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中国インパクト

『私たちの国際経済』より 中国

中国は現在、主要工業製品において世界最大の生産力をもっています。たとえば、2010年には、世界の粗鋼の44%,パソコンの98%,携帯電話の54%,カラーテレビの40%,デジタルカメラの67%、VTR/DVDプレイヤーの59%を生産しました。総合工業力のシンボルである自動車の生産力も大きく伸ばし、世界シェアの24%を獲得しました。国内需要を大きく上回る生産力が輸出を押し上げ、中国を新たな「世界の工場」にしました。

経済の急成長は巨大な市場も生み出しています。豊かになった人びとの間で消費ブームが起こり、耐久消費財の分野で中国はすでに世界最大の家電市場となっています。モータリゼーションの進展により、自動車販売台数においてもアメリカを超え世界第1位の市場へと躍り出ました。工業生産の急拡大に加え、爆発的な住宅ブーム、マイカーブームは中国の素材やエネルギー消費量を増大させ、中国は世界最大の鋼材消費国に、また世界第2位の石油消費国になりました。

アメリカ発の金融危機とヨーロッパ発の債務危機が先進諸国の社会経済を混乱に陥れる中、高度経済成長を続けた中国のプレゼンスは急速に高まりました。世界経済成長への貢献度では2007年、中国はアメリカを超えて首位となり、以来中国は世界経済の主要な牽引車となっています。

□中国の成長を取り込むアメリカ

 アメリカにとって中国はすでに第2位の貿易相手国となり、市場には中国製品があふれています。他方、アメリカの対中国貿易は赤字が膨らみ、今や日本に代わり中国がアメリカの最大の貿易赤字相手国となりました。議会は対中貿易赤字を問題視し、人民元の切上げ、知的財産権保護などへの対処を中国に強く迫っています。

 ビジネス界では、製造業が中国で大規模な直接投資を展開し、金融、メディア、航空電信等サービス業も先を争って進出しています。映画、音楽、出版等の著作権ビジネスも中国を新天地とみなしています。

 大小にかかわらずメディアには中国情報が頻繁に登場し、「富と実力の東方シフト」「グローバルパワーとしての中国」などのキャッチフレーズが飛び交っています。学界での中国研究も盛んとなり、研究者は分野を問わず、急成長する中国経済との接点を見出そうとしています。各分野の研究者が米中間を往来し、中国の活力をアメリカの経済に取り込もうとしています。

 アメリカ政府も中国の経済成長をアメリカの利益へ繋げようと対話を進めています。米中間では2006年から「米中戦略経済対話」が定期的に行われ、経済運営や貿易摩擦などさまざまな意見交換がなされています。対話を通じてアメリカは巨額な貿易赤字を解消するため中国に人民元の切上げや内需の拡大を求めると同時に、自国の金融、電信、航空等のサービス産業や著作権ビジネスの中国進出拡大を狙い、金融市場の開放や知的所有権保護の強化を求めています。

 米中という二大パワーの関係が世界経済の形を創る時代となったのです。

□東アジアの連動的発展

 日中経済の緊密化からわかるように、中国の大発展は決して単一の動きではありません。中国、日本、NIES,アセアンからなる東アジアは連動して発展段階に入りました。アジアの時代ともいうべき新時代には大きな特徴か2っあります。ひとつめは束アジアが世界経済に大きな存在感を示すようになったことです。表13-1で示したように、世界のGDP総額に占める東アジアのシェアは2010年には23.6 %に達し、1965年の同9.1 %から14.5 %ポイントも上昇しました。この間、2度の石油危機、日本のバブル崩壊やアジア通貨危機等で東アジアの一部の国では経済が一時停滞したものの、再び成長の軌道に戻っています。東アジアは今、世界で最も成長性の高い地域となっています。

 2つめの特徴は東アジア域内の交流と分業の進展です。域内貿易率の上昇とともに域内貿易の規模も拡大しました。域内相互依存の高まりは東アジア経済発展の源泉のひとつです。中国が「世界の工場」になったといわれていますが、域内でスケールの大きい分業が展開している東アジアそのものが「世界の工場」になったといえばより正確でしょう。東アジアの「世界の工場」化は21世紀の世界秩序、日本の社会経済システム、そして中国の近代化に大きな影響を与えるに違いありません。
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EUの深化と拡大

