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南北戦争と明治維新の関係

未唯へ

 とりあえず、今は本を片付けよう。

相談のイメージ

 レポートは終わったけど、では、どうするのかが決まっていない。イメージがつかめない。出だしでちょっと、とちったし。やれるのは何を考えているかを聞くぐらいです。

 あとはシステムの悪さだけではなく、出来たら、システム設計のところまで、皆のために持っていけるといいけど。

知的に生きてもらいたい

 ニーチェは元先生に貸しましょう。戦争として生きていけるように。そして、ヨーロッパが好きになるように。他人が求めた、役割に染まる必要はない。自分で自分のこと、役割は決めればいい。

時の進み方

 137億年の時の進み方と今の時の進み方は全然違う。一年がこんな長いことはない。その頃は1千万年ぐらいがあっという間なんでしょう。

南北戦争と明治維新の関係

 明治維新の時に、薩長にどこから銃が流れたのか。何千丁もの銃が準備されたのか。多分、南北戦争が終わった後に銃が余ったんでしょう。それが奇兵隊につながった。農民でも武器が使える。そこまで、高杉晋作は意識なかったみたいです。

 高杉晋作は上海を蝕む諸外国の風景。
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欧州の壁を越えて 消える国境、生まれる壁

『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』より 欧州の壁を越えて

ルクセンブルクの首都から南に三十キロほど下ると、シェンゲンという村に行き着く。村の東を流れるモーゼル川の対岸はドイツ、その南側はフランスだ。三カ国の境目に位置することが、村に歴史的な役割を担わせた。

フランス、西ドイツ、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク計五カ国の代表が一九八五年、この村の沖合に浮かぶ船の上に集まり、域内国境を段階的に撤廃することで合意した。単一通貨ユーロの導入と並んで欧州で最も意欲的な制度イノベーション「シェンゲン協定」の誕生である。

泥沼の第二次世界大戦を経験した欧州にとって、「国境をなくすこと」は、戦後史を通じた最大の夢だった。人々の間にある垣根を取り払い、人々が交流と協力を広げていく。それが、戦争を防ぐ最善の道のりだと、多くの人が信じた。そのような流れの中で、人や物、サービスや資本が自由に移動する共同市場の創設を、欧州は目指した。欧州内の人の移動の自由を保障する「シェンゲン協定」は、共同市場にとって欠かせない要素だと見なされた。

一九九五年三月、協定はいよいよ実施に移された。締結国間の出入国管理が撤廃された。九六年には締約国が十三力国に広がった。シェンゲン協定はこの時点まで、欧州連合(EU)と異なる枠組みで進められてきたが、九七年にはEUの基本条約「アムステルダム条約」に付属議定書として組み入れられた。「人の移動の自由」がEUの法体系の一部として保障されることになった。

二〇一四年現在のEU加盟二十八力国のうち、キプロス、ブルガリア、ルーマニア、クロアチアは、シェンゲン協定を完全に実施するに至っていない。これに加え、英国とアイルランドが国境の検問を維持しており、事実上参加していない状態だ。つまり、EUで参加しているのは二十ニカ国だが、一方でEUに加盟していないアイスランド、ノルウェー、スイス、リヒテンシュタインの四力国がシェンゲン協定には参加している。いわゆる「シェンゲン圏」は、この二十六力国で構成されている。

現在のシェンゲン協定は、次のような規則を含んでいる。

 ▼域外国境の共通管理

 ▼域内国境検査の撤廃

 ▼統一ビザの発給

 ▼国境を越える犯罪への司法、警察の協力

 ▼入国審査データの共有システムの導入

西欧と旧東欧との間は、かつてチャーチルが「鉄のカーテン」と呼んだ壁や鉄条網で仕切られていた。二つの世界を一つに結び、冷戦を終結させたのは、一九八九年の「ベルリンの壁」崩壊--である。二〇〇四年、かつて壁の反対側にいた旧東欧五力国と旧ソ連のバルト三国を含む十力国がEUに加盟し、同時にシェンゲン協定にも調印した。二〇〇七年暮れ、このうちキプロスをのぞく九力国でシェンゲン協定が実施され、かつて東西に分かれていた国々が国境なき一つの空間を共有することになった。

