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貸し切りのボスポラス海峡ツアーのデッキで居眠り 2/2

エジプトに向かうために、イスタンブール空港へ到着。20時発のカイロ行きのカウンターがまだ開きません。席の順番待ちを30分した。抜け出して、トイレに行きました。十分、間に合いました。トイレが短いので大変でした。1時間が限界だから、水分を絶って、2時間にしていた。トイレの心配がなければ、飲み放題でした。

トルコはもっと大きくなります。イスタンブールにはヨーロッパ、イスラム、アフリカから人が集まっている。10年後はロシアにも影響力を拡大するでしょう。いずれかが生きていたら、再訪しましょう。

24時にカイロ空港に到着予定。ピラミッドを見て、一泊して、カイロ観光すると、日本に向かいます。土日の図書館・老人ホーム・スタバは楽しみです。月曜日の会社は予測不能です。ブログをしっかり読んでくれていたら、思いが伝わるが、総務的な態度ならば、ブログの方向を攻撃的に変えます。彼らの価値観と隔離しています。国レベルでのサファイア循環もある程度できるようになった。

今回の旅は奥さんが行きたいと言うから、行くことに決めた。奥さんが喜んでくれればいい。30年間の思いです。

ポメラは完全に旅の一部になっている。ずっと、首から下げていました。いつでも書いていました。「書くこと」で社会が変わる。写真と同じように書くことができれば、社会は地域から、個人から、グループから変わっていきます。一日に書けることは少ない。話すことの一部しかできない。俳句のようにエッセンスになるからいいのです。キーワードに従って、感じたこと、考えたことを自由に出していけばいい。

トルコを後にしました。5年後にサファイア循環の世界が出来ていれば、10年後にはロシア・中近東・アフリカに平和の影響力を持つでしょう。トルコでの支援の連鎖としては、国際遺産を守るという名目でジャンジャルマンの防衛隊をきめ細かく配置している。バザールの出入り口にも配置している。国際遺産を護ると同時に、ツアー客もガードしていた。市民に観光立国を示していた。また、絨毯・革製品・トルコ石の販売に際しても、国として、最大の保護をしているので、ツアー客の安心感を補償している。

地域も国の期待に応えて、地域の産業を守りながら、革新を遂げている。ホテルなどの拡充、街の清掃、治安の確保でイメージをよくしている。

市民は農業でものを作るだけでなく、それを売る手段に創意をこらしている。観光産業は多くの人が必要であり、かつ積極的でないといけない。そういう人たちを作り上げている。

そう考えるとギリシャの危うさを見えてくる。国として、地方を把握していない。郵便局にゼネストの通知がされていた。今のままでは、ギリシャはトルコ圏に吸収される気がします。

書き残すのは、個人のメモではなく、人類の財産と思っている。本一冊にはその思いが込められている。そこから得た知恵は思いが拡大されると同時に集約されている。

2時間でカイロ空港です。定刻に出発して、定刻に到着。サービスするのが遅かったので、コーヒーサービスの前に着席サインが点灯して、奥さんはコーヒーが飲めなかった、私はティーにしたので、ぎりぎりセーフでした。

夜中の12時なのに、まだ、ホテルに到着していません。街も子どもも元気です。
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貸し切りのボスポラス海峡ツアーのデッキで居眠り 2/1

未唯へ。今日で、色々なことを教えてくれた、トルコとさよならです。日程は、ボスポラス海峡ツアー⇒イスタンブール散策⇒イスタンブール空港⇒カイロ空港⇒カイロです。

イスタンブール 街はゴミ収集で動いています。奥さんは6時起きなのでしょう

ホテルの周辺を奥さんと散歩しました。最寄りのトラムの駅まで行くのに疲れてしまった。距離よりも坂がきつい。迷ってしまったけど、奥さんのどこでも、誰でも聞く。すべて指さしで済ませる「ココ語」は強力です。まずは子供にホテルの写真を見せて聞いて、次にホテルのフロントマンに「ここはどこ」と聞いた。コンシェルジュでもないので丁寧に応えてくれた。感じのいい若者です。最後はシティマップまで貰ってきました。五つ星ホテルと大違いです。

宿泊したフロントはひどかった。5つ星とは思えない。スタバはどこかと聞いても、「ない」。図書館を聞いても「ない」。そんなものはネットで調べれば出てくるだろう。面倒なものは「ない」で済ましていた。その上、近所の地図を要求したら、イスタンブール全体が名刺サイズのものを寄越した。これで街歩きできるか!

ボラボラス海峡ツアーはグループでの貸し切りの船です。1時間の間、我々しかいません。これは受けました。デジタル一眼の連中は必至でした。写真を撮ることは何を代わりなのか。つながりを求めているのか、自分の中の満足なのか。

私はデッキで「船をこいでいました」~これは奥さんの言葉です。

ボスポラス海峡沿いに1915年の戦いを忘れるな!という大きな看板があった。トルコの国旗の赤は1915年にイギリスとの戦闘で流された、トルコ兵士の赤い血を表している。ケマルの平和への思いがそこに入っている。国家統一のシンボルです。

その後、ブルーモスクそばで昼食です。ケマブが一番合います。

その後に、バザールを見学した。活気があります。農業国に拘って、作ることに専念していても、売れないとしょうがない。やはり、使うこと、使わせることを国の方針として、トルコが観光を選んだのは正解です。日本もいつまでも作ることにこだわっていては、先がない。

バザールの中に、トルコのスタバを見つけました。この通りに2軒目です。やはり、ここに合ったんですね。自由行動になったので、久しぶりのモカフラペチーノです。奥さんと一緒に1時間ぐらい居ました。マグカップを買いました。海の色が素敵です。

結局、あの通りに、スタバが4軒ありました。トルココーヒーとチャイだけではないのです。観光客の方に視線を向けています

(つづく)
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