tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

春節娯楽表演

2010-03-04 22:52:03 | 港町 YOKOHAMA

 
 

【撮影地】横浜市中区山手町(中華街)(2010.2月撮影) 
Copyrights© 2005-2010 TETUJIN
all rights reserved.

中国では、旧正月を龍舞や獅子舞、秧歌舞(ヤンコーの踊り)をして新しい年の五穀豊穣や無病息災を願う。
ここ、横浜中華街でも、その伝統は守られていて、三国志に登場する英雄関羽を「商売の神様」として祀った関帝廟、海外で暮らす中国人の暮らしに欠かせない航海通商の守り神の媽祖廟で中華街の舞姫たちが奉納舞をする。

1899年に横浜の外国人居留地は廃止された。だが、そこに根ざした華僑社会は、町並みはそのまま、横浜港の発展とともに隆盛していった。
しかし、1923年の関東大震災では中華街一帯も倒壊。多くの華僑の人々の命が奪われる。震災前は5700人だった華僑人口は、200人ほどに激減。さらに、1937年には盧溝橋事件を発端として支那事変が勃発。1941(昭和16)年の日米開戦とともに蒋介石政権は日本に宣戦布告し、日中間は正式に戦争へ突入。華僑経済は全滅に近いほどの状態になる。そして、1945年。アメリカの大空襲を受け、横浜は壊滅的な打撃。中華街も焼失する。
戦後、中華民国は戦勝国となり、食料難の時代にあって比較的食料が豊富だった中華街は急速に復興。しかし、1949年中華人民共和国が成立。中国は二つに分裂し、華僑社会に政治的混乱をもたらすことになる。

華僑の人々は、戦前は広東出身の人々が多かったのだが、1980年のバブル経済以降は福建省から多くの新華僑が移住。新華僑の人々は、大きく二つに分類される。一つは中国で「老百姓」と呼ばれた一般庶民や農民。もう一つは、日本に留学して日本の大企業などで働くサラリーマン。
華僑人口は急増している。2008年末の在日中国人人口は655,377人、在日外国人の国別で一番多く、外国人人口の29.6%を占めている。
中国経済の発展は日本にも及び、中華街は新たな活気を迎えている。2004年2月にみなとみらい線が開通し、現在は平日も含め年間2000万人が中華街を訪れる。その目的は、飲食50%、観光20%、買い物15%という。


気に入った写真や記事がありましたら応援のクリックよろしくお願いします。

にほんブログ村 小説ブログ ライトノベルへ
にほんブログ村

最新の画像もっと見る

コメントを投稿