末くらいは静かな時間を楽しみたいだけなのです。それで極右と言われてしまうなら、それはもう仕方ありません」

裁判官という職業柄だろうか、言葉を選びながら、正確な意図を伝えようと努めて冷静に話してくれたライヒさん。その話し方から、かえって胸中にある複雑な心境が伝わってくる。ライヒさんの言うように、壁についてはさまざまな見方があるだろう。静かな暮らしを望みたい気持ちはわかるという人もいれば、事情はわかるけれども、壁まで造るのはやりすぎなのではないかと考える人もいるかもしれない。

それでも、「ファシスト」とか「人種差別主義者」などと決めつけて、住民たちの家にまで落書きをすることはあまりにもひどいのではないか。私たち取材班は、少なからずそういった印象を抱いた。

そしてそれは、AfDの集会やベルリンのデモを取材したときに感じた〝異論を認めようとしない空気〟を思い起こさせた。難民を「神聖視」しない者は、問答無用に否定されてしまうような空気を、この壁の町でも感じたのだ。

ただし、誤解が生じないように付け加えておくと、AfDの集会や反メルケルデモで抗議している人たちをひとくくりに批判したいわけではない。先にも述べたように、ある市民は、何か社会のあり方に違和感を持ったとき、「傍観しているのではなく、意思表示をすることが重要だ」とインタビューに答えていた。その行動は、民主主義社会を築いていく上で非常に大切なことだと思う。だがその一方で、ライヒさんが指摘するように、ドイツ社会が二極化し、溝が深まっているようにも感じられる。

ここにきて思い出されるのは、取材の初めに訪れたベルリンのテロ現場であった。あの場所で人々に話を聞いたとき、戸惑いを感じながらも、半数以上の人々が難民の受け入れには賛成であり、メルケル首相を支持すると答えていた。

世界各国で「自国の利益を第二とする考え方が広がる中で、この寛容さの芯にあるのは何なのか。〝それでも〟難民を受け入れるべきだと考える人々の奥底にはどのような思いがあるのか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

レシートデータベース

生活費に日時を入力

 生活費にレシートから入力しているけど、全てのレシートには時刻が示されている。日時で時系列になります。行動が分かります。かつ、同じところで買ったモノが並びます。ソートできます。

レシートデータベース

 レシートの情報をクラウドの個人エリアに入れ込みたい。レジした人名とかわかる。スタバでレシート情報だけでも色々なことが分かる。

 他の人と情報を集めれば、勤務時間帯もわかる。出掛ける前に確認できる。

部屋の掃除

 バッグ類は押し入れに入れましょう。使うかもしれないモノは吊すようにする。それにしても多い。同じようなモノが30ぐらいある。

 カーテンで部屋の中に区切りをつけましょう。奥さんはノブのは部屋とか物置があるからいいけど、私にはないので、部屋の一画をそれに当てます。カーテン代は2000円です。

 朝、掃除作戦を始めます。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )