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枝廣淳子さんでは社会は変わらないかも

未唯へ。この間から私の中では枝廣ブームでした。今日、枝廣ダイアリーを見て、ブームは去りました。そこには自分が影響を与えることだけが書かれています。何を感じたのかが書かれていません。話をすれば、相手も感じるけど、自分も感じます。それを書くから発信の意味があるのです。

 「怒濤の1週間が終わった。」
 「でも思うんだけど、「怒濤」って慣れてくるのね。まえだったら考えられないほど、1日いくつも仕事をしているのだけど、それも慣れちゃえば、「どとう」というより、「どう?」ぐらいの感じかも。(^^;」
 「22日は、朝6時に家を出て、豊田市へ。10時前に着いて、午前中、講演。お昼を食べながら、取材。そのあと、帰京。17時半に着いて、JFSのボランティア・クリスマス会へ。」

豊田市の町へ来て、それなりの感動を与えたのに、豊田市に対する何の感想がない。これでは単なる出張に過ぎません。東京・NHK・日経みたいなものが中心であり、そこにいかに自分を露出するかが中心の活動になっている。

私は地方の販売店に出張したときには、その町を知ろうとします。そこの市民からの視点を得るために、市立図書館へ行ったりします。現在の枝廣さんにはローカルから見る目がなくなっている。

これでは単なるマスコミにすぎない。このマスコミが悪の根源の一部を占めている時代に、Act GloballyをそのままAct Locallyにぶつけています。刈谷での真後ろに座って感じたグローバル意識は間違っていませんでした。これでまた「環境」というものが嫌いになりました。

深夜放送の「24」が佳境に入っています。米国大統領が中央アジアの石油利権を確保するために、テログループに化学兵器を流した。その時のせりふは「バレル100ドルを越えて、国民が暖房もクルマも使えなくなったら」というものがあります。テロとエネルギー問題がつながっています。これも「不都合な真実」です。

ワンセグ・ウォークマンで字幕一覧を使うと、「字幕」からその場面を選択できます。録画画面が情報として使えます。

「24」の番組の主役はケータイです。それぞれの人間がケータイで多様につながっています。ケータイが「小窓」になり、バックボーンとつながり、知恵とつながっていくのでしょう。ここにこそ、社会を変える力があるような気がします。
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