その成果は大きい。国境の検問での大行列は姿を消し、移動や流通が格段にたやすくなった。今や、空港では国内線も国際線も同じターミナルから出発する。国際列車も国内列車も同じホームに到着する。物理的な一体感は、気分的な一体感を伴った。多くの人々が国の違いを気にすることなく旅行に行き、引っ越しをし、仕事を見つけるようになった。

しかし、内部の壁を取り払うに連れて、内部と外部とを分ける壁が厚くなる。内輪の「我々」の問で結束が強まるほど、「我々」以外の「彼ら」の距離が広がるのは、世の中の常である。シェンゲン協定が定着すればするほど、シェンゲン域外との間の壁が厚くなった。

「色の革命」の伝播を見ても、「欧州評議会」の活動を見ても、欧州の境目がどこにあるのか、もともとあいまいだ。欧州の範囲を示すのは、「単一通貨ユーロに参加している国々」「シェンゲン協定に参加している国々」「EU加盟国」「欧州評議会(CE)参加の欧州諸国」「北大西洋条約機構(NATO)参加の欧州諸国」「欧州安全保障協力機構(OSCE)参加の欧州諸国」と様々な定義が可能である。ただ、これらの機構に参加しているかどうかはさほど重要でないだろう。「欧州」は多分に、そこに加わりたい人々の願望も含めた概念だ。

欧州周辺の国々や人々は、自分たちが欧州の一員であることに誇りを抱いている。なのにそこに線が引かれ、自分たちが排除されてしまう。「我々」の一員と思っていたのに、「彼ら」だったのだと、思い知らされる。「俺たちは欧州の一員ではないのか」といった疎外感、屈辱感を抱かざるを得なくなる。

「欧州がどこまでか」との問いかけは、欧州がどこまで責任を持つのか、という問いかけに結びつく。「色の革命」や「欧州評議会」の活動のように、欧州は自らの理念や思想を積極的に域外に広めようとしてきた。そのような外向きの力が働く一方で、近年目立っているのは内向きの方向性だ。「ここまでは自分たちの問題だが、ここからは知らないよ」という態度である。民主主義や人権を域外に説教しても、域外が抱える問題を自分たちで背負いたくはないのである。

この態度は、欧州統合の勢いが失速したことと、間違いなく結びついている。冷戦崩壊の勝利感が漂う二十一世紀初頭だったら、多少の負担はものともせずに外に向かってがんがん攻めていただろう。二〇〇五年のオランダ、フランスのEU憲法条約批准失敗から欧州債務危機に至る過程で、欧州には挫折感が広がった。新たな挑戦やイノベーションに慎重になった。

欧州の結束を示すはずだったシェンゲン条約は次第に、欧州の限界を象徴する存在となったのである。
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社会保険における分断

『日本財政の現代史Ⅱ』より 再編期の社会保障 構造的条件としての「日本型福祉社会」

「日本型福祉社会」は、また日本の社会保障制度の構造も規定していた。すでにみたように、日本の社会保険の特徴の1つは、地域あるいは職域別に区分された「つぎはぎの皆保険・年金」である。それは戦後日本の「日本型福祉社会」を前提に編成され、それゆえその崩壊が進む20世紀末にはさまざまな歪みがあらわれていた。その歪みがとくに顕著にみられた年金制度である。

日本の公的年金制度は、をする被用者は、一般的に第二号被保険者として国民年金と厚生年金(あるいは共済)の双方に加入する。第二号被保険者は、2つの年金の保険料として賃金の17.12% (2013年時点)を労使折半で負担する。なお被用者分については給与から自動的に徴収される。2層の年金からの平均受給額は、2010年時点で月額15万3344円である。また彼あるいは彼女の配偶者は、年間所得130万円以下であれば、第三号被保険者として保険料の拠出なしに、国民年金に保険料を拠出したものとみなされる。仮に20歳から60歳まで40年間、専業主婦でいたならば、65歳以降に国民年金の満額である月額6万5471円(2013年時点)が支給される。

第二号被保険者、あるいは第三号被保険者に該当しない現役世代は第一号被保険者となる。猶予や免除が受けられない場合、所得にかかわらず一定の保険料を全額自己負担で支払わなければならない。保険料は2013年時点で月額1万5040円であり、将来的には1万6900円まで上昇する。給付額は最大6万5471円であり、平均額は2010年で5万4596円である。また、第一号被保険者の配偶者は第三号被保険者になれない。その他、遺族年金等においてもいくつか相違がある。

