笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

流山市に一人吟行に行きました。

2021-11-23 22:59:17 | 日記
今日は、千葉県北部の流山市に行きました。

流山市は、初めて行きますが、目的は、一人吟行です。

流山には、小林一茶が50回以上も逗留した、秋元双樹邸跡があります。
そこを訪ねるのが、第一の目的です。

家を9時に出て、モノレールで千葉まで行き、総武線各駅停車で西船橋まで、そこで武蔵野線に乗り換え新松戸で降りた。

流山電鉄に幸谷駅で乗るのだが、線路は見えるのに駅が見当たらない。
行き当たりの人に聞いたら、武蔵野線のガード下を抜けて行くことを教えられた。
武蔵野線の新松戸駅の賑わいとは全く違い、スイカは使えず、改札には駅員が居なかった。
2両編成の電車は、ガラガラだった。

平和台駅で降りたら、駅員が、改札で切符を回収していた。

駅から歩いて10分弱で、目的の一茶双樹記念館に着いた。
道路沿いの秋元本家は、江戸時代の商家の表構であり、一茶と双樹の関係資料が展示されていた。
靴を脱いで板敷に素足で上がったので、極めて冷たかった。

手を消毒し、体温を測って園内に入ると、一茶の故郷の黒姫山の石を用いた立派な句碑がある。
「夕月や流残りのきりぎりす」

主な建物は、新座敷棟(双樹亭)と書院(一茶庵)である。
双樹亭は、明治時代には、宮様の宿泊にも使われたらしいが、三間続き(お茶の間8畳、中の間8畳、奥の間10畳)で、庭に向いた三方に縁側があった。

写真は、奥の間の縁側から一茶の句碑の方向を写したもので、紅葉の盛りであり、庭のあちこちを満開の菊が飾っていた。(因みに、江戸から信州に戻った53歳一茶の最初の妻は、28歳の菊です)

紅葉の頂で、四十雀が囀っている。

一茶庵は、水屋付きの茶室になっていた。

すぐ近くの光明院には、秋元双樹の墓があり、一茶と双樹の連句碑があった。

道路を渡り、路地を抜けると、すぐに江戸川の土手に出る。
江戸時代には、太平洋から利根川に入り、運河で江戸川に抜けて、江戸川を下り
江戸に東北の物資が運ばれていた。(北関東の各地からも利根川の支流から、江戸川経由のルートが使われた)

そのため、栃木、川越、佐原、流山などは、物流の拠点として、大変栄えたのである。

土手沿いの本町通りを上り、しばらく行くと、近藤勇陣屋跡がある。
京で破れて、関東に下った新選組の一団は、一時、流山の醸造家(鴻池)に本陣を構える。しかし、近藤勇は新政府軍に捕らえられ、板橋にて討たれる。
今は、記念碑がある。

そこから流山街道に出て、ひたすら歩く。

大杉神社に参拝したあと、吉野家で遅い昼食(牛丼)を食べ、道をつくばエクスプレス「おおたかの森駅」への並木道に取った。

町の光景が、これまでの旧市内の古い屋並みから変わり、高層マンションが多くなる。

第二の目的は、おおたかの森(市野谷の森)である。

歩いて行くと、道路も建物も今まさに工事中が多くなる。

おおたかの森小中学校の脇から道を左に取ると、間もなく森にぶつかる。

大鷹の飛ぶ姿が見えると良いなと思いながら、森の脇の道を歩く。
特に塀は無いが、森の中は、保護区域のため進入禁止となっている。

しばらく行って、学校の運動場のベンチに座り鳥の飛行を待つが、それこそ、烏の一匹も飛ばなかった。
残念。

東京西部のターミナル駅前のような賑わいを見せる、おおたかの森駅から、東武鉄道で柏経由で船橋に出て、帰途についた。

総歩数15700歩でした。

俳句の素材を幾つか仕入れたので、句作は、これからです。
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私は、千葉県東金市出身の落語家、柳家吉綠さんを応援しています。

http://ja.Wikipedia.org/wiki/柳家吉綠
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