『私たちの国際経済』より ヨーロッパ

マーストリヒト条約によりEUでは、3段階を経て単一通貨を導入することが決まりました。単一通貨ユーロを導入する理由は何でしょうか。通貨が異なると両替などの取引に要するコストが必要ですが共通の通貨であればコストが削減できます。また、為替相場が変動するリスク(為替リスク)もなくすことができます。その結果、商取引は効率化しEU経済の競争力は強化されます。

ただし、単一通貨ユーロを導入するということは、通貨を発行し金融政策を行うという国家が本来もっている主権の一部を欧州中央銀行(ECB:European Central Bank)に委譲しなければなりません。それを嫌ったイギリスとデンマークは、マーストリヒト条約交渉において、ユーロ導入への参加を望まなければ参加しなくても良いとする権利を獲得しました。

また、ユーロが国際的に信用ある通貨となるには参加国の経済が健全なものでなければなりません。そこでマーストリヒト条約はユーロ参加の条件として、①物価の安定、②適切な金利水準、③為替相場の安定、④健全財政の4つの基準を決めました。なかでも健全財政は、多額の借金を抱える国家が参加することはユーロの信用に直結することから重要な基準となり、年間の財政赤字がGDPの3%を超えないこと、政府の債務残高がGDPの60%以内と定められました。

1999年にまず大企業間の取引や国債など非現金分野でユーロが導入されましたが、この時点ではユーロ現金は流通せず帳簿上の通貨でした。なお、イギリス、デンマーク、スウェーデンは参加せず、ギリシャは参加の意向はあったものの参加条件を満たさず参加できませんでしたので、11カ国でユーロが導入されました。

さらに、2002年からユーロ現金の流通が開始され、また、ギリシャが参加したことにより、ユーロは当時のEU15カ国中12カ国で用いられ、従来の各国通貨は使用できなくなりました。

ユーロを導入した国は自国の金融政策を放棄し、ユーロの発行と金融政策はドイツのフランクフルトにあるECBが行うことになりました。

1989年にベルリンの壁が倒れ、91年にソ連邦が崩壊し冷戦が終結しました。冷戦の終焉はEUにとっても大きな出来事でした。まず、1990年の東西ドイツ統合により旧東ドイツがEUに入りました。さらに、それまで中立政策に基づきEUへの参加を申請しなかった諸国がEUに加盟申請をしました。この結果、1995年オーストリア、スウェーデン、フィンランドがEUに加盟し、EU加盟国は15カ国となりました。

さらに中東欧の旧社会主義国を中心に1990年代半ばまでに12カ国からEUに加盟申請が出されました。一度に多数の国の加盟を審査することはこれまでありませんでした。そこで、1993年にコペンハーゲン基準というEU加盟基準が作られ、これに基づき加盟審査がなされることになったのです。

コペンハーゲン基準は、民主主義、法の支配、人権や少数民族の保護がなされているかを判断する政治的基準、市場経済が機能しEU内の競争に対応できるかを判断する経済的基準、EU法を受け入れる能力があるかを判断する法的基準の3本柱からなります。

審査の結果、2004年5月にポーランド、チェコ、ハンガリー、スロバキア、エストニア、ラトビア、リトアニア、スロベニア、キプロス、マルタの10カ国が一挙にEUに加盟しました。さらに、2007年1月にブルガリアとルーマニアが加盟しEU加盟国は27カ国になりました。

こうしてヨーロッパ全域の大半はEU加盟国となり、約5億人の大市場が誕生し、現在新規加盟国も含めて17カ国でユーロが流通しています。

加盟国が急増したことから、EUを効率的に運営するため新しく欧州憲法条約が2004年12月に締結されました。しかし、条約に「憲法」の語が入り、また条約でEUの旗や歌が規定されたことから、EUが各国のうえに存在する超国家となり、重要なことは欧州委員会のあるブリュッセルで決められるとの不安感が各国で高まりました。