このような公的年金における分断は、「日本型福祉社会」を前提に生まれたものである。日本の年金制度は、戦時中に1942年に被用者を対象とした労働者年金保険(44年に厚生年金に名称変更)が先行して生まれ、その後61年に残されていた自営業者や農家を対象とした国民年金を設けることで形成された。そこでは、家計を支える労働者は正規従業員として企業社会に包摂され、それ以外の者は農業あるいは自営業に従事していること、また女性の多くは専業主婦として正規雇用者の被扶養家族として家庭に入り、家計補助的なパート労働を例外として、非労働力化する社会像が想定されていた。

「日本型福祉社会」の崩壊は、そのうえに構築された年金体系の歪みを顕在化させた。女性の労働参加率の上昇の結果、自ら保険料を納める女性と第三号被保険者として扱われる専業主婦との不公平感は高まった。また非正規雇用の増大により、かつて自営業者と被用者との区分を想定していた第一号被保険者と第二号被保険者との区分は、正規の被用者と非正規の被用者との待遇を差別化する制度として機能するようになった。

制度の分断が今日もたらしている最大の問題は、国民年金の未納問題である。第一号被保険者の国民年金保険料の納付率は、1992年の85.7%から2010年には59.3%まで減少している。この傾向はとくに若年世代に著しく、25歳から29歳の世代の納付率は半分以下、46.6%となっている。国民年金では、原則として未納の期間分だけ、国庫負担金分も含め年金給付が削減される。また2008年以前では、支給開始年齢時に納付期間が通算25年に満たない場合は、給付額がゼロとなる(10年現在は10年)。このような事態が放置されれば、将来の無年金者、さらには生活保護受給者が大量に生み出されるであろう。日本の社会保障の看板である「国民皆年金」はもはや崩壊しつつあった。

20世紀末からの未納者増大の背景の1つは、男性の正社員中心の「日本型福祉社会」の崩壊、つまり非正規雇用や無業者の増大である。すでにみたように、非正規雇用は近年増加を続け、今日では被用者の約3分の1を占めている。彼らは一定以下の労働時間のもとでは国民年金の加入者となるが、所得に応じた保険料を労使折半で強制的に拠出させられる正規の被用者に対し、非正規労働者や無業者は原則として定額の保険料を、全額自己負担で自発的に納めなければならない。一般的な所得格差を前提にすれば、正規から非正規雇用への転換が未納者増大に結びつくのは自然の過程であろう。

同様の問題は、日本の社会保険のもう1つの柱である医療保険でも発生しつつある。すでにみたように医療保険制度もまた職域別に分断された体系となっている。国民健康保険の保険料滞納世帯は2010年時点で対象全世帯の20.6%に相当する436万世帯であり、うち「事実上の無保険者」とされる資格証明書発行世帯は33万世帯となっている。国民健康保険はさらに、市町村単位で分断されているため、地域ごとの保険料の格差も問題となっている。
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子どもの反応をどう受けとめるか

『がんばれ!児童図書館員』より 講師として子どもの読書の意義を伝える(対象 図書館員)

子どもがよろこぶ絵本を選ぼうとするとき、「何をもって、よろこんだとするか?」もむずかしいところです。学校で読み聞かせをしているボランティアのかたがしばしば陥りがちなのが、「〝受ける〟絵本がいい」という信仰です。たしかに、子どもが笑ってくれたり、何か反応してくれると、だれもがうれしくなります。自分のまえにやったお母さんが↓受けた〃から、私ももっと〝受ける〟本をといってくるかたもいます。でも、〝受ける〟って、いったいどういうことでしょう。絵本を読んでもらって笑うというのは、大いに健康的で、奨励すべきことです。でも、子どもの笑いを誘いたいがために絵本を選ぶというのは、邪道ではないでしょうか。その場では笑ってもすぐに忘れられてしまうなら、あまり意味のないことです。

