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ポメラ50の使い方が分かってきました

未唯へ。いつまでも寒いですね。昨日はコートが必要なかったので、薄手のコートにしました。帰りが寒かった。35分ぐらい歩いていた。元町のサウナで体重計測したら、2週間前よりも1,5Kgダウンしていた。土日に一万歩歩いたからでしょう。

やはり、ポメラ50は私にとって、ツイッターそのものです。ポメラ入力時に、F2を押せば、タイムスタンプが押されます。時間を残して、ツイートとして、入力します。一日単位のリアルタイムで、通信料が最低のツイッターになります。

明日はポメラだけ、持っていきます。未唯空間の詳細コメントもポメラのmicroSDに入れ込みました。これがなかなか調子がいい。今までは印刷した紙をボールペンで校正したモノをパソコンに入力していた。どこでも、テキストがフルキーボードで集成できます。寝ながらでも、バスの中でもできます。

メルマガで、エコットの3年間の活動報告が届きました。実績を数字だけを並べています。私が一番聞きたいのは、「それで何が変わったのか」です。それは一律でなくてもいい。参加している個人の物語でいい。そんな思いのこもった報告を期待します。

「情報共有」再出発のために社長インタビューする時のロジックは単純にすることに決めました。①ビデオを作りました②スルーされた③道具からロジックを作ったので、理解されなかった④最初の戻って、皆の意見を聞くところから始めましょう。こんなインタビューができるのは私ぐらいでしょう。本音勝負にします。

「日本人のこころの言葉 道元」から、気になった言葉をあげます。

 雲のように浮き草のように生きてみる

  道元は、今、正伝の仏法を広めたいという心持ちをしばらく抑えて、正法の説ける時期をまつために、しばらく、たゆたう雲のように、浮き草のようにして、先哲の風にならおうと思うのです。

 時はただ過ぎ去るものではない

  もし時が飛び去るだけであるならば、あらゆるものに隙間があることになります。この有時の仏道を聞いて理解できないのは、時はただ過ぎ去るものとばかり学んでいるからです。要点を言えば、あらゆる世界のあらゆる存在は、つらなりながらも寸断された時間なのです。現実の存在としての時間であるからこそ、自分という存在に関連した現実の時間なのです。

自分なりの言葉を大事にしましょう。
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