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沈黙の螺旋(spiral of silence)

このところ、読んだ本で一つのキーワードが出てきています。それは「沈黙の螺旋」(spiral of silence)です。丁寧に新刊書を追っていくと、かなりの数の本であげられています。それが表に出ていないのも「沈黙の螺旋」で説明できますね。言葉が与えられるというのは凄いことです。「複雑性」の時も、それを痛感しました。

去年の総選挙のショックから少し立ち直って、何が起こったのかを分析が始まっています。そのときにコイズミとマスコミとワカモノの間の関係を説明するのに、一番あったコトバがこれです。ドイツの社会学者が70年初頭に提案した理論です。

『テレビの罠 コイズミ現象を読みとく』699.8カヤ香山リカでの一節を紹介します

その発想の始発点は「孤立への恐怖」である。私たちは何か共通の話題について話すときにはいつも慎重だ。たとえば会議の席で一番最初に発言するのは避けたいと思う。満員の電車の中で政治や宗教の議論をするのもやめておきたい。なぜなら、自分の意見がその場に居合わせた人びとに受け容れられない少数派の意見かもしれないからである。それを言ってしまえば自分は孤立する。
この螺旋運動の問題点は、じっさいに人びとの意見の分布とは関係なく「多数派意見なるもの」が増幅していくことだ。そこに居合わせた人の2割しか支持していない意見であっても、たまたま複数のハードコアが先行発言して意見風土(雰囲気)をこしらえてしまうと、あとの8割近くは沈黙してしまうということだってありうるのだ。しかも、人びとは自分の意見を多数派に合わせて変更するとはかぎらない。さしあたりは、ただ沈黙するだけである。

今のマスメディアは死んでいます。本当にひどいです。これだけ、環境とかエネルギーが分岐点に来ているのに、政治はまるで動いていない。それに対して迎合しているだけです。

大学の時から、「あのドイツがなぜナチスにやすやすと支配されたのか」が自分のテーマになっています。その理由というか、経過を説明するのにも、「沈黙の螺旋」は当てはまります。

マスコミが死んでいる今は、安くなったコミュニケーションコストを使った「ブログと本」で一人一人のテーマと声に出してやっていくしか、日本を救う道はないです。

他人との関係で少数意見とか多数意見とかと判断せずに、自分の中でしっかり考えて、行動していくことです。ここでもThink Globally、Act Locallyです。

姪が一時帰国

姪が一時帰国してきたみたいです。そこで未唯が生まれる前に描いたシナリオを思い出しました。彼女が数学者の卵で一時帰国した時の風景です。今の動物と一緒にいるときの彼女を見ていると、本当に勝手なシナリオです。

数学でペンシルベニア大学へ入学して、それからプリンストンに行っているときに、ボーイフレンドと日本に帰ってくる飛行機の中の風景です。

飛行機の窓際に座っていて、眼下に富士山が見えた時に、「私は富士山の裾野で生まれて育ったのよ」と言うものです。そのときに、「今はなき」お父さん〔つまり、私〕が『未唯』という名前をつけた理由を隣のペンシルベニア大学在学時にで知り合ったアメリカ人にちょっとだけ説明するというものです。

飛行機は富士山を周るようにして、夕日の中を名古屋空港に向けて飛んでいきます。

今回はそのシナリオは若干異なり、主人公が姪になっているし、航路からすると富士山は見えないし、興味の対象が数学ではなく、土になっているというパラレルワールドになっています。

だけど、20年前にイメージした「時」になってしまっているのですね。そのシナリオを自分の中の「MUちゃん」が引き継いで、努力して、本来のワールドを追求しましょう。
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