最近とくに、主人公がありえない状況やありえない状態に陥って、その意外性に驚いたりよろこんだりする絵本が多いと感じます。今回みなさんが選んだ本のなかにも、そういった本が目立ちました。主人公や状況の意外性が、1、2、1、2、1、2とだんだん過剰になって、それが子どもの笑いをますます誘うという作品もあります。もちろん、そういった絵本が読まれてもかまわないのですけれど、たまに一冊読む程度で十分なのではないかと思います。そういった作品は聞き手の子どもに、おもしろい状況を楽しむ↓意外性に驚くIいわば。対岸の火事〃のような態度を生じさせるように感じます。

子どもの文学の基本は、瀬田貞二さんのいうところの「行きて帰りし物語」です。主人公が課題を抱えて冒険に行き、何事かを果たして、成長して帰ってくる。子どもは、主人公と一体になって、主人公に寄り添って、心を動かし、内的体験をします。だからこそ、物語が子どもに大きな力をあたえるのではないでしょうか。この体験の積み重ねが幼い子どものお話を楽しむ力を育て、やがて本格的な児童文学を読めるようになるのだと思います。

私たちの図書館では、特別支援学校(視聴覚障がい)におはなし会に行っています。子どもたちは、とてもお話を楽しむ力があり、ことばにとびっくように聞いています。先月のおはなし会でも、どの子も主人公になりきって聞いていました。「ミアッカどん」では、トミーの足がちょん切られる場面で高学年の女の子が、「ひえーー」と身をすくめて声を出したくらいです。

終わりに先生が「何かいいたい人」と聞くと、五年生の男の子が勢いよく立ちあがりました。彼はたいへんな読書家で、おはなし会では理想的な聞き手です。立ちあがると、考え考え、「今日のお話はとてもおもしろくて、どの話もとてもおもしろくて……」とことばを切って、自分の気持ちを伝えようと何度も口をあけましたが、とうとう見つからず、「おもしろかったです!」といいました。「何をいうのだろう?」と待ちかまえていた私たちは、思わず笑ってしまいました。彼もいっしょに笑っていました。

絵本を聞き終わったあと、ため息をついてぼおっとしている子どもがよくいます。内的な体験をしたあとで、それを受けとめている時間なのだと思います。すぐには、反応したりことばで表したりできない。何も出てこないのです。

子どもの反応に一喜一憂しない--このことを私たち自身も肝に銘じ、またボランティアのかたがたに伝えたいものです。

もうひとつ伝えたいことは、読書は子どもの心に関わる営みだということです。読み手と聞き手に交流がないのに、安易に〝扱った本〟や〝人類の非道をとりあげた本〟を読み聞かせるのは避けるべきです。

ある人からこんな話を聞いたことがあります。子どものとき、友だちの家で偶然『ひろしまのピカ』を読んでしまい、怖くてたまらなくなった。家に帰ってお母さんにその絵本の話をしたら、お母さんは、「日本には昔、そういう悲しいことがあったのよ」といって、その子の悲しみと衝撃を受けとめてくれた。そのおかげで、あの衝撃を乗り越えることができたといいます。

お母さんがそういうかたで、ほんとうによかったと思います。そうでない子どもも、大勢います。

しばらくまえ、たまたま二〇代の若い人たちと飲む機会がありました。何かの拍子に子どもの本の話になりました。すると彼らは異口同音に、「子どもの本は悲しい」というのです。そして、驚く私に次々と書名をあげてみせました。『ちいちゃんのかげおくり』『かわいそうなぞう』『ごんぎつね』『大造じいさんとガン』『泣いた赤おに』『スーホの白い馬』……。たしかにそのとおりです。教科書でとりあげられる作品は、それぞれの学習課題があって選ばれているわけですが、それでも私たちおとなは、子どもたちが文句なしに楽しめる本をもう少し手わたしてきてもよかったのではないかと思いました。
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岡崎市立図書館の10冊

007.5『Googleサービス超活用』

141.5『期待の科学』悪い予感はなぜ当たるのか

675.3『インサイドボックス究極の創造的思考法』

504『テクニウム テクノロジーはどこへ向かうのか?』

289.3『アダム・スミスとその時代』

289.3『ホーキングInc.』

232.8『ローマ帝国の崩壊』文明が終わるということ

289.1『高杉晋作と長州』人をあるく

234『ベルリン危機1961 上』ケネディとフルシチョフの冷戦

234『ベルリン危機1961 下』ケネディとフルシチョフの冷戦
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