その結果、2005年にフランスとオランダの国民投票により憲法条約の批准は否決されました。 EU原加盟2国による批准拒否は憲法条約を挫折させ、条約名から「憲法」の語を取り、旗や歌も条約から削除した改革条約が2007年12月リスボンで調印されました(リスボン条約)。

リスボン条約は、27カ国の批准を経て2009年12月に発効しました。同条約は憲法条約と内容的にはほぼ同じで、EUの顔となる欧州理事会の常任議長(大統領)とEUの外相に相当する外交安全保障上級代表を新設しました。また、現在27あるEU委員会の委員の数を18に削減し、決定において全会一致を適用する分野を減らし特定多数決の範囲を拡大して、EUの効率的運営を図ることになりました。

初代の常任議長には前ベルギー首相のヘルマン・ファンロンパイ(キリスト教民主党系)、外交安全保障上級代表にはイギリス労働党上院議員から欧州委員になった女性のキャサリン・アシュトンが就きました。この人事からEUが、小国と大国、欧州二大政党のキリスト教民主党系と社会党系、男性と女性などと各種のバランスに配慮していることがわかります。
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人口はどのように増加してきたか?

『私たちの国際経済』より 人口と食料

□食料が「なくても」増える、「あっても」増えない

 それでは、今日まで、世界の人口は実際に、どのように増加してきたのでしょうか。マルサスの悲観的な見通しは正しかったといえるのでしょうか。

 皆さんが高校で学習したように、近年、世界人口は急激に増加し、また増加し続けています。国連の推計によると、世界の人口が10億人に達したのは1800年代の初めでした。人口がさらに10億人増えて20億人に達したのはそれから100年以上たった1927年でした。ところが、またさらに10億人増えて30億人になったのは、わずか32年後の1959年です。そして2000年には、さらにその倍の60億人を超えたのです。まさにマルサスのいう「幾何級数的」人口増加ではないでしょうか。

 しかし、ちょっと注意してみると、おかしなことに気づきます。人口の増加は地域によって大きな差があります。日本のような先進国では人口の増加率が低く、国によっては人口がむしろ減少し始めています(日本の人口も、21世紀の半ばには、およそ1億人にまで減少すると予測されています)。これに対し、発展途上国の人口増加率は一般に高いものになっています。マルサスは、食料がある限り人間の本能的な日青熱」によって、人口は「幾何級数的」に増加するといいました。しかし、皮肉なことにむしろ食料の乏しい途上国で人口は急速に増え、食料のあり余っている先進国では人口はあまり増えていないのです。このことから、人口の増加を制限する要因として食料だけを考えるのは、不十分な考えだということがわかります。

□人口転換

 今日、人口があまり増えていない先進国も、歴史のある時点では急速な人口増加を経験してきました。たとえば、明治の初めの日本の人口はおよそ3300万人ほどでしたが、その後の日本の経済的発展の過程で人口は増え続け、今日の1億2500万人を超える数にまで増えてきたのです。

 それでは、人口が増えたり減ったりするということは、どのように考えたらよいのでしょうか。たぶん「風呂桶の水」の例を考えるとわかりやすいと思います。風呂桶の水が増えるのは、水が水道の蛇口などから入ってくるからです。風呂桶の水が減るのは、桶の底の排水口から水が流れ出すからです。赤ん坊が生まれたり、人が死んだりするのは、水が入ってきたり、出て行ったりするのに似ています。風呂桶の水と同じように人口が増えるのは「入る(生まれる)人」が、「出る(死ぬ)人」より多い場合です。

 多くの先進国における人口の歴史を観察してみると、「入る人」の割合にれを「出生率」といいます)と「出る人」の割合にれを「死亡率」といいます)の変化に一定のパターンがみられます。人口が増えも減りもしない状態では、「入る人」と「出る人」の割合は同じです。すなわち、出生率と死亡率は同じです。しかし、一般に経済が発展し始めると、最初に死亡率が低下し始めます。出生率は以前と同じ水準にあり、死亡率だけが低下するのですから、「入る人」は同じで「出る人」が減り、人口は増えることになります。しかしやがては、出生率も低下し始めます。そして、先に低下した死亡率に出生率が追いつくと、「入る人」と「出る人」の割合は再び同じになり、人口増加は止まります。さらに、これ以上出生率が低下すると、ちょうど21世紀の日本のように、人口は減ってゆくことになります。

 以上のような出生率と死亡率の変化の歴史的なパターンを全体としてみると、最初は生まれる人の割合も死ぬ人の割合も、両方が高い多産多死の状態です。死亡率が低下し始めると、多産少死の状態になって、人口が増加します。そして再び出生率が低下して死亡率に追いつくことで、少産少死の状態になり、人口増加は止まります。人口の歴史的変化のこのようなパターンは、人口転換と呼ばれます。

□出生率はなぜ低下するか?

 出生率の低下については、本当のところ、よくわからないことがたくさんあります。たしかに皆さんのご両親に、「なぜもっとたくさん子どもを産まなかったのか」と質問すれば、考えられる限りの直接的な理由の多くがわかると思います。でも、社会的な観点からより重要な問題は、どのような経済的・社会的な条件のもとで、出生率が低下するかということです。

 出生率の低下に関する多くの経済学者の回答は、おそらく「所得水準の上昇にともない、子どもをより多くもつことの『便益』は減少し、『費用』は上昇する」といったものでしょう。このような考え方についてはこれ以上立ち入りませんが、参考文献をあげておきますので、興味のある方は読んでみてください(加藤久和[2007],『人口経済学』日本経済新聞社)。以下では、より具体的で、より複雑な社会を考えてみましょう。

 まず、本当はたくさんの子どもが欲しくはないのに、出産を制限するための十分な知識や手段がないのであれば、知識や手段が容易に手に入るようになることで、出生率は低下するはずです。また、出産はとりわけ女性に大きな肉体的・精神的負担をかけますが、子どもを実際に産むかどうかを決定する権利が、女性には認められていない社会が多く存在します。そのような場合には、女性の社会的、経済的、政治的な地位が高まることが、出生率の低下に結びつくかもしれません。

 しかし、もっとむずかしいのは、人びとが本当にたくさんの子どもを欲しがっている場合です。たとえば、子どもが成人になる前に死亡する率が高い国では、両親は当然、子どもの死亡という万一の不幸に備えて、実際に欲しいと考えるよりも多くの子どもを出産するでしょう。そのような社会では、子どもの医療や衛生状況を改善し子どもたちの死亡率を低下させることが、出生率を低下させ、むしろ人口の急増をおさえることになるかもしれません。また、多くの途上国では、子どもは小さいときから働いて家族に収入をもたらし、年老いた両親を経済的に支えることが期待されています。このような場合には、子どもの働きがなくてもやっていける十分な収入を両親が確保できるようになり、老後の社会保障の制度が整備されることで、出生率が低下するようになるでしょう。さらに子どもが働くよりも学校に行く方が有利な社会になれば、経済的な支えとして子どもをもつ意味は少なくなります。

 しかし、最後の難問は、人間の「価値観」に直接かかわる問題です。たとえば、日本ではあまり問題にならないかもしれませんが、いくつかの宗教では、避妊や中絶を認めない場合があります。皆さんは、国や社会が、そのような信念をもつ人びとに「国家(あるいは民族・人類)のため」といった理由でならば、出産の制限を強く勧めたり、強制したりしてもよいと考えます
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Iコンタクト

土日は歩きましょう

 右の精巣もどうにか、収まってきました。あとは運動です。土日は歩きましょう。

 午後は豊田市まで歩きましょう。土曜日は午前中はスタバだから、3時過ぎから歩けるし、日曜日は午前中は岡崎市図書館だから、一旦、家に帰ってから、本を持って行きましょう。

Iコンタクト

 Iさんとのコンタクトはアイ・コンタクトです。月・水曜日にIさんは居たけど、何も声を掛けてもらえなかった。今日の昼間に行ったら、お客様の整理を行っていた。

 そのことを告げたら、アイ・コンタクトを取っていたということでした。やはり、Iコンタクトしてほしい。

 これを話す相手を求めて、さまよっていた。

アメリカの図書館

 アメリカでは、図書館間の相互貸借での図書の郵送は無料